livedoorドメインでダイナミックDNSするためのメモ

おがた (@xtetsuji) です。

個人的なドメイン名登録サービスは「livedoorドメイン」と「お名前.com」の2つを使っています。最初は livedoorドメイン だけだったのですが、その後そこで登録できないドメインをお名前.comで登録することになり、2つを併用しています。

お名前.com にはダイナミックDNSサービスがありますが、ヘルプを見てもWindowsクライアントしかないようです。以前GMOに問い合わせたことがあったのですが、Windows以外でオープンなAPIを叩いて更新する公式の方法というものは無いようです。

個人的なサーバでダイナミックDNSサーバを構築して運用するのも面倒なので、ここは livedoor ドメイン のダイナミックDNS機能をありがたく使わさせて頂いています。

livedoorドメインのヘルプにはダイナミックDNSの使い方が書いてあって、これは普通のHTTPアクセスでしかないので、OSを選びません。

DNS情報の設定で、TYPEが「A」で尚かつDDNS機能を「ON」にしたレコードは

http://domain.livedoor.com/webapp/dice/update?hostname=hogehoge.com&ip=200.200.200.200

へアクセスし、BASIC認証(livedoor_idとpassword)をクリアすれば該当のDNS情報を変更する事が出来ます。「hostname」と「ip」の指定を忘れないようにして下さい(ipを指定しない場合はその時アクセスしている元のipが設定されます)。livedoorドメインではノーサポートにはなりますが、DiCEというソフトウェアを使えば自動で定期的にIPを更新する事が可能です。

更新中に多少のタイムラグがあるものの、DDNS機能は動的にIPが変化してしまうような環境でインターネットサーバーを構築する際に非常に便利です。

URLの雰囲気から、DiCEで使っている内部の仕組みを情報公開しているということなんですね。

こんなPerlプログラムをcronで定期的に実行しています。プログラマーになりたての大昔に書いたものなので、今ならもうちょっとマシなものが書けるはず。

liivedoorドメインのヘルプでは「ipのクエリ引数が省略されていれば、アクセス元のIPアドレスが採用される」といったことが書かれていますが、以前にそれが無効になってしまったことがありました。たぶん、フロントにAPIサーバがあった状態からロードバランサ配下に置かれたとかなのだと思います。色々考えるのが面倒だったので、@niftyの使いものにならない制限だらけのCGIスペースにリモートIPアドレスを返すだけのCGI remote_ip.cgi を置いて、そのレスポンスに書いてあるIPアドレスを見て自分の出入口のIPアドレスを判断してlivedoorドメインにダイナミックDNSのアップデートを依頼する形にしました。

あとはこのプログラム livedoor-domain-update.pl を、ネットワーク内のサーバから cron で30分おきなり1時間おきに実行してやれば良いです。

大昔に書いたプログラムほぼそのままなのでダサいところは多いですが、今書き直すとすれば、whileループかAnyEventでデーモンにして、以前と同じIPアドレスであれば更新処理をかけないといったプログラムを書くのがよさそうです。この場合はデーモンの死活監視という別の問題が生まれてしまいますが、それはまた別の話。

自分のネットワークの出入口にあたるWAN IPを割り出す方法としては、ルータの管理ページをスクレイピングする方法もありますが、より普遍的な方法は上記のような方法になるんじゃないでしょうか。DiCEの内部処理でもこのような処理が走っているようです。

ゆくゆくは自前でDNSサーバを運用したいとは思っているものの、ダイナミックDNSをどう構築すればいいかが面倒そうだなぁと思って着手できずにいます。いまならRoute53とかのようなクラウドサービスを使うのがベストなのかもしれませんね。

2015年2月の予定

おがた (@xtetsuji) です。

無職でお金は無いけれど時間はあるので、今までできなかった活動を貯金が尽きない程度に数ヶ月はしていこうと思います。

オープンにしている予定については tetsuji.jp トップページにもカレンダーがあります。時々更新していないときがありますが、参考になるでしょう。

というわけで、2015年2月の予定です。

月末と月初

毎月だいたい月末と月初は東京にいる予定です。健康保険の支払いだったり、通院だったり、東京タスクがあるので。

5日から地元滞在

5日に東京から帯広に向かいます。シャトルバスに乗って成田空港に行ってジェットスターで新千歳空港まで行って、そこから高速バスで帯広駅バスターミナルへ。これが相当安い。バス大好きな人オススメ。羽田空港から帯広空港に行くよりも時間はかかるものの、思ったほど長いというわけではないからグッドです。このあたりのLCCテクもノウハウがたまったらブログ書きます。

19日ごろに東京に戻ってくる予定です。決まったらここに追記するか、Twitterでお知らせします。

北海道内での移動

所要で釧路と北見に行く予定です。

行く日程は未定だけど、会う人の休日に合わせる都合で、11日か14日か15日になりそう。会う人には事前に候補日の連絡を入れます。

新千歳空港には行くものの、今回は札幌に行く暇は無いかなと思います。ただ、用事があれば札幌に寄ることは可能です。気軽に声をかけてください。

実家では親族タスクや、実家のネット環境やデジタル環境の整備をする予定です。1月に考えて、だいぶ正解が見えてきました。

Perl入学式関連

2月の東京でのPerl入学式は以下。YAPCで秋以降押されてしまったので、2月は2回あります。

今年の「in東京」の 第6回 は、東京・大阪・福岡との三元同時進行となります。初の試みなので楽しみ。

そして第6回の後に「卒業式」がある予定です。

「in東京」の第6回補講は3月に行われます。

Perl入学式関連では、他にも来年度に向けて私が引き受けたタスクがありまして、それについてのご相談でお話させていただく方がいらっしゃるかもしれません。

 勉強会の運営側まわり

Perl入学式もそうですが、東京にいるときにいくつかの勉強会の運営まわりや、立ち上げなどを計画しています。これには特に日付の予定はないですが、誰かと会うタイミングでオープン飲み会が発生するかもしれません。

その他

人の厄祓いに付き添うついでに自分も厄祓いしてきたり、クラシック音楽のコンサートに行ったりする予定です。

ライフログ系の開発をしようと手元で仕様をまとめたりしているので、意欲がわけば成果物をお見せ出来るかもしれません。最近はプログラマ系活動のアウトプットが足りない気味なので、その辺も少し強化できればいいなと。

書く時間ができたので、書きたいものリストからどんどんネタをピックアップしてブログに書いています。このメインブログ以外にも、数学ブログ(数式記述のために分けた)や音楽ブログ(楽譜記述のために分けたけどまだ一つも記事書いていない)などにも記事を書いていきます。数学や音楽系の活動の布石も打っていく予定。

あと、親族まわり、就職まわり。この辺についてはまとまったところで、またブログ上でご報告させていただきます。

多くの方とお話したいので、気軽に声をかけてくだされば、カフェや居酒屋に喜んで参ります。そこの地域にいればだいたい都合がつくので、ぜひ声かけてください。待ってます。

知人には現在位置をリアルタイムでお知らせしています

おがた (@xtetsuji) です。

昨年2014年12月から無職になって、2015年はいくつかの活動でいろいろな場所に行っています。今後数ヶ月は移動が重なる予定です。このブログでもしばらく毎月の移動計画を書いていこうと思います。

今どこにいるかわからないと言われる

ここ最近「東京にいたんだ。北海道かと思った」とか、「最近どこにいるかわからないね」とか言われることが多いです。

もともと、通信費がべらぼうに高くてまだモバイルインターネットも普及していなかった学生時代とかは、伝達コストをケチって何の連絡もせず帰省したりとかしていました。とはいえ、親や地元の人からすこぶる不評で、社会人になって多少お金に余裕ができてからは帰省時などの動きを北海道のIRCチャンネルなどに書くようにしていました。ただ、多くの人と情報を共有するまでには至っていませんでした。

もう面倒だということで、自分の位置情報をリアルタイムに人にお知らせする方法を模索していたのですが、料金的な問題だったり、情報の受け手の準備が大変だったり、セキュリティが甘かったり、長らくグッと来る決定打がありませんでした。

スマートフォン時代の位置情報共有

iPhoneとAndroidが進化して、ようやく現在地をリアルタイムに扱うことが簡単になってきて、数年前から少しずつ実践しています。

現在の私は主に以下の3つを実践しています。

  • Foursquare/Swarm によるベニューチェックイン
  • iPhoneの「友達を探す」による位置情報共有
  • Googleロケーション履歴による位置情報記録

このうちGoogleロケーション履歴だけは他者と情報共有ができないらしいので割愛。

以下では、Foursquare/Swarm と iPhone の「友達を探す」を使って、私の現在地を受け取る方法を解説しています。基本的にそこそこ面識のある人であれば共有申請をお受けします。また、設定した側は必ずしも私などの他者に位置情報を共有する必要はありません。できれば私も知りたいですけれどね。

Foursquare / Swarm による私のベニューチェックインを受け取る方法

ダウンロードしていない人は、Swarm アプリをダウンロードしてください。

iOS、Android、Windows Phoneのアプリがあります。

登録にはメールアドレスが必要なはず。そしてユーザ名とパスワードを決めます。あとは友達検索機能で xtetsuji を検索してください。またはFacebookやTwitterで私とつながっている方は、FacebookやTwitterをSwarmと連携させると私の名前とアイコンが出てくるはずです。

これは、私がSwarmでチェックインした場所(ベニュー)の情報が得られます。プッシュ通知によって、私がどこにいてもプッシュでチェックインを受け取ることもできます。だいたいこれで、どこの駅、店、公共施設などにいるかがわかります。

一部はSwarmからTwitterにも流していますが、Swarm自体にはこれ以上の詳細な情報を流しています。

あなたがSwarmでベニューにチェックインをすれば、それはSwarmで友達関係の人のみに知られます。Twitterで共有した場合には基本的に全世界に公開していることと同じです。Facebookの場合は共有設定に依存します。

iPhoneの「友達を探す」による私の現在位置を受け取る方法

iPhoneやiPadなどのiOS限定です。

「友達を探す」アプリを、App Store からダウンロードします。

使用にはiCloudアカウントが必要になります。iPhoneを使っている場合ならApp Storeなどのために持っているはずです。

あとは私のSoftbank携帯電話のアドレスで検索してください。標準の連絡先アプリに私の情報があれば、それを自動的に読み取って候補として表示してくれるはずです。

「友達を探す」アプリを使って私の位置情報は知りたいけれど、自分の位置情報を知られたくない場合は、設定から「自分の位置情報を共有」をオフにしてください。

「友達を探す」アプリで位置情報を共有する設定にしていても、設定した友達以外へは位置情報の共有は行われません。

詳細わからなければ何らかの連絡方法で私に質問下さい。

便利に使っています

年末年始は同窓会計画で @KIYO_kawayarou4 と頻繁に連絡を取っていたので、迎えに来てもらう時間を測ったり、色々役立ちました。

友達を探すの活用

帯広から札幌に向かっている間でも位置がわかります。話のネタになります。

夫が心配な妻が夫のiPhoneに仕込んでもいいですし、子供の居場所把握に使ってもいいですし、用途は無限大ですね!

2015年1月3日に中学時代の学年全体同窓会を開催した話と、同窓会に込めた想い

おがた (@xtetsuji) です。

タイトルの通りなのですが、2015年1月3日に中学時代の同窓会を開催しました。私は当初からの運営メンバーの一人として、人集め人探しから情報整理や店の予約まで担当。地元から離れた東京から主に遠隔作業担当でした。

そんな、同窓会を開催するまでの活動内容の話から、当日の話、そして私が今回同窓会をやろうと精力的に動いた理由をどこかでお話したいと思ったので、このブログ記事を書くことにしました。

この文章、一般論というよりは私のエッセーです。とはいえ、今回私達が準備した同窓会に参加された方、色々な場面で同窓会に参加される方、同窓会を主催する方に、この文章が何らかの着想を与えられれば幸いです。

私の中学時代の背景

私が中学時代3年間過ごしたのは、北海道の音更町(帯広市の隣町)にある下音更中学校というところでした。当時は一学年の生徒数が100人程度で、ABCの3クラスにわかれていました。

私は当時3年A組で、2年時にA組にクラス替えを行ってからの持ち上がりのクラス。

なぜか昔から下音更中学校は周辺中学校に比べて素行の悪い中学校として有名でした(今もたびたびそうらしい)。私達の学年の上の先輩は、下級生に対してヤンキー上下関係を要求するガチ不良学年といった感じでしたが、我々の学年は下の学年に対して自己満足的な上下関係を要求するといったことは無かった気はします。もちろん、我々の学年にも若気の至りで素行不良の生徒は若干いましたが。

そんな中で、私はどちらかというと「目立つけどおとなしい、勉強とテレビゲームにしか興味のない生徒」でした。交友関係は、小学生の頃から親しかった男子、部活(科学部)の人、くらい。多くの人に知られているけれど、あんまり交流は無かったです。

同窓会の開催に動き出すまでの私的な話

最初の発端は、B組の @KIYO_kawayarou4 (以後ハンドル名でKIYO)との会話で、彼が「もうすぐ卒業20周年だし、中学時代の同窓会やりたいね」という話を以前から聞いていたことでした。

あとで聞いたところ、KIYOは同じB組の違う人から「同窓会やってよ」と言われていたかららしい。とはいえその人は今回来れなかったのですが。

私は大学進学で上京してから、中学時代までの友人とは2012年ごろまで疎遠になってしまっていました。大学進学してからは大学院を卒業するまで勉学に忙しく、惰性で入った会社では2009年頃まで徹夜あり炎上火消しありで仕事をしていたこともあって、実家に帰省してもそんな余裕は無かったんです。特に2006年から2009年頃までは、仕事で本当に屈辱的な事の連続で、あとで母にきいたら「当時は帰省しても目がどことなく殺気立って怖かった」と言われる始末。

2010年に転職活動の失敗などで人生どん底を味わったあと、このままじゃいけないと思って2011年からコミュニティ活動を開始。会社だけを見ていた内向的な性格から、徐々に外向的な性格に変わっていきました。そんな精神的余裕が出てきた中で、KIYOら中学時代の友人とも再度コンタクトを取り始めたのでした。2011年以降でなければ、同窓会計画に参加することも、他人が計画した同窓会に参加することもたぶんなかったでしょう。

2013年初めごろから、同窓会の話をするKIYOの背中を本格的に押していくことにしました。そして「9月に帰省するときに集まってミーティングするぞ!」とハッパかけ。

最初にKIYOから同窓会の話をされてから色々なことを考えていました。その中で私が「中学時代の同窓会を開きたい」と強く思った理由がいくつかあったので、これは乗っかってしまえと、私の必殺技の背中押しを炸裂させてKIYOの背中を押していったわけですが、これが結果的にうまくいった形になりました。いくつかのコミュニティ活動でもそうなんですが、自分と志を同じにする人に乗っかるのも私の必殺技の一つかもしれません。

同窓会にこめた私の想いは後述します。

2014年9月までの作業

KIYOと「同窓会やろう」という話になった2013年初めごろから、地道に動き出していました。まだ会場や日時などが未定な状況だったので、ひとまず人探しから細々と始めます。

KIYOは地元在住なので、知人づてに人探しや情報収集を開始したようでした。

私は東京からの遠隔作業なので、今後どのように作業していくか考えたりしていました。また、mixiやFacebookなどでさらっと人を探したりしていました。とはいえ、mixiはハンドルネームだし、Facebookでも男性はともかく女性は姓が変わっているケースが多いので、ほとんど探せないという状況。

そんな中、6月に一人の女性からFacebookで友人申請を受けました。姓名は初見でしたが、基本データを見たら「既婚して姓が変わっただけで、同じA組のあの人かな?」と思ったので、メッセンジャーで聞いてみたら予想通り。今後の同窓会計画などを話したら協力してくれるとのことでした。このコネクションは9月以降の同窓会計画で大いに助けられ、私やKIYOが到底リーチできない女性の情報収集に大活躍でした。

ミーティングの前日に私がたまたま連れて行ってもらった帯広のスナックで情報収集していたら、店員さんから知っている中学時代の同級生女子が2人出てきたから、田舎は狭いなぁと思ったり。

2014年9月の発足ミーティング

私の帰省にあわせて、KIYOと彼の親友のY君と9月にミーティングをしました。

KIYOと私は、それぞれ現況の報告。

彼ら2人はB組で、私はA組だったので、C組が毎年行っているクラス同窓会のことをまだ勘定に入れていない状態でした。

私は、事前に考えていた日時場所の計画を次々と出して、彼らの考えを聞くという流れを作りました。ここで2015年1月3日であるとか、帯広市内の居酒屋にするといった日時場所を徐々に確定させていきました。この部分はほぼ私の独断と偏見でしたが、結果的に成功でした。

最近のIT業界のコミュニティ活動で、Facebookの秘密グループとGoogleドライブを使った共同作業がうまくっているという話をよく聞いていたので、今回の同窓会計画にもそれを導入することにしました。これも結果的に成功でした。

私は議事録をとっていたMacBook Airで、Facebookの秘密のグループとGoogleドライブの共有フォルダをすぐに作成。このあたり、IT業界で約10年仕事してきた事務スキルが活きています。

さらに3人で議論をしている間に、Facebookで6月に友人となったA組の女性とFacebookチャットで情報交換。3人で「便利な時代になったなぁ」と言い合っていました。

あとは、人探しに必要な名簿をGoogleスプレッドシートに作成、同窓会案内のプリントをGoogleドキュメントで作成、といったタスクを出していきました。デジタル系作業の下地はたぶんこういう作業が一番慣れている私が担当。その後の共同編集の作業の約束事についても、ゆるく決めていきました。

同窓会の店もだいぶ確定させて、同窓会の案内の紙もGoogleドキュメントで作って、店を確定させた後日完成させました。手のこんだことをしなければ、Microsoft Officeは要らない時代。

ひたすらタスクを洗い出していって、私とKIYOで作業分担をしていく中で、パソコンに詳しくないというY君は意見を出しつつも「オレ、中学時代○○さんのこと好きだったんだよなぁ」と繰り返し言っているのだけが印象的でした。

発足ミーティング後から、運営メンバーを集めながらの活動

B組のY君は地元在住では無いのとパソコンまわりが詳しくないということで、Facebookの秘密グループとGoogleドライブを使った運営メンバーは、私とKIYOと上述のA組の女性の3人から始まりました。その後、KIYOがどんどん人を巻き込んでいく中でA組の女性が一人増え、C組の女性が一人増え、そしてB組のI君が参戦。その後もメンバーは増えましたが、主戦力はこの男性3名女性3名の6名でした。組としてはAAABBCという数。KIYOの巻き込み力には感服。

中学当時のKIYOはまさにジャイアンみたいな存在でした。I君をいじめていた過去もあって、大人になってからたびたびI君にコンタクトを取っていたもののスルーされ、今回やっと応答してくれたらしいです。9月にKIYOと話をしていて「今回はKIYOの中学時代のお詫び同窓会だな!」と冗談めかして言っていましたが、同窓会の準備段階でそれが果たされつつあるというのは興味深かったです。

いじめを肯定するつもりは無いのですが、大人になって当時のお詫びをして「再会」するというのも悪くないと思います。今回はリーチできなかったのですが、不投稿(当時は登校拒否と呼ばれていました)の生徒もいたりして、そういう人ともいつか再会したいと思っていますし、私は全員集合を目標にしています

C組は毎年恒例C組同窓会の主催者と連絡がついて、一気に情報が集まりました。それでもまだ連絡が取れないC組の人もいたので、その人達も今回の探索対象としました。

この6人、というか私を除いた5人は本当に情報ネットワークがすごかったです。

KIYOは足で稼ぐ人で、当時のみんなの実家がまだあれば手当たり次第アタックして、私が作った同窓会の案内の紙を配っていったようです。さらに当時の担任3名とも連絡を取って、担任3名の出席まで実現させてしまいました。

I君は地元で接客業として働いているのですが、その情報ネットワークがすごかった。今回のMVPかもしれない。誰々のお母さんと会いましたとか、そういう情報をどんどんFacebookの秘密グループに投稿してくれました。KIYOと一緒に「あの店にはどうしてそんなに情報が集まるんだ」と不思議がっていました。まさにサスペンスドラマの主要人物みたいな感じ。彼がいるから帯広では絶対に悪いことはできません

女性は地元にいる人もいない人も、なんとなく主婦ネットワークだったりがあったりするようで、知っている人や知っている人の知っている人という推移で、どんどん広がっていきました。それも運営メンバーの女性3名に感謝しないといけないわけです。私やKIYOが連絡しても連絡をくれかった女性も、女性であれば連絡を返すということも多々ありました。20年ぶりくらいの同窓会だと、突然男性から連絡が来ても女性は構えてしまって連絡をくれないこともあるので、同窓会の運営メンバーには一人以上の女性がいたほうがいいというのは今回の教訓でした。

音更だけあって、音更高校のネットワークにはかなり助けられました。一方、私の卒業した帯広柏葉高校の生徒は、すぐに見つかるだろうと高校時代の情報通の友人に依頼したりしましたが、思ったほど見つからなかったのとは対照的です。これには色々な要因が考えられて、それもまた面白いのですが、この考察は別のブログ記事で書こうと思います。

私はというと、高校の情報通に依頼したり、IT業界の人間らしく過去のウェブページを取り出したり込み入った検索をかけたり、手がかりがあれば図書館に行って各種名簿を片っ端から読んだりしていました。仕事がウェブ系であっても最後は足で情報を稼ぐ

私は2014年12月に会社を退職して無職になりました。そういうこともあって12月は余裕があったので、12月24日には地元入りして、KIYOと一緒に追い込みをかけます。そこでも結構判明した情報がありました。店の最終予約や当日の印刷物の準備などの事務タスクも追い込みです。

9月のミーティングの時の人数見積もりは「目標20人以上、30人は行かないだろう」というものでしたが、結果的に担任3名を含めて30人が集まりました。二次会の参加を入れたら31人。3分の1弱の集まりは、約20年ぶりの同窓会にしては良い成果でしょう。なんらかの所在が確認できる人は3分の2強になるので、これもまた良い成果。

20年ぶりくらいになる同窓会

前述の通り、C組は毎年クラス同窓会をやっていましたが、A組とB組はそうではありませんでした。B組は卒業数年後に一度クラス会をやったようですが、それも約20年前に変わりありません。A組に至っては一度もクラス会をやったことがありませんでした(私が呼ばれたことがないクラス会があったというわけでもないようです)。

地元組だと成人式で会ったのが最後という話もありましたが、それでも約15年前の話。私なんて当時の成人式の次の日から大学の期末試験だったので出られず。寂しいものです。

同窓会当日の話

2015年1月3日当日はかなり緊張していました。同窓会の運営メンバーとしてもそうですし、約20年ぶりに会う人達と何を話せばいいかもそう。いつものエンジニア向けプレゼンテーションでは100人くらいを前に話しても準備さえしっかりしていれば大して緊張しないのに、同窓会タスクは4ヶ月くらい綿密に準備したのに本当に緊張しました。慣れなんでしょうかね。

当日は色々遅れてしまって、KIYOと一緒に会場に着いたのは20分前の17時40分。既にスマホには会場に付いている人からの連絡がいくつかあって焦りました。同窓会幹事は開始時間の30分前からスタンバイすることが重要

私の頭の中では、徴収金額が決まっているので入場時に回収プランを考えていたのですが、既に人を入れてしまって盛り上がっていた状態だったので、このプランは瓦解してしまいました。同窓会の一次会は金額を確定しておいて前金にしたほうが絶対に良いです。

今回の代表幹事はKIYOということで司会は任せて、私は裏方で頑張っていました。主に写真撮影、ビデオ撮影、アンケート用紙やペンを配ったり、卒業アルバムなどのアイテムを出したり…。

時間は120分でしたが、私はほとんど飲まず食わずで運営タスクをしていて、ほとんどしゃべる暇もありませんでした。ただ、撮影をしていて皆さん楽しんでくれているなということは分かったので、ひとまず安心していました。というか汗だく。

店側から、120分制限で次のお客さんを待たせているということで、皆さんを追い出すときに前金でないことがネックになってプチ混乱してしまって大変でした。会計はKIYOと協力を申し出てくれた女性数人にお願いすることになって、私はクレジットカードで支払った後で会場の片付けをしていましたが、どのテーブルも食事のほとんどが手を付けられていない。当然ながら私は運営タスクでほとんど飲まず食わずでしたが、他の人達も飲み食いを忘れて歓談していたようで、それはそれで嬉しかったですね。そういう意味でも、同窓会に食事の量はそれほど必要ではなさそうですし、むしろ参加費が安いことのほうが重要

久々の同窓会に120分は短すぎる。これは9月当初から議論に上がっていましたが、完全に当たってしまいました。同窓会は居酒屋のような時間制限のある場所ではなく、時間無制限で貸し切りができる場所がいいです。あと、写真撮影を考えると明るい場所のほうがいい。居酒屋やバーの類はだいたい暗いので、そこは夜も営業してくれるカフェを貸し切るというのがいいかもしれません。

そしてみんな店の外に出てから二次会の会場へ。年末にKIYOと一緒に二次会の店は押さえておいたので、そこに直行です。基本的に120分くらいの一次会であればほとんどの人が同窓会に行くと勘定しておいたほうがいいです。しかし、二次会の店を確定させておいて良かった…。

Foursquareマニアの私が同窓会一次会のSwarmチェックインを忘れていることからも、一次会の私の混乱ぶりがうかがえます。

二次会では、お店(織絵さん)に全て任せて、ようやく私もマトモに腰を落ち着けることができました。冬のはずなのに、夏のようにタオルで汗を拭っていました。

二次会の会場で、あのY君が近くにいたので「○○ちゃんに昔好きだったって言った?」って聞いたら言っていないということだったので、言っちゃったほうがいいよと。向こうが結婚しているとかどうとか、もう当時から約20年も経っているから、当時の思いを伝えるだけなら関係ないよね。

三次会は、同じビルの違う会にあるバーでした。三次会までは確定していなかったけれど、時間が時間だったので入れました。ここまで、半分以上の人が来てくれたらしく、繰り返しになりますが18時スタートの同窓会一次会が120分なのは明らかに足りない

二次会はウーロンハイを飲みながら、一次会で疲れた身体を休ませていたので、何を話したのかよく覚えていない。なんか酒の勢いに任せてまずいことしゃべっていないかだけが心配。

二次会と三次会では、当時仲良かった人よりも、当時あまり接点のなかった、今や子持ちの女性らに子供の教育方針とかを語っていました。子供の教育とかほとんどしたことないのに。

とはいえ今回の同窓会を観察していると、仲が良い同士がかたまるのではなく、当時あまり接点が無かった人同士が今の互いの社会的立場に興味を持って話をするというのが多かった気がします。仲が良い同士は、同窓会を開かなくてもたまに連絡を取ったりしているからというのもあるかも。私も今回の同窓会で「新たな友人」が何人もできて、手前味噌ながら同窓会やってよかったな~って感じがしました。これは30代の同窓会が醸し出す良質な再会なのかもしれません。

まだ話し足りないぞという人達が二次会と三次会のビルを出て四次会の会場探し。結局どこでもいいやということで和民に入りました。帯広にもある和民!

私とKIYOはいましたが、仕事で二次会から抜けた人が戻ってきたりして、結局私を含めて8人が集まりました。

もう四次会では疲れで酔いがまわって、半分くらい記憶が無かった気がします。KIYO曰く「完全に壊れていた」とのこと。まぁ準備と一次会であれだけ暖機運転したら暴走もするよなって思いました。

四次会で個室に入るなり、入口付近で「うちら中学時代付き合っていたんだ」とか言い出しす男女。イチャイチャしだす男を尻目に「聞いてねえよ(笑)」とか思いながら、これが約20年ぶりの同窓会のカオスなのかと思った夜3時。

左隣りには自動車を運転しているので18時からノンアルコールで乗り切った今回の幹事KIYO。右隣には当時の幼さがまるで変わっていないけれど3児の母となっていたC組の女性。眠そうにしているB組の男性で今は工務店の主任。私の小学1年生の頃からの友人でC組の格ゲーの達人。○○ちゃんに「告白」ができたらしいB組のY君。時を越えたバカップル…。中学時代にこの人達が会する空間が信じられないくらいの、よくわからない空間でしたが、これも同窓会の醍醐味なのかもしれません。

大食いなのに満足な食事をしていなかったKIYOは、黙々と蕎麦を食っていました。あとはあんまり記憶がありません…。

そして4時過ぎに解散となりました。当日の準備時間を含めると、半日以上にも渡る長丁場の一日が終わったのでした。

KIYOの自動車で実家に送ってもらって就寝したのでした。

後日談

次の日は完全に気が抜けていました。

3日後の1月6日にKIYOと2人で金勘定や反省会や情報整理を行いました。

情報はFacebookの秘密のグループに逐次流して、運営メンバーが適宜コメントをくれる感じでした。便利な世の中になったものだ。

場所を移して新年初Jorroでアイスコーヒーを飲みながら反省会続き。昼食ついでに始めた反省会でしたが、次の同窓会計画への道のりなども含めて、日没近くなるまで議論しあいました。

次の日1月7日は単独で調査活動。最終的な人探しは紙と文献です。

この日は夜に「ゆるいITべんきょうかい in 帯広」があったのですが、それについては別エントリで書きます。

次の日1月8日には、同窓会の運営メンバーで会心の活躍をしたA組の女性2人からデートに誘われました。中学時代は全然モテなかったKIYOと私のふたりが

でも遅れてしまうんだから、現在のKIYOも私もお察し感あります。

女性の運営メンバーとはずっとオンライン上での情報交換をしたので、1月3日同窓会で会ったのを除くと、会うのは約20年ぶりです。

同窓会ではKIYOも私も忙しくてほとんど話ができませんでしたが、ここで色々な裏話を聞けました。女性ネットワーク、色々な情報が出てくる出てくる。時間が過ぎるのが本当に早くて、あっという間に数時間経ってしまうくらいでした。特にA組3人が集まったので、A組情報が補強できて良かったです。今度は中心的な運営メンバー6人で揃いたいですね。

元々はFacebookにJorroの画像を投稿したら「行ってみたい」という彼女らからのアプローチがあったことがきっかけでした。でもこの4人も、中学時代に一つのテーブルを囲むのが想像できないグループなので、数ヶ月前からオンラインで共同作業をしていたものの最初の方は不思議な感じでした。

同窓会を企画して運営メンバーとして活動したこと自体、大きな出会いや新たな人のつながりを生んだ感じです。

昔とがっていた人も性格が丸くなって、30代の大人のトークができることは不思議であり、時が芳醇させた良質な場です。

すでに次回の同窓会に向けて、運営メンバー間のやりとりもあり、同窓会で再度つながった人との交流が今も現在進行形で続いています。同窓会やってよかったと思いました。

同窓会運営メンバーの活動方法

上記でも軽く触れていますが、以下のツールで行いました。

  • Facebookの秘密のグループ
  • Googleドライブ

情報交換はFacebookの秘密のグループで行いました。これが使えない人は、使える人にメールや電話で情報を伝達してもらうようにしましたが、結果的にこの秘密のグループに参加できた人が活躍主体となったので、そこは問題になりませんでした。

Googleドライブについては、設定を済ませて編集できたのは私とKIYOくらいでした。なので、みんなの情報をFacebookの秘密のグループから集約して、私かKIYOが転記して、まとまったところでFacebookの秘密のグループへPDFにしてアップするというやり方をしました。Facebook上ではリアルタイム編集はできませんが、アップロードしたファイルのバージョン管理はできるようなので、この方式でなかなか十分だと思います。編集量が過大で一人の人に集中してしまうと大変かもしれませんが。

あとはネット時代の簡単な人探しツールである「ググる」「Facebook検索」「mixi検索」から、「住宅地図」を取り寄せて手がかりにもしました。とはいえ、文字化された情報よりも、人が持つ情報ネットワークのほうが役立った感じです。これは地元定着率が高い田舎ならではというところがあるのかもしれません。

同窓会がうまく盛り上がる条件、盛り上がらない条件

私が考えていたのは、以下のような年齢的条件でした。

  • 10代の同窓会は年月が経っておらず、人の集まりも良いが、あまり代わり映えもせず、久しぶりの挨拶だけで終わる
  • 20代の同窓会は、ともするとただの合コンの場になる可能性もある
  • 30代の同窓会は、家庭を持っている人も持っていない人も、色々な社会的立場になっていて、ちょうど面白い時期

なので、KIYOが同窓会をやろうと声をかけてくれたときに、30代だからこそ盛り上がるだろうなぁと思ったのでした。10代や20代の同窓会は多く聞くものの、30代の同窓会ってあまり聞かない。でも、やってみたら面白いんじゃないかな?という私の好奇心から、KIYOの背中を押すことにしました。

あと、中学校が普通の公立高校だということも、今のみんなの多様性があって面白くなる要素なんじゃないかなと考えましたし、実際その狙いは当たったと思っています。

私の高校は「中途半端な進学校」でしたが、一学年450人のマンモス校であることを差し引いて頑張って集めても「現在のステータス自慢」に終始してしまうんじゃないかというのは結構想像できて「まぁ高校はいいっか」と思ったのでした。受験のためにクラスは毎年再編成され、最終学年次は受験のための選択教科のためにクラス移動が頻繁で、あまり一体感がなかったクラスの印象。どちらかというと修学旅行に行った高校2年のクラスのほうが印象にあるくらいだし、部活のほうがずっと印象にあります。

同窓会に対するネガティブな意見について

同窓会に呼ばれたけど参加したくないという人の話はよく聞きます。特に若い頃はそうでしょう。とはいえ、歳とともにそういう旧交が面白くなっていくことがあるかもしれませんし、誘いが来てもだんまりするのではなく「今回は都合悪いけど、次回あったら教えて」と言っておくと、後々良いことがある気がします。少なくとも悪いことはなさそうです。その辺りは、上述の私が考える年齢による同窓会傾向にもある通り。

先にも触れた「現在のステータス自慢」については、これは同窓会をやる集合がどのような性質かにもよるでしょう。男性はあまり気にしないけれど、女性が自分の夫や子供を他人と比較するということは多いと言われています。真偽の程はわかりませんし、人の思考を操作はできませんが、私は「自分自身を高めることが大事であって、たとえ夫や子供であってもそれは他人のふんどしじゃないか」というスタンスを取っています。親族のふんどしを借りて水面下のバトルとかやられたら、歴史上の有名人物の末裔とかが平気でいた私が卒業した大学の同窓会とか出られませんよ…。

今回、同窓会で動いていたときに色々な人に話を聞いていて出てきた言葉に「昼顔」というのがありました。流行語の類には詳しくないんですが、聞いてみるとフジテレビの低俗な不倫推奨ドラマらしいです(伝聞)。この「昼顔」という言葉は、これまたフジテレビの自称生活情報番組「ノンストップ!」から出た言葉らしい。12月に無職になってから有閑マダムよろしく「ノンストップ!」を観ていましたが、これがまた噴飯物の内容でビックリしました。定番の流れとしては、夫をこき下ろして視聴者やコメンテータである妻が気分良くなるという内容で、たとえ男性にも非があるにせよ男性としては非常に後味の悪い、全く建設的ではない番組でした。年末年始は同窓会ネタもあり興味深く見ていましたが、まぁひどかった。妻の同窓会に軽自動車で迎えにくる夫を非難した千秋さんのニュースとかも話題になりましたが、今やただの移動手段でしか無い自動車にこだわってどーすんのって感じです。私はこの放送を見ていましたが、千秋さんの発言以上に酷い内容がいっぱいありました。千秋さんはお金持ちでしょうが、自動車がステータスを表す時代は終わっていることに気づかないのか可哀想だなと。最近は反論が火に油を注いでいる千秋さんではありますが、ウゴウゴルーガ好きからしたら、こんなくだらない番組で油を売っている(燃やしている)暇があったら、声優業であったりもっと別の場所で活躍して欲しいです。

個人的な意見ではありますが、私は同窓会を合コン会場であるとか不倫会場にしたくは当然ありませんし、現在のステータスを比べ合うくだらない自慢場所にもしたくありません「ノンストップ」のような番組が、同窓会の目的に対する世間の考えをミスリードすることに憤りを感じました

私が同窓会開催に込めた想い

もともと私自身、これからの少子高齢化時代が進むと孤独社会が到来するという考えを持っていて、色々な絆を温めていくことがこの先の人生をより良くしていくと考えています。

私やKIYOなんかは同年代の親戚が少なく、年齢を重ねて孤立化する可能性が高い部類の人です。そんなことも9月にKIYOと話したりしていましたが、同窓会というつながりが一つのセーフティネットとして緩く機能することにも期待しています。

私の母から聞いた興味深い話があります。母の同窓会では、重い病に倒れ家族が離散し、親も高齢で頼りにならず孤立して施設に入ってしまった同窓生を支えようとしているらしいです。脅すわけではありませんが、同世代の親戚が少ない独身だけでなく、配偶者や子供がいる人も完全には安心できない世の中です。同窓会に限りませんが、家や会社に閉じこもらず、外の様々な信頼できるコミュニティとつながりを持つことが、これからの時代を豊かに生きていく大事な要素になるのではないでしょうか。

厄年を支持するしないに関わらず、特に30代の女性は、結婚、妊娠、出産、育児といったライフイベントで生活がガラリと変わり、大変なことが多くなりがちな年代です。逆に、私やKIYOなどは現在は比較的自由人であるわけで、そういう女性を同窓会ネットワークという場所で助けるということはとても良いことじゃないかということは、9月のミーティングでも話をして共感してもらいました。地域コミュニティのつながりが希薄になった代わりとして、手の空いた人に「ちょっと子供預かって」などと気軽に依頼できるコミュニティが現代にもあっていいんじゃないか、私はそう思います。逆に40代になると職業の岐路であるとか病気であるとか、男性が苦しむ時期でもあります。気心知れた同士が助け合えるという側面としての同窓会というコミュニティがあってもいいと思いませんか?

記憶に新しいベビーシッター事件のように、完全に知らない人に頼ることは危険も多いですが、同窓生のように知っている者同士の助け合いであれば、いくらか安心ではないかという考えがあります。さらに助ける側の行動を監視する役割が同窓会にあれば、古き良き地域コミュニティと同等の良いコミュニティとなるのではないでしょうか。

北海道は離婚率が高い地域です。シングルマザーがいるとは予想していましたが、子供がいるから遠方から来れないというシングルファザーが数人いたことには驚きました。事情はどうであれ、そういう人達が困っているときは、何らかの助けができればと感じずにはおれません。子連れでも参加できる同窓会というのも後々模索していきたいです。

シングルマザーやシングルファザーは人の目を気にして参加しづらいと思われるんじゃないかという不安はありますが、私のように幼いころから母子家庭で貧乏生活をしてきた身としては案外普通ではないかと思います。むしろそういう人達が困っていることを助ける場にしたい。金持ちになって結婚したら勝ち、独身や未婚や貧乏は負け、みたいな古臭い価値観がみんなから無くなればいいというのは前述の通りです。職業に貴賤はありません。違法であるとか人の人生を滅茶苦茶にしなければ、どれも立派な仕事だと私は思います。私達が目に入るもの耳にするもの、全てが誰かの仕事によって創りだされたものです。多様な仕事があって多様な人がいる。その人達それぞれの体験が聴ける場というのは非常に面白いじゃないですか…って無職の私が言うのが一番説得力ないかも…

上記の内容を総括すると、私は同窓会が信頼できる互助的なコミュニティの一つとして機能すれば良いという理想を持っています。これは私が強制できることではないので、1月3日の同窓会の場所でもこのことには一切触れませんでしたが、色々な会話グループを渡り歩いていると、より良い場所への就職斡旋であるとか、子育ての相談であるとか、そういう参加者同士の助け合いといったものが自然とできていたことは、同窓会を企画運営してきた身としては非常に嬉しいことでした。

そして2015年12月30日へ

1月3日同窓会は好評を持って終えることができました。満足してくれたという感想をみなさんからいただいて、4ヶ月頑張ったかいがあったなと思いました。

何よりこの同窓会では、参加された人以上に同窓会の運営メンバーが一番楽しんだかもしれません。私やKIYOも、この先も生きていく目的が一つできました。

次回の同窓会は、同じ2015年の12月30日に開催予定です。これはC組の毎年恒例同窓会にぶつけてしまえという私とKIYOの手抜きでもあります。そのために運営メンバーは新たな活動に入ります。私も4ヶ月やってきて、人探しが楽しくなってきました。今後も同窓会というものを様々な側面から楽しむつもりです。

同窓生の方々、これからもよろしくお願いします。ここまでの長文をよんでくださった方、ありがとうございます。

2015年に目指すべきもの

おがた (@xtetsuji) です。

新年初のブログ記事です。これ、例年書いているので今年も書きます。

1月も半分が過ぎてしまいましたが、昨年末から1月上旬は同窓会タスクでめまぐるしかったんです。同窓会話については興味深いことが多いので、また別のエントリで書きたいと思っています。

さて、2014年年始に掲げた目標はどれだけ実現できたでしょうか。

  • 執筆業に進出する → ×
  • ピアノを習う → ×
  • 勉強会などのイベントを盛り上げる → ○
  • 軸足をOSSのITエンジニアに置きつつも、視野が広いバランス良い勉強をする → △
  • お金を稼いで好循環を回す → △
  • 仕事とコミュニティ活動の相乗効果 → ×
  • とにかく健康 → ×
  • 生活力向上、炊事・洗濯・片付け力の向上 → ×
  • 海外に目を向けて国際的な感性を養う → △
  • 趣味を楽しみ、好きな人を応援する → ○

ほとんど実現できていない。

2014年は、2013年末からの胃潰瘍入院をひきずったまま、1月風邪&インフルエンザ、そしてfonfun退職、2月病み上がり直後のWano入社、仕事忙殺(特に6月と9月)、体調悪化、8月YAPC、11月末のWano退職、12月の静養と事務、みたいな感じでした。言い訳っぽいものの、2014年は結構大変だった。気力も体力も精神力も枯渇気味だったので、一日一日が精一杯という感じ。

2014年についての私の詳細は「2014年を振り返る」が詳しいです。

まずはマルのほうから。

「勉強会などのイベントを盛り上げる」は、主にPerl入学式PerlBeginnersで果たせたかなと思っています。Perl入学式ではサポーターだけでなくコアメンバー入りして運営周りも手伝うことになったり、11月の「Perl入学式 in東京 第4回 「サブルーチン(関数)/正規表現編」では、4時間通しで講師をしたりと、充実した一年でした。またPerlBeginnersでは副主宰者として、主宰者の @ytnobody さんと一緒に運営側の心得といったことを勉強することができました。年末のPerlBeginnersには行けませんでしたが(懇親会には駆けつけました)、行った方へは来年からの新体制について発表があったようです。こちらからも頃合いが来たら正式に発表しますので、よろしくお願いします。

 「趣味を楽しみ好きな人を応援する」は、各所に少額の出資をしたりといったことで多少は実現できたかなと。細かい部分を話すと長くなるので割愛させていただきますが、2014年のここ部分を今年2015年も伸ばしていって、一定の成果が出たらブログに書いていきたいと思います。また、2015年になってから気がついた「応援すべき人」というのもあったりして、これからも良い意味で忙しくなりそうです。

バツのほうはざっくりと。

「執筆業」については一部で話をいただけたりして、実際に共著で出版社の編集者の方とお話する機会もあったりしたのですが、なんだか立ち消えになってしまって難しいものだなと感じました。「ピアノ」は部屋さえ片付ければすぐにでも買って部屋に入れられるので、「生活力向上」から努めて、引っ越しなどの抜本的解決策も考えつつ進めていきます。そのためにも「健康」には気をつけないといけませんね。

Wanoが金銭的厚遇をしてくれたことと、前職10年からの転職で新しいことを次々と経験できたこともあり、忙しい中でも仕事で得られる「勉強」はできて、金銭的に多少温まって「貯金ができた」ことは良かったです。あとはオープンソースソフトウェア開発と絡めた自主的な勉強の時間を割くことと、もっとお金を好循環に回すことが課題でしょうか。幸い、忙しい中でも YAPC::Asia Tokyo 2014 にはフルで参加することができて、海外ゲストとも例年以上の交流ができたのは良かったです。まだまだ英語力不足は課題ですけれどね。リジェクトコンも記憶に新しいです。

というわけで2015年はこうしたいというものを列挙していきます。

インプットとアウトプット、読書と執筆、自主学習と教育活動

昨年はインプットもアウトプットも少なかったので、今年はバランスよくどちらも伸ばしていきたいという気持ちです。

読書と執筆もインプットとアウトプットの一つ。執筆とは、ブログだったりその他媒体への文章寄稿も含めてです。紙の書籍への敬意はあるので、一度は紙の出版物での執筆をしてみたいのですが、それも能力次第ですので頑張ってレベルを上げたいです。同人誌とかにも進出してみたいな。

昨年は会社の仕事で手一杯で後手に回ってしまった自主学習も進めていきたいですが、Perl入学式などの教育活動にも注力していきたいです。当初はバイトで予備校講師っていうのも面白そうだなと思ったりしたのですが、やはり自分は心から勉強したいと思っている人を相手にしたい。予備校講師はまだ良いほうかなと思うのですが、小中高校教師は自分にはめげてしまいそう(といっても大学時代に教員免許は取り損ねましたが)。

そう、アナウンスがありましたが、2015年の「PerlBeginners」にもご期待下さい。2014年は仕事の多忙や体調不良であまり参加できなかったその他の勉強会にも、運営側・参加者側の両方で積極的に参加していきたいです。新しい勉強会やミートアップもいくつか計画中です。1月7日に行わて盛況だった「ゆるいITべんきょうかい in 帯広」の今後にも期待ですね。東京だけでなく、出来る限り帯広や他の地域のIT業界も盛り上げていきたいと考えています。

その他にも、数学関連の勉強会、子供を対象とした理数系情操教育、プログラミング言語Perlの教育法の研究などについても着想があるので、自主学習と教育活動を進めていきます。

ピアノ、作曲、クラシック音楽研究

「ピアノを買いたい」「ピアノを習いたい」と何年も言っているのですが、なかなかできずにいるのを今年は進めたいですね。どんなピアノの先生がいいかというのも、昨年までに出会ったピアノ関係の方に聞いて解決していければいいなって思っています。

中学時代に楽理を学んで作曲をしていたのですが、本格的に再開する予定です。せっかくMac環境があるので、DTMなどの作曲手法を使って、動画サイトとかで作品発表をしていきたいです。

クラシック音楽はマイナーな作曲家がいっぱいいます。そういうなかなか日の目を見ない作曲家の曲を掘り起こして、その曲を研究したり、楽曲構造を音楽辞典のようにブログ記事などにして定期的に書いていければいいなと考えています。

せっかく得たIT知識をクラシック音楽と結びつけるのが今年の目標かもしれません。

英語力向上と海外への接点

昨年はYAPC::Asia Tokyo 2014で海外ゲストと積極的にコミュニケーションしましたが、すればするだけ英語力の低さに嘆くばかりでした。

やはりTOEICを英語力の指標として勉強を進めようと思ったりしています。TOEICは1社目で一度無理やり受けさせられて生き恥さらすことになったんですが、今はだいぶ状況が変わっているかなと。気持ちを切り替えて英語の勉強です。

あと、クラシック音楽に関連するのですが、個人的にはドイツという国が好きで、ドイツ語も細々と勉強し始めています。英語ほど身にはならないかもしれませんが、ドイツ語圏を旅行して使えるくらいにはなりたいです。ドイツ語は高校時代に趣味で勉強していて、その時は大学時代に第2外国語でドイツ語を専攻して得られる以上の知識を得られたので、年齢を重ねたあとの再チャレンジでもあります。

そして海外旅行をしたい。一人旅は寂しいし物騒なので一緒に行く人を探すというのもありますが、まずはお金ですかね。

創作やプログラミングに集中できる環境づくり

現状は、東京自宅は部屋も汚い、自炊環境も整っていない、洗濯機も壊れかけという状況。こういう状況は落ち着かないもので、昨年末に退職してから療養も兼ねて長期で実家に滞在していますが、ネット回線が極端に遅い以外は実家の静かな環境のほうが作業や思索がはかどるんですよね。自分の活動する拠点は、創作やプログラミングに集中できるよう、気を散らす要素を減らし、必要とあらば引っ越しもしたいところです。これもお金だ。

自炊環境といえば、料理環境を改善したいというのも昨年同様の課題。あとはもう部屋から物理的に要らないものはガンガン捨てていって、デジタルに置き換えられるものはどんどん置き換えて保管コストを減らすしかないですね。

みんなに使ってもらえる創作物作り

自分が仕事や趣味で作るプログラムは、たいてい書き捨てか、ニッチな領域のプログラマーに使ってもらう後ろ側にあるプログラムばかりでした。でも最近は、やはり多くの人に使ってもらえるものを作ったほうがいいなと思っています。

後ろ側のプログラムも大事だし、私の周辺のプログラマーは後ろ側の大事なプログラムを仕事でも書いている人達が多いのは事実なのですが、やはり表側のものを作るほうがITをよく分かっていない人にも自分のことがわかってもらえるとか、セルフブランディングに役立つとか、フィードバックというやりがいをもらえるとか、そういう良いことが多いのは事実です。

報酬をもらえる仕事は別として、個人で作るものに関しては多くの人に使ってもらえるものを作りたいというのが今年の目標です。それはコンピュータプログラムに限らないことかなとも思いますが、他に私が何を作れるのかというのは模索中です。器用に日曜大工もできるようになりたいですね。

奉仕活動と収益活動のバランス

「ボランティア活動」という言葉が使い古されてしまっている昨今ですが、昨年は各種団体への出資であるとか無報酬の教育活動だったりといったことをボチボチ行ってきました。昨年は時間が無く体調も悪く思った通りの活動がやり切れた感じはしないので、今年は時間を捻出して体調を上向けさせて、広義の奉仕活動をしていきたいと考えています。巡り巡って自分の属する何かへ長期的視点でそういう活動成果が出てくればいいかなという考えです。

奉仕活動をするためには元手が必要で、うまく収益活動を回すにはどうすればよいかも考えどころ。会社に所属して時間をうまく使いつつバリューを出して、奉仕と収益をバランスよく行っていければいいなと感じます。

今は無職ですが、次に所属する会社などが副業を許してくれるのであれば、もっと自分で稼ぐことも考えたいですね。経営学も勉強しなきゃ。

新しい体験を積極的にしていく

人間30歳を過ぎると、日々体験することが未知であることより既知のことが多くなります。それはそれで安全ではあるのですが、未知の新しい体験をしないと頭の活性化しないし、自分も成長しないんですよね。特に私の場合は「お金もかかるし」とか思ってそういうのに及び腰なのは反省しないといけないです。

育った家庭が貧乏だったということもあって、特に私は旅行をしないという悪い癖があるのですが、今年は多少お金がかかっても旅行をしたいです。旅は色々勉強になる。モノではなく体験を買えとはよく言われることで、今年は体験を買うことを実践していきたいです。それもお金か。

何も新しい体験は旅行だけでなく、新しい勉強会、新しい人とのつながり、新しいデジタルガジェット…、色々あります。一つでも新しい体験をして、自分の幅を広げていきたいです。

人と人をつなぐ活動

コミュニティ活動や勉強会活動といったことは上記でも書きましたが、やはり今年は「人と人をつなぐ活動」をしていきたいです。それは勉強会やミートアップでもあるのですが、それ以外の角度からもです。

新年1月3日に運営メンバーとして行った中学時代の同窓会はその一つ。なぜ人と人をつなぐのか、それは色々な回答があって私の中では私なりの答えを持っている現状ではありますが、それはおいおい書くことにします。

人と会社をつなぐ、転職活動といったものについても同様です。私は色々な体験や伝聞から、昨今の転職サイトといったものや転職エージェントというものに懐疑的な立場なのですが、現在の混沌とした就職市場から、もうちょっと良い縁故採用へ持っていけないかという考えを持っています。縁故採用はいわゆる「コネ」と言われて忌み嫌われる時代もありましたが、コネも実力という立場もあります。私は成長する中小企業と能力ある人を無報酬か安価で結びつける人となって、自分のいる業界を盛り上げていきたいと考えています。一部の教育活動はこの活動の前哨戦にもなっているともいえます。

今年は1月3日と12月30日に中学時代の同窓会があり、2015年は人と人をつなぐ場所にフォーカスした一年になるでしょう。より良い人と人との出会いをプロデュースできるよう、色々と頑張っていきます。

その他

前職を退職して時間的余裕ができたこともあって、他にもやりたいことは色々出てくるのですが、まずは盛りだくさんの上記を優先したほうがよさそうですね。

2014年はうまくいった部分もあれば、もっとうまくやれればよかったなと後悔することもあった一年でした。その反省点は上記でも述べました。

同窓会の成功、帯広の勉強会の盛り上がりと、2015年1月上旬のスタートはとても良いものでした。この流れで2015年を良い一年にしていきます。自分だけでなく周りの皆さんも幸せにしていければ、これ以上嬉しい事はありません。

2014年を振り返る

おがた (@xtetsuji) です。

最近は毎年恒例ですが、今年2014年を振り返ってみることにします。

退職して転職してまた退職した

今年は慌ただしかった年でした。

1月末に前職を退職して、2月に新しい職場に就職して、そして11月末に退職 (実際の退職日は12月12日) しました。そして12月に無職になって、初めて自発的に無職期間ができて(2003年4月から5月24日まで無職ではありましたが)、自分で年金や健康保険の手続きをしました。手続きが苦手だったのでなかなか勉強になりました。

前職のfonfunでは比較的自由な出勤体系と残業の少なさに助けられていましたが、Wanoでは部署によるかもしれませんが定期的に忙しく出勤体系も定時があり、特に3月と6月は案件が込み入って終電帰りも結構あったりと、一年でも自分的には大変でした。このご時世、もっと大変な人はそこらじゅうにいるとは思うのですが、私は他の人よりかなり疲れやすい人らしいので、通院も増えたりと体調を崩したり大変な思いもしました。

その分、Wanoは給与待遇では (少なくとも前職と比べたらかなり) 厚遇してもらったので、貯金もそこそこ貯められて、今回の静養期間の生活資金にできそうなのは幸いでした。

2015年3月末くらいまでは、これからどうするかゆっくり考えつつ、余った時間をPerl入学式などのコミュニティ活動等に集中に使おうと思います。

病気と通院と療養と

昨年 (2013年) 12月に2週間、急性胃潰瘍で緊急入院したあと、病み上がりで年末年始に帰省して2014年年始に東京に戻ってきたら風邪とインフルエンザのコンボで、Wanoの初出社日の前日までインフルエンザで外出禁止になってしまいました。初出勤日はもうフラフラ。

完全に病み上がりでの2社目のスタートとなりましたが、それをひきずって新しい仕事が始まってからもタバコの煙によると思われる呼吸器の不調による呼吸器科通院など、通院する病院が増えるばかりで健康とはかけ離れた2014年でした。

胃潰瘍の退院後の通院も月1回であって、退院半年目で胃カメラをまた入れられて、やっぱり苦しくて大変でした。入院時は毎日胃カメラだったのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるものです。

コミュニティ活動4年目

2011年7月から始まったコミュニティ活動も4年目。今年は競争率も高かったこともあって、YAPC::Asia Tokyo 2014 での「3年目のトーク」はリジェクトされてしまい、一時はこっそりとガッカリしていました。ただ、リジェクトコンが盛り上がったこともあって、年間を通して見たらまぁまぁよかったかなと思えます。

LTなどの10分未満の小規模トークを除くとを除くと、今年はまとまった時間のトークをほとんどしていなかった。2つだけっぽい。やはり10年ぶりの新しい2社目の環境で10ヶ月大変だったこともあるかなぁと思うのは、半分言い訳でもあり、半分本当なのかなと思います。

リジェクトコンは本当に盛り上がりました。ビールで酔ったあとで壇上に立って、スライドを出した後に「みんな、飲んでる〜!?」と叫ぶあのノリは、逆にYAPC本編ではできないやつなので、貴重な経験でしたし楽しかったです。

LTを含めた私のトークのスライド一覧はSlideshareの私のページを御覧ください。公開可能なものはここに公開されています。

PerlBeginnersでは、主宰者である @ytnobody さんと二人三脚になることで「副主催者」として司会などを担当させていただきました。年末のPerlBeginnersには私用で出られなかったのですが、懇親会には顔を出させていただいて、いつものなじみの方や驚きのゲストの方と交流できました。PerlBeginnersは色々な意味で面白い立ち位置のPerlの勉強会なので、2015年も色々な戦略で育てていく予定です。ご期待ください。

ブログに書き忘れたような気がするのですが、今年は4月16日の「Foursquareの日」にFoursquare Meetup 2014が行われて、@FKU さんや @koogawa さんを中心としたコアなロケーションベースサービスのアーリーアダプターの方々と交流ができて、Perlコミュニティとは違った方向の交流の広がりができたことは個人的に楽しかったです。

その他のコミュニティや勉強会への参加側としては、Yokohama.pm、Hachioji.pm、五反田Perl、Twilio API 勉強会、Mishima.pm、PerlCasual、Kichijoji.pm (miniも)くらいでしょうか。ほとんどPerlの勉強会なんですが、このあたりも来年は幅を広げていければいいなぁとも思っています。

Perl入学式の活動

これもコミュニティ活動の一つではありますが、2013年度の東京の第2回目くらいからサポーターとして参加しはじめたPerl入学式

Perlが好きだというだけでなく、もともと人に何かを教えたりという教育活動というのは好きだったということもあって、Perl入学式の活動には共感することとなり、2014年度は第1回目からどっぷりとジョインさせていただきました。

2013年度の最後の第6回補講 (2014年3月) は結構もりあがりました。サポーターとしては途中からの参加でしたが、一つのターンをやり遂げた達成感がありました。

今年度4月からはサポーターとしてだけでなく、スポットで講師を担当したり、オンライン上での運営メンバーの議論にもコアメンバーとして参加させていただいたり、つい先日2014年11月の東京の第4回では @__papix__ 校長の不在ということもあり、モバイルファクトリーさん (特に@karupanerura さん) の協力のもと、私が4時間まるまる講師を担当したり、普段は校長が担当しているような細々とした雑務をしたりもしました。改めてPerl入学式というのは大変だなぁということを実感しつつも、非常にやりがいのある活動だなとも思いました。

Perl入学式を通して出会ったサポーターや受講生の方との出会いの数々も素晴らしいものがありました。サポーターも受講生も、みんな目標に向かって頑張る姿は、いわゆる巷の「勉強会」とは形の違う熱気があります。

2015年の私は、Perl入学式の中でさらに違った役割も担当し始める予定です。これからのPerl入学式にご期待ください。

YAPC::Asia Tokyo 2014

上述の通り、2012年と2013年はスピーカーとして参加したのですが、今年はスピーカーとしての参加はできませんでした。その代わりに「Perl入学式 in YAPC」のサポーターを2日目の午後に担当することで、かなり貴重な経験ができました。

YAPC::Asia Tokyo 2013 については、長い感想エントリがあるので、そちらをご参照ください。

今年の終わりごろに「YAPC::Asia Tokyo 2015 が最後のYAPC::Asiaとなる」と発表されました。もうその日からが我々の YAPC::Asia Tokyo 2015 への準備の開始日なのかもしれません。

話題を呼んだ「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」

2014年6月8日に私が主催した「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」というイベントは、各方から物議をかもしたり話題になったり大変でした。600程度バズるほど多くの人の興味関心を引いたにもかかわらず、参加者は私を含めて10名という「明らかに近寄りがたいイベント」

なにせ、ATNDの説明の中に書いてある趣旨みたいな文章がギリギリ過ぎた…。これ、目立った段階で炎上しちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしていましたが、みなさん優しくて助かりました。

そこで、インデックスの倒産を機に、インデックスの本陣が存在していた三軒茶屋の「キャロットタワー」の上階で、日曜日の昼下がりからワインなどを飲みながら、当時を闘いぬいたシニアエンジニアたちが語り合う会を開きたいと考えています。

変に要約したら「企業倒産を機に、その企業の上階にあるレストランで食事しよう」と読めそうなギリギリな文章。そんなつもりはなかったんですが、そこが多くの人の興味をひいたのかも。

当日の記録はブログに書いてありますので、興味のある方は読んでみてください。非常に示唆に富んだ会になりましたが、スライドはとても公開できるものじゃありませんでした久しぶりにスライド非公開事案になりました

趣味のプログラミング開発

会社では2月から11月末まで業務プログラミングで様々な体験をさせていただきました (退職エントリを参照)。差し支えない範囲で業務で培ったノウハウを出していきたいと思うのですが、在職中は忙しく、また12月は脱力していてなかなかできていなかったのが心残りです。

趣味のプログラミング開発では CPAN にアップしたモジュールの手直しをしたりしましたが、あまり大々的に公開系のものを作れなかったのは今年の反省点です。仕事が忙しくて時間的にというよりも、体力的だったり精神的な余裕がなかったんだなと思います。やる気だったり思考力や集中力が枯渇しているのが自分でもわかるほどでしたが、こういうときはどうしようもないこともわかっていたので、静養できる環境を作って夜が明けるまで待つしかないんですよね。

基本的に趣味の自分のプログラミングスタイルは「自分がほしいものを作る」なのですが、自分のために作ったChrome拡張機能週刊アスキーのウェブサイトに掲載されて多くの人に使ってもらったのは驚きでした。今まで趣味で作るものは「プログラマーが使うプログラム」が多かったわけですが、一般ユーザの意見をダイレクトに聴けたのは新鮮でした。

自分が知らない赤の他人が使うことは全く想定していませんでした。Chromeストアにアップロードしたのも「自分がどこでも簡単に使いたい」という要望だけだったので。

それ以外については、書き捨ての一枚スクリプトを多く書きましたが、そういうのをモジュールに昇華できるパワーが2015年には湧いてくればいいなというのが願いですね。

実際そうなりました。

中学時代の同窓会計画

私の中学校の同級生が「同窓会したいねー」と何度か言っていたので、彼の背中を押したら同窓会運営活動を行うことになって、20年ぶりくらいの同窓会のための人探しを9月から行うことになりました。

基本的に現地での足で探す地道な作業は最初に言い出した彼がかなり精力的に担当してくれて、私は東京からデータを整備したりネットを使って事情通に話を聞いたり文章を書いたり店を予約したりといった遠隔作業でした。それでも20年ぶりくらいの同窓会で半分くらいは足取りがつかめて3分の1くらいは参加してくれる見通しなのは成果としてはまずまずかなと思いました。

今回の運営では、最近のIT業界で評判の良い構成である、Googleドライブをファイル管理に使って、Facebookの秘密のグループをグループウェアとして使う方法を取りましたが、これがとても成功しました。現在は9人のアクティブメンバーがFacebookグループにいてやりとりを行っています。

同窓会は2015年1月3日です。久々に運営や幹事っぽい立場で数ヶ月頑張ることを行ったので、2015年最初から楽しみです。

休息の12月

11月末に退職をして、12月の冒頭は疲れと心労で休んでいましたが、実質退職日の12月12日以降、12月中旬からは事務手続きに奔走することになります。

送別会だったり草の根の勉強会があったり、行きつけのカフェのクロージングパーティがあったり、休んだり動いたりの生活でした。

年末恒例の第九演奏会を入れたらPerlBeginnersとかぶってしまい、@ytnobody さんにわびて懇親会から滑り込みました。

そして少し早い帰省ののち、追い込みで同窓会活動のラストスパートをしつつも、例年通り平和に帰省して実家でこのブログ記事を書いています。終わりよければすべてよし!

来年は1月3日から私が運営メンバーの一人として奔走した同窓会が悠久の時を経て開かれます。2015年は最初から本当に期待と不安が交錯します。

2015年をどういう年にしたいかということについては、2015年の最初に書こうと思います。みなさん、良いお年を。

文章を書く苦手意識を乗り越えるまでにやったこと、そして乗り越えたあと

おがた (@xtetsuji) です。

最近「てつじさんって文章うまいですよね」と言われることが多く、なんだか驚いています。

確かに、2011年に「Hokkaido.pm#5」に参加して地方PM・勉強会登壇のデビューをしたあと、ブログを作って外に情報をアウトプットしたりオープンな場で積極的にトークをしたりしましたが、文章力だったりプレゼン力はやっと人並みというのが自己評価

特に最近では、Perl入学式で同じくサポーターをされている @note103 さんと文章力で並び称されることがあったりするのですが、@note103 さんは本職が編集者だし、それは恐れ多いとすら思っています。

自分自身、高校時代の最初までは、ほとんどといっていいほど文章を書けない・書かない人でしたそれは超がつくアレルギーの域ですらありました。

年末で、それこそ「文章を書く」時間もできたので、その文章が書けなかった時代から、それを乗り越えて自発的に文章を書くようになるまでにやったことを振り返ってみることにします。

書いてみたら単なる自分語りになってしまったので、年始とかで暇すぎる時にでも流し読みしてください

要約すると以下のようになります。

  • 好きなことを探してそれを表現しよう
  • 最初のアウトプットはハードルが高いけれど、それを乗り越えたらポジティブ・フィードバックが回り始める
  • 機会があればラブレターを書こう
  • 他人の文章を研究して文体模写や言葉遊びに挑戦してみよう
  • 抵抗がなくなったら多くの文章を書いて場数を踏もう

作文を全くと言っていいほど提出しなかった小学生時代

小学生になると、授業で文章を書くことも出てきます。国語以外の教科はだいたい定形文を書けば乗り切れますが、国語では作文というものが容赦なく襲ってきます。

小学生時代の私はどうしたかというと、ほとんどの作文を題名と名前のみで提出していました。本当に書けなかった。400字詰め作文用紙が目の前にあるだけで震えと冷や汗が止まらないくらいでした。夏休みや冬休みの読書感想文も書かなかったし、挙句の果てに卒業文集すら書きませんでした。先生から書けと言わて放課後残されても、絶対に書かないというか書けないということを繰り返し、先生を根負けさせ続けて作文から逃れていた小学生時代でした。

科学というか化学は好きだったので、元素記号とか化学式とか周期表とかモル計算とかは良く書いていました。英語も数学もわからず手探りでしたが、好きなものは手探りでもやってしまうものですね。

そう、なぜか小学校の卒業文集に私の作文が載っているのですが、あれは私の知らないゴーストライターによるものです

高校受験のための最小限の文章をやっとの思いで書いていた中学生時代

中学生になると、国語の作文以外にもそれなりに文章を書く必要が出てきます。

小学生時代は苦手科目も含めて自主的に勉強することをしてこなかったので、高校受験に備えて学習塾に入りました。

この頃から、国語以外でもそれなりの文章を書く必要が出てきました。

算数からバージョンアップした数学では、ユークリッド幾何学で「証明」というものが求められます。当時は加減乗除や方程式の計算は難なくできたけれど、まだ数学に対して特段の興味というものはありませんでした。とりあえず、「証明」は塾で習った定型文作成テクニックを使って乗り切りることができました。

科学好きだったので部活は科学部に入部。本当は化学をやりたかったけれど、先輩からの引き継ぎで生物をやることになりました。実験レポートは定型文や箇条書きだったりをやっとの思いで書いていて、学年が上がって後輩ができるにつれて後輩にまかせるようになったと記憶しています。どちらかというと、顕微鏡で微小生物を観察してその絵を描かないといけないのが絵心のない私にとっては大変でした。

中学校には「弁論大会」という行事がありました。名前の通り、自分の主張を壇上で弁論するものなのですが、当時主張らしい主張もなくて文章を書くのも精一杯の自分にとって、この弁論大会は苦行でしかありませんでした。しかも書かないと内申点が下がる。小学校時代のようには行きません。

この時代は環境破壊が中心的な社会的問題となっていて、非常に多くの生徒が森林伐採であるとか割り箸の消費といったことをテーマにした作文をしていました。弁論大会というか割り箸バッシング大会みたいで、当時文章が書けなかった私でも「それはどうなんだ」っていう気がしました。よくわからないけれど、たぶん問題はそこだけではないだろうと。

私はというと、マジョリティに染まりたくないという中二病的考えと文章が書けない病の合併症で、なぜか「世の中には自動販売機がたくさんあります。自動販売機はすごい」とただ最初から最後まで自動販売機をひたすら称えるだけの作文をした記憶があります。オチも何もない。そもそも文章が書けない中学生です。起承転結とかというものを考えることすらできなかった。

国語の文章要約なども含め、5教科は塾で教わったテクニックで乗り切りました。小学生時代のように黙殺して先生が根負けさせることができる作文は書きませんでした。

なお、中学生時代の卒業文集にはゴーストライターは現れませんでした。つまり私の作文は書かなかったから載らなかったという自然な流れとなりました。よかった。

塾のおかげでなんとか高校受験もうまく行って志望校に合格することが出来ました。

数学に目覚めてそれによって文章を書くようになった高校時代

10クラスあった高校に進学しましたが、私の入った1年J組には誰一人知っている人がいませんでした。同じ中学校だった13人の進学組も、塾で知り合った隣の中学校の人達もいませんでした。そういうことも重なり、私は初日に出席番号と席が隣接していた小野山という奴に声をかけて、次の日から小野山から執拗ないじめを一年間受け続けることになりました。クラスの他の人達は知らない人で貫かれ、クラスの彼ら彼女ら誰もが「私が非捕食者となっている厄介な生態系」に関わろうとはせず、見て見ぬふりをしました。

この「失われた高校1年」は、授業以前にクラス内で行われていた事のマトモな記憶がありません。執拗に首を絞められていたり、窓から突き落とされそうになったり、服を汚されたりしたトラウマだけが記憶に残っています。文章を書く書かないといったことを考える状態ではありませんでした。そのことについての詳細は、いつかブログに書こうと思います。

高校入学時に入部した化学部が校内唯一の憩いの場でした。英語・国語・数学・社会の成績が落ち続けていても、中学時代までに勉強した化学の知識と、化学部での体験で、なんとか化学だけは良い成績を維持出来ました。

高校2年時にクラス再編となり、小野山からは遠ざかりました。さらに中学時代に親しかった同じ中学校卒の事情通と再会し、そのことを話したことがきっかけで、学年全体での小野山包囲網ができたらしく、私はようやく普通の生活を取り戻しました。

高校2年になってから、まずは落ちた成績の補修から始めました。

色々と気分で、高校時代になってからは塾には入っていませんでした。とはいえ中学校時代の塾で勉強の仕方はなんとなく分かっていたので、手探りで進めていくことにしました。当然ながら国語は敬遠しつつ、まずは積み重ねが重要な数学から始めることにしました。この頃、三角関数と数列をひたすら勉強した記憶があります。多少「証明」に文章を書く必要がありましたが、ユークリッド幾何学ほどではありません。ここで多少文章を書いたことが「ザコ敵を倒して低いレベルを少し上げる」という体験になったと思います。

とはいえ、国語の授業は中学時代までのような「作文」をあまり要求しなくなったのは幸いでした。中学時代から英語の成績は芳しくないことに変わりはなかったのですが、国語の心理的負担がある部分減ったことは助かりました。古文や漢文は機械的に頑張り、現代文は何度も読むことで、中学時代の塾テクニックの応用で乗り切ります。

この頃、化学部と山岳部がトラブルののち融和し、同じ学年の山岳部の人達との交流がスタートします。その中に物理の秀才がいて、彼との対話の中で特殊相対性理論などを教わりました。それは非常に興味深い世界で、そこで繰り広げられている内容はまさに数学であり、化学から物理へ興味が移行していくことになり、ほどなく特殊相対性理論の道具となっている数学へ興味が移行していきました

授業で微分積分を学んだことで、初めて数学がとてもスゴイものだと感動(多くの人と逆かもしれません)しました。幸い、成績立て直し時に三角関数と数列を重点的に学び直していたので、高校2年の知識から高校3年の理系数学を自習することができました。特殊相対性理論で使われていたテイラー展開だったり、物理の秀才と意気投合して大学数学で習うような微分積分学まで学習の範囲を広げました。

まさにここまで来るとイプシロンデルタ論法であるとか、手探りで自分の言葉で証明という名の文章を書いて数学を論じていくことになります。それは純粋に数学、いや微分積分学が楽しかったから。初めて、学校で習うような教科や学問を自分の言葉で論じたいと思った瞬間でした。

化学への興味が減った当時の自分は、化学部では副部長として部長の実験の補佐をしつつ、お菓子を作って文化祭へ出品して実験費を稼ぐという役割になっていました。放課後は山岳部の物理の秀才と一緒に物理と数学に取り組む生活でした。その中で意見を交わすために、レポートを書きあって持論を展開し、そこで文章力を培ったのだと思います。また、部員がゼロになった数学研究部を引き取ることになり、そこで部長となりました。

高校3年になると後輩も入部してきて、化学部にも部員が入ってきました。

その中で化学だけではなく数学にも興味を示してくれる女子がいて、数学研究部にも入部してもらうことになりました。彼女は中学時代、市内の塾でトップクラスの成績を収めていて、特に国語が得意で、小説を中心としたかなりの読書家でした。

彼女の表現は面白いほど詩的かつ修辞法的技法に富んでいて、書いてもらった数学の証明を読んでいても、機械的な受験テクニックによって書かれた証明以上の面白さがあって、そこで文章の力を感じることになるのでした。

それに面白さを見出した私も、そういう修辞法的テクニックを真似て数学のレポートを書くことになりました。当時は恋愛的好意が曖昧であるまま、縦読みのような言葉遊びのトリックで、ラブレターのようなフレーズを隠した数学のレポートを書いて、それを彼女に読んでもらってどう受け取ってもらえるか試したりしていました。高校生にもなって中二病か!

よく大学数学でネタを作る人がやったりしますが、数式展開からもメッセージが浮かび上がるような題材も作りました。恋愛以前に、これは私に数学的にも文章力的にも力をつける大きな出来事だったと思います。

こういうのを見ると、当時こんなことやったなぁと思い出したり…。

最近はケータイメール時代からLINE時代になって、長い言葉や文章で愛を伝えることはすっかり無くなってしまった気がします。ラブレターなんて、気恥ずかしい時代遅れのことだとさえ思われていることでしょう。

ラブレターを熟考しながら紙に書くことは文章力が上がる格好の教材でしょう。なにせ人間の根源的欲求に近いわけですから。ただ、ネットによって瞬時に伝わる現代の短文メッセージ文化の中ではそういう機会を作ることは難しいことかもしれませんね。まだPHSが出始めたころのアナログ時代の古い人間だからこそギリギリできた文章力アップの手法なんだろうなぁと感じます。

数学を勉強しつつインターネットに出会った大学時代

数学科に進学したかったものの英語の成績が振るわず、北海道の数学科 (それは北海道大学ひとつだけなのですが) を受験することを高校3年時の担任が許可してくれなかったので、私は東京の私立大学の数学科に進学することになりました。これを私は「英語ができなかったので北海道から追放された事件」と呼んでいます。

大学の数学科の一学年は80人位で、数学科にしては男女比もバランスの良いものでした。ただちゃんと授業に出席する人は1割にも満たず、女子との出会いもほぼ無くなったので、数学でラブレターを書くことはなくなりました。

その代わり熱心に数学に夢を持っている同期と数学の議論をレポートを交わす形で行いました。高校数学を越えた数学手法で、それを取った理由であるとか、数学的帰納法の最終的な解を類推した経緯を書いたりすることは、まさに自分の言葉でした。大学の数学は計算ではなく証明の世界であり、高校数学から見ると哲学か文学をやっているような感覚でした。高校時代の延長線上で数学を道具として楽しみたいのであれば、物理学科にでも行くべきだったのかもしれませんが、私にとって数学科に行けたことは結果的に幸いだったのだと思います。それが物理学科より就職に不利である数学科だったとしてもです。

大学や、その後進学する大学院では、TA (Teaching Assist: 大学院生が大学生にゼミをすること) や大学内のコンピュータ部門のインストラクターをしたり、教育に近いことに関わることも多くなりました。

高校時代から数学研究部の部長として後輩に数学を教えたりしていましたが、教えるスキルは文章を書くスキルと似ていると感じることが多く、それも文章を書くスキルを下支えしたのかもしれません。

大学に進学してからインターネットというものに出会います。当時の私はプログラミングには全く興味はなく、インターネットは地元と安価に連絡できる手段として魅力的に映りました。そう、私の時代は市内通話3分10円、北海道への市外通話はとても高い、携帯電話も出始めたころでした。

電子メールは現代の手紙のようなものです。貧乏学生の私は、電話を使うことなく電子メールをひたすら書き続けることで文章力を付けていったのかもしれません。それも高校時代に文章を書くアレルギーを払拭できていたことがあってのことでした。

当時はまだ不特定多数へ文章で意図を伝えることに慣れていなかったため、メールであるとかウェブ掲示板やネットニュース (これも年齢がバレますね) などで、考えの行き違いから誤解を生んだりトラブルや喧嘩や疎遠になってしまったこともありました。それは文章力の足りなさだけでなく、当時の私が人の考えを慮るほどの成熟な考えを持っていなかったこともあるでしょう。

当時のインターネットのウェブサイトは、まだまだ表現力が乏しい時代でした。Netscape Navigator 3 時代で、メディアファイルで使えるのはJPEGがやっとという時代。この時代だから流行ったのがいわゆる「テキストサイト」というものでした。先行者の「侍魂」であるとか、そのあたりを知っていると年齢がバレるかもしれませんね。

テキストサイトはネタを膨らませて読者を笑わせるサイトが多かったわけですが、表現力の乏しさを補うために、font要素で色を付けたり文字を大小させたり、brで大量の改行を作ってページに空白部分を作ったりといったテクニックが常套手段となっていました。テキストサイトは面白くありますが、これは文章力だけの面白さじゃないなとも思い始めます。それはある種のプレゼンテーションスキルとも言えるわけで、一概に否定できるわけではありませんが、もっと純粋に、「テキスト」サイトなのですから「テキスト」だけで勝負できないものかと思っていて、当時出会ったのが、今ではデイリーポータルZの編集長として有名な林雄司さんによる「Webやぎの目」というサイトでした。

当時の「Webやぎの目」は「やぎコラム」(いまは「やぎポエム」)という名前で、ほぼ毎日更新されていたのですが、それは文字装飾などを使わず、原則的に4段落で起承転結を踏襲するというある種ストイックな「形式」の中で人を楽しませる非常に秀逸な文章でした。当時の私もそれに影響されてウェブサイトを作って、人に隠れて自分も毎日そのフォーマットを踏襲して大学時代ずっと文章を書いてサイトにアップしつづけました。ブログが一般化するのはあと数年待つ必要がありました。

その自分のサイトは、高校時代の友人達にはウケて毎日読んでもらえるようなサイトとなり、面白いと言ってくれると喜んで、また毎日書く原動力となるという好循環を生んでいました。今の時代でもできることですが、毎日特定のフォーマットに従って文章を書くという習慣をつけることは文章力を上げるための良い方法だと言えるでしょう。

また、林雄司さんリスペクトではありましたが、そのサイトを更新している間は毎日面白い出来事を探すということが習慣化されていて、それは心にも良い影響を与えていたと思っています。

社会人になってしばらくしてから、多忙になってサイトの更新を止めてしまいましたが、今でもまた再始動してみたいとすら思っています。再びウェブサイトでアウトプットを始めるのは2011年のブログ開始からでした。

その他に、数学のインカレサークルで活動していた縁でコンピュータが苦手な人の数学の論文をLaTeXという数学組版ソフトに落とす仕事を行ったり、編集者っぽいこともしていました。

大学院の数学はやればやるほど大変で、当時の私には楽しさを見出す余裕すらなくなってしまいました。その中で大学院生室のサーバ管理者をやることになって、そこで得たサーバ管理のスキルを使って卒業後に働き始めることになりました。

社会人になってから

大学院を卒業して2ヶ月後、当時のネットビレッジ  (今のfonfun) という会社でアルバイトを始めることになりました。就職活動をしていませんでしたが、拾ってもらって助かりました。当時はまだネットベンチャーは今ほどメジャーな存在ではなく、アルバイトから拾ってもらうというのも特に抵抗はありませんでした。特に大企業志向があったわけでもなく、サーバ管理者の技術で食いつなげばいいやという甘い考えでした。

社会人になると各種文章を書くことが一種の仕事となります。事務スキルの一つとも言えます。

当初はサーバ管理者として頑張ろうと思っていたら、結局はサーバ管理者としてのスキルが低いということで、まずは下積みとして社内情シスをしていました。教えることが得意だったので良い仕事でした。その中でチュートリアルなどの文章を書くことも出てきました。

また社会人ともなると、対外的に書く文章と内部的な文章の違いを意識して書くことが多くなってきます。そういうことに気をつけつつ、あたかも他の人が書いたような文体模写的なことも意識してやったりすることがありました。これは以前から細々とやっていた文章遊びみたいなやつです。文体模写するためにはその対象の文章を読んで特徴をつかむ必要があって、それによって文章の違う側面からの書き方を学ぶことができたりして良い経験になりました

その後はひょんなきっかけでプログラミングをすることになって、ウェブプログラマーとして働くことになりました。

このころは技術書をひたすら読み漁って知識を吸収する時期でした。あまり読書しない人ではありましたが、この時期は相当読書していました。やはり人の文体を意識しながら書籍などを読むことで色々な勉強になります。和訳の技術書の癖だったり、そういうのを読んで、あえて英訳しやすいように和訳の技術書のような文章を書いたりすることもありました。

後輩ができてからはWikiを作って、そこにひたすら文章を書いていきます。ここでだいぶ文章を書く場数を踏めました。やはり場数を踏むしか無いんだろうなとは、今振り返っても感じるところ。対外的にアウトプットしていくのは2009年9月のTwitterアカウント作成から2011年のブログ作成まで待つ必要があります。

2010年に一度個人的事情で人生窮地に追い込まれてから、これではいけないと2011年から対外的活動を始めました。ブログを作って、Hokkaido.pm#5 のトークデビューをきっかけに多くの人に見てもらうためのスライドを作ってプレゼンテーションをしていくことになります。その後もPerlを中心とした勉強会や話題で、ブログ、スライド、プレゼンテーションを繰り返していって、ようやく人並みに近い文章力が身についたのだと思います。

その流れでPerl入学式に出会い、Perlの教育という目的に賛同することとなります。最初はサポーターとして活動していましたが、徐々に講師であったり広報っぽいことだったりと、色々なことを体験させていただいて今に至ります。2015年もPerl入学式を広めてオープン系ITエンジニア業界を盛り上げていくために、文章を書いたり、様々な施策にチャレンジしていこうと考えています。ご期待ください。

それでも、2014年年末の今振り返っても、私の活動は知人のITエンジニアの方々に比べたら全然足りないほうだなと反省することが多かったです。今年は病気や転職や仕事の多忙や退職などをはじめとして自分的感覚で慌ただしい年ではありましたが、アウトプットだけでなく、様々な事情で思考力や集中力も出せず読書などのインプットも少なかったので、2015年はジャンル問わず様々な文章を読みあさり、書いて様々な方に読んでもらいと思っています。

以前Twitterで「自分語りをしたら末期、自伝を書いたら終わり」みたいなことをみたのですが、そんなことは全くないんじゃないかなと思います。過去に拘るのではなく、自分の人生を振り返り、次の指針にすることは大事ですし、まず私自身が皆さんのことを知りたいからそういう文章を読みたいということがあります。みなさんもブログなどで文章を公開するということで、ぜひ私に良い文章を教えてください!

プレゼンテーション時に役立つMacのTips

おがた (@xtetsuji) です。

勉強会などに参加していて、プレゼンテーションをMacで行う登壇者が困る場面に出くわすことがたびたびあります。勉強会の主催者に近い側にいるときなどは即席アドバイスしたりするのですが、役に立つ人には役立ちそうなので、この記事でまとめてみたいと思います。

ディスプレイのマルチとミラーリングの切り替え

プレゼンテーションをマルチディスプレイで行うかミラーリングで行うかは、登壇者それぞれの趣味や志向があるので、どちらかが良いとは一概に言えません。

マルチディスプレイモードだと、Keynoteを使っているときに手元で次のスライドも含めて先読みできたり、メモや制限時間を表示できたりといった機能があります。また、他人には隠しておきたいけれど事情があって開いておきたいというウィンドウを手元のディスプレイに持ってくることもできます。

ただ、慣れていない人だとマルチディスプレイでのプレゼンテーションで混乱をする場合が多いです。私の場合も、マルチディスプレイを使うメリットを活かせなくて、たいていはミラーリングモードでプレゼンテーションを行います。時間などは手元のiPhoneのアプリや腕時計で計ります。

よくあるのは、ミラーリングモードにしたいけれどマルチディスプレイモードになって混乱してしまったもののシステム環境設定を開くのも大変というケース。こういう場合は以下の方法でマルチディスプレイとミラーリングの切り替えができます。

  • Command + F1 を押す

たったこれだけ。これだけでシステム環境設定からたどっていってチェックボックスを押したりといった作業をすることはないのです。勉強会でそんな状況に出くわす登壇者が現れるたびに「Commandキーを押しながらF1キー押してください」と声をかけるのですが、意外にこれは知られていないらしく、登壇者からも聴衆からも感心されることが多いです。

ちなみに Option + F1 で「システム環境設定」のディスプレイ設定を開くことができます。

一時的な画面拡大

プログラミング系の勉強会では、スライド資料の中にソースコードが入っていることが多くあります。ただ、少しでも量が多くなってしまうと、ソースコードは文字が小さくて多くの聴衆は読めないのが実情。「高橋メソッド」などではそういうスライド自体を否定しているわけですが、その是非は置いておきましょう。

最近はImpress.jsやReveal.jsといったウェブブラウザ上で表示をするプレゼンテーションソフトが流行っています。そういう場合はブラウザの文字拡大 (キーボードだとたいていCommand+Shift+;) を使うと解決できることもありますが、ソースコードの改行が崩れて見づらくなってしまうケースもあります。またKeynoteなどの場合はそういう手法すら取ることができません。

そういう場合に一時的に画面拡大をする機能を使うと良いでしょう。

以下の画面は Yosemite のものです。

まず「システム環境設定」のアクセシビリティの設定からズーム機能を表示します。

アクセシビリティのズーム機能の設定

この中の「スクロールジェスチャと修飾キーを使ってズーム」をオンにします。この修飾キーは初期状態でコントロールキーになっていますが、通常はこれでいいでしょう。

この設定をオンにしている状態で

  • 修飾キーを押しながらトラックパッドを2本指で上スワイプをすると画面拡大
  • 修飾キーを押しながらトラックパッドを2本指で下スワイプをすると画面拡大した状態から画面縮小 (1倍より小さくはできません)

という操作ができます。

この操作はブラウザの全画面だけでなく、カーソルキーが表示されないKeynoteのプレゼンテーション全画面表示時にも使えます。

「その他のオプション…」を選ぶと、詳細設定ができます。

ポインタと一緒に連続的に移動

私は上記状態で使っています。「ポインタと一緒に連続的に移動」のほうが、Keynoteの全画面表示での使い勝手が良いとは思います。

ただこの画面拡大機能を使いすぎると、聴衆が「画面酔い」をする可能性もあるので、使う場合はほどほどに。

アクセシビリティにかかわるOS標準機能ですし、特にこれを設定することによってシステムが不安定になる要素もないので、色々いじってみて自分の気に入った挙動を選んでみるとよいと思います。

この機能、小さい文字を見たり、少し離れたところにいる人に特定部分を見せたい場合など、普段から役に立つTipsです。

ソースコードのシンタックスハイライト

上述の通り、プログラミングのプレゼンテーションだからこそ登場するソースコード。できればいつものエディタで見ているようなシンタックスハイライトが再現できるといいんだけど…というときには以下のようにしましょう。

  • Emacsの場合は、M-x htmlize-file して、シンタックスハイライトしたいファイルを選択
  • Vimの場合は、シンタックスハイライトしたいファイルを開いたあと :TOhtml を実行

これでそのファイルのシンタックスハイライトをした結果のHTMLファイルを得ることができます。ブラウザベースのプレゼンテーションソフトの場合は得られたHTMLをその流儀に従って入れればよいでしょう。Keynoteの場合はテキスト領域を作って、Safariで開いたHTMLファイルからコピーして、そこにペーストをすると良いのです。Chromeからコピーするとうまくいかない場合もあるので、その場合はSafariを使うと良いでしょう。

Wano株式会社を退職しました

こんにちは、おがた (@xtetsuji) です。同報通信として。

2014年12月12日をもって「Wano株式会社」を退職することになりました。最終出社日は11月28日で、これを書いている12月上旬の今は有給消化期間中です。

入社が今年の2月初めだったので、10ヶ月の短い在職期間になってしまいましたが、その間にも色々な方にお世話になりました。前職1社目が約10年なので対比しても短い。

退職理由

主な退職理由をあげると以下のような感じです。

  • かねてから体調不良が続いていて、静養の必要性を感じていた
  • 親族の高齢化で、近いうちに地元で今後の身の振り方を考える必要があった
  • 「できること」より「やりたいこと」や「自分しかやらないこと」に興味を持った

列挙してみると休職・時短勤務・部署異動等でなんとかならなかったのと思われそうですが、他にも細々とした理由がいくつもあったりして、悩んだ末に総合的に考えて退職を決断することにしました。

体調不良については、昨年12月の胃潰瘍入院から今年1月の風邪・インフルエンザのコンボでの外出禁止の解除日が初出社日ということで、完全な病み上がり感がありました。その後も胃潰瘍の消化器外科の他にも呼吸器科に通うようになったりと、通院ばかりの生活が続いていました。

会社を経営している祖父が高齢になり、今も元気に動けはするのですが、重い病気を抱えるようになり、祖父自身の考えも色々変わってきたようです。一度じっくり話をしてみる必要があるなと思いつつも、今年の夏季休暇は思い通りに帰省にあてられず。1ヶ月くらいは自分の人生設計も考えてじっくり話を聞いてみたいと考えるようになりました。

就職活動というものは難儀なもので、1社目も今回の2社目も「やりたいこと」より「できること」を優先にしがちでした。ただ、今年のYAPCのキーノートを聴いたりしているうちに、「若いころは大変でもできることで経験値積むべきだけど、歳を重ねるとそれだけでは肉体的にも精神的にも無理できないよなぁ」と思うようになったこともあります。

その他にも悩んだ理由はいくつかありますが、主な理由は上記です。

今回の退職の件を話すとき、短い在職期間や次を明確に決めない形の退職に対する懸念を受けることも当然ながらありましたが、上記のような事情があって悩んだ末の決断でした。

在職中にやったこと

短いながらも色々経験することができました。

業務の中心としては、他社が提供するアフィリエイトなどのAPIを使ってウェブサイトのロジック部分を書いたりなどをしていました。あと他社向けのAPIも時々書いたりしていました。前職の最後のほうでは、社内サイト以外でウェブサイトの表側を担当することがほとんどなかったので、優秀なデザイナーの方々との仕事は新鮮でした。デザイナーの人と飲みに行くたびに「デザイナーの皆さん本当に優秀ですよね」って言っていた気がする。

前職はまだガラケー志向が残っていたのでJavaScriptは商用向け開発ではあまり書かなかった (趣味開発や社内ツールでは書いていた) のですが、Wanoに来てからは表側のウェブサイトのロジックを担当する機会が多く、そこそこJavaScriptを業務で書いたのは良い経験でした。Googleアナリティクスの詳細な振り分けだったり、アニメーションライブラリ (これはiOS 6 の Safari がメモリリークして大変でした) のカスタマイズ開発だったり、Hogan.js のようなJSテンプレートのミニマム版も作ることになりました。必要であれば何でも取り入れていくところは面白かったです。

他のチームでは完全なSPAを実現するAngular.jsだったりTypeScriptだったり、もっとJavaScript中心のフロント開発をしているようで、興味深くもありました。優秀で気さくなエンジニアがたくさんいる面白い職場でしたが、誰もが多忙で横の交流がなかなか取れなかったのは心残りでした。

最終出社日の話

11月28日に最終出社日だったのですが、定時直前に新入社員の一人に声をかけられて、社員全員の前で色紙を受け取ったのは嬉しかったです。

送別会は後日開催するというお話を聞いて、なんだか気を使わせて申し訳ない感じもしました。しかし、色紙を受け取ったのも送別会を開いてもらえるのも人生で初めてのような気がします。

普段社内でかかっているバックミュージックはニューミュージックが多いのですが、その日の夕方はバロック調の曲がかかっていて、最後の身支度をしているときにはベートーヴェンの田園交響曲の終楽章が流れていて、なんだかしんみりしました。

隣の部署で懇意にしてくれていたプログラマー2人と「今日は送別会もないのでということで飲みに行きましょうか」という話になってその日の夜に飲みに行ったのですが、プログラマーの新卒社員2名もついてきて、その後に自分の所属だったチームのみんながやってきてくれて盛り上がれて、嬉しかったですね。

たった10ヶ月しかいられなかったのですが、人の暖かみを感じる会社でした。

これからどうするの?

しばらくは静養して体調回復につとめます。

12月末に帰省して1月中は実家を拠点に話を聴いて回ったりする予定です。

時間ができるので、細々と自分が所属しているコミュニティのプロジェクトを進めようと思っています。時間が取れずできなかった趣味のプログラミングも進めたいです。

その後の予定は決まっていません。もしかしたら地元に戻ることになるかもしれないし、東京でまた働くことになるかもしれません。できれば自分のITエンジニアのキャリアは今後も活かしたいし、そのために魅力的な場所である東京を拠点にしたITエンジニア生活は続けたいのですが、そこのところは未定です。

お金がなくなっても就職的に安定しなかったら、体力的に無理のない範囲でバイトでもして食いつなごうかなと思っています。

求人募集中

どの会社もITエンジニア不足の昨今ですが、Wanoでもエンジニアを募集しています。興味があっても自分の適性とマッチするか心配な方は、私が出来る範囲でご相談に乗ります。tetsuji.jp に書いてある連絡方法から適当なものでご連絡ください。

語らいたい

退職エントリを見ると、よくAmazonのウィッシュリストを貼っているのを見るのですが、自分の場合はモノより体験が欲しいので、多くの人と語らいたいです。時間のある方は、カフェや酒場で業界のことやプログラミングのことなど、語らいませんか?

謝辞

まだ内定状態だった2013年12月に胃潰瘍入院しているときにお見舞いに来てくださったときは嬉しかったです。

在職中、特に同じプログラマー仲間として興味を持って話しかけてくれた皆さん、ありがとうございます。今後も同じプログラマーとして定期的にお話できれば嬉しいです。

企画営業の方々の仕事のさばき方に感心させられることが多かったです。またプログラマーと仕事上の接点が多いデザイナーの方々が本当に優秀で、仕事がしやすく楽しかったです。前職と比べて「こんなに雑な仕事の渡し方で大丈夫なのかな」と思っていたら、もっと雑でもいいですと言われるくらいデザイナーの方々に助けられました。

今後も外部から色々な形で応援していきたいです。ありがとうございます。

参考リンク

#Perl入学式 Advent Calendar 「いつもの風景」

この記事は「Perl入学式 Advent Calendar」の3日目です。

こんにちは、Perl入学式 in東京のサポーターとしてだいたい毎回お手伝いさせていただいている @xtetsuji こと「おがた てつじ」です。ハンドル名から、校長やサポーターの皆さんからはよく「てつじさん」と呼ばれています。

そういえば、先日の Perl入学式 in東京 第4回 「サブルーチン(関数)/正規表現編」 では、はじめて4時間フルの講師役を担当させていただきました。

今回はサポーター視点でみた「Perl入学式 in東京」のいつもの風景をご紹介させていただきます。

集合から昼食

前日までにサポーター間で「みんなで昼食を食べに行こう」ということになると、11時30分くらいに集まって昼食を食べます。手早く食べようということもあって、だいたい立ち食い寿司になることが多いですね。ITエンジニアはみんな寿司が好きだということもあります。直近のPerl入学式でも立ち食い寿司に行きました。サポーターの中には、この寿司のことをPerl入学式にもじってPerl入学寿司と呼ぶ人もいます。

会場到着と会場設営

in東京 は13時スタートがほとんどなので、12時30分すぎから入場を考えて、12時過ぎには会場設営を開始します。だいたいは、借りる会議室の椅子とテーブルをPerl入学式用に並べ替えるという力仕事を行ったり、講師用のプロジェクターの準備をしたりといった作業です。

最近のPerl入学式では、@__papix__ 校長の職場でもあるGaiaXさんが会場であることも多いですが、過去一年くらいの間では、直近のモバイルファクトリーさんだったり、DNPデジタルコムさんだったり、若干会場が変わったりします。とはいえ、五反田の企業が多くて、五反田のPerlが元気だって感じがしますね!

だいたいどこの会社の会議室を借りるとしても、だいたい会場設営の流れは同じです。人が多い少ないで作業の負担が変わる程度ですね。

受講生の皆さんを待つ

会場の設営が完了する頃には、徐々に受講生の皆さんがやってきます。

最近では、今後に活かすために出席を取ったり、学生の数を数えたりします。ドタキャン率は大阪よりも東京のほうが若干高かったりするのですが、これは東京のIT系勉強会の傾向でもあります。受講生の皆さんの個々の事情もあるので仕方がない部分でもありますね。

講義開始

13時になると講義開始となります。雨の日などは開始時の集まりが悪かったりするので、少し開始を遅らせたりします。

その後は、講師 (だいたい @__papix__ 校長) の挨拶から始まり、今日のサポーターの挨拶となります。

その後は、サポーターも受講生の皆さんと一緒に試行錯誤をしていくことになります。

講師も人間。やはり間違うこともあったりして、サポーターが講師に向かって「そこ違うんじゃない?」という発言から面白いやりとりが発生したりして、受講生の皆さんにはそれがウケることもあります。

受講生が20人集まれば、20人全てが同じスタートラインでは限りません。他のプログラム言語経験があったりして楽勝という人もいれば、経験が浅くて苦戦する人もいます。そういう受講生間での経験差を埋めるためにもサポーターがいるのです。それがPerl入学式の醍醐味と言えましょう。

だいたい半分、2時間くらい過ぎると暖気運転も済んで、講師・サポーター・受講生の間でのつながりが活発になり始めます。

その中で、受講生のみなさんに懇親会への募集をかけます。懇親会は講師やサポーターからの生の声が聴ける貴重な場ではありますが、ここは飲み会代金分の金銭的負担が発生したり時間的都合もあるので、任意で募集しています。とはいえ、4時間では分からない受講生の皆さんそれぞれの考えを聞いたりするフリータイムみたいな時間として多くの受講生の皆さんと懇親会で語らいたいなとは思っていますが、そこは強制できないところなので難しいところですね。

そんな中で、だいたい17時には予定通り講義が終わります。

片付けと撤収

懇親会に参加する受講生の皆さんの協力を得ながら、講師とサポーターを中心に会場設営の逆を行います。だいたい in東京 では会場を無償で借りているので、感謝の気持も込めて撤収作業を行います。

懇親会

その後、近場の居酒屋で懇親会を行います。最近ではなるべく安価な居酒屋を選択するようにしています。

この懇親会の場では、講師やサポーターの生の声が聴くことができます。参加される受講生の方はそれを醍醐味に常連で参加してくださるようです。またサポーター間では反省会的場所でもあり、それも受講生側からすると裏話的で楽しいかもしれません。

私自身も他のサポーターの方から聴く業界話などが楽しみで、Perl入学式の懇親会は毎回楽しみにしています。

時には受講生側からの悩み相談にも乗ったりして、暖かいアットホームな懇親会でもあるのが特徴です。

金銭的負担に関しては「ソフトドリンクしか飲まないから安くして」「途中で退席します」というのも融通効くと思いますので、ちょっとでも興味のある受講生の皆さんは、サポーターの人に相談してみましょう!

そして解散

Perl入学式 in東京 の場合、よほどノリノリでない場合は通常2次会は無くて、そのまま五反田駅前で解散となります。時間的には22時から23時あたりでしょうか。

だいたい最近の「Perl入学式 in東京」はこんな流れです。興味が湧いてきたら、ぜひ色々な形で参加してみてはいかがでしょうか?お待ちしています!

YAPC::Asia Tokyo 2014 Reject con #yapcasia #yapcasiareject

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014 のReject con編。概要は目次ブログ記事をどうぞ。

2014年の8月28日(木曜日)から30日(土曜日)までの3日間行われた YAPC::Asia Tokyo 2014 でしたが、今年は応募もさらに盛り上がり、募集トークのうちの約半数がリジェクト(落選)されてしまうという状態でした。競争率が高かったこともありますし、YAPC::Asia Tokyo というイベントがPerl以外の話題にも寛容になったこともあります。

かくいう私も、2012年と2013年に引き続きトークをしようと思って応募したのですが、見事にリジェクトされてしまいました。

しかし!そんなリジェクトされてしまったトークの中から、選りすぐりのものに発表の機会を与えてくれる「YAPC::Asia 2014 Reject con」というイベントが2014年9月3日(水曜日)に行われることになり、なんと私のトークも発表の機会を与えていただけました

トーク概要については以下の記事がまとまっているので、おすすめです。@hiratara さんの記録能力のすごさには毎回脱帽してしまいます。

会場

会場は、表参道から六本木に移転したばかりの今元気な会社であるフリークアウトさんで行われました。会場を提供してくださったフリークアウト @myfinder さん、そして当イベントを企画してくださった @__papix__ さん、ありがとうございます。

「ヒルズガレージ」というだけあって、コンクリートがむき出しとなった広い会場が新鮮でした。写真の通り、かなりオシャレな感じです。うらやましい。

そして、会費で振る舞われるビールとピザは、会費以上のボリュームがありました(その他のアルコールやソフトドリンクもありました)。

タイムスケジュール・トーク一覧

Zusaarのイベントページから抜粋。ほぼ時間通りに進行しました。

  • 19:45 … 開場
  • 20:00 … 挨拶 & 乾杯
  • 20:05 〜 20:25 … @ytnobody & @tsucchi 「これはORMですか? いいえOtogiriです」
  • 20:25 〜 20:40 … @__papix__ 「帰ってきたPerCUDA 〜PerlとGPGPUが出会い, そして未来へ〜」
  • 20:40 〜 21:00 … @punytan 「( ✌’ω’)✌ 楽しいモデル層開発」
  • 21:00 〜 21:20 … @xtetsuji 「今に伝えるメールの技術」
  • 21:20 〜 21:40 … @saisa6153 「今から始めるレガシーコード改善レポート」
  • 21:40 〜 22:00 … LTタイム
  • 21:40 〜 21:45 … @mala LT
  • 21:45 〜 21:50 … @note103 LT
  • 21:50 〜 21:55 … @karupanerura LT
  • 21:55 〜 22:00 … @xaicron LT
  • 22:00 … Reject con終了 / 会場の片付け / 解散

会場の雰囲気

基本的に、YAPCの理念でもある(?)カジュアルさを意識して、アルコールやピザを飲み食いしながら、トークを聴きたい人は聴けばいいし、その辺にいる人とコミュニケーションしたい人はすればいいという自由な感じでした。

このイベント、エンジニアが壇上でトークをするわけなのですが、最初から缶ビールを開けて「乾杯!」なのです。そういうイベントは探せば無いことは無いのですが、こうやって会場を用意してしっかりした内容のトークをする系のイベントでこのフォーマットはなかなか珍しい。でもこれくらいのカジュアルさがあってもいいですよね。

まずはこの Reject con の発起人であり、今年のYAPC::Asia Tokyo 2014 のもう一つの顔になったとも言える「国際的コンテンツ」@__papix__ 氏による挨拶。会場の雰囲気からも何かワクワクするものを感じます。

YAPCの顔papix氏によるReject con開始の挨拶

トーク

会場はひとつでいつも壇上が見えるわけですが、すべてのトークを真剣に聴いていたわけではないです。途中でビールをおかわりに行ったり、知人と雑談したり、自分のトークの準備などをしたりしていました。とはいえ、だいたいのトークは座ってビールを飲みつつも聴いていました。メモをとっていなかっただけ (その点で @hiratara さんはすごいと思います)。

トップバッターは、ORM “Otogiri” の作者である @ytnobody さんと各種DBへの造詣が深くDBD::mysqlのPurePerl実装なども保守する @tsucchi さんのコンビによるこれはORMですか? いいえOtogiriですというタイトルのお話。

今年のYAPC::Asiaでは、DBIx::Class トークがあったり、そこで Teng が引き合いに出されたり、DBIx::Class 軽くなった、Teng は以前から軽いといった ORM の話題が結構ありました。Otogiri は Teng よりもさらに軽く機能を絞った完全スキーマレスORMです。

20分の発表で、10分を @ytnobody さんが、あとの10分を @tsucchi さんが発表するという斬新なフォーマット。新たなチャレンジです。

コンセプトとしては以前から両人からは色々な話を聴いていて知ってはいたのですが、まとまった話を聴くと理解が深まってよかったです。私はDBについては全く疎いので、勉強がてらOtogiriの中身を読んでみるのも良いかもしれません。

@ytnobody さんの発表風景。

Reject conトークのytnobodyさん

そして @tsucchi さんの発表風景。

Reject conトークのtsucchiさん

その後は、@__papix__ さんによる帰ってきたPerCUDA 〜PerlとGPGPUが出会い, そして未来へ〜。学生時代の研究テーマのその後のお話でした。

要はGPGPUをPerlから使うためのお話なのですが、専門性の高いお話で手応えありました。さすが大学院でこういう研究をしている人の足腰は強いなと思わされます。

Reject conトークの__papix__さん

@__papix__ さんのスライドは、自分自身がコンテンツだからズルい。

その後は21時からの自分の発表のために、資料を整理したり頭の中で時間配分などをしていました。

開始から1時間くらいで、会場の人たちはだいぶ酔っ払ってきています。トークに背を向けて立ち飲み酒場になっているところもあって面白かったです。

自分が発表したトーク

そして21時からの自分のトーク今に伝えるメールの技術が始まります。

開始から1時間経過し、酔っている人に声を届けるためには、今までトークした人より大きな声でつかんでいかないとダメだなぁと壇上に立って確信した結果、最初の一言が「みなさ〜ん、飲んでますか〜?」でした。完全に自分も酔っ払いになっている。

私のトークの趣旨や内容については、上記スライドと、感想をまとめた以下のTogetterを見ていただけるといいかと思います。

リジェクトコンという場所も考えて、笑いの要素を入れたほうがいいかな、視覚的にインパクトのあるスライドのほうがいいかな、などと考えてこのような内容となりました。スライドを公開して文字だけにするとコンテキストが読めないものについては、書かずにしゃべりで補ったりしました(ちょっと危険なネタもありました)。あとは酔った勢いでしゃべった感じでしたが、それが謎のグルーブ感を生んで結果的にウケたのかもしれません。ありがたい。

mod_perlトークの前2年も、このメールトークも、結局は廃れかけて忘れかけられた技術のルネッサンス的なものを意識した感じです。特に私は新しいものへのキャッチアップ力が比較的弱いので、そういう方向で活動するしかないというのもあるのですが、廃れはすれど無くなりはしないものの昔の古い知識が更新されないという状況は難儀だなと思っています。なので、あまり世間からは注目されない話でも今風にブラッシュアップした話をしていきたいというわけで、こういう場をいただいてトークをしているのかもしれません。

実はこのトーク、YAPC::Asia でリジェクトされたとはいえ、YAPC::Asia Tokyo 2014 の期間ではまだできておらず「頭の中にはある」という状態でした。YAPCが終わって疲れがどっと出て、「あー、こんなに疲れてこれから資料を作るなんて計画性の無さを露呈するなら、Reject con に応募しないほうがよかったかな」という考えも一瞬頭をよぎったのですが、しっかり自分の言いたいことを頭の中から出してきっちりとスライドにブラッシュアップして、そしてトークをしたあとの思わぬ反響を受け取って、やっぱりやってよかったって思いましたね。YAPC本編でトークするよりも貴重な経験ができたかもしれない。

トーク後に、色々な方から面白かったって言ってもらえて嬉しかったし、Twitterでも現地にいる人から来られなかった人まで反響があって、本当に嬉しいの一言です。YAPC::Asia Tokyoの本編トークではこのグルーブ感は出しづらいと思うし、本当にリジェクトコンで拾っていただいたことに感謝する他ないです。

@tsucchi さんと @note103 さんには、ブログでも面白かったと感想を書いてくれました。本当に嬉しいです。ありがとうございます。

LT

当初予定していた @hirobanex さんが出られなくなり、急遽LT枠が設けられました。

@mala さん、@note103 さん、@karupanerura さん、@xaicron さんと、これまた豪華な顔ぶれが集まりました。

恒例の @mala さんのセキュリティを突くトークは軽快でした。本人は有名な撮影NGの人なので、写真は撮っていません。

@note103 さんのトーク「はじまりのPerl」は、本当に5分でトークするのがもったいない内容。経歴も面白いし、職業プログラマーではないPerl学習者としての視点も面白かったです。スライド必見

Reject conトークのnote103さん

@karupanerura さんはジョブキューの話をされたのですが、ライブコーディングがよかったです。アルコールが入った中でのライブコーディングは大変だったと思います。

Reject conトークのkarupaneruraさん

最後の @xaicron さんは、最近リリースした「ハッカドール」を引っさげて登場。というかPerlの話ほとんどなくて、宣伝とサイリウムを振るために壇上に上がった感じですごかったです。

Reject conトークのxaicronさん

これでLTは終了。ちょうど予定時間ほぼピッタリに終わり、各自解散となりました。

どうやら二次会も一部であったようでしたが、一緒に建物から出た @tsucchi さんらと「明日も平日だし、発表したから疲れたので、まー帰りましょうか」ということで六本木駅からまっすぐ帰りました。

これで自分の中の広義の YAPC::Asia Tokyo 2014 は終わりました。夏の楽しい夢の様な時間、そして最後に弾けられて本当に楽しかったです。本当にたくさんの人たちに感謝!

 

YAPC::Asia Tokyo 2014 2日目 #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014 の個別記事、2日目編。概要は目次ブログ記事をどうぞ。

トーク概要については以下の記事がまとまっているので、おすすめです。

聴講したトーク

2日目は「Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014」が大部分で、1日目より聴講したトークは少ないです。

@lestrrat さんによる「オープンソースの開発現場 – Perl 5.20 のSubroutine Signaturesが来るまでの奮闘の軌跡」、トークがうまいなーというだけでなく、Perlの開発の舞台の裏側の苦労話を語るその切り口は斬新でした。Martini氏がSubroutine Signatureを入れようとしたけれど政治的な理由でいくつもの困難があった話、プログラミングスキルだけじゃ解決できないことってコミュニティには色々あるんだなと改めて思わされた次第です。

たとえばこの辺り

  • あなたが参加しているプロジェクトも20年後に政治が必要になる可能性が高い
  • あなたが今後参加するプロジェクトも人間スキルが必要になる可能性が高い
  • コミュニティで活動する限りリスクは必ずある

といった部分はあるよなぁと思わされました。要は「ネガティブな一言に傷つくより、流して前に進もう」ということなのだと思いました。そういう強い心というか大人力を持ちたい。

そのままメインホールに残って @uzulla さんの「半端なPHPDisでPHPerに陰で笑われないためのPerl Monger向け最新PHP事情(5.6対応)」を聴講。これがすごかった。

ゆるふわ暗黒PHP

「ゆるふわ暗黒PHP」最初からこれ。しかも出オチではなく、このトーンでものすごい枚数のスライドが登場して観客の笑いを誘って行くのです。

しかし短絡的なPHP disに終わらず、現代のPHPの良い点を踏まえつつ、他の言語からの視点も踏まえたトークとなっており、PHPを書かない人にもとても参考になるトークとなりました。何よりトークが面白い。この面白さを追体験するには動画を観るしか無い

あまりの勢いに、これがベストトーク賞になったら伝説になるぞといった声が各方面から出ましたが、結果的に本当にベストトーク賞を取ってしまったのだからスゴイ!

その後、13時からのPerl入学式に備えて、同じくスポンサーをする @tsucchi さんと早めに食事を取ることにしました。1階にローソンがあると便利。2人で買ってきたものをイベントホールで食べます。ここでなら飲食できるし、後ろから無限にコーヒーやジュースが出てくるから素晴らしい。

ランチセッションではDNPデジタルコムさんが発表をしていました。以前にPerl入学式でもお世話になった @yu_loveperl さんが壇上でPerlの使用事例を語っていました。DNPデジタルコムもそうですが、ガイアックスやモバイルファクトリーといった五反田のPerl企業が元気です。

ランチセッションを遠巻きに見つつ食事をし、終了したところで司会の方が「みなさんブログを書いてください。(スポンサーである)ライブドアブログやはてなブログがおすすめです。あっ、(これもスポンサーである)MovableTypeでブログ構築もいいかもしれませんね」と言ったところで私が「MovableTypeはちょっと敷居高くない?」って冗談交じりに言ったら、ちょうど @tsucchi さんと反対側の隣にいたのが福岡のMovableType番長と呼ばれるアオキさんで、初対面で「えっ、そうですか?」って言われて少しキョドってしまいました。まさかこの後のPerl入学式のサポート担当テーブルでまたアオキさんと遭遇することになるとはこの時はまだ知らず。

Perl入学式の会場がある多目的教室へ早めに向かいます。

Perl入学式については後述。

Perl入学式の後に聴いた @myfinder さんの「YAPC::Europe 2014 に行ってきました」、自分も金銭的だったり英語力だったりが整ったら、ぜひ行ってみたいなぁと思わされました。ヨーロッパ好きですし、今回はヨーロッパからのゲストが多かったこともあって、ヨーロッパへの憧れが強まった、そんなYAPC::Asiaでした。

Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014

前日1日目は終電過ぎてタクシーで帰宅後、このPerl入学式のために自宅で予備MacBook Airをセットアップしていました。2日目は自分MacBook Airと予備MacBook Airの2台持ちだったので結構大変でしたが、結果的にこれが役に立つことになって良かったです。

Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014」は13時からの開始でしたが、サポーター陣は12時30分ごろから入って机配置などを整えたりといった作業にいそしみます。自分は持ってきた予備機を広げて動作確認をしたりなど。

13時になって開始。普段は東京・大阪・福岡で活動しているスタッフがオールスターズで揃った中で @__papix__ 校長によるPerl入学式の濃密版講義が開始します。

当日のレポートはTogetterにまとめましたので、そちらを見ていただけるとライブ感がわかるかもしれません。

今回サポーターはテーブル担当制となりました。私のテーブルには、先ほど初対面を果たしたMovableType番長のアオキさんの他、gihyo.jpのサイトにレポートを書く役割でやってきた、プログラミング初心者の滝沢さんも来ていました。最初、レポートを書く方とは知らず、とはいえ濃縮版で比較的レベルもスピードも通常版よりある今回のPerl入学式でなかなか苦戦している滝沢さんのサポートをずっとしていました。他の方が、他のプログラミング言語の経験者だったりMovableTypeに慣れたアオキさんだったりということもあって、そこは助けられました。最後のほうには滝沢さんにもだいぶ納得してもらって、真摯にサポートしてよかったと思いました。

その時の様子をレポートしてくださっています。

@__papix__ 校長も気合が入って、いつもよりオーバーアクションにトークしたのが受講生にも好評だったようですね。サポーターとして参加していましたが、会場の一体感も良くて、とても楽しかったです。

Perl入学式 in YAPC開始前の様子

開始前の様子。

Perl入学式 in YAPC 初注意とお願い

諸注意とお願い。

Perl入学式 in YAPC 講義の様子1

Perl入学式 in YAPC講義の様子2

こんな風景でした。

LT雑感

@T_akms ことタケウチ君のGeekDojo&脱北者トークは楽しかったですね(スライド)。そして @hoto17296 さんのトーク。両名ともガイアックスの若い人で、同じくガイアックスの若い人でYAPC会期中どこか壇上に立って「YAPCの顔」となっていた @__papix__ 校長を含め、ガイアックスの存在感の高かったYAPCでした。

私も脱北者(?)のひとりとして頑張りたいです。

前夜祭の流れから、1日目のLTも @__papix__ フリー素材 を使った一発ネタが多かったのですが、あの Sawyer X 氏も Dancer 2の LT で @__papix__ フリー素材を使ってきたのには、会場は大爆笑。彼が国際的フリーコンテンツとなった瞬間でした。

上記のツイートがメンションできた時点で

とのことでした。

今年は純粋な参加者として、でも個人で起業スポンサーをするという荒業を成し遂げた @941 さんによる「5分で分るイベント運営のコツ」は純粋に参考になりました。

キーノート

今年の締めくくりのキーノート(基調講演)は @typester さん。

終始穏やかな語り口の中で、ITエンジニア・プログラマとしてどう生きていくべきかといったエッセンスがたっぷり入ったトークにうなずくことばかりでした。氏の経歴が面白いということと、その幅広いスキルが面白いトークを生むのでしょう。

そんな氏も最初はぼっちだったとか、スタートは我々と一緒なんだなと思わされるトークもあったり。

主に20代の人へのメッセージトークといった側面で後半語られましたが、私のような30代にも響く言葉が多かったですし、始めるには遅すぎることはないので、今からでも見習っていきたいです。

まとめとして語られたこれら

  • 今の会社で成長できるか
  • 10年後どうなっているかイメージできるか
  • ロールモデルを持つ
  • 尊敬する人を持つ

は大事だなぁと思わされます。ロールモデルについては以前から考えていたのですが、このキーノートを聴いてからさらに意識するようになりました。一度の人生楽しまなきゃ損!

余談ですが、@typester さんとは会場が東工大時代に行われた YAPC::Asia Tokyo 2007 か 2008 の懇親会で、私がぼっちだったときに勇気を振り絞って話しかけた数少ない人の一人でした。その時はDBIx::Class のプラグインへの貢献で有名で、ちょうど仕事でDBIx::Classを使っていたので、色々と海外の開発者と開発をするということについての苦労話などが聴けて感銘を受けたのを覚えています。今でこそGitHubとTwitterがあって世界の開発者との接点が得やすい時代ですが、当時からそういう活動をしていたということは本当に尊敬します。

クロージング

そして名残惜しくもクロージング。

昨年の参加者数が1131人だったのが、今年は1361人!世界最大のYAPCであるとともに国内最大級のエンジニアカンファレンスとなりました。すごい。

そしてみんなの投票の結果でもあるベストトーク賞…。なんと

  • 1位:半端なPHPDisでPHPerに陰で笑われないためのPerl Monger向け最新PHP事情(5.6対応)
  • 2位:そんなにビッグでもないデータ処理手法の話
  • 3位:コマンドラインツールについて語るときに僕の語ること

ということになってしまいました。会場から沸き上がる「P・H・P!」コール。まさか自分がベストトーク賞1位となることなど思いもよらず裏方で作業していた @uzulla さんが呼び出されて表彰されます。

ベストトーク賞のuzullaさん満面の笑顔

(http://30d.jp/yapcasia/7/photo/965 より)

なんという良い笑顔でしょう!

その後、その場にいたスタッフ全員が登壇して挨拶。

@yusukebe さんの「次のYAPCは…」といったところで、謎めきつつYAPC::Asia Tokyo 2014は無事閉幕したのでした。

クロージング後も、そこら中に無限シリーズがあまっていて、投げ売り状態になっていました。写真は無限ウォーターの様子。

そこら中にある無限ウォーター

YAPCの終わりは夏の終わり、なのでHubで飲む!

でもまだ終わらない。2日目もHubは貸し切り!まだ盛り上がり足りない人みんながなだれ込みます。

1日目同様、色々な人とコミュニケーションをしました。最初はPerl入学式のスタッフ・サポーターで反省会みたいなのを行っていたのですが、徐々に会場にいる全国・世界のPerlプログラマーとの交流になってきます。静岡の話をしに @dokechin さんのところに行ったら、@ribasushi さんがやってきて、酔って英語が出てこないしもう筆談だとペンとノートを持ち出したり。しかし他の日本人参加者にも気さくに話しかけていた @ribasushi さんは本当に優しかった。ヨーロッパ話でも盛り上がりました。楽しかった。

北海道の人たちと再開したり、あの人とこの人を引きあわせたり、もう人だらけで大変な店内を縫うように歩いて、大忙しでした。

Perl入学式で苦戦しながらもなんとかコツをつかんでもらった滝沢さんともお会いして、詳しい経緯などをうかがうことができました。

その他、普段も他の勉強会でよく見かける関東圏の人たちから、Hokkaido.pm でお馴染みのメンバー、そしてPerl入学式つながりで紹介された大阪や福岡の人など、色々な人と出会うことができた、まさにここがYAPCの本番じゃないかと思わせる場所でした。

18時から5時間くらいひたすら飲みまくって、1000杯超えた後も残った飲み物を金を払って飲んで、5時間くらい飲んでしゃべって歩きまわったりしてクタクタになったところで店を出ました。昨日終電乗り過ごしてタクシーだったので余裕を持って。これで自分のYAPC::Asia Tokyo 2014 が終わったのでした。

終わった…?いや、この数日後、約2倍の競争率でリジェクトされてしまったトークを供養するための「Reject con」があって、そこで自分が応募してリジェクトされてしまったトークの披露の場をもらったのでした。

というわけでリジェクトコンへ続きます。

YAPC::Asia Tokyo 2014 1日目 #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014 の個別記事、1日目編。やっぱり書くのが遅すぎ(8月末開催で、書いているの11月末)なんですが、書きたいと思い続けていたので書きます。概要は目次ブログ記事をどうぞ。

トーク概要については以下の記事がまとまっているので、おすすめです。

オープニング

昨晩は前夜祭でもらったノベルティなどを整理していて夜更かししてしまって少し寝過ごしてしまったのですが、なんとかオープニングが始まる10時ちょっと過ぎに到着。オープニングにはギリギリ間に合った形。

JPAの理事でもあり今回のYAPCの主催者でもある @yusukebe さんによるオープニングトーク。いやがおうにも高まります。

聴講したトーク

トーク雑感

例年、メインホール以外の会場はすぐ満員になることはわかっていたので、録画NGだったり懇意にしている方のトークだったりすごく聴講したいという理由がなければ、メインホールを選ぶか、そのへんでブラブラして顔見知りの人と懇親することにしました。

最初のメインホールでの「Releasing Perl」。英語のトークでしたが、YAPC::Asia の歴史で初めて(IRC同時通訳とかの試みはあった)希望者に同時通訳レシーバーが配られることになりました。

同時通訳はありがたいけれど、専門用語満載のトークだし、翻訳が微妙だと英語で聴いたほうが無様な英語力しかない自分でも良かったりするかもと思ってみましたが、この同時通訳が本当にすごかった!本当に放送局が提供するような同時通訳って感じで、専門用語も的確に翻訳していて、全く違和感の無い翻訳でした。

新しいPerlをリリースするための「パンプキン」という集団についての話だったり、その周辺の話がなかなか興味深かったです。

パンプキンについての説明はperlpolicyに書かれているようなので、改めて読んでみて勉強になりました。

その次に聴講したのは @kenjiskywalker さんによる「完成されたシステムなどない。完成された人間もいない。あるのは成長し続ける未完成なシステムと、それを支える未完成な人間だけだ」という長大なタイトルのトーク。これはなかなか多方面から問題提起を喚起するトークとなりました。40分トークのはずが、まさかの20分弱での終了。その後の質問タイムでのバトルなどなど。これはYouTubeで録画が公開されているので、ぜひとも見てみることをおすすめします。

@kenjiskywalker さん本人のブログ記事も参考になります。

理想論として片付けるのは簡単ではありますが、今一度このトークで語られたキーワードをもとに自分のサービスを振り返ってみることもよいと思います。

その後の時間は、特に生で聴きたいと思ったトークもなかったので、外に出てブラブラしていました。飲食可のイベントホールでは色々とイベントやっているという話を聴いていたので、行ってみることに。

イベントホールでは、テーブルに地域.pmやPerl入学式などで知っている顔の人たちが全国から集まっていたので、同窓会的に色々と挨拶。こういうのもYAPC::Asiaの魅力ですね。

イベントホールではコーヒーやらジュースやらの飲み物が飲み放題になっていたり、前夜祭で話題になったDMMかき氷が配られていたり、原色系のお菓子が配られていたり、色々楽しい光景が繰り広げられていました。原色系のお菓子はブッキングドットコムさん提供らしいです。これがヨーロッパのお菓子か!(原色系のお菓子は写真を撮り忘れてしまいました)

イベントホールのお菓子

イベントホールの飲み物

ブッキングドットコムのFiona Wangさんがリクルーティングをしていたので、今年こそは英語コンプレックスを克服しようと話しかけてみました。もともとヨーロッパは好きだったので、色々話を伺えて貴重な経験でしたが、やはりビジネス英語の領域になってくるとダメ…。

そのまま色々な方とお話したりしていたらランチセッションになって、なんかお弁当を受け取ってランチセッションを聴くことに。初ランチセッション体験。

ランチセッション1日目の弁当

 

ランチセッションではDeNAのQuizNowについてのお話でした。なかなか面白かった。

メインホールの舞台反対側で販売していた「雅なPerl」も忘れずに購入。良書です。

その後は、最近仕事でも DBIx::Class を使っているということで @ribasushi さんの「DBIx::Class – what is it and what is it good for?」を聴講することに。

日本ではDBIx::Class(DBIC)よりもTengなどの国産軽量ORMが好まれるケースが多いけれど、まだ日本にもDBIC案件があったりして、自分も過去に使っていて今もまた使うことになったので、この辺りは興味があって聴講することにしました。今回も同時通訳が助かりました。

特にDBIC使い始めのころは、ResultSetという概念が面白くて、そのときのプロジェクトでは有効活用できていなかったけれど、自分的にはこれぞDBICといえるものでした。そういうものも含めて今後DBICを有用活用していくこともあるかもしれないなと思いました。以前よりも軽量化が進んでいるという話もあったり、DBICのコンセプトはまだいけるなぁと思わされました。

その後はメインホールから移って @masiuchi さんの「Windows ユーザーのための Perl による Web アプリケーション開発チュートリアル」を聴講。

StrawberryPerl だと cpanm も Mojolicious も結構サクッと動くことに驚きました。以前はWindowsのPerlといえばActivePerl以外の選択肢はなかったようなものですが、StrawberryPerlいけるなと思った次第です。

その後は @ktat さんの「継続的翻訳活動をささえる技術」を聴講。perldoc.jp などを支える翻訳技術と、それを助けるためのツールtranについてのトークでした。

そのまま場所を移動せず「YAPC::Asia2014会場ネットワークのツクリカタ」を聴講。今回のすごいネットワークを作ったCONBUの方のトーク。聴いていて驚きの仕掛けがいっぱい出てきて、さすがだなと思わされたと同時に、ただただこの快適なネットワークに感謝するだけでした。

その後、どこに行こうか迷っていたら多目的教室はどこも満員になっていたので、メインホールの「WHERE狙いのキー、ORDER BY狙いのキー」を聴講。40分トークだったものの30分くらいでまとまっていて、聴きやすかったです。MySQLは使っているものの、パフォーマンスを意識してMySQLを使ったことはほとんどないので、要所要所でへぇ〜と思いながら聴いていました。一応MySQLのパフォーマンス系の書籍は読んで、どういうふうにインデックスをひっかけることができるかくらいの座学くらいしかなかったので、結構よかったです。

早くトークが終わったので、メインホールを出たら、先ほど DBIx::Class のトークをしていた @ribasushi さんが座ってノートパソコンを操作していたので、思い切って声をかけてみました。英語、全然しゃべれないし聞き取れないんですが、なんとかこちら側のDBIx::Classの疑問点などを説明して、わかりやすくゆっくりとした英語で解説してくれて、とても嬉しかったです。昨年は海外ゲストとの交流が全然できなかったことは反省点だったので、今年はその反省点を元に行動に移せたかもしれません。

次のトークの時間があったので、@ribasushi さんとはいったんおわかれ。懇親会に来るのと聞かれたのでYesと返事をしたら、またあとで会おうという感じ。本当にこんなに英語が不自由な自分にも熱心に対応してくれるなんて感謝ですね。思い切ってお話してよかった。

その後は @charsbar さんの「Get a kick out of CPAN」を聴講。一応いくつかのCPANモジュールをアップしているものの、あまりCPANの作法を知らないので、これは聴いておこうと思っていました。入るのが遅かったので最初の「CPANとゲーミフィケーション」といった部分は少し聞き損ねてしまったのですが、なかなか参考になる話が聴けて、またCPANに貢献しようというモチベーションアップもできたので、聴講して良かったです。

その後は多目的教室を動かず「初心者が Web エンジニアのコミュニティに触れてみて感じたこと – ゆとりエンジニアの成長戦略」を聴講。@zoncoen さんはDeNAの新卒社員らしいですが、本当に最近の若い人は優秀だなーという印象。今や大手企業であるDeNAに入社できるというだけでも優秀なのかもしれませんね。

LT雑感

特に印象に残ったものをいくつか。

  • @maka2_donzoko さんのトークは例年通り、狙いに狙ったウケが楽しかったです。今後の同人活動がどうなっていくかわかりませんが、期待しています
  • @charsbar さんの「Top 10 Kwalitative Japanese authors 2014」、今年もランキング楽しめました。今年はCPAN Authorとなって眺めるランキングは一味違ったものでした。
  • @__papix__ 校長による「Perl入学式 2014年度活動中間記録」。前夜祭に引き続き、今日も壇上に立ってYAPCの顔となるのでした。
  • @kazeburo さんのパフォーマンスに関する造詣はすごいですね → 資料
  • @bayashi さんの YAPC Ramen Challenge は、あのアイスバケツチャレンジをパクったものでしたが、その後これがムーブメントとなるのでした。

会場の雰囲気

自分が慣れただけなのかもしれませんが、顔見知りの人が結構増えていい感じで同窓会的場所になっているのがわかります。

また、初参加の人もぼっちにならないような企画も結構あったりして、ぼっち対策も図られているなぁと思わされました。お祭り的雰囲気が全面に押し出されていて、初参加の人も常連の人に話しかけやすい空間になっている感じがしました。

懇親会

懇親会枠に入れたので、参加することができました。今回はスピーカーは落選してしまったので、とりあえず枠押さえが必要でしたが、懇親会に出られて良かったです。

懇親会は食べられんばかりの美味しい食べ物が並べられ、それを取って色々な方と懇親して楽しめました。全国から集ったPerl Mongerと懇親できるこの場は本当に貴重な機会です。あと@ribasushi さんとも再度お会いしてお話できました。Fiona Wangさんともお話しましたが、酔っていてビジネス英語は結構大変で、通りかかった @dankogai さんに助けてもらうという一場面も。

なんか懇親と料理に両手を塞がれていて、全然写真撮っていなかった!

その後Hubで「Perl入学式交流会」

YAPC::Asia の会期中、1階のHubがYAPCによって貸し切りになっており、YAPCの名札ストラップを見せるとHubに入場できて、各日合計1000杯まで無料で飲めるという素晴らしい企画があったのでした。

懇親会に出られなかった人が先だってそちらに流れていたのですが、懇親会後に行ってみたらギリギリ入れそうだったので入って飲み物を注文してツメツメで座りました。

私は「Perl入学式交流会」と銘打って、明日の「Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014」に向けて、東京・大阪・福岡のPerl入学式のスタッフが集まって飲むという感じで盛り上がりました。

Hubにぎっしりと詰まったPerlプログラマー達のものすごい人数と熱気から、なんかここには書ききれないくらいの体験が押し寄せてくるから、本当に年に一度のYAPC::Asia Toktyoはすごいなって感じ。

前日はすぐ帰っちゃったので、1日目は終電ギリギリまでHubで飲みまくりました。楽しかった。

結局、終電ギリギリまで飲んで電車に乗ったのですが、渋谷駅からのJRが遅れていて、代々木駅の大江戸線最終電車に乗り継げず、途中からタクシーでの帰宅となりました。3000円くらいかかったけど、年一度のお祭だから良し!東急で渋谷に向かっている途中で、思わぬ人と遭遇して面白い話が聴けたので、それもまた貴重だしYAPCだなぁと思わされました。

2日目へ続きます。

YAPC::Asia Tokyo 2014 前夜祭 #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014の個別記事、前夜祭編。書こう書こうと思っていていたら、いつのまにか約2ヶ月経ってしまって(開催は8月末で、ブログを書いているのは10月末)。だいぶ忘れかけている。だけど書きます。

この記事は 2014年8月28日(木曜日) に行われた YAPC::Asia Tokyo 2014 前夜祭編。その他の YAPC::Asia Tokyo 2014 関連記事は目次ブログ記事からどうぞ。通して参加した上での感想はだいたい目次ブログ記事に書いてあります。

入場まで

17時過ぎに会社を出て、丸ノ内線から副都心線に乗り換えて日吉の会場へ移動。他にもYAPC行くよっていう社内のエンジニアはいたのですが、前夜祭は行かないっていう人とか、仕事が大変で今日は…という人が多く、結局一人で会社を出ることに。

だいたい18時ちょっと前に会場に到着。会社を出るのが昨年に比べて遅くなったのですが、18時会場、18時30分開始なので、まぁ余裕がある範囲。

日吉駅を出て会場に向かう間に @htk291 さんにお会いしました (YAPC::Asia Tokyo 2014 感想 – 仮契約のエンジニア)。2007年からYAPC::Asiaに参加していましたが、2011年から本格的に各地で露出しはじめたら色々と顔を覚えてくれる人が多くて本当に嬉しいです。

昨年も同じ会場だったので、迷うことなく移動できました。入口にはファニーなイラストの看板も。

Welcome to YAPC

お祭り感を感じさせます。

今年は入場を急いでいたので、入場受付の写真を撮り忘れていました。といっても、あまり熱心に写真を撮る人ではないんですが、やっぱり最近は写真が残っていると思い出も残るよなって思います。

同窓会なYAPC::Asia

会場に入ってみると昨年以上に知っている人が多く、色々と挨拶したりされたりといった感じ。自分も2011年から各所に顔を出すようにしたり、コミュニティも成熟したりといった要因なのでしょうね。だからといってコミュニティへの新規参入への障壁をあげてはいけないとも思います。バランスが難しい。ぼっちを作らないといった部分も心がけないといけない段階かもしれません。

今年も出ました無限ビール、そして数々の無限シリーズ

昨年もイベントホールでは様々なものが出ましたが、今年もたくさん出ました。会期通して何が出たかは目次ブログ記事に書いてありますが、前夜祭で夜に到着した時にも、ビールやらつまみやらかき氷やらが配られました。大盤振る舞い!

無限にある飲み物1

無限にある飲み物2

こんな感じで、ビールを始めとした様々なアルコール飲料から、ソフトドリンク、そしてミネラルウォーターまで、飲み物が大量にありました。

そして2枚目の写真の遠くに見えるアイスボックスが、今回話題になった「DMMかき氷」。これは会期を通してとめどなく振る舞われ続け、DMMはかき氷の会社と言わしめた今年の名物となりました。例年の8月下旬の東京は灼熱地獄のまっただ中でかき氷はヒットするかと思われましたが、今年の8月下旬は一気に気温が下がってしまい(とはいっても汗ばむ暑さではありますが)、かき氷欲はそれほどでもなくなってしまったのが残念なところ。

とはいっても、味はラムネとストロベリーが絶妙で、とても美味しかったです。

席に座って何を取りに行こうか迷っていたら、スタッフの方からビールとかき氷とおつまみを配られました。これほど贅沢なカンファレンスはあるでしょうか。

もらったビールとかき氷

DMMかき氷近影です。

今年の前夜祭は「欲しいものは作ればいい! 〜Webアプリ10連発〜」

昨年度は「LTソン::Tiny」と銘打ったLT連発形式でしたが、今回は以下のような選りすぐりの10分トークの連続となりました。

ビールに始まる無限シリーズや様々な方との懇親に気を取られて前夜祭LTのメモを全然取っていなかったのですが、印象に残っているところを書き留めておきます。

@yusukebe さんのオープニングからいよいよYAPCがスタート。いやがおうにも高まります。

本トークに落選したものの、結局的に3日間どこかの壇上に上がり続けることになる「今年のYAPCのもう一つの顔」とも言える @__papix__ さんの GeekDojo の紹介がトップバッター。

純粋な技術面で面白かったのは「プライベートで3年間チーム開発をした話」(ストーリーボード)と「クイズを支える技術」ですね。

ストーリーボードは前からチラチラと知ってはいたのですが本当に良く出来ていて、Google Waveがたどりつけなかったリアルタイム編集の一つの形がこれなのかなと思わせるものでした。その内側、またそれを開発するための流れといった話はとても参考になりました。

「クイズを支える技術」はクイズ○ービーなどのクイズ番組の演出をどれだけ最新のIT技術で再現するかといった無駄な努力(褒め言葉)がとても面白かったです。とはいえ、トーク内ではその技術要素についてほとんど語られることがないという、聴講者の想像力をかきたてるトークではありました。

開発モチベーションであるとかサービス運用・改善といった面では、wri.peの話とtogetterのトークが参考になりました。前者はネットで話題になっていて知っていた @masuidrive さんによるメモアプリ、後者は今やTwitterユーザの誰もが知っているところとなったツイートまとめサービスです。

@syachi さんのゴミ収集カレンダー。Hokkaido.pm Casual発で本トークに応募したものの落選してしまった実地サービスでしたが、この場で聴講することができて本当によかったです。

前夜祭はほぼ時間通りに終わり、会場から撤収。

会場の入口付近には、これから飲みに行こうという人がたまっていたのですが、大人数で押しかけても入れるところは無さそうだし、明日も朝が早いので体力も温存したいしということで、少人数でさっと食事に行くことにしました。

その後

4人くらいで日吉の駅の反対側に行ってうろうろして、入ることができた洋食屋で軽く食事をしました。

誰と行ったのか記録していないので、記憶が定かではないのですが、確か @dokechin さん、@tsucchi さん、@htk291 さんと一緒だったかなという記憶。もしかしたら別の記憶とごっちゃになっている可能性もあります。間違っていたらごめんなさい。

ともかく、明日もあるし無理せず帰ろうということで、比較的早い時間に帰りました。

帰宅してからTwitterを見ていたら、みんな前夜祭からHubで夜遅くまでフィーバーしていて、元気だなぁって思いながら見ていました。どうやら前夜祭からHub貸し切りっぽかった?その元気さがあれば飲み会に行けるのにと、多少のうらやましさを覚えました。

明日が楽しみで「遠足前日に眠れない子供」状態になりかけていたのですが、2時過ぎに就寝。

1日目に続きます。

YAPC::Asia Tokyo 2014 に参加してきました #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

そうです「ブログを書くまでがYAPCです」なのです。少しずつ書いています。

今年2014年も、8月28日木曜日から8月30日までの3日間、日本最大・世界最大級のPerlのお祭りである「YAPC::Asia Tokyo 2014」が行われました。

思ったことを全部書き始めようと思うと書く時間も文章も長くなるので、まず最初はこのサマリー記事を書いたあと、各日程に行われた個々のトークの感想を書いていきたいと思います。これは昨年の自分自身のフォーマットを真似ました。

このブログ記事は上記ブログ記事のまとめ記事でもあり、個々のトークや各種イベント枠以外のところにフォーカスを当てた記事です。あまり他の #yapcasia 関連ブログ記事で取り上げられていない部分かもしれません。

自分のYAPCと今まで

2007年から毎年参加して今年で7年目。「YAPC::Asia Tokyo」という名前では2006年から行われているので、結構な古参なんでしょうか?

2003年からPerlを書いている私ですが、それでも2010年までは怖かったり恥ずかしかったり人見知りだったり、外のコミュニティと積極交流することが無くて、Perlのスキルというのは全然伸びませんでした。業務ではひたすらmod_perlを使っていたので、書籍をむさぼり読んで、その知識だけは伸びたという感じ。YAPCで話題になるその年その年のPerl界隈の流行(PlaggerとかWAFとかMooseとかORMとか)には正直リアルタイムでは全然ついていけていません。

2011年からようやく地域pmに顔を出し始め、YAPCが同窓会のような場所になりはじめました。知っている人が少しいるだけでも、その知っている人から推移律のように顔見知りの人が増えていくという相乗効果。ぼっち参加でこの規模の会場に投げ込まれての交流は、今でこそ工夫されていたりコミュニティの成熟などもあって難易度が低くはなったものの、2010年以前はShibuya.pmがあって…あとは…って感じで、相当切り込んでいくぞっていう意思がないと、コミュニティに入りづらい感じはあったんじゃないかなと思います。少なくとも2010年までの私にその勢いがなかったのは悔やまれます。

2012年と2013年はmod_perlでYAPC::Asia Tokyoの壇上にも上がることができました。スピーカー側になって、さらに違った楽しみ方ができました。今年は残念ながらトークは落選してしまいましたが、それ以外の楽しみ方を満喫できたので結果的に大満足です。

私とYAPC::Asiaという部分の2013年までの時系列の詳細は昨年のエントリを参照ください。また、各項目の振り返りや反省が活かされたかという部分も、昨年のエントリと対比して書いてみました。

2014年も無事にYAPC::Asia Tokyoを楽しめた幸せ

昨年のYAPC::Asia Tokyo 2013での、牧さんと櫛井さんによる運営から手を引く発言。それで2014年のYAPCはどうなるんだという不安がありましたが、2014年に入ってから @yusukebe さんが主催することが発表になり、またあの興奮が味わえるのかという感慨深さがありました。

前夜祭が開催されてから、1日目2日目と、本当に本当に楽しいことばかりでした。これは少しずつ書いていきます。アルコールで記憶が弱った部分もあるけれど、まだ熱気が冷めやらない。

前回からさらに進化したYAPC::Asia

会場は前回と同じ慶応大学日吉キャンパスの協生館でした。

ただ、新たな工夫が前回以上に随所にありました。

まずは @yusukebe さんがYAPC::NAに行って取り入れようと思ったという、数々の無限シリーズ

  • 無限ミネラルウォーター (これは昨年もあったけど、さらに無限度が増していた)
  • 無限コーヒー、そして無限ジュース (これが今回の核となるアイデア)
  • いたるところにあるお菓子 / Sweets at everywhere (Thanks to Booking.com !)
  • 無限かき氷 (DMMはかき氷の会社!)
  • Hub貸し切りと2日間各1000杯無料

無限かき氷、予想外に外が涼しくて捌けるのが大変だったそうだけど、味は美味しくて開催中2つ食べました。

それだけでなく、CONBUを始めとした各ネットワークスポンサーによる快適なWi-Fi。前回はメインホールに人が集中した時に切れることがあったりしたのですが、今回は全く切れることがありませんでした。CONBUスタッフの方のトークによると、なんと上流は10Gbpsだとか。そしてハードウェアは最小限にして大部分のシステムをクラウドに押し込めた作戦には驚嘆。Twitterによる実況だったり、GitHubを参照したり、カンファレンスネットワークの安定供給は年々求められています。そんな中で安定したネットワーク回線を供給してくれた方々には本当に感謝しています

そして海外ゲストによる英語トークの同時通訳。「同時通訳といっても、この場所では相当ニッチな専門用語が飛び交うだろうし、英語力ない自分でもトークとスライドに集中したほうがいいんじゃないかな」という当初の不安を完全に吹き飛ばすほどのクォリティの同時通訳でした。牧さんのツイートによると翻訳スタッフの一人に元プログラマーの方がいて、さらに事前にトークする海外ゲストとの打ち合わせも綿密にしていたらしいです。

無限シリーズともかぶりますが、イベントホールの配置から漂うアツいイベント感。昨年は「聴きたいトークに行けなかったり、聴きたいトークが無ければイベントホールに来ればいいよ」という部分があまり伝わらなかった気がするのですが、今回は大いにイベント感あふれる場所・ちょっとした時間に来たいと思わせる場所になったと思います。主にイベントホールを仕切っていた名司会者 @uzulla さんの功績は誰もが認めるところでしょう。

それにイベントホールといえば、無限シリーズを振る舞ってくれて我々を常に快適にしてくださったスタッフの方々、そして「Acme大全」「雅なPerl」といった名物書籍を物販してくれた @maka2_donzoko さんと @kaz_hiramatsu さんの雰囲気作りによるものも大きいと感じました。オライリーブースもそうですが、いつもは通路にあってなかなか慌ただしいこれらの書籍ブースが落ち着いたイベントホールに移動したのは、イベントホールを彩り豊かにする作戦として成功していたと思います。

ドラクエ的に言えば、イベントホールの前のほうは劇場、イベントホールの後ろのほうはルイーダの酒場みたいになっていた感じ。

イベントホールの後ろのテーブルは円卓で、リアル「円卓会議」も実現されていたようです。

一部ののPerlプログラマーの間で、Plackのような次世代を切り開く第一線のPerlハッカー達のネット上での議論の場のことを尊敬の念を込めて「円卓会議」ということがたまにあるのですが、そんな風景がリアルに実現してしまうのがYAPCのすごいところ。

この記事を書くまで結構なYAPC感想記事を読まさせていただきましたが、こういう当たり前に使っている有名なソフトウェアを作っている人達に会えて感想を伝えられるのもYAPC::Asia Tokyoのスゴいところですよね。

YAPCの醍醐味は交流、そして海外との接点

日本中からPerlプログラマーが集まってくるYAPC、上記や前のエントリでも触れていますが、やっぱり醍醐味は交流なんだろうなと思わされます。

色々な交流があると思います。

  • ネット上や地域pmに行った時に交流がある遠方のPerlプログラマーとの同窓会的な交流
  • 会うことが貴重な海外ゲストとの交流
  • 興味深い発表をしたスピーカーとの交流
  • 業界の著名人との交流
  • ぼっちの人を見つけて交流促進支援

自分自身が2010年までぼっちで、懇親会に来ても会社の後輩と固まって食事をして帰るだけという苦い体験を繰り返してきたので、ぼっちの人やあまり知り合いがいない人を他の人との交流に巻き込むということは昨年から意識して行っていることです。さすがに1000人以上いる参加者全てをフォローすることは無理ですが、自分が無理なくできる一定の成果は上げることができたかなとは思います。

「実際に会ったことがないけどネット上では知っている興味のある人がいる」「このプロダクトを作った人に興味がある」という話を聞いて、その人を見つけて懇親会やHubの場で引き合わせたりといったこともしました。「余計なお世話なんじゃ」ってことが頭をよぎることもありますが、ぼっちを脱して交流ができた人はみんな明るい顔になるのを見ているし、自分が逆の立場、つまり著名な方だと言われて引っ張られたらやっぱり嬉しいですよ。昨年の懇親会で「mod_perlの人来たよー」とか言われた時とか、本当に活動してきてよかったなって思いましたもん。

第一線の人だってそうなんだということは、@miyagawaさんのツイートを見て思いました。

私の実質的な対外活動のスタートが2011年7月のHokkaido.pm#5で、実家も北海道ということもあり、北海道、特に札幌周辺の人達との再会は2011年からのYAPC::Asiaの楽しみでありました。それがHachioji.pmだったりPerlBeginnersだったり、他の地域pmやPerlの勉強会にも参加するようになって、本当に大きな同窓会になりました。ぼっちを脱したいと思っている人は、YAPCよりももっと小さな場所を攻めて、そこから顔を広げるキッカケを作ってYAPCに行くのが絶対におすすめです。

今年度に入ってからは、Perl入学式の運営に近いところで活動をさせてもらったりして、オンライン上でしか知らなかった大阪や福岡のPerl入学式のサポーターの方々とも初対面も果たしました。今回はそういう人との初対面という楽しみもあったのです。

海外ゲストとの交流。昨年は自分の英語力の無さから臆病になって全然できなかったのですが、それを自虐的に表明したら実は海外ゲストは孤立しているし、それはそういう日本の参加者が多いからだと教わり、心を入れ替えました。

どこかのフリーザ様のオマージュではありませんが、私の英語力はTOEIC300点台です(遠い昔ですけれど)。でも、そんなことを理由に海外ゲストから遠ざかっちゃダメなんだ、もっと興味のあることがあれば自分から切り開いていかないとダメなんだと痛感しました。

「日本人は読み書きならできるんだし」とも教わり、じゃぁ筆談だ!ということで今回はペンとノートも持参して活用しました。またGoogle TranslateやiPhoneに入れた英和辞書など、様々なツールを駆使しました。今回はヨーロッパからの参加者が多く、クラシック音楽つながりでヨーロッパが大好きな自分としては、その思いを伝えたいということもありました。

2日目のHubで「I love German! Becuase I like classical music, especially Beethoven and …」といった時にribasushiさんが第5交響曲(運命)の冒頭のフレーズを口ずさんでくれた時には「あー、プログラムもそうだけど、音楽も世界共通語だったわー」ってちょっと目が潤みました。その後「Do you like Bach?」って聞かれて、さらに会話が弾んだり。

1日目のイベントホールで休んでいたらBooking.comのFiona Wangさんと話す機会があったので「オランダに興味があるし、自分が好きなドイツも隣で近いし、行けるものなら行きたいです」といったことを英語で言ったらリクルーティングモードに入ってしまったのですが、そこは私の英語力がもっと上がってからチャレンジしますと答えておきました。

今働いている場所の良し悪しとは関係なく、海外で働くことは桁違いの人生の「体験」になると昨年くらいから思っています。若い頃から英語は嫌いだったし、海外への興味なんて全くなかったのですが、昨年くらいからかなり考えが変わってきています。

今年のキーノートでも「ロールモデル」というものが話題になりましたが、恐れ多くも私はmiyagawaさんのような働き方や生き方に憧れています。miyagawaさんのスキルや知名度というものに到達するのは半ば無理ゲーだし、どちらかというと自分にとってのスキルや知名度は働き方や生き方を実現するための手段なのかなって。でも海外で働くとかそういう部分は貪欲に攻めていってもいいんじゃないか。たとえそれが実現できなかったとしても、そのための努力は決して無駄にはならないでしょう。

物ではなく体験を買えとはよく言ったもので、大きな体験は大きな人生の豊かさをもたらすと思っています。そのためには英語も勉強して好きになるし、手段としてのスキルも身につけていく、そういう攻めのスタイルを加速させたいと思ったのも今回のYAPCでした。

2010年までの反省からも、人との出会いや再会、これほど人生の良い体験は無いとすら思っています。そして新しい出会いから生まれる、さらに新しい体験の数々。そういうことを考えると、どうして20代の頃は対外活動をしなかったんだろうと思うとともに、「なにごとも遅すぎることはない」という言葉を教訓にこれからも頑張りたいです。

Perl入学式 in YAPC::Asia の試み

今年はトークに落選した代わりに「Perl入学式 in YAPC::Asia」のサポーターとして参加しました。この試みは2年目で、昨年は少し見学した程度でしたが、今年はトークを聴講するよりも自らの体験を増やそうと思っていたので、すぐさまサポーターとして名乗り出ました。

当日の準備や2時間30分のサポーターなど結構大変な部分もあったのですが、@__papix__ 校長やイベントスタッフの方々に比べたら大したことはないでしょう。

プログラム言語のカンファレンスともなると、初心者お断りといった雰囲気を漂わせるものもありますが、このPerl入学式の試みは「誰にでも開かれたYAPC」という印象をYAPC::Asiaに根付かせることへ一定の成功を収めていると思います。実際会場でも、職業プログラマー以外の趣味プログラマーや初学者にお会いする機会が結構あり、それがPerl入学式 in YAPC::Asiaがきっかけだったという話を聞くと、サポーターとして参加している自分としても嬉しい気持ちになります。

Perl入学式 in YAPC::Asia の詳細については、2日目の記事に書きたいと思います。

国際的コンテンツ @__papix__ 画像について

今年のYAPC::Asiaの顔は主催者である @yusukebe さんであることに異論はないですが、違う意味での「顔」となったのが @__papix__ 氏。

前夜祭のLTのトップバッターを務め、1日目のLTに登壇し、2日目に「Perl入学式 in YAPC::Asia」の講師を務め、3日間どこかの壇上で話しているという事実。本人が2つ応募した本編トーク両方が落選したものの、結果的には壇上で多くの聴衆の目に触れることになりました。

さらに、彼の画像を使ったスライドのネタが多発するというのが今回のYAPCの特異なところでした。前夜祭では連発され、1日目LTでも登場、そして2日目LTではSawyer X氏までが使いこなすという事態。

これを見た @__papix__ 氏は

といい、その結果に対して @yusukebe さんは

と評論しました。

スタッフとしてスピーカーとして3日間どこかで登壇しつづけていた @uzulla さんのような例もありますが、また別の角度から「今年の顔」となった @__papix__ 氏。まさに「国際コンテンツ」です。

前夜祭から笑わせてもらいつつも、内輪受けだと思われると嫌だなぁと思って、あのコンテキストがわからない方へ簡単な解説を書いておきたいと思います。

大阪での学生時代から @uzulla さんにかわいがられていた @__papix__ 氏でしたが、@uzllla さんは頻繁に彼の写真を撮り、そして @__papix__ 氏の同意を取って「これはフリー素材である」として彼の写真をTumblr PAPICS にコレクションしはじめます。主にHachioji.pm界隈で使われだしたこの使い勝手のよい「画像コンテンツ」は、ついには @yusukebe さんが @__papix__ 氏に依頼をして正式な撮影の場を設けるなどして、 @yusukebe さんや @uzulla さんによる共著にも使われることになり、それによってさらに「画像コンテンツ」として一部界隈で有名になっていきました。

彼の味のある風貌や、ネタとして使い勝手のよいポーズの数々など、その汎用性の高さから、一部界隈で素材として重宝がられ、このYAPC::Asia Tokyo 2014で「爆発」したとも言えます。

@__papix__ 氏自身もフリー素材とは言ってくれてはいますが、今の世の中は肖像権があったりするし、使い方によってはコンテキスト的に誤解を生む場合もあるかもしれないので(そこは結構心配しています)、彼の知らないところでもしあなたがスライド等でPAPICS素材を使う際は、是非 @__papix__ 氏とコンタクトを取ってあげてください。商用利用の場合は交渉必須。

みんなを笑顔にする素敵な写真の数々、ありがとうございます > @__papix__ and @uzulla

YAPC::Asiaのこれから

クロージングで、来年のYAPC::Asiaについてあえてボカした @yusukebe さん。来年もやってくれるという気持ちもあり、万が一やってくれなかったとしても絶対に誰か意思を引き継いでやってくれる人がいると、今はそう感じます。JPA自体が可能な限りのYAPCの運営サポートをしてくれることもあるので、今より小規模になったとしても細々と継続して行われていくことに意義があるんじゃないかとすら思えます。

この辺りは2013年までYAPCを支え続けてきて、今年もサポーターやスピーカーとして多大な功績を残した牧さんのブログエントリが参考になるんじゃないでしょうか。

今までのPerl、これからのPerl

今年はトーク応募時点で全然Perlのトークがないと言われて来ましたが、蓋を開けたら半分はPerlの話だったりPerlと密接な話だったりして、やはりPerlのイベントなんだという印象です。でも、他のプログラム言語だったりインフラといったジャンルに対する垣根を作ったりしない部分も今年は例年以上に際立っていて、そこに対して多少の賛否両論もあったのですが、杞憂だよなぁというのが自分の考えです。

昨年はPerl FUDが吹き荒れた年でしたが、今年は目立ったものがあまりありませんでした。なんとなく「ある程度のスケールまで行くと使うプログラム言語は関係ない」「今のPerlは昔のPerlとは違う」といった認識が広がっているのかなとも思いました。

Perlはこれから爆発的なブームは生まないかもしれませんが、後方互換性を重視した姿勢が再評価されたりする時代が来そうな予感もします。それは、今イケていると言われている言語が後方互換性を気にしない姿勢による「バージョンアップ疲れ」みたいなものから発生するかもしれないし、ISUCONなどでのPerlの速度的実績が取り上げられて再評価ということもあるかもしれない。

また、ここ数年はPerl入学式PerlBeginnersといった初心者向け勉強会が豊富に行われて、他の言語よりも学びの場が多いという初学者からの話も聞いたりします。それになにより、今のPerlのコミュニティは言語コミュニティとして成熟していて、昔より開かれており温かい。そういったコミュニティの数々も評価される時代がくるんじゃないかと思います。

様々な理由や努力があるとは思いますが、どのプログラム言語の国内カンファレンスよりもYAPC::Asiaが大きな規模といったことが、国内でのPerlの活発さを物語っているのではないでしょうか。これからもPerlは他の言語の良いところを吸収しつつ、逆に他のプログラム言語やインフラへPerlの良いところを伝えていく時代がくるんじゃないか、今年のYAPC::Asiaを聴講してそういう期待が一層強まりました。

個別のトークの話をほとんどしませんでしたが、かなり長くなったのでこの辺で終わりにします。

1日目のトークのブログ記事へ続きます。