一番最初にいた場所

一番最初にいた場所#interest_aeおがた (@xtetsuji) です。

先日5月10日は母の日でした。

そんな母の日に合うような、11年前の出来事を思い出したので書いてみます。

強く伝えたいメッセージといったものをあまり持たずに書き始めてしまったので、まとまりのないエッセーになってしまったものの、時間のあるときに読んでくだされば幸いです。また文章中には外科的な医療の踏み込んだ話が一部出てきます。そういうのに耐性の無い方はお気をつけ下さい。

2004年4月に一時帰省した

北海道の4月って気持ちいいんですよ。涼しいし、湿度もそれほどでもないし、これから桜が咲くという高揚した感じもあるし。特に4月上旬から中旬が良い。

社会人になってまだ1年ほどの11年前、2004年4月中旬に一時帰省しました。

なぜ帰省していかというと、母の手術の立会いがあったから。

会社には母の手術のことを伝えて数日間の休暇をお願いしました。まだ正社員になってそれほど経っていなかったものの、有給などは融通できたようです。とはいえ休めたのはほんの数日。

私の祖父母、つまり母の両親は今も存命ではありますが、母自身は両親が典型的な話を聞かないタイプの人であることを不安視して、息子である私に来てもらいたいという意向でした。まぁ確かにそうだよなと思ってはいたので、社会人なりたてではあったものの休みを取って地元へ戻ることにしました。

当時のバタバタとした移動

2004年4月19日の早朝に東京の自宅を出発する予定でしたが、夜中に会社のネットワークトラブルがあって、それの対応をしていたら羽田空港に遅れてしまい、乗るはずだった飛行機に乗れなかったという失態をしてしまいます。貧乏新人社会人が当時の割高航空会社の高額な航空券を逸してしまったのは本当に手痛かった。

空港でパソコンを広げてPHSでネット接続をしてJALのウェブサイトで新しい航空券を手配します(この時のパソコンはSHARP MURAMASAに Debian/GNU Linux + X Window System + KDEです。懐かしい。MURAMASA復活しないかなぁ)。この最中にも会社から社内メールサーバ停止についての緊急連絡が会社から持たされた携帯電話に入ってくる物々しさでした。

自宅を出たのが早朝ではあったので、乗るはずの航空便に乗れなかったとはいえ、次の航空便で午前中のうちに新千歳空港に入ります。JR北海道で帯広へ。これも高い。当時の金額で5390円。

滞在1日目

帯広駅に到着したらそのまま帯広協会病院へ。手術前日の母は手術前の準備などもあってあまり元気もなく。必要な買い物などを聞いたりといった程度。途中から @atashiro さんもやってきて話が弾んだりしましたが、夜になったので退室。

その日の夜は @atashiro さんと食事をして、母の会社に少し寄ったあと、そのまま帯広駅北側の東横インに宿泊しました。一人実家に戻ってもよかったんですが、もともと買っていた航空券と一緒についていた宿泊プランがあったので、泊まってみようという好奇心でした。地元のホテルに泊まることなんて普通無いですし。

会社のネットワークトラブルは落ち着かないようだし、会社の事務作業も残っているし、しかもノートパソコンのHDDの調子も悪いし、個人で管理しているサーバも外部から攻撃を受けているしで、ホテルの部屋に入ったあとも落ち着きませんでした。なんでこう重なるのか。

滞在2日目

2004年4月20日。早朝から色々とパソコンで作業をしていたのですが、うたた寝をしてしまい起きたら11時。ホテルの消防訓練のサイレンの音で目覚めます。朝食の時間を逃してしまった…。

2泊3日のプランなのでチェックアウトがなかったわけですが「今晩は実家でいいや」ってなりました。

午前中にホテルを出て実家に向かいます。実家に到着して荷物を置いたりしつつ、手早く外出。母の自動車に乗って祖母の自宅に向かい、祖母を乗せて協会病院へ。

協会病院に到着したところで、ひとまず祖母と食堂で昼食。母は手術中だったので、しばし食堂で時間を潰しました。この時代の病院は院内でパソコンを操作することが禁止されていたので、パソコンを操作しに自動車へ戻るということをやっていたのですが、この時期から暑かった。今だと2G停波で電磁波都市伝説もほぼ無くなってだいぶ楽になったんですけどね。

母は全身麻酔での手術だったので、この日は手術後に面会しても眠っているだけです。買ってきたものを置くためだけで病室に行きました。

協会病院4階の待合室で祖母と一緒に待っていたものの、1時間30分ほど待たされてしまって、やることがなかった(パソコンが使えなかった)ことや、周囲の環境などがしんどかった(別の集団の会話が騒々しすぎた)記憶があります。

その後、病院の方からお呼びがかかります。説明のため部屋に通されました。

手術の説明

部屋に入ると女医さんがいました。座って説明を受けます。

手術は特に問題もなく終わったということの他、術後の計画なども説明されました。特に疑問もなく聞いていると、隣の部屋から看護師さんがビニール袋に入った球状の何かを持ってきました。

看護師さんがそれを女医さんに手渡すと、女医さんが私達にそれを見せながら、ひとこと説明します。「これが患者さんから取り出してた子宮です」と。母は良性の子宮筋腫でした。

こういうのを見る耐性の有無を聞かずに出すのはスゴイなぁ(そのときの自分は比較的平気だった)と思いつつも、ゆうに直径10cmを越える球体に驚きます。通常時の子宮の大きさってニワトリの卵程度だと言われていなかったっけと思いつつ、目の前のそれはバレーボールくらいの大きさ。これが何年にも渡って内蔵を圧迫していたら、それは色々支障が出るのは当然だわなぁと。

女医さんは、なぜかこちらの質問を待っているようでした。何か感想を言わないといけないのかと戸惑った私は、とっさに「これ、築地で8000円くらいで売ってそうですよね」と言ってしまいますウケを狙ったわけではないんですが、言葉が全く見つからなくて。

こちら側の反応を待っていたような女医さんはそれに対して特段何も返すこと無く、説明が淡々と続けられました。なんだったんだあの間は。大喜利だったのか?というか反応を求められても…っていう感じもします。

とはいえ、特に深刻な話も出なくてよかった。

2日目の夜

その日の夜もまた @atashiro さんと食事に行って、ネット回線を借りるためなどの用事でまた母の会社に寄りました。

実家に一人で帰宅して、風呂のお湯を汲みます。

高校卒業と同時に引っ越した実家だったので、大学時代で上京した自分にとって、新しい実家の仕組みはよくわかりません。

しかも、この新しい実家のボイラー、必ずと言っていいほど私が帰省した時に不調になります。この時も、風呂にお湯を汲んでいるときに焦げ臭い匂いを発して、夜中に自分一人だと対処できないぞ、と戦々恐々でした。

なぜか深夜のNHK教育で放送していた小学4年生向け算数講座を見ながら、風呂のお湯がたまるのを待ちます。

風呂から上がっても、その日は朝方まで夜更かししていました。

滞在3日目

滞在3日目はお見舞いに行ったりはせず、市街地で買い物をしたりしていました。

夜に @atashiro さんが来て、自動車で帯広空港まで送ってもらい、そのまま東京に帰りました。2泊3日の慌ただしい帰省でした。

詩的な指摘

東京に戻ってから時々この話をすることがあって、1社目のときに一緒に仕事をしていた女性に「まさか摘出した子宮を見せられるとは思わなくて、言うことに困って築地で8000円とか言っちゃったよ」と話したら「それ自分が一番最初にいた場所でしょ」と言われてしまいます。

言われるまで気づかなかったんですが、確かに自分が一番最初にいた場所だなと。詩的な表現でありながらも、最も事実を突いた指摘に納得してしまいました。今でもこの「一番最初にいた場所」というフレーズはお気に入りです。

「自分が一番最初にいた場所はどこか?」という一種哲学的な命題に何と答えるかは人によって様々だと思いますが、時を経てある意味でのそれを外側から見ることができたことは相当貴重な経験だったのかもしれません。

女性の大変さ

昔から、私の母はたびたび女性の大変さを語ることがありました。それは個人的なことではなく、一般的な女性が大変であるからこそ気にかけなさいという内容でした。特に「女性が腹痛を訴えた時、それが婦人科系の病気だった場合は命にかかわることもある」という話は強く印象に残っています。「婦人科がない内科の病院に連れて行っている間に死ぬ可能性だってある」という言葉は当時の私にとって衝撃的ですあらりました。

「だからこそ大切な女性は気にかけいたわりなさい」という母親の教えは今も心に刻んでいるものの、まさかこんな年齢まで独身でいるとは思わなかった私には活用する機会が本当に無くて、私自身も困惑していますし、母ももう諦めている感じですらあります。笑い事のような、そうではないような。そんな事を言う母親自身が婦人科系の病気で入院してしまうのですから、あながち大げさな話でもないのだと感じます。

とはいえ世の中、彼女がいたり妻がいるのに粗暴な男が大量にいるわけで、ある一定数の女性は自分自身へのいたわりより別のものを男性に求めているのかもしれないですね。私には到底理解できないですし、私が女性だったらそんな男は絶対に選ばないと思いますが。

婦人科系の病気が多岐にわたっていて、放置していると致命的なものもかなりあることは常々意識しておくべきだと思います。それは男性であってもそうで、大切な女性を失わないための最低限の心得ではないでしょうか。

子宮頸がんや乳がんは、早期発見さえできれば治る病気になっています。行政でも定期健診を勧めていますので、常日頃からウォッチしておくべきでしょう。乳がんは早期発見が出来なければ絶望的ですらありますので、毎年定期健診に行ってもいいくらいだと個人的には思います。

統計的に男性が発症しやすい未解明の難病というものいくつもありますが、男性ならではの器官の病気による致死率というのは、女性のそれに比べたら本当に小さいような気がします。前立腺がんも近年は放射線治療だけでも予後が良いとも聞きますし。婦人科があるのに「紳士科」がないのもうなずけます。

今でこそ出産によって命を落とすことは稀になったので女性のほうが男性よりも平均寿命が長いという結果になっていますが、それでも女性ならではの大変さを挙げていくと、本当に配慮せずにはいられません。

男性の平均寿命が女性のそれより低いというのは、男性のほうが事故といった危険と隣り合わせであること、男性のほうが不摂生な生活をしがちだということ、そして自殺の男女比といったところに原因があるのだと思いますが、あまりその辺の考察はしていません。

病気にならなくとも、また妊娠するつもりがなくとも、女性は第二次性徴以降に月経が始まって、閉経になるまで様々な困難がついて回ります。月経前後に様々な不調が訪れる月経前症候群(PMS)という現象は、その名前を知らなくても良く知られた現象でしょう。親しい女性からその大変さを聞くたびに、男性はいかに楽に生きていられるかを痛感せずにはおれません。

「もし女性になったらまず何をする?」といった下世話な質問をされた際、私は「まず婦人科に行って定期健診を受ける」と答えるでしょう。それくらい母などから女性の大変さを教わっているということなのでしょうか。

母親になる女性の大変さ

価値観が多様な今の時代、必ずしも全ての女性が子供を産む必要はないと私は思っています。

それでも世代をつないでいくためには誰かが子孫を残していく必要があるわけで、母親になる女性への尊敬の念は別格です。

男性の力を借りずとも、卵子のクローン技術で女性のみで子供を作ることすら可能になっている現代ではありますが、そんな現代科学をもってしても人工子宮を作ることはできないのです。人工心臓は作れても人工子宮を作ることはまず出来ない。妊娠や出産の大変さから女性を根本的に解放することは現代の科学をもってしてもできないということです。

「痛みに耐えてこそ母親」「自然の摂理に反する」といった考えには、私は全面的に反対の立場を貫いてます。本質的でない大変なことはどんどん取り除いていったほうがいいし、そのために科学は発展しているのです。というか痛みに耐えてこそ議論、毎回思うのですが男親に失礼すぎやしないでしょうか。

そもそも女性の妊娠出産がこれほど大変になったのは、人間が直立歩行をしたことが大きな要因であって、むしろ人間が直立歩行をしたことのほうが自然の摂理に反してるのでは?とすら思えます。無論、直立歩行をしたために手が使えるようになり頭が発達し、そして高度な科学技術の世の中になったわけです。その高度な科学技術を使って、人間が人間になった際に背負ってしまった業のようなものを取り除くことは、自然の摂理とは言わないまでも、自然な流れではなかろうかと思えてなりません。そもそも、自然科学の根本原理で考えたら、究極的な自然の摂理なんてエントロピーが増大することだけなのではとすら思えて、自然の摂理といった言葉の上の議論の空虚さに閉口してしまいます。

そういえば、私の地元(帯広市周辺)には無痛分娩ができる病院がないんですよね。もちろん強制はしないけれど、やはり選択肢はあった方がいい。出産が楽な人もいればこの世の地獄みたいな人もいるわけですし。もし痛みや大変さに萎縮して子供を作らないという女性がいるのであれば、選択肢の一つとして現代医療が提示することは大いに有意義ではないでしょうか。こういった部分についても働きかけて、これから母親となる女性を応援していければいいですね。

子供が欲しいと思っても、男性は女性にお願いして妊娠や出産をしてもらわなくてはならないのです。普通のことに思えますが、私には男性の無力さを感じずにはおれませんし、女性の大変さを少しでも軽減することが男性や現代科学・現代医療に与えられた義務なのだとすら思えます。

そして育児へ

私の母はとても若いころに私を産んで、その後離婚して一人で私を育ててきました。若いのに本当大変だったと思います。

子供を育てることは、大変さもあれば喜びもあるのだと思います。少しでも大変さを無くし、喜びを感じながら子育てが出来るよう、私達周囲の人達も次世代の若い人を育てるために少しでも力を尽くしていく必要性を少子化の今だからこそ感じます。

最近では、男性への育児への参加も珍しいものではなくなってきました。それでも女性への負担は大きいわけで、それが少しでも無くせるよう、社会を変えていく必要性はあるでしょう。未だ無理解な男性は多いです。また育児へ協力的な考えをもった男性であっても、会社など所属する場所の理解がなければ始まりません。男性が育児休暇を取りやすい風土であったり、家族のために時間を割けるような勤務体系であったり、男性主体の育児議論はもっとあってもいいはずです。

もう良い年齢になってしまった私の同年代の多くの人達が結婚し子供を持っています。結婚願望はあるものの、私には全く縁がなく一人でブラブラしている日々ではありますが、結婚できずとも周囲の人達の育児子育てが少しでも楽になるよう活動をしたいとは常々考えています。

2015年の年始に中学校時代の同窓会を開いたことがキッカケで、母親となった同級生の子供達と交流はじめたりしました。その中で得た着想などについては、また別の記事で触れることにしましょう。

母の日に考える、世間一般の母親と自分の母親のこと

私達は、誰もが母親から生まれてくるという当たり前の事実も、時に忘れがちです。育ての親が生みの親とは別にいたとしても、育児は本当に大変なものであって、育ててくれたことへの感謝の念もまたひとしおでしょう。

人間が他の動物には無い高度な知性を獲得したことと、女性が大変な思いをするようになったことは、実は表裏一体なのではないでしょうか。ならば現代の科学技術を駆使して、女性や母親の大変さを取り除いていくことは、むしろ自然な流れではないかとすら思えます。

社会人になってから、母の日に実家に帰って母に何か感謝をするということも無くなってしまいました。まぁ、実家住まいだった頃も特に感謝とかはしたことがなかったのですが。それを親しい人に言うと「いつも母親のことを気にかけていて、よくやっている方じゃない?」と言ってくれるのですが、果たしてどうなのでしょうかね。親孝行したいときには親はなしとはよく言われることです。後で後悔しないためにも、今からでも細々と母親に感謝を伝えて、育ててくれた恩を返していくことにします。

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