京都で敬愛しているピアニストと飲んで語った話

京都で敬愛しているピアニストと飲んで語った話#interest_aeおがた (@xtetsuji) です。

前のブログ記事の続きっぽい、京都に行った大きな目的第二弾。

この話、地元に帰ったら絶対色々な人に聞かれることになるので、差し支えない共通部分は書いてしまおう、というやつです。

注意点として、当事者を知らない人は細部は分からないと思うので、「それでも @xtetsuji の文章が大好き!」という人向け。あと、今回の京都の話だけでなく、それに関連した色々な個人的思索が随所に入っています。そこのところ不要な方は適当に読み流してください。読むとしても長文ですので流し読み推奨です。

ご紹介:仁藤麻衣にとうまい)さんは、北海道出身で京都在住のピアニスト。帯広の高校を卒業して札幌の大学に進学したあと、音楽教師として富良野の高校に赴任するも、結婚などを機に京都へ拠点を移す。大学卒業後から休止していた演奏活動を10年ぶりに再開。今は京都太秦(うずまさ)の古心庵(ここあん)で「朝クラ」という早朝ピアノ演奏会を主な活動の舞台としている。私おがたとは、中学時代の同級生だけど約20年会っていなかった。中学時代の同級生達からは「仁藤」と呼ばれているが、私は「仁藤さん」と呼んでいる。また、古心庵の常連さん方からは「麻衣さん」と呼ばれ親しまれている。

上記はブログや紙面などの公開情報より。このブログ記事全体も、差し支えない公開できる範囲で書いています。

きっかけ

今年2015年1月3日に同窓会を開きました(参考:2015年1月3日に中学時代の学年全体同窓会を開催した話と、同窓会に込めた想い)。2014年秋から運営メンバーとして動きだした私達でしたが、「全員の所在を探し出す」と意気込んだ私達も一部の人は探しだせずにいました。それでもまったく手がかりが無かったのは3分の1くらいだったので、20年ぶりの同窓会にしては成果ではありましたが。

同窓会が終わったあと、参加した人からさらに情報を聞こうと後日カフェで何人かとお話をしたりしました。その中で最近の私達のたまり場である cafe Jorro で @tamomick さんとお話をしたときに「仁藤!?超大好き!わたし名前で検索してページ見つけたよ!」と言われたことが、今回実際に会いに行ってみようと思った直接のきっかけでした(名前で検索するなんて相当好きだよね、とは言いましたが)。他の同窓会運営メンバーに探索依頼はしていたのですが、同窓会後から個別に調べていた中で、仁藤さんのだろうブログは見つけて読んでいて、この時点で現地に行ける手がかりはありました。

個人的に今年は「毎月一人誰かを驚かせること」を目標にしていて、3月に京都に行く予定もあるし、約20年会っていない中学時代の同級生が何食わぬ顔をして早朝の演奏会にいたら驚くかなぁと思って仕掛けてみることにしました。自分としても約20年ぶりにあのピアノを聴いてみたいと思ったこともあり、動き始めたら早かったです。

準備

3月の朝クラは8日と19日。とりあえず19日に行くことにして、他の予定を調整しました。

京都駅前周辺に宿を取っても、朝6時に太秦へは始発でも行けないので、以前から泊まってみたかった京都の宿リストから菊香荘を選んでそこに宿泊することにしました。電話で3泊予約。むしろ3月の京都は駅前のビジネスホテルが完全に満室になっていたことと、菊香荘が非常に風情のある良い旅館だったこともあり、この選択は正解でした。

17日の夜に京都入り。

事前に背景知識を得るために、ざっと仁藤さんのブログを通読。

直前

前日18日は四条烏丸(しじょうからすま)で0時頃まで飲んでいました(参考:京都で懇意にしているプログラマーと飲んで語った話)。これはこれで非常に楽しい飲み会だったのですが、次の日が5時起床(朝クラが5時45分からのため)なのに大丈夫かと、かなり不安でした。旅館に戻ったのが1時で、風呂に入って就寝したのが3時。5時15分に目覚まし時計をしかけました。

とはいえ、目が覚めたのは5時前で、相当自己暗示がかかっていたっぽいです。後述の理由で緊張していたせいもあったかも。睡眠時間2時間でもほとんど眠くなかった。

旅館を出て、コンビニに寄り道してグリーグEG113の楽譜を印刷。モーツァルトピアノソナタハ長調K.545のグリーグによるピアノ2台による編曲版です。この楽譜を印刷したのは、単純に題材として面白いという理由の他に、今回の演奏の中にK.545(ケッヘルごひゃくよんじゅうご)があったからというのもあります。またK.545で仁藤さんにぜひ聞いてみたいことがあったので、それも含めてというのもあったんですが、それは後述。

EG113 K.545

コンビニで眠気覚ましコーヒーを一杯飲んで、いざ古心庵へ向かいます。

朝クラ – 3月19日(木) 5:45 〜 6:40 @ 古心庵

印刷した楽譜を手に、会場の古心庵(ここあん)に向かいます。外はしとしと雨。

入口で費用の500円を回収していたので、500円硬貨を渡して奥のホールスペースへ。すでにピアノの音色が流れています。

ホールの会場に入って、空いている席に座ります。ホールというか、なんか殺風景な会議室風。ピアノを弾いているドレス姿の人をみて「うわぁ、本人だわ〜」って確認したあと、とぼけた顔でピアノを聴いていました。その後、お金を預けた方からコーヒーをもらい、コーヒーを飲みつつピアノの音色を楽しみます。同窓会でもそうでしたが、外見で絶対バレないのは確信していました。

他には7人くらいのお客さんが早朝からいらっしゃっていましたが、みなさん反応を見ていると近所の常連さんのようでした。一曲終わると仁藤さんとお客さんとの対話があって、また次の曲へという流れ。まぁ自分は初見さんなので会話にも加わらず、ひとまずおとなしくしていました。

仁藤さんが演奏していたピアノもグランドピアノではありませんが、見回してみると古心庵のホールには少なくとも二台のピアノがあるようです。EG113の話題にはちょうどよい。

古心庵の入口にあった、朝クラの紹介の紙。

朝クラのプログラム

いつもクラシック音楽を聴いている自分ですが、ショパンを聴くことってほとんどないんですよね。嫌いというわけじゃないんですが、昔からわざわざ聴くことがないという。「作品のほとんどはピアノ曲なんだから生で聴ける機会多いだろうし、それなら生で聴いた方がいい」と思いつつ、そういう機会は案外少ないという。とはいえ、幻想即興曲はいいですね。これぞショパンって感じ。

数学科の大学院時代では解析学部屋にいたのですが、隣の代数学部屋のさらに隣の幾何学部屋に電子ピアノというかキーボードがあって、よくそこで先輩がバッハの「インベンションとシンフォニア」を弾いていたので、自分も数学に疲れたらそれを無心で弾いて練習していたのを思い出します。バッハも含めて、ポリフォニックな曲は本当に好き。弾いても聴いても、計算に疲れた頭が切り替わります。

6時40分に演奏が終わって、聴衆のみなさんはそのまま帰っていきます。演奏に満足しつつも、緊張を抑えて行動に移します。

とりあえず会話の口火に困ったので、持っていたEG113の楽譜を取り出します(便利)。「今日は素晴らしい演奏ありがとうございます。私が大好きなK.545を聴けてとても嬉しかったです。ちなみにK.545にはこんな編曲があるんですよ」と言いつつにこやかに楽譜を渡します。それを見てもらっている間に名刺を取り出して「わたくしこういうものです」と(名刺も便利)。

反応をうかがいつつも、次に渡すものをカバンから取り出そうとしていると、「えっ!!えっ!!なんであんたここにいるの!?」と驚かれます。それに対して「たまたま京都に行く用事があったからピアノ聴きに来た」と平凡な答えを返します。ひとまず、忘れられていて「あんた誰?」と言われたり、嫌われていて追い返されたりせず、一安心です(これが相当な心配要因で緊張していました)。驚いてもらったので、一つの目的は果たせました。

その後、持ってきたCREEKS.のピアノ型ジャズ羊羹を「おみやげ」と渡しつつ、同窓会の名簿を渡しました。この場でいくつか話をしたんですが、もう向こうが錯乱状態でまともなコミュニケーションができていなかった(笑)し、こっちも緊張が解けなくて、もうわけわからん状態でした。「今何しているの?」って聞かれて「東京でプログラマーしてる」って言って最近の活動内容とか話したら、嬉しいことに何度も「立派になったねぇ」と言ってくれました。でも残念ながらあんまり立派じゃないです。

時間がないので、とりあえず仁藤さんはドレスから普段着へ着替え(ピアノの影で)ながら会話をします。その後、ピアノを元の位置に戻したりといった作業を手伝います。まぁ私のせいで引き止めてしまっているも同然なので。

短い時間で色々話したのですが、とりあえず帰って子供の面倒見る必要があるということで、「夜に時間取れそうだから後で連絡する」と言われ、この場は7時過ぎに解散。仁藤さんは先に帰宅して、私は古心庵のマスターに挨拶をしてひとまず旅館に戻りました。

短い時間で混乱状態だったので、結局渡したもので持って帰ってもらったのはジャズ羊羹だけでした。あらら。

ひとまず休憩

自分の名刺から連絡先はたどれるようになっていましたが、名刺を持っていってもらったかもよくわからなかったので、旅館に戻ったあとで仁藤さんの携帯電話にメールを入れておきました(携帯電話のメールアドレスは教えてもらった)。

2時間睡眠だったこともあったり、緊張がとけなくてどうしようもなかったり、外は雨がひどかったりということもあって、正午過ぎまで旅館で眠ることにしました。

13時過ぎに起きて、晴れていたのでバスに乗って以前から行きたかったイノダコーヒ本店まで行って、ただのんびりしていました。

コーヒーを飲みながらのんびりMacBook Airで文章作成していたら、仁藤さんから「20時すぎに古心庵におる」とメールが来ます。

イノダコーヒを出て、周辺をぶらぶらしつつ、太秦に戻るバスに乗ります。渋滞などで遅れてしまいましたが、20時20分頃には太秦に到着。

飲み会っぽい集まり – 3月19日(木) 20:00 〜 @ 古心庵

「古心庵ってコワーキングスペースみたいなものだよなぁ。飲み食いできるんだろうか?」と疑問に思いつつ古心庵へ向かいます。

古心庵は朝と同じくあかりがついていました。入口をくぐって中に入ると、朝とは違う常連さんが10人ほどいて、既に盛り上がっています。入口側のカウンター席を通り過ぎた向こうの大きなテーブル席に仁藤さんと数人の常連さんが座っていて、「こんばんはー」と言って入るとそこに手招きされました。仁藤さんは朝とは違うラフな格好で、赤のアクセントが入ったフレームのメガネが印象的なファッション。

テーブルに近寄るなり座りなさいと言われ座ります。座るなり、仁藤さんから茶碗を渡されてワインを注がれます。昨日の四条烏丸の飲み会とは全然違うけど、これも京都!?どうもワインとかつまみは持ち寄りっぽかったです。言ってくれれば買って持ってきたのに。

茶碗にワインを注がれるなり、乾杯。飲みな飲みなと言われ、ワインも美味しくて酔いも回ります。

「食事してきたの?」と聞かれ「いや、腹減ってなかったし食べてない」って言ったら、お菓子しか無いけどと言われて、これまたあれもこれもと勧められました。心温まりますね。

テーブル席にいた古心庵の常連さんを紹介してもらって、名前を覚えます。みなさんアーティストっぽい感じで興味深いです。人見知りを2011年に克服しておいてよかった。

改めて近況報告

朝にしようと思ってろくにできなかった近況報告から。話せば話すほど「立派になったねぇ」と言ってくれて嬉しいんですが、全然立派じゃないよなぁと後ろめたさも。

2015年1月3日の同窓会のお話をして、朝に持って行ってもらえなかった同窓会名簿を渡します。そして名簿作成のための情報提供のお願いの紙を渡します。さっと記入してくれて一つ同窓会タスク完了。

ブログでは自らをおばちゃんおばちゃん言っていたものの、会って話をしたら中身も外見も中学時代から全然変わってない(中学時代に外見年齢が高かったわけでもない)。言葉は人を変えるというものの、全然歳を食っていなかったので、考え方がそもそも若いんだろうなぁと感心。

同窓会名簿から「あの人は今?」トークが長々と始まります。しかも全体にわたって断続的に。その辺りは省略。

自分が訪問したことを喜んでくれて、かなり安堵した

仁藤さんのブログを通読して心配だったのが、中学時代のことを暗黒時代といった感じで書いていたこと。確かに中学時代を思い返すと思い当たる点はあるのですが(後述)、自分が行ってもそれが元で最悪追い返される可能性もあるよなぁと。それが緊張と心配の大きな要因の一つでした。むしろ完全に忘却されていたほうが気が楽かも…などとも考えていたくらい。

とはいえ、中学時代の同窓会を開いたことを話しても盛り上がってくれたし、当時の話でもかなり盛り上がることができて、かなり安堵することができました。

当時どう思っていたの?

今さら隠す気はないのですが、仁藤さんは私の初恋の女性でした。

私が「正直忘れられているかと不安だった」と言うと「そんなわけないでしょ」と言われます。3年間同じクラスだったことや、当時珍しい相当なクラシック音楽好き中学生だったので、男子でも記憶してくれていたようです。

「実は当時好きだったんだよね〜」と言うと、向こうのカウンター席に座っていた古心庵の常連さんが、「告白タイムですか?」「略奪愛ですか?」と冷やかすので、「不倫は勘弁して下さい」と言ったり。いやほんと、冗談でも不倫しちゃいますかって言ったり、かといって遠距離恋愛はやめときなさいと言ったり。日本の皆さんおかしいですよ、逆ですよ、逆。

当時の私は仁藤さんの音楽的思想や演奏に相当影響を受けていていましたし、仁藤さんは最も敬愛するクラシック音楽の演奏家なんだろうなと思います。今回約20年ぶりに演奏を聴いて、今もそうなんだなと思わされました。

もし付き合えれば四六時中その音楽性にひたっていられるわけですが、当時観察していた限りでは女子はだいたい上級生男子が好きだっていう感じなのはすぐわかって、告白しても勝算は無いと踏んで結局何もしませんでした。逆に当時の私は、名前も知らない下級生女子達から意味不明なほどモテたので、本当よくわからないですね。告白して振られて心酔する音楽的思想や演奏を近くで感じることが難しくなるなら、まぁ恋愛的行動に出ないほうがいいと考えたわけです。今考えても、その考えは正しかったと思います。当時もし恋愛的行動に出ていたら、この日のコンテキストがまるで想像できませんから。

その後、私は仁藤さんと同じ高校に進学するのですが、高校では不思議なくらい接点がなくて、高校2年生の頃に5年弱の片思いも終わります。別の女性と付き合い始めたのかって?いや、微分積分を習ったのをキッカケに、何もかも忘れてひたすら数学に没頭していくのですよ。

その後の私は、数学に没頭し、数学でボロボロになり、プログラマーとしてプログラミングに没頭して、その後仕事上の様々な問題で散々な目にあって、心身ともにボロボロになって2010年に最後の一撃を受けて人生のどん底を這うまでになります。この期間は恋愛どころか、毎日生きるだけで大変でした。色々あって2011年から社外のプログラマーコミュニティで活動するようになって孤立無援状態から応援してくれる人も増え、色々落ち着いたのが2014年末。この場に来れたのも、ちょうど今だからというのもあるでしょう(もともと京都に行くのは、プログラマーコミュニティで出会った @azumakuniyuki さんに会うために予定されていたものです)。

「仁藤さんは僕のこと当時どう思っていたの?素人風情でクラシック音楽語って面倒だって思わなかった?」って聞いたら、「そこそこ好きだった」って言われたので、(酔った勢いのリップサービスでも)もう死んでも悔いないです。まだやることだらけなので生きますけれど。

秘密を守り通すのはたやすいこと

少し1月の同窓会の話を。対象読者は明らかにその辺だし。

同窓会の運営メンバーが発足したのが2014年9月。その時にいたY君は「俺、当時○○ちゃんのことが好きだったんだよなぁ」って運営タスクを一切やらずに繰り返して言っていたのを、2015年1月3日の同窓会の二次会でその女子(既婚)にバラすというかY君に言わせるというのが私の粋なはからい(?)でした。というか20年経っているんだから、もういいでしょ、というか言え。同窓会運営タスクやれ。

そんな感じで同窓会の二次会を仕切っていたのですが、その返しとして「てっちゃん(私)は△△さんが好きだったんだよね」ってことあるごとに言われるんです。△△さんは小学校入学前からの近所の幼馴染みの女性なんですが、「え、なんで?違うって」って何度も否定していました。むしろ幼馴染み過ぎると家族に近い感じで恋愛感情とかわかないというと分かってもらえるかも。

1月中旬に札幌に行く予定があったので、いとこ(何歳か年下の女性)が店長やっているすすきののスナックで飲んでその話したら「あれ、てっちゃんって△△さんが好きだったんでしょ〜」って言われて「おまえもか!」って素で言ってしまいました。

やろうと思えば、秘密って簡単に守り通せるものなんです。しかも20年のスパンで。そういうのも得意。人にドッキリ仕掛けるのも、そういうスキルの一環なのかもしれせんね。

思い出としての記憶力が良い

当時の話をしているときに、仁藤さんから「あんた、よくそんなこと覚えているね」ってたびたび驚かれたんですが、私はそこそこ印象的だったことは忘れず覚えているようです。ある程度以上嬉しかったこともそうですし、そしてある程度以上悲しかったこともそうです。

これが勉強にいきればいいんですが、英語や世界史は嬉しくも悲しくもないので、全く暗記できず高校時代は散々でした。それはまた悲しい思い出なので、忘れることができないという。あぁ…。

仁藤さんのほうも、私が中学時代に科学を熱心に勉強していたことや、テトリスやぷよぷよをひたすら極めようとしていたゲーマーだったことを覚えていてくれて、クラス内では特にゲーマーとして振る舞っていなかった気がするんだけどなぁと驚きました。記憶のフックは意外なところにあるのかもしれませんね。

モーツァルト「ピアノソナタハ長調K.545」

さて、問題の(?)K.545 なのですが。

モーツァルトの傑作の一つとしても有名で、しかもピアノ初学者が必ず弾くとも言われるK.545。中学時代、自分もこの曲に心酔して独学で学んで弾いていたのですが、中学当時の仁藤さんに意見を求めたら「ピアノの先生はこの曲を素晴らしいと言うけれど、私はよくわからない」と言われたことが印象的でした。

至極簡単な曲だし技術のある人にとってはそういうものなのかぁ(あと仁藤さんは当時のピアノの先生をあまり好んでいなかったという予想もあった)と納得した中学時代の私でしたが、今回の朝クラの演奏曲の中にK.545があるじゃないですか(第3楽章)。

どういう心境の変化があったのかぜひとも聞いてみたいと思って切り込んでみたのですが、まぁまず「あんた、なんでそんなこと覚えているの?」って気持ち悪がられて(?)、その後たっぷりとお話を聞かせてもらいました。当時と今の様々な背景の違いや音楽的思想の変化など色々と興味深く複雑だったりするので、興味ある人は仁藤さん本人から聞いてください。

「当時の仁藤さんは、自分の弾きたいようにピアノを弾く時、古典派の曲には見向きもせず、ショパンなどのロマン派、いやだいたいは Mr.ChildrenTomorrow never knows ばかり弾いていた」って言ったら、また軽く気持ち悪がられたという。でも約20年の時を経て古典派の曲を自らの意思で弾いてくれるなんて、仁藤さんのピアノのファンであり古典派の曲のファンとして嬉しい限りですね。

その他にも、ブログで見た以前の朝クラの選曲にあったハイドンのピアノ曲について「作品番号だけ書いてあったけれど、あれホーボーケン番号じゃなくてランドン番号でしょ?」とか聞いて確認したりしていました。仁藤さんが演奏したハイドンはたぶん一度も聴いたこと無いので、ぜひとも聴いてみたい。

グリーグ「2台目のピアノの伴奏付きのK.545 – EG113」

K.545の話はたっぷり聞けました。満足。

次に、朝に持っていってもらえなかったEG113の楽譜です。私が再度楽譜を渡そうとすると「持っているから」と。ピアノを専門でやっている人は、この曲も当然知っているものなんだなぁと変に納得してしまいました。

とはいえ素直に疑問に思ったので聞いてみました。「このグリーグの編曲、あの銀座の山野楽器本店で在庫聞いても取り寄せになって輸入楽譜になるくらいなんだけど、どこで手に入れられるの?」と。

楽譜を手に持ってたずねた途端、仁藤さんに楽譜を奪われます。どうもK.545自体の楽譜だと勘違いしていたっぽい。その途端、立ってホールへ走って行く仁藤さんを私も追いかけます。

前述のとおり、古心庵のホールには二台のピアノがあります。「あんたオリジナルパート弾いて」と言われて、突然の指示に「えっ、はい」と言って二台目のピアノへ。息を合わせて第1楽章を弾こうとするも、ブランクもそうですがアルコールが回って指が思うように動かず、グッダグダ。仁藤さんはこちらがオリジナルパートの譜面を覚えていないと思って「今暗譜するから」って言ってくれるものの、「いや、第1楽章の提示部は覚えているけど、酔って指が回らない…」って。情けない。こんなことなら酒が回る前に言えばよかったよ。

仁藤さんがYouTubeでK.545の演奏を探そうとしたので、こっちにNMLがあるからとK.545を検索して誰の演奏がいいかと選んでもらいます。とりあえず私からバレンボイムにバトンタッチ(しかしすごいバトンタッチだ)。私はiPhoneでK.545の演奏(つまりEG113のオリジナルパート)を流しながら、グリーグの編曲パートを間近で聴くことが出来ました。なんと贅沢な。

しかし、敬愛するピアニストから連奏しろって言われるなんて、それどこののだめカンタービレの世界だよって、酔っていたせいもあるけれど視界がクラクラしました。幸せすぎて死ぬかと思ったけれど、演奏できない不甲斐なさのほうが大きかったので、生きながらえて東京に戻ったら電子ピアノを買ってK.545を練習しようと思いました。

家庭環境と挫折の話

2月に音更町cafe Jorro で @tamomick さんと話をしていたときに、私が「確かに仁藤さんの所在はだいぶ分かるんだけど、ブログに中学時代のことがまるでよく書かれていないから、実は行くの怖いんだよね。中学時代にそのことに気づいて助けてあげられればよかったんだけど、余計な感情は目を曇らせるだけだって思ったよ」って言ったら、「私、仁藤と超仲良しだったよ。きっと大丈夫だよ」って言ってくれたので、少し気が楽になったとともに、じゃあ行ってみるかって思ったのでした。結果的に背中を押してもらって正解でした。

今回京都で家庭環境であるとか挫折といった話を本人から聞いたのですが、ブログを通読して把握したり気づいたりしたことを確認するように「うん、ブログで読んだ」って繰り返し言いながら聞いていました。中学校生活の悩みも多少はありましたが(後述)、主に家庭環境のお話でした。今さら後悔しても仕方がないものの、当時ちゃんと把握していたらもっと助けられることあったんじゃないかなぁと思わされます。

挫折の話も、演奏家の夢を諦めたといった話とか、ブログを読んで把握したそのあたりを頷きながら聞いていましたし、他にもいくつかお話ししてもらいました。とはいえ私も高校卒業から挫折の連続で大変だったと逆に自虐することに。北海道大学の数学科に行けなくて学問的社会的に北海道から追放された話から、つい最近まで。

私自身の挫折はまぁネタレベルではありますが、挫折もあって音楽的な厚みが出てくるという側面もあるということをクラシック音楽の歴史は教えてくれているわけで、それでも今があるということに感謝しなければならないかもしれませんね。

いくつになっても夢は捨ててはいけない

これは全ての同世代の人にお伝えしたいことですが…。

芸術の世界もそうですが、ITの世界も日々若い人が台頭してきます。それでも、やはり思うのは「いくつになっても夢は捨ててはいけない」ということ。またそれに関連して「いくつになっても遅すぎることはない」ということも肝に銘じたい言葉だと私は思っています。

30代になると、家庭を持ったりして責任が増えたり10代20代の人達の輝かしい活躍を見たり、夢を諦めてしまいそうになることが多いです。ただ、今世紀を代表する巨匠になるというわけでなければ、今この瞬間から努力しても全く問題ないと思うんですよね。それに、やらされるのでなく自分の意志でする努力はとても面白くもある。

加齢による能力の衰えは意欲でそこそこカバー可能でしょう。問題は時間と金ですが、時間と金は交換可能な側面もあり、金がある人は時間を買えば良くて、時間がある人はその時間に働いて金を稼げば良い。どっちもない人はファンや支援者を増やせば良い。

私は「ブログ読んで思ったけれど、もう挫折してほしくないし夢も諦めないでほしいよ。多少であれば金銭的支援はするから、とりあえず何でも言ってよ」と言ったのですが、これは自分が好きな演奏に対する支援でもあり、また中学生時代の自分が無力だったことに対する挽回でもあるかもしれません。

貧乏時代にN響年間定期会員で6万円 + CDで年間4万円使っていたことを考えたら(しかもそれで10万円分の自分好みのクラシック音楽が得られるわけでもない)、今の自分は多少は蓄えもあるし一人で身軽なものです(それに今は高い演奏会に行かなくなったし、NMLで済ませてクラシック音楽のCDも買わなくなった)。だからこそ、自分が応援したい人や組織には人的金銭的支援はしていきたいと考えています。これはITの世界で最近主流になりつつあるクラウドファンディングの考え方に近い。

仁藤さんが演奏活動を10年ぶりに再開して数年経った今でも良い演奏を聴かせてくれるのですから、子供が大きくなって少し手離れができるようになった頃には、さらに演奏活動が面白くなってくるんじゃないかなと思わされます。

電話してみる

というわけで今回、朝クラに行くきっかけを作ってくれた @tamomick さんが「仁藤大好き!」って言っていたことを伝えたら、喜びと戸惑いでまた騒ぎ出す仁藤さん。

「じゃ、電話してみようか」と言ったら、驚きつつも「あたしの電話だと電話代無料だよ」と言われたので、じゃぁとそれに電話番号を入れて電話をかけます。電話の向こうは音更町へ。

「あ、もしもし?おがたです。Facebook見た?あ、そうそう、今京都。この電話の持ち主の、あの人に代わるね」などと言って仁藤さんに電話を渡します。

そこから当時の仲良し女子同士の懐かしトークが始まったので、自分は休憩とばかりにお菓子を食べつつ茶碗でワインを飲みます。しばらく眺めて心が暖かくなっていましたが、まぁ仲良し同士約20年ぶりに話すといいよねということで、テーブル席を立ってカウンター席へ移動してみることに。

古心庵の常連さんとのトーク

仁藤さんが電話をしている間、テーブル席を離れてカウンター席に移動します。

茶碗を持って行ったら、カウンターの向こうにいる黒縁メガネの若い女性が「何か飲みはりますか?」と声をかけてくださったので、「あっ、ありがとうございます。何かありましたらそれで」と返答します。古心庵はコワーキングスペースみたいなものなので、カウンター側にいるこの方も店員さんではなく常連さんの一人なのです。

カウンター席で飲みながらその若い女性とお話します。「彼女(仁藤さん)、いつもあんなに騒いでいるんですか?」とたずねたら、「麻衣さん、今日はいつも以上に楽しそうに暴れてはりますなぁ」と返ってきて、「なんか最初はどうなるか分からなかったんですが、僕が来て喜んでくれているようで安心しましたよ」なんて会話をしていました。

そんな感じで古心庵の常連さんと少し楽しく話していたのですが、後からやってきた強面の男性が右側に座っていて、突然私に話しかけてきました。「あんた、麻衣さんとどんな関係なんだ?」と。そこそこ威圧的な話し方に驚きつつも「あっ、えっと、中学時代の同級生で…」なんて噛み噛みながら返します。横で私達の話を聞いていたのか、何故か「東京のIT企業の社長なのか?」と言われてしまいます。社長どころか万年場末平社員ですよ…なんて弁解しつつも、この「東京のIT企業の社長」という言葉からにじみ出る悪役感はなんでしょう(笑)。そんな「東京」「IT企業」「社長」が悪役になる物語、今までいくつか読んだことあるわぁとか思ったり。私を悪役にしないでください!

どうもテーブル席で私が話していた「金銭的支援」を「金ならいくらでも出す」と思われていたようで、そこまで金無いですよと弁明したり…。それだけじゃなと思ってひとこと自分が考えていることも伝えました。「世の中、金で解決できない重要な問題で満ち溢れているんですよ。それだったら金で解決できる問題は金を稼いでさっさと金で解決して、余った時間を金で解決できない重要な問題の解決のために当てたほうがいいと思いませんか?」って。金といっても個人活動であれば10万円あれば1年間で結構なことができます。決して法外な金額というわけでもなく、時間が余っていれば日雇いバイトを何日かすれば稼げるお金です。それで夢へ向かって活動ができる、素晴らしい夢を応援できるということであれば、これほど有意義なことは無いんじゃないかなと思います。

さきほどの若い女性が「そういえば他にも、麻衣さんが独り身になったら一緒になりたい、って言ってはる方がいるんですよ」と言うと、強面の常連さんが「ただアイツは経済力がなぁ」とか言っている。いやちょっと、「他にも」って、私は一緒になりたいとか一言も言ってないんですけど。変な誤解発生するからやめてもらえませんかっ!?(とはいえ時代の価値観が追いついてきた感ありますね)

天才タイプへの対応

テーブル席に戻って、電話を終えた仁藤さんと再び話し始めます。

仁藤さん自身が中学時代の卒業アルバムを持ってきて、この人は今どうなんだとか顔写真を指さして無邪気に聞いてきます。このあたりで当初の不安はだいぶ解消されました。

今もそうですが、当時の仁藤さんは一人でわーわー騒ぐ賑やかな女性です。夜に会ったときにも最初からものすごい勢いで話しかけられ質問攻めにあいました。約20年ぶりにこのコミュニケーションをして改めて認識したことは、これはよくある天才タイプの行動パターンだということ。

私は数学とプログラミングでその界隈の天才タイプを何人も目の当たりにしたわけですが、「思考の回転の速さに対して口や耳や手といった入出力が全く追い付いていない」という人が結構いました。仁藤さんもまさにそのタイプだなぁと。たぶん彼女が数学を専攻していたら、ものすごい勢いでホワイトボードいっぱいに証明を書き上げ続けるタイプ。今回約20年ぶりに会って話をしてすぐ出てきた言葉は「思考の速度、相変わらず速いなぁ」でした。

そんな賑やかな彼女の行動を古心庵の常連さんも和やかに見守っているのですが、中学時代はよくからかいの対象になっていました。仁藤さん曰く「あれ、嫌だったんだよねー」とのこと。私は「やっぱりそうだよね」と返答するとともに、「僕は仁藤さんをからかったりしなかったよね。だって仁藤さんに逆らえるはずないでしょう」と、笑いながら言いました。好きというよりもむしろ、彼女の音楽的才能に畏れていたのだと思います。だって呼び捨てにすら一度もしていないんですから。

仁藤さんに再会したら、中学時代の同級生の皆さんは、決してからかったりすることなく、おだやかな心で接しましょう。そう、古心庵の常連さんのように。そのような心や観察眼は、あなたのお子さんや身の回りの若い人の思わぬ才能を見い出すためにもきっと役に立つことでしょう。

作曲の話

仁藤さんが作曲した曲を聴いたことは二度ほどあって、一度目は中学時代の音楽の授業で作ったロール紙に穴を開けていくオルゴールのもの。もう一つは高校2年生の選択授業の音楽で作曲が課題に出たときのピアノ曲。

私が高校2年生の時の作曲の課題に対して「あの音楽教師、作曲技法を一切教えることなく作曲しろとは無責任にもほどがあったよねぇ」って話しつつ当時演奏したピアノ曲のことを聞こうとしたら「あれは子供の頃に作曲を学んでいて作ったものをそのまま持ってきただけ」と言われて、マジかよって。なんか中期ロマン派っぽい感じですごい重厚だなぁって感心した曲は、小さなお嬢ちゃんの作品だったというわけですか…。

そのときの私はというと、リコーダーくらいしか演奏できる楽器がなかったので、リコーダーアンサンブルの曲を書いたものの、運指が難しすぎて誰も弾いてくれる人がいなかったので、アルペッジョにして無伴奏曲にしたら自分一人が滅茶苦茶難しくなって、一人で面白がっていました。その話をしたら「リコーダーもいいね!」って言われたので、リコーダーアンサンブルもやりたいなぁ。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第6番ヘ長調Op.10-2」

夜もふけてきて、仁藤さんが中学時代にコンクールで入賞して体育館で学年全体に披露したベートーヴェンの「ピアノソナタ第6番」の話へ。

当時、体育館で仁藤さんの演奏を聴いた時は衝撃的でした。彼女の演奏でたぶん一番衝撃的だったのがこれだと思う。2曲演奏したうちの後半がベートーヴェンのピアノソナタ第6番で、これが印象的すぎて前半の曲を忘れてしまったくらい。ブラームスかリストのロ短調の曲だということは覚えているけれど。

だいたいクラシック音楽に興味のない中学生を集めているわけでして、ほとんどが静かになんて聴いていなかったわけですよ(静かに聴いていたごく限られた人は、だいたい思い出せるくらいには記憶しています)。前半の演奏を聴いていても私は「うるさいなぁ」と思っていたわけですが、後半のピアノソナタ第6番は周囲がうるさいのにも気づかず引き込まれていたのだから、曲も造詣にあふれているだけでなく、演奏が感動的でした。思い出美化フィルターがかかっているとしても、社会人になってから他のプロの演奏を聴いて比較しても遜色のない演奏を中学生がしていたと言ってもいいくらい。

軽いタッチの旋律で始まる第1楽章。この楽章の第一主題の構造自体が休止を曖昧にした主音を何度も鳴らして緊張感を高める構造。展開部についても一つの動機を使いまわすベートーヴェンの面目躍如がこの若いベートーヴェンの作品にも入っています。第2楽章は歌うようなヘ短調から、それを包み込むような変ニ長調の旋律の対比が美しく、まさにベートーヴェンならでは。そして第3楽章はフーガ風の主題がポリフォニックに展開され、2つの旋律が交錯する曲。小規模な曲ながら、この曲が指定する速さで演奏するのはかなり難しく、聴いている側も引き込まれる疾走感があります。

当時のピアノソナタ第6番の演奏の話をしたら、お約束のように「あんた、なんでそんなこと覚えているの?」と気持ち悪がられたわけですが…。「あの演奏、もう一度聴いてみたいんだけど」とリクエストしたら「楽譜無いし」って言われてしまいます。ならばと、おもむろに手元のMacBook Airを開き、Musopenから楽譜をダウンロードしてPDFファイルをUSBメモリに入れて「ちょっとコンビニに行ってくる」といってコンビニへ。そのままコンビニのコピー機で印刷して古心庵に帰ってきて「はい、楽譜」と渡しました。インターネット時代とコンビニ便利過ぎ時代に感謝しないといけないですね。

楽譜を持った仁藤さんが早足でホールへ行ったので、追いかけてピアノの前で演奏を聴いたわけですが、20年以上前に遠くから聴いて感動した演奏を今日すぐ目の前で聴けるということに感動するほかありません。というか震えた。

もう23時を過ぎて無理を言って弾いてもらったようなもので、さんざん酒に酔っていて演奏も大変だったとは思いますが、第1楽章を聴かせてもらってもう大満足。本人は何度もミスタッチを気にしていましたが、私は「巨匠と言われるピアニストでもコンサートではそれなりにミスタッチしているものだよ。ミスタッチはコンクールで演奏するときに解決すればいいだけで、今は目の前のファンを楽しませるほうが大事だって」と何度も言っていました。というか酒に酔っているところに楽譜を持ち込むほうが悪いですね…。ファン失格です。

仁藤さんに言わせると、ピアノソナタ第6番は第2楽章が好きらしく、あまり第2楽章を気にせず聴いていた自分は改めてピアノソナタ第6番の魅力を再発見した感じ。もちろん第1楽章も第3楽章も良い。

来月以降の朝クラでこのピアノソナタ第6番を取り上げる予定だったという話を聴いて、驚いただけでなく、それはぜひ行って聴かないとという気持ちになりました。なんという偶然。

「ピアノソナタ第6番のメロディはまさに春」「緑を思わせる響き」「ベートーヴェンの後期のピアノソナタは少々重い」「3大ピアノソナタにはあまり興味無くて、好きなベートーヴェンのピアノソナタは6か21」といった感じで盛り上がりました。本当に嬉しいですね。

ベートーヴェンといえばハ短調という調性が有名ですが(例えば第5交響曲)、ベートーヴェンのヘ長調は自然であったり彼の若き日の伸び伸びとした日常を思わせます。それは田園交響曲が象徴的ですし、ベートーヴェン最後のまとまった作品である弦楽四重奏曲第16番の削ぎ落とされた簡素な響きにも現れていて、我々の心を揺さぶります。

夢を追いかけること、本当に大事なこと

前述の通り、年齢などの制約のために夢を諦めることは本当にもったいないことです。

ただ、本当に大事なことは何でしょうか。それは日々の平穏な生活があってこそなのだと思います。たとえ早い年齢で夢が実現できて晴れ舞台に立てたとしても、日常生活が荒んでいたらそれも無意味に感じられることでしょう。確かに自己犠牲を払って人々に高い精神性をもたらしてきたクラシック音楽の巨匠は歴史上何人もいますが、そういう人はごくわずかです。自分が安心できる家庭があり、支援者やファンがいて、その上で心の平穏を使って高い精神性を表現するのが普通の流れなのだと思います。

本当に大事なことが盤石に存在しているからこそ、年齢などの制約を気にせず夢を追いかけることができるのです。そういう意味では、2015年の今は仁藤さんにとってとてもいい時期なのかもしれないなと古心庵で思いました。ファンとしてこれからが楽しみでなりません。

帰り間際の小休止

すっかり話し込んで午前1時を回ろうとしているところ。皆さんご近所さんらしく終電を気にする必要はないものの、各自明日があるということでそろそろ解散ということになりました。5時間みっちり話しましたが、20年の時を埋めるには全く足りないという結果に。

みんなでゴミや茶碗を片付けます。

カウンターで先ほどの黒縁メガネの女性にご挨拶。「本当若いのに京都の女性は落ち着いていますね」と褒めたら、「わたし、麻衣さんと同い年ですよ」と返されます。「えっ、ってことは僕とも同じ年ってこと?」と聞くと「そうですね、独身ですよ」と聞いてもいない独身情報付きで返されたので、「奇遇ですね、僕も独身です」とか酒の勢いで言ってしまった上に、これからもよろしくお願いしますと名刺を渡しました。ただ、その後連絡は来ていません。さっさと聞いておくべきでした(笑)。

そして

みんなで古心庵を出て解散となりました。外はほどよく涼しく、興奮で温まった身体には気持ちよかったです。

その後の私は、歩いて旅館に戻って就寝。その後、次の日は京都観光をしたあと、夜行高速バスで福岡へ移動することになります。

夜行高速バスの中は真っ暗。基本就寝していて、ときどき目を覚ましてはボーっと京都のことを思い出していました。

ふと仁藤さんが良いと言っていたピアノソナタ第6番の第2楽章のことを思い出して、NMLで何度も第2楽章を聴いていたら感動が抑えられなくなって、真っ暗な車内だからと気がついたらボロボロ泣いていました。あんなに泣いたことはたぶん大人になってからないんじゃないかなっていうくらい。今回の京都は、ベートーヴェンのピアノソナタ第6番の生演奏を約20年ぶりに聴けたというだけでも価値あるものでした。

バスは九州に入ります。しかしこの後、京都の温かい思い出を福岡で見事にひっくり返してくれるとは、この時は想像すらしていませんでした。

というわけで、まだまだ旅は続きます。

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