2015年、今年の10大ニュース

2015年、今年の10大ニュース#interest_aeおがた (@xtetsuji) です。

2015年に一年を振り返ろうと思っていたものの、気がついたら2016年も1ヶ月が過ぎようとしているではないですか。一応タリーズで2015年を振り返ったりしましたが、ここでは2015年全体の中で大きなトピックを拾って、そこから2015年を振り返ってみたいと思います。

10位:無職で始まった2015年

2014年12月に前職を退職して、2015年は無職のスタートとなりました。前職での環境で体調を完膚無きまでに崩したとか色々な理由はあったのですが、とりあえず無職期間のことは考えず今は休養しようという考えでした。

結果的に半年ほど無職でお休みをしていたのですが、その間は家に閉じこもるだけということもなく、様々な場所に出かけて、様々な方と交流をすることが出来ました。

一般論として、次の就職に響くので無職期間は作るべきではないといったことは正しいとは思いますが、本当に体調を崩してしまったりした場合は思い切って休んだほうがいいと思います。結局は判断するのは自分しかいないんですよね。

無職期間を乗り切るだけの貯蓄はあったものの、基本的には金は無い。とはいえ時間はあるので休養しつつ今まで出来なかったことをやろうということが、結果的に実現できたのが2015年でして、結果的に近年稀にみる良い一年になったんじゃないかなというのが振り返りです。

その中でかけがえのない出会いも数多くありました。9位以降は、そのようなところも振り返っていきます。

9位:北海道をじっくり回って再発見

もともとが静養目的での無職休暇でしたので、2015年上半期の多くの時間は北海道、特に音更町にある実家に滞在していました。

2015年に北海道に滞在していた期間をカレンダーから振り返ってみました。

5月のゴールデンウィーク中も長く滞在できたこと、数年ぶりに高校時代の友人達と集まる計画があって8月末に短期間戻ってきたものの、中野区から品川区への引越しのために例年恒例の9月中旬の帰省が無かったことなどが特徴的です。

北海道に長くいた割には札幌にほとんど行っていないんだな〜というのが意外な感想。

1月下旬の札幌は、@lestrrat さんと @uzulla さんが「最後のYAPC」のために札幌に来るという話をきいて面白そうだから行ってみたというものでした(今だからタネ明かし)。

3次会では「PHP山手線ゲーム」などが生まれて、大いに盛り上がれました。

1月下旬は色々用事があって札幌を経由して東京に一度戻りましたが、また2月に帰省。今回は静養が主で、その他に親族関連のタスクをこなしたり、1月3日の同窓会で再開した友達の子供に算数を教えに行ったりといったことをやっていました。

4月から5月の帰省は、地元での各種イベントなどの参加が主目的でした。

釧路にいる中学時代の同級生と会ってきたり、北見にいるS氏と会合してきたりと、帯広→釧路→網走→北見→陸別→帯広と、道東地方をぐるっと回れたのが良い経験でした。音更町が地元といえど、時間がないとこういう体験できないですからね。

8月末帰省は、ここ数年なかなか集まれなかった高校時代の友人達が一年くらい前から申し合わせて集まるというもの。道新花火大会に合わせて集まりました。勝毎花火大会は大規模かつ管外の人がたくさん押し寄せすぎて行くだけで大変なものになってしまったけれど、まだ道新花火大会なら楽に行けるレベル。久々の花火!

中学時代の同窓会は2015年1月3日と12月30日という、20年ぶり1年に2回という実験的なものでしたが、高校時代の友人とも再度集まることが出来たのは良い2015年でした。

8位:半年の無職療養と突然の入社

お金も無くなってくるわけでずっと無職というわけにもいきません。無職期間中も細々と就職先となりそうなところを探していました。むしろ、体調を崩したのは東京の悪い環境だからだという思いが強くあって、無職期間の放浪中にそれこそ日本各地で次の就職先となりそうな場所を探していました。

そんな中で、あの @__papix__ という人から「勉強会のミーティングやりたいんですが、時間あったらうちの会社にこれますか?」と言われ、暇だから行くよと訪れたら面接が始まったという話は、2015年の出来事の中でもなかなか印象深いものでした。

2月3日に一度訪れた時は「年末に退職して無職なんですよ〜」「ウチも募集中ですのでぜひ」といった雑談でした。そして4月10日に再訪した時、15分で用事が終わったから五反田で飲んで帰ろうかと思っていたら、複数の事業の方が入ってきて突然面接が始まったという感じ。そして京都滞在中に電話がかかってきて、急遽京都から直行で訪問することになった5月15日に「6月1日から働けますか?」「えっ?10日くらい待っていただけたら…」という会話があって、6月10日に入社することになります。

前述の通り東京以外で働きたいと思っていたのにこの選択はどうしてかというと、一つはいつまでも無職でいるわけにはいかなかった(端的に言えば金が尽きてきた)こと、もう一つは優秀な若いITエンジニアをこれだけ数多く有しかつイキイキと社内外で活動していることは知っていたので、悪い方の会社ではないだろうことは知っていたからです。そしてまずは2ヶ月業務委託契約で試しに働かさせてもらえるということで、向こうにとっても合わなければ辞めさせやすいし、こちらも合わなければ辞めやすいという、選択期間があるという(たぶん両者にとって)非常に好条件でした。

あとは、大気であるとか騒音であるとかといったまさに「目に見えない」社内環境であったり、面接や知人づてでは見えない社内の企画職や営業職の優秀さや善良さを、この2ヶ月の間で見極めればいいと思っていました。また、仙台や福岡などにも拠点オフィスがあることは聞いていたので、東京が嫌であればそちらに転籍させてもらう選択肢もあるかなという思いもありました。

結果的に、会社側からも長く働いて欲しいと言ってもらえ、私も全体的に見ていい会社だと思えたことで、正社員ジョインをして一心同体で働かせてもらうことにしたというのが大体の経緯です。

10月1日入社後4ヶ月ほど経過しましたが、今も平和に働くことができています。大気や騒音といった社内環境も最良レベルではなかったのですが、私が旗を振って二酸化炭素濃度計測業務だったり総務と協力して換気などの制度策定をさせてもらっているという言えば何でもできる会社なところに日々驚いています。

帯広市出身のタケウチ君 @T_akms と同じインフラチームに所属して、以前からやってみたかったインフラ業務を楽しみながらも、タケウチ君と帯広支社の開設に向けて日々模索を繰り返している毎日です。1月と4月にタケウチ君と地元で勉強会をしていたときには、まさかその数カ月後に一緒のチームで働くことになるとは思いもしませんでした。まさに運命。

7位:最後の YAPC::Asia、今年もやったよリジェクトコン

YAPC::Asia Tokyo 本編にトークを応募したのにリジェクトされてしまい、リジェクトコンで拾われて大好評というのが2014年のことでしたが、2015年も同様の流れとなりました。

2014年もリジェクトコンが自分の一番の大舞台となりましたが、2015年も同様でした。

トークしたときのスライドは公開しています。

9月は中野区の引越しの闇だったり、10月以降は入社してバタバタしていたりで、「最後のYAPC」やリジェクトコンのブログ記事を書いていないんですね。今からでも遅くないので書こうと思いますので、詳細はそちらでご紹介します。

とはいえ、トーク後の懇親会の場でも色々な方から声をかけられて褒められて、本当に光栄なことだと感謝してもしきれません。これからも精進します。

6位:(なんか埋めます。もうちょっと待ってね)

 

5位:躍進する五反田界隈のIT企業

私が10月にガイアックスに入社をして、それを契機として自宅も十数年ぶりに会社の至近に引越したわけですが、2015年下半期は五反田界隈が盛り上がったことは印象的です。

@__papix__ さんが書いた「Gaiaxエンジニアブログから振り返る2015年」という記事が、よくまとまっています。

特に象徴的だったのは、五反田のIT企業が集まって開催された「五反田LT #0」の開催だった気がします (参考:五反田LT #0 を開催しました!)。五反田界隈のIT企業の連携も強化されているように思えます。

その他にも、Perl入学式のサポーターもしてくださっている @htk291 さんが、念願かなって五反田の企業に入社して Perl を書く仕事をすることになった(東五反田のWeb企業に入社しました)とか、2015年は五反田の話題で盛り上がれました。そんな時に私も五反田に来ることが出来てよかったなと感じています。

2016年も五反田を盛り上げていけるよう、微力ながら頑張っていきます。

4位:Perl入学式が結ぶ日本各地のPerlプログラマーの絆

Perl入学式の活動を通して、日本各地のPerlプログラマーの連携がさらに加速されてたのを感じたのも2015年でした。

Perl入学式は2012年に大阪で始まり、2013年から東京で行われることになりました。2014年からは福岡でも行われることとなり、今や東京でPerl入学式の活動を多く引き受けている自分としては、大阪と福岡には一度行ってみたいと思っていました。無職期間で生まれた時間を利用して、福岡と大阪に行くことができて、大阪では実際のPerl入学式in大阪に参加することができたことは、良い経験でした。

この日(8月8日)のPerl入学式in大阪に先立って、Kansai.pm の縮小版も催していただけました。

Perl入学式in大阪の懇親会も、なかなか盛り上がれました。

東京から来ただけでこんなに喜んでもらえるのであれば、予定を立ててちょくちょく訪れたいです。

ネット社会でネットの中心にいるような業種の我々だけれども、もっと人と人が対面で直接会うことの必要性を痛感することは、逆説的ながらも妙に納得もしてしまいます。ホテルが取りづらい昨今ではありますが、交通手段の多様化によって交通費は安くなったこともあり、もっと人に会いに諸国漫遊をしたいと感じる今日この頃です。

3位:福岡の日下部さんを輸出する

3月21日に高速バスで福岡に降り立って、人生初の九州上陸を果たします。

当初の福岡訪問の目的は、九州初上陸を果たすということの他にも、Fukuoka.pm をはじめとした福岡のPerlコミュニティと交流することでした。

実際に Fukuoka.pm に参加して福岡の Perl コミュニティと交流を深めることもできたのですが、そこでまっていたのは、あの「福岡の核弾頭」と呼ばれ恐れられている日下部さん @hakata_oyuki だったのでした。

もともと日下部さんとは2014年の後半に東京でお会いすることがあって、そこで Perl について相談に乗ったりしていたのが最初だったのですが、2015年に福岡であってから日下部さんの真の姿を見た感じがします。

二言目には「合コン」が飛び出る日下部さん。行動力の権化みたいな人で、すぐに福岡の美女を集めてきたりするから恐ろしい。

3月の福岡滞在は特に帰る予定も明確にせず、時間があったら湯布院にでも行ってきたいな〜とか思っていたのですが、日下部さんから突然「今夜合コンに来てください」と言われて行くところから日下部ワールドに引きずり込まれてしまいます。

3月の日下部ワールドをTwitterに流していたら、日本全国で「日下部さんは何者なんですか!?」と聞かれる現象が起こり、そして東京でも日下部信者とのちに呼ばれることになる日下部さんのファン集団の概念まで生まれることとなります。苦手な人は苦手なタイプなんだと思いますが、惹きつけられる人は惹きつけられるんだなぁと。

8月に YAPC::Asia Tokyo で東京に来た時にも、なりふり構わず日下部ワールドを展開していました。

その後も日下部さんはちょくちょく東京に来て、9月には私の引越し作業を少し手伝ってもくれました。

写真に映っているもうひとりは平松さん @kaz_hiramatsu です。

ただの浮ついた人というわけではなく、プログラミング活動もちゃんと行っているんです。

あまりにゲスキャラ推しが過ぎたんじゃないかと心配していたのですが、時々飲み会で見せてくれる白い日下部さんを、日下部さん自身に年末に記事にしてもらったら多くの人に好評でした。

2016年も日下部ワールドを思う存分展開して欲しいです。

2位:京都で過ごす時間

3月5月8月と、3度京都を訪れたのも2015年の大きな出来事です。ちなみに3月の京都滞在時に、京都から夜行バスで向かったのが人生初の福岡です。

京都は大昔の高校時代の修学旅行で行ってはいるのですが、ほとんど楽しめないという状況だったので、実際に初めて楽しんだ京都と言えるでしょう。年齢を重ねてからのほうが京都は楽しめると感じます。

京都に行く理由はいくつかあるのですが、毎回のお約束が「猫のあずまさん」「西のあずまさん」こと @azumakuniyuki さんとの飲み会でした。生粋の京都人だけど、北海道が超大好きというあずまさんとの飲み会は話が尽きることが全く無く、次回もということで何回も京都に足を運ぶことになりました。

その他にも、クラシック音楽好きの私が大きな影響を受けた音楽家である仁藤麻衣さんの演奏会に行けたのも大きな出来事でした。

5月に再訪したときは、同じ時間だけれどもずいぶん明るかった。

2015年の3度の京都訪問が自分の周囲でも話題になって、その中でも私の定宿となった菊香荘の雰囲気に惹かれて泊まりたいという人が集まって2016年にキッカソンが開催されることになりました。2015年の各種活動が2016年にも広がりを見せていることは、本当に嬉しいです。

また菊香荘に行きたくなりました。次は2016年3月です。

1位:約20年ぶり、中学の同窓会

やはり2015年を貫いていたのは、2014年9月から準備をしていた約20年ぶりの中学時代の同窓会でしょう。第1弾が1月3日、そして年末に行った第2弾は12月30日でした。年2回催したのは、年始と年末でどちらが人が多く集まるかという実験でもありました。

約20年ぶりとなるわけです。やはり集まった人と話が合うのかとか、諸問題などが起こらないかといったことは不安要因でした。ただ、いざ開催してみると、地元にいる人同士でも会う機会が無かった人達にも喜ばれ、管外に拠点を持ってしまった人ともつながりが持てて、多くの喜びの声をいただくことができました。

私と @KIYO_kawayarou4 がメイン幹事となって、運営全般から人探しに渡って活動していました。同窓会で集まった人もそうですし、早いうちから運営メンバーとして協力してくれた人達とも強固なつながりが出来て、人生のイベントの一つとしても非常に意義深いものになったと痛感します。ここで再度つながった人の絆はきっと生涯にわたって生き続けることでしょう。

1月3日同窓会については、その準備から当日の出来事、そして後日談にまで渡ってブログ記事を書きました。

ブログ記事のコメント欄にもいくつかコメントをいただけるほどの反響がありました。12月30日同窓会で得られた知見や感想についても、追ってブログ記事にしたいです。

このような感じで2015年を振り返ってみましたが、無職から始まって無職で得られた時間を活用して得られたのが各地の人達とのつながり、そして時間を超えた旧友との再開でした。

今はネット社会などと言われますが、ネット社会の中心のような仕事をしている私だからこそ実際に人と合うことの大切さは痛感しますし、忘れてはいけないものだと思います。年齢にして30代となったからこそ、人とのつながりだったり旅であったりといったものに対して20代とはまた違った感情を抱くのかもしれませんが、その良い側面を感じることが出来たのも2015年の一連の出来事でした。

2015年10月より再度会社員として働き始めましたが、そんな中でも2016年も時間を縫って各地を訪れて、様々な人との出会いを大切にしていきます。

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