久々に個人情報や肖像権を考えてみた

久々に個人情報や肖像権を考えてみた#interest_aeおがた (@xtetsuji) です。

ここ最近は勉強会などの主催者に近い側でイベント運営などをしたりすることが多いのですが、個人情報や肖像権について無関心ではいられない時代です。

2000年代では考えられないくらい Facebook にバンバン顔写真がアップロードされる時代。ネットに個人情報を載せるなんてもってのほかと言われていた一昔前の時代を知っている私には驚きの毎日です。それが特に悪いというわけではないのですが、その一方でプライバシーをことさら気にする人もいます。

先日、ITエンジニアのお祭りである「YAPC::Asia Tokyo 2015」が終了しましたが、逆に私は、勉強会などの運営を経て第三者の個人情報や肖像権について過剰に考えているフシもあるのかなと感じました。個人情報ポリシーがわからない第三者が映り込む同じ風景を、今ネットにアップロードしない「顔写真無しバージョン」と、記録として撮っておく「顔写真有りバージョン」の二種類を撮り分けたりしていることを話すと、もしかしたら驚く人もいるかもしれません。

そもそも写真に映ること自体を快く思わない人もそこそこいることは事実で、直接の知人ではない人を誤解なく撮影することは難しいなと思います。とはいえ、それに臆病になっていると遠い未来への「記録としての写真」をなかなか残せないというジレンマもあったりします。

そんなことを今日考えていたので、少し考えを整理するためにブログを書いてみたいと思います。

イベントの撮影のお話

小さな勉強会であっても風景写真は撮影しておくべきというのはよく言われる話です。イベントを紹介するとき、イベントの内容は文章で伝えられるものの、写真を使わないとそのイベントの雰囲気を説明することはとても難しいことです。また多くの人々の経験則として、遠い未来にノスタルジーに浸れるマストアイテムが写真であることに間違いはないでしょう。

継続的なIT勉強会などを運営する際、新陳代謝を促したりする意味で新規参加者を募ることは多いのですが、その際に真っ先に必要になるのが写真です。写真がなくとも文章で紹介することはできますが、やはり全くの前提知識を持たない人に説明する場合、写真の存在は非常に大きいでしょう。

その際に考慮すべき問題が肖像権、つまり写真に写りたくない人の権利を尊重することです。

Perl入学式の場合、継続的なプログラマー人口の開拓という目的もあったりするので、そういう意味でも写真の重要性はとても高いです。Perl入学式などでは、肖像権のことも考えて毎回のカリキュラム開始前にイベント宣伝のために風景写真の撮影を行うことの説明を行ったうえで、撮影NGの方がいたら教えて欲しいということをアナウンスします。

幸いなことにPerl入学式の場で撮影NGを表明する人はほぼいないのですが、本当は撮影NGに近いポリシーを持った方が会場の同調圧力などで撮影NGを表明できず、単にバイアスがかかっているだけかもしれないとも想像しています。これについては後段で考察します。

IT業界には有名な写真撮影NGの人がいたりして、そういう人は何も言わずとも周囲は撮影を避けて当人の意思を尊重するのですが、そういう例はまれでしょう。

今回のYAPCでも、もっと参加者として写真を撮りたかったということと、そういう考えが根底にあってかあまり写真を撮ることができなかったという2つの側面があって、どこかでこのモヤモヤを解決しておく必要はあるなと感じました。

個人情報の最近のトレンド

サブタイトルを何にするか迷ったのですが、ともかく「個人情報」という言葉の定義は毎年変わっているような気もします。個人情報とは雑に言えば個人を特定可能な情報のことで、それでまぁいいんじゃないかと思います。とはいえ「この情報で個人が特定できるのか」という話が延々巡りになることもしばしば。

個人情報保護がトレンドになって、Pマークなどの認定制度が大量に出てきた時期もありますが、個人情報保護の話は以前よりは落ち着いてきた感もあります。特にPマークについては有効性よりも批判のほうが遥かに多い印象で、取得のために払うお金が高額であること、審査の実体性が無いことや深刻な情報漏洩を起こした企業の認定取り消しが今までに一度もないことなどから、その界隈を金儲けのシールゴロと呼ぶ人すらいます。 少なくとも、その審査対象を見るだけだと非ITの製造業を主な対象としたように見えるのですが、テレアポで取得斡旋を勧めるシールゴロがエッジなIT企業などの有効性が低いところにも押しかけて混乱を巻き起こしているというのが、私が観察している印象です。

第三者のプライバシー権を尊重して個人情報を大切に扱うことはとても大事なことですが、IT業界における個人情報保護とPマーク取得といったことはマインドの違うこと(取得が完全に悪いことだとは言わないけれど)だというのが私の意見です。Pマークの習得は知能テストの試験勉強くらいの奇妙な感じがします。私はITエンジニアとしてITに関するセキュリティのことを詳しく勉強したりもしましたが、Pマークが感知しない個人情報漏洩リスクの問題のほうがITエンジニアを取り巻く開発業務の中では大きい気がします。

第三者のプライバシー権は非常に尊重しつつも、2011年以降の私自身は個人情報は比較的オープンにしています。例えば位置情報などは最たるもの(参考:知人には現在位置をリアルタイムでお知らせしています)。電話番号とかは一般公開していませんが、最近はこれも一般公開しても問題ないのではとすら思います(もしそれを悪用する人がいても警察に言えばいい)。今も日々模索しつつ、ちょうどいいオープン具合を模索しています。一種の実験ですね。

とはいえ、同席している人のプライバシーを尊重するために、普段は公開ポリシーにしている位置情報などを一時的に非公開にしたりといったことはあります。他人に迷惑をかけないことが最優先という考え。

私のような人間の場合はプライベートを秘密にするよりも、できるところは公開してしまったほうが人との出会いが広がったり就職などに有利だと実感することが多々あります。最初は有名税だけ払って嫌な思いをするかという恐れが先行しましたが、とある平凡な30代男性にはメリットのほうが多かったという話です。大金持ちや子供や女性や反感を買いやすい人など、どうしても危険に遭いやすい人にはそれなりの基準はあるとは思いますので、一般論ではもちろんありません。

個人情報を隠したがる人々

ベタな話ではありますが、カフェなどで人に契約を迫るセールスマンや、女性を口説く男性など、話に聞き耳を立ててみると、お願いする側が自分のプロフィールを隠してどうするのっていうケースが結構あります。人となりがろくに分からない人間に信頼を預けてくれというのは通らないでしょう、普通は。言ってしまえばそれはタダの怪しい人です。

ネットの普及とともに匿名アカウントでの探りあいみたいなのが多くなって、一時期全盛だった怪しい出会い系や上述のカフェ会話の悪い例のようなものがまた多くなったように思えます。万人が個人情報をオープンにする必要があるとは思えませんが、誰もが個人情報を隠して人狼のような世界になっているケースは意外とあるのではないでしょうか。

「匿名アカウントだから何をやっても大丈夫」という人が炎上を起こして、特定班と呼ばれる個人の捜索隊によって個人情報が身ぐるみ剥がされる例は枚挙にいとまがありません。匿名でやりたい放題やるよりも、実名で行動を律したほうがいいのではとすら思います。

万人がことさら個人情報は公開しろとは思わないものの、過剰に隠した上で気が緩んでいるケースは結構あるのではないでしょうか。

子供の写真問題について

自分のプライバシーは比較的オープンにしつつ第三者には気を払う私が最近驚くのは、Facebook に溢れる「子供の写真」です。

「親なんだから子供の写真くらいいいでしょ」「ひがみですか」という反応は予想してはいるのですが、そもそも子供は親とは別人格であり、子供の許可は取ったのかというところを一番心配しています

独身や不妊症の人が他人に見せられた子供の写真にショックを受けるという話は最近よく語られることですが、それは潜在化していなかっただけで以前からあったことでしょう。25歳くらいで結婚して子供を…とか思っていた私も実はショックを受ける人の一人ではありますが、過剰な押し付けでなければ直接的な害は無い(私の生命を脅かすものではない)ので許容すればいいだけです。むしろショックを受けたことをキッカケに奮起をして、早く結婚から子供を授かるところまでのステップを踏めたほうがよいですね。

この手の話として昔から有名なのが「子供の写真付き年賀状問題」です。とはいえ高校時代からこれを批判を繰り返していた友人が、自分自身が子供の親になった時に堂々と子供の写真付き年賀状を送ってきたのを見たとき、「あぁ、親が子供の写真を年賀状にするのは人間の遺伝子に刻まれた行動なのだなぁ」と悟りました

では、親が子供の写真を公開するのは完全に親の自由なのかといえば、上述のようにまず子供の許可が必要だという気もします。さらに、写真公開に関するメリットとデメリットを勘案できない年齢の子供に関しては、別途考察すべき点も多いと思います。ただの風景に写り込んでいる子供ではなく、実名がわかる親やその他の個人情報に紐づく状態で撮影された子供は、より危険に巻き込まれる可能性が高いことも勘案すべきですし、親はそのリスクやデメリットを理解した上で公開を判断すべきです。大金持ちの親が往々にして子供の写真を出さないことは、参考にすべき部分も多いです。

「Facebookで友人限定公開にしているから大丈夫」という話も、デジタルデータは印刷された年賀状の写真よりも意図しないところに公開されるリスクが高いことは考慮に入れておくべきでしょう。

この記事を読んで「一部に過剰に不安を煽っている部分があるなぁ」という感想も持ちましたが、どこが過剰に不安を煽っているのか、どこは根拠ある指摘なのか、IT関連の専門職ではない人が判断するのは難しいのではないでしょうか。何でもかんでも禁止にするポリシーは破綻しがちなわけで、根拠有る必要な対策を絞って確実に行うべきです。完全に禁止にするのも世の中が面白く無くなるだけなので、安全な落とし所を見出したいです。

大人でさえ写真を避ける人が少なくない中、写真が嫌いな子供もそれなりにいるのではないでしょうか。かくいう私も子供の頃は写真に映ることは好きではありませんでしたし、今も苦手です。今も昔も容姿に自信がないというものが主な理由ではあります。世間では、親が写真を撮るときに親の圧力で撮影を断れない子供もいるだろうとは想像しています。親の思い出に留めておくならまだしも、そんな子供が自分自身の写真を親がリアルタイムで積極的に全世界に公開していると知ったら、結構ショックかもしれません。少なくとも私の子供時代にインターネットがなくてよかったと思うばかりです。私が子供の写真について考えさせられるのは、独身男性の焦り以上に、自分が子供の頃からの写真嫌いが根っこにあるようです。

とある私の友人は、ネットに公開する子供の写真には全て顔にぼかしを入れた上で、対面で私に会った時にも私に子供の顔が分かる写真を見せることを気をつけながら行っていました。「それはオマエが警戒されていただけだろ」という反論もあるかと思いますが、それくらいのガードの堅さも悪くないと思います。子供の写真を撮影することは遠い未来にノスタルジーを喚起させるためにどんどんすべきことだと思いますが、それを全世界に公開するのは別の話。一呼吸置いて、少しマズイかなと思ったら公開は子供が分別のつく年齢になってからでも遅くないでしょう。

要は様々なリスクとデメリットを理解した上で、それが問題になるかどうか正しく理解することができれば良いという話でしかないのですが、それは意外に難しいという話です。

子供の写真公開派が大多数の中、この問題に考察を与えていた母親でもある藤原真希さんの投稿が非常に参考になりました。だいたい私と同意見です。

中間的な肖像権ポリシーはあるのか

最近思うのは、写真撮影ポリシーや Yes と No の二元的なものではないだろうということです。

積極的に写真を撮られることは苦手である私も、記録としての写真に写ることの意義は感じているので、できるだけ許諾するようにします。このような写真撮影ポリシーは「消極的な Yes」といえるのではないでしょうか。

また、単体写真で撮られるのは遠慮したいけれど、集合写真のひとりとして写るなら許容するという人もいるでしょう。

このように、度合いを考慮した中間的な肖像権ポリシーは普通に考えられます。

ざっと考えてみましょう。

  • 写真撮影は全てNG、いわゆる撮影NG
  • 公開する写真撮影はNGだけど、それ以外の目的の写真撮影は許容する
  • 写真撮影には応じるものの、公開には都度許可を求める必要がある
  • 集合写真や群衆として映り込むのは良いが、自分にフォーカスが当たった撮影はNG
  • 写真撮影も公開もOKだけど、公開時に他の個人情報と結びつけることはNG
  • 写真撮影は公開も含めて全てOK、いわゆる撮影OK
  • フリー素材

その他、商用OKかNGかといった分類もあったりして、組み合わせは様々です。もちろん、組み合わせが大量にあると、多くの人が集まる場では一人一人に配慮するのが現実的ではなくなってくるので、どうしたものかと途方に暮れてしまいます。

このあたりはなあなあでやっているのが一番良いのかもしれませんが、今後多くの人がボーダレスに集まってくることを考えるならば、契約書のような明文化されたものも必要になってくるのかもしれません。Facebookやプロフサイトを見れば写真公開のポリシーが細かく載っているとか、XMLにそのような定義フォーマットがあるとかすればいいのですが…。

同調圧力やバイアスを避けるためにポリシーの事前表明する場所が欲しい

勉強会では写真撮影について説明するようにしていることは前述の通りです。その際に、誰も撮影NGを表明していないのに自分一人だけが撮影NGを表明するのは、協調性の鏡である日本人には厳しいかもしれません。そういうのを同調圧力と言ったりしますが、往々にして日本には同調圧力というバイアスがかかりがちです。

やはり会場で挙手などをお願いするより、事前にアンケートをしておくのがいいのではないかとも思うのですが、勉強会と写真撮影は密接なものでもあるので、勉強会に参加する人が共通で登録できる写真撮影ポリシーサイトがあるといいなと思います。どこかのイベント登録サイトがそのようなインターフェースを作ってくれないものでしょうか。もしくはどこかのIT企業の新人研修で作ってもらうとかでしょうか(仕組み自体はそれほど難しくないでしょうし)。

たとえ表明されたとして、全体の意見が完全にバラバラになってしまうと事実上写真撮影ができないことにもなりかねないので、このような提案は直近で勉強会の主催側である私の首を締めることにもなるかもしれませんが、肖像権を尊重することも大事なことだと思いますので、この文章を書きながらもその両立に悩むところです。

記録のための写真撮影に理解と賛同をいただくことはしつつも、同調圧力なしに意思表示もできるようにしたい、そのバランスを考えるここ最近です。

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