2022年の振り返り

2022年の振り返り#interest_ae

久々にブログを開くと、2022年もアウトプットが少なかったなと実感。例年通り年末に一年を振り返ってみると、毎年同じような反省をしていて成長がないなぁと思いつつ、さすがに今年は仕方がないと納得させたりしています。来年こそは。

というわけで、2022年も軽く振り返ってみます。

1年9ヶ月ぶりに帰省

2021年の年末に慌ただしく年末帰省移動ができなかったものの、多少新コロが緩んだこともあって帰省しておきたいと、航空券が安かった2022年1月2日の年始に移動しました。

前回帰省が2020年3月。2021年は12月の広島(2021年の振り返り参照)以外は全く動けない一年間でした。

2022年にかけてデルタ株より感染力は高いけれど弱毒とされているオミクロン株に置き換わったり、ワクチン接種が行き渡って私も4回接種したり、新コロの風向きが変わってきた一年でした。後述するように、各種イベントのオフライン開催も視野に入れて動き始めたことが印象的でした。

年明けから春まで動乱、初夏から悪夢、秋から希望の兆し

一年を通した振り返りではあるのですが、今年の年始を抜けた後、年末が見えるまで、5月連休の前くらいまでの春頃までは本当に多忙、その後は秋まで本当に何か厄介でどうしていいか分からないことをずっと孤独に取り組まざるを得ず、心を病みそうになり、9月頃から希望の兆しが少しずつ見えてくる、そんな一年でした。

Twitter でもあまりにも鬱屈としたツイートをして実際にお会いした人から心配されましたが、本当にあのときはそれを外に吐き出して楽になるしか方法がなかったくらいには追い詰められていました。時々、冗談ではなく心を完全に壊した後の療養プランまで考えたほど。

今年の私の上述のようなものを見て心配くださった皆さん、実際に返信くださってアドバイスくださったり飲み会で元気づけてくれたりした皆さん、本当ありがとうございます。2022年の年末に私が生きながらえているのは、そんな皆さんが手を差し伸べてくださったからと言っても過言ではないです。

話せないことも多いですが、下記で少し触れています。

前職の退職

2月に前職を退職しました。2015年入社から6年8ヶ月ほどの在籍でした。

2020年10月末に tiny peace kitchen がなくなり、2021年の年末から2022年の年始にかけてイベント運営でタッグを組んでいた若者達もいなくなり、その他色々とあった細々としたことも思い返して、色々と潮時かなという感じでの退職でした。

詳細はブログ記事(株式会社ガイアックスを退職しました)を参照下さい。または飲み会に誘って下さい🍻

YAPC::Japan::Online 2022 運営

2022年3月4日〜5日の2日間開催のオンラインイベント YAPC::Japan::Online 2022 の運営をしました。

前回の Japan.pm に続くオンラインイベント同様、今回も配信を中心にいくつかの担当をしていました。特に裏トーク担当になったこと、1日目の終了後の懇親会裏で Perl入学式プレゼンツのクイズ大会の出し物の進行役(兼配信役)になったことで、たぶんイベントの最初から最後まで一番しゃべり続けた人になったんじゃないかと思います。

20kg近い配信機材を1日目イベント開始前の夕方前に都内某所の配信場所に運び込み、2日目イベント終了後の夜に持ち帰るのも大変でしたが、持ち帰った後も後述の「執筆」が待っていて、イベント終了後に帰宅してすぐの22時に共著者の皆さんと執筆者ミーティングしたくらいには大変でした。

WEB+DB PRESS の Perl Hackers Hub 2回目の執筆

前述の「執筆」ですが、2022年4月発売の WEB+DB PRESS Vol.128Perl Hackers Hub に Perl入学式の活動についての記事を共著で寄稿しました。

執筆のお話を頂いたのは1月下旬のこと。上述の YAPC やら退職にまつわる慌ただしさで脱稿予定の3月は相当大変なことが予想されたので一度はお断りしたのですが、共著ならどうかとお願いされて、執筆を受けることになりました。

多忙が容易に予想される私の執筆範囲は少なくして頂き、他の共著者2名に多めに書いてもらいました。確かに全ページ自分が書くよりは楽だったかと思いますが、共著者の執筆分をまとめて一つのブランチで運用したり、編集者との代表としての窓口といった取りまとめ役をしたので、大変なことに代わりはなかったです。執筆範囲が1ページ程度でも、書いては消し…を何回か繰り返すので、累計ではかなり書いた印象。慣れている人であれば、ほぼ最初に書いたもので脱稿できるんだろうなぁ…と。

2022年6月に技術評論社のWebにも紙面と同じ内容の記事が掲載されました。

共著者のお二人 @sironekotoro さん @tomcha_ さんの記事も参照下さい。

つらくてしんどくてどうしようもない何か

2月に退職すると同時に、実は知人に声をかけていただいた会社に入社(転職)していました。

2月と3月が上述のイベント運営と Perl Hackers Hub 執筆で全く身動き取れない状態になることがわかりきっていたので、入社は4月以降で……とお願いしたのですが、業務時間でそれらをやって構わないので2月に入社して欲しいと言われ、それなら……と入社。

実際、研修的なものや業務に備えた準備はしていましたが、予想通り3月末に脱稿するまで仕事らしい仕事はできず、4月になってから少しずつキャッチアップを開始……といえば聞こえがいいいのですが、そこで全く何も分からないことに気づくのです。そう、本当に全く。

2003年に学校を卒業してほどなくしてIT業界に足を踏み入れているので、19年ほどIT業界の片隅で小さな仕事を細々とやっていたのですが、今まで出会った最も巨大なシステムよりはるかに大きいシステムが舞台。盛らなくても数倍、いや桁違いの規模があるでしょうか。しかもその巨大システムが今後抱えるだろう問題を解決する修正を一人でやる……という仕事が割り当てられました。さすがに後になって「できませんでした」では不誠実だと、すぐに「私一人では無理なので誰かと一緒に……」と訴えたのですが全く聞き入れてもらえず、それどころか「なぜできないのか理由を説明して下さい」と言われ、何もわからないので説明すらできないのですが、できない理由を説明できないならでできるはずという結論になり、外が梅と灼の季節中ずっと自室で「わからん…わからん…わからん……」と言いつつ、ただコードを眺めていました。

書きながら当時を思い出して、これ一年続いたら心が死ぬなと……。

7月末頃の外部の状況の変化で追い詰められた状況からは少し脱しつつ、秋から冬にかけて事態が徐々に打開していきました。ありがたいことに、仕事の内容も難易度が相対的に低い(といっても高いですが)ものに変更して頂き、数ヶ月ろくな進捗がない状況からは脱しました。私の訴える苦境が耳に入った方に相談に乗ってもらい、業務知識がある詳しい方につないでもらったりもしました。プライベートでは、9月シルバーウィークには後述のキッカソンでリフレッシュしたり、心にも多少余裕が生まれました。

もし面接で「こいつできる」と思わせてしまったのであれば、本当に申し訳無さしかないです。2022年末の時点では、私の能力が無いのか、業務指示が不適切だったのか、それとも別の掛け違いがあったのか、分からないです。数年後、冷静になって客観視できるようになったら振り返ってみたいです。

ただ、今回の経験で学べたこともあって、初学者をはじめとした能力的に発展途上の方に対する適切な対応は自分の思った通りだったということ。携わっている初学者向けプログラミング勉強会では、かねてから「分からないのであれば、分からない理由も分からないはずなので、それを聞いてはいけない」と主張していました。自分が「分からない人」となったことで、皮肉ながら主張の正しさを実感することができました。その他にも、期待に答えられなかった方や助けていただいた方とのやり取りの中で、色々なことを学ぶことができました。

なお、入社ブログを書いていないですが、現在の在職企業の名前を今後も表舞台で言うことはありません。入社ブログもそうですが、在職企業の名前を掲げてアウトプット活動を行うことも、退職ブログを書くこともないでしょう。

中小零細、小規模ウェブサービス一筋19年でした。2010年代、大規模ウェブサービスを支えた著名ITエンジニアの方々がカンファレンス等で華々しいトークをする中、私は身の丈にあった小規模をやっていきました。あまりに手元に小規模事例しかなかったため、MySQL Casual から登壇依頼の声がかかった際、悩んだ挙げ句「超小規模環境の MySQL」なんておふざけのようなトークをしたくらいです。そんなツケが天罰の形で降り掛かってきたのかもしれないですね。

今後の展望ですが、私と同じような困難を抱えながら業務を遂行している方のため、本当に微力ではあるのですが、もう少しだけ頑張ってみようと思います。

9月京都と数年ぶりのキッカソン

Perl入学式の修学旅行の異名でも呼ばれるキッカソンを9月に開催しました。Perl入学式のサポーターが集まって合宿のようにPerl入学式まわりの作業や、そうでない色々な作業を1泊2日で行うイベントです。

前回開催が2019年2月なので、約3年半ぶり。通常であればキッカソンは1年半に1回のペースで行うのですが、2020年9月は新コロ初年度でとてもできる状況ではありませんでした。少人数ではありますが、ようやく泊りがけのイベントもできる雰囲気になった2022年でした。

上述の通り、9月の私は最悪の状態からは若干脱しつつありましたが、秋に元気をもらえたイベントでした。

私と一緒に開催に向けて動いていただいた @tomcha_ さん、ありがとうございます。

やります、YAPC::Kyoto 2023

既報ではありますが、3月19日に YAPC::Kyoto 2023 が開催されます。

前回(前述)のオンラインイベント YAPC::Japan::Online 2022 で配信まわり担当しました。次回の YAPC::Kyoto 2023 はハイブリッドイベントの予定ですが、前回のノウハウで初のハイブリッドイベント配信に携わる予定です。

秋ぐらいから細々と準備を進めているのですが、配信設計はこれから。ハイブリッドイベントならではの難しさは様々あると思いますが、本番に向けてやっていこうと思います。

むしろ、3年ぶりの現地開催イベントでもあるので、(配信担当が言うのもなんですが)できれば皆さん京都に来て欲しい!チケットも販売開始しているので、購入頂けると嬉しいです!

https://twitter.com/yapcjapan/status/1606267191917023232

一年を振り返ってみると、7月8月を底として、2月3月超多忙、12月なんとか生きながらえる……と、バイオリズムをプロットするとお椀状のグラフが描けそうな一年でした。

2023年は、もっと自分を見つめ直して身の丈にあったことを平穏な心で取り組めたらいいなと考えています。あともっとアウトプットしていかないとな、そのためにインプットもしていきたいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください