2015年に目指すべきもの

おがた (@xtetsuji) です。

新年初のブログ記事です。これ、例年書いているので今年も書きます。

1月も半分が過ぎてしまいましたが、昨年末から1月上旬は同窓会タスクでめまぐるしかったんです。同窓会話については興味深いことが多いので、また別のエントリで書きたいと思っています。

さて、2014年年始に掲げた目標はどれだけ実現できたでしょうか。

  • 執筆業に進出する → ×
  • ピアノを習う → ×
  • 勉強会などのイベントを盛り上げる → ○
  • 軸足をOSSのITエンジニアに置きつつも、視野が広いバランス良い勉強をする → △
  • お金を稼いで好循環を回す → △
  • 仕事とコミュニティ活動の相乗効果 → ×
  • とにかく健康 → ×
  • 生活力向上、炊事・洗濯・片付け力の向上 → ×
  • 海外に目を向けて国際的な感性を養う → △
  • 趣味を楽しみ、好きな人を応援する → ○

ほとんど実現できていない。

2014年は、2013年末からの胃潰瘍入院をひきずったまま、1月風邪&インフルエンザ、そしてfonfun退職、2月病み上がり直後のWano入社、仕事忙殺(特に6月と9月)、体調悪化、8月YAPC、11月末のWano退職、12月の静養と事務、みたいな感じでした。言い訳っぽいものの、2014年は結構大変だった。気力も体力も精神力も枯渇気味だったので、一日一日が精一杯という感じ。

2014年についての私の詳細は「2014年を振り返る」が詳しいです。

まずはマルのほうから。

「勉強会などのイベントを盛り上げる」は、主にPerl入学式PerlBeginnersで果たせたかなと思っています。Perl入学式ではサポーターだけでなくコアメンバー入りして運営周りも手伝うことになったり、11月の「Perl入学式 in東京 第4回 「サブルーチン(関数)/正規表現編」では、4時間通しで講師をしたりと、充実した一年でした。またPerlBeginnersでは副主宰者として、主宰者の @ytnobody さんと一緒に運営側の心得といったことを勉強することができました。年末のPerlBeginnersには行けませんでしたが(懇親会には駆けつけました)、行った方へは来年からの新体制について発表があったようです。こちらからも頃合いが来たら正式に発表しますので、よろしくお願いします。

 「趣味を楽しみ好きな人を応援する」は、各所に少額の出資をしたりといったことで多少は実現できたかなと。細かい部分を話すと長くなるので割愛させていただきますが、2014年のここ部分を今年2015年も伸ばしていって、一定の成果が出たらブログに書いていきたいと思います。また、2015年になってから気がついた「応援すべき人」というのもあったりして、これからも良い意味で忙しくなりそうです。

バツのほうはざっくりと。

「執筆業」については一部で話をいただけたりして、実際に共著で出版社の編集者の方とお話する機会もあったりしたのですが、なんだか立ち消えになってしまって難しいものだなと感じました。「ピアノ」は部屋さえ片付ければすぐにでも買って部屋に入れられるので、「生活力向上」から努めて、引っ越しなどの抜本的解決策も考えつつ進めていきます。そのためにも「健康」には気をつけないといけませんね。

Wanoが金銭的厚遇をしてくれたことと、前職10年からの転職で新しいことを次々と経験できたこともあり、忙しい中でも仕事で得られる「勉強」はできて、金銭的に多少温まって「貯金ができた」ことは良かったです。あとはオープンソースソフトウェア開発と絡めた自主的な勉強の時間を割くことと、もっとお金を好循環に回すことが課題でしょうか。幸い、忙しい中でも YAPC::Asia Tokyo 2014 にはフルで参加することができて、海外ゲストとも例年以上の交流ができたのは良かったです。まだまだ英語力不足は課題ですけれどね。リジェクトコンも記憶に新しいです。

というわけで2015年はこうしたいというものを列挙していきます。

インプットとアウトプット、読書と執筆、自主学習と教育活動

昨年はインプットもアウトプットも少なかったので、今年はバランスよくどちらも伸ばしていきたいという気持ちです。

読書と執筆もインプットとアウトプットの一つ。執筆とは、ブログだったりその他媒体への文章寄稿も含めてです。紙の書籍への敬意はあるので、一度は紙の出版物での執筆をしてみたいのですが、それも能力次第ですので頑張ってレベルを上げたいです。同人誌とかにも進出してみたいな。

昨年は会社の仕事で手一杯で後手に回ってしまった自主学習も進めていきたいですが、Perl入学式などの教育活動にも注力していきたいです。当初はバイトで予備校講師っていうのも面白そうだなと思ったりしたのですが、やはり自分は心から勉強したいと思っている人を相手にしたい。予備校講師はまだ良いほうかなと思うのですが、小中高校教師は自分にはめげてしまいそう(といっても大学時代に教員免許は取り損ねましたが)。

そう、アナウンスがありましたが、2015年の「PerlBeginners」にもご期待下さい。2014年は仕事の多忙や体調不良であまり参加できなかったその他の勉強会にも、運営側・参加者側の両方で積極的に参加していきたいです。新しい勉強会やミートアップもいくつか計画中です。1月7日に行わて盛況だった「ゆるいITべんきょうかい in 帯広」の今後にも期待ですね。東京だけでなく、出来る限り帯広や他の地域のIT業界も盛り上げていきたいと考えています。

その他にも、数学関連の勉強会、子供を対象とした理数系情操教育、プログラミング言語Perlの教育法の研究などについても着想があるので、自主学習と教育活動を進めていきます。

ピアノ、作曲、クラシック音楽研究

「ピアノを買いたい」「ピアノを習いたい」と何年も言っているのですが、なかなかできずにいるのを今年は進めたいですね。どんなピアノの先生がいいかというのも、昨年までに出会ったピアノ関係の方に聞いて解決していければいいなって思っています。

中学時代に楽理を学んで作曲をしていたのですが、本格的に再開する予定です。せっかくMac環境があるので、DTMなどの作曲手法を使って、動画サイトとかで作品発表をしていきたいです。

クラシック音楽はマイナーな作曲家がいっぱいいます。そういうなかなか日の目を見ない作曲家の曲を掘り起こして、その曲を研究したり、楽曲構造を音楽辞典のようにブログ記事などにして定期的に書いていければいいなと考えています。

せっかく得たIT知識をクラシック音楽と結びつけるのが今年の目標かもしれません。

英語力向上と海外への接点

昨年はYAPC::Asia Tokyo 2014で海外ゲストと積極的にコミュニケーションしましたが、すればするだけ英語力の低さに嘆くばかりでした。

やはりTOEICを英語力の指標として勉強を進めようと思ったりしています。TOEICは1社目で一度無理やり受けさせられて生き恥さらすことになったんですが、今はだいぶ状況が変わっているかなと。気持ちを切り替えて英語の勉強です。

あと、クラシック音楽に関連するのですが、個人的にはドイツという国が好きで、ドイツ語も細々と勉強し始めています。英語ほど身にはならないかもしれませんが、ドイツ語圏を旅行して使えるくらいにはなりたいです。ドイツ語は高校時代に趣味で勉強していて、その時は大学時代に第2外国語でドイツ語を専攻して得られる以上の知識を得られたので、年齢を重ねたあとの再チャレンジでもあります。

そして海外旅行をしたい。一人旅は寂しいし物騒なので一緒に行く人を探すというのもありますが、まずはお金ですかね。

創作やプログラミングに集中できる環境づくり

現状は、東京自宅は部屋も汚い、自炊環境も整っていない、洗濯機も壊れかけという状況。こういう状況は落ち着かないもので、昨年末に退職してから療養も兼ねて長期で実家に滞在していますが、ネット回線が極端に遅い以外は実家の静かな環境のほうが作業や思索がはかどるんですよね。自分の活動する拠点は、創作やプログラミングに集中できるよう、気を散らす要素を減らし、必要とあらば引っ越しもしたいところです。これもお金だ。

自炊環境といえば、料理環境を改善したいというのも昨年同様の課題。あとはもう部屋から物理的に要らないものはガンガン捨てていって、デジタルに置き換えられるものはどんどん置き換えて保管コストを減らすしかないですね。

みんなに使ってもらえる創作物作り

自分が仕事や趣味で作るプログラムは、たいてい書き捨てか、ニッチな領域のプログラマーに使ってもらう後ろ側にあるプログラムばかりでした。でも最近は、やはり多くの人に使ってもらえるものを作ったほうがいいなと思っています。

後ろ側のプログラムも大事だし、私の周辺のプログラマーは後ろ側の大事なプログラムを仕事でも書いている人達が多いのは事実なのですが、やはり表側のものを作るほうがITをよく分かっていない人にも自分のことがわかってもらえるとか、セルフブランディングに役立つとか、フィードバックというやりがいをもらえるとか、そういう良いことが多いのは事実です。

報酬をもらえる仕事は別として、個人で作るものに関しては多くの人に使ってもらえるものを作りたいというのが今年の目標です。それはコンピュータプログラムに限らないことかなとも思いますが、他に私が何を作れるのかというのは模索中です。器用に日曜大工もできるようになりたいですね。

奉仕活動と収益活動のバランス

「ボランティア活動」という言葉が使い古されてしまっている昨今ですが、昨年は各種団体への出資であるとか無報酬の教育活動だったりといったことをボチボチ行ってきました。昨年は時間が無く体調も悪く思った通りの活動がやり切れた感じはしないので、今年は時間を捻出して体調を上向けさせて、広義の奉仕活動をしていきたいと考えています。巡り巡って自分の属する何かへ長期的視点でそういう活動成果が出てくればいいかなという考えです。

奉仕活動をするためには元手が必要で、うまく収益活動を回すにはどうすればよいかも考えどころ。会社に所属して時間をうまく使いつつバリューを出して、奉仕と収益をバランスよく行っていければいいなと感じます。

今は無職ですが、次に所属する会社などが副業を許してくれるのであれば、もっと自分で稼ぐことも考えたいですね。経営学も勉強しなきゃ。

新しい体験を積極的にしていく

人間30歳を過ぎると、日々体験することが未知であることより既知のことが多くなります。それはそれで安全ではあるのですが、未知の新しい体験をしないと頭の活性化しないし、自分も成長しないんですよね。特に私の場合は「お金もかかるし」とか思ってそういうのに及び腰なのは反省しないといけないです。

育った家庭が貧乏だったということもあって、特に私は旅行をしないという悪い癖があるのですが、今年は多少お金がかかっても旅行をしたいです。旅は色々勉強になる。モノではなく体験を買えとはよく言われることで、今年は体験を買うことを実践していきたいです。それもお金か。

何も新しい体験は旅行だけでなく、新しい勉強会、新しい人とのつながり、新しいデジタルガジェット…、色々あります。一つでも新しい体験をして、自分の幅を広げていきたいです。

人と人をつなぐ活動

コミュニティ活動や勉強会活動といったことは上記でも書きましたが、やはり今年は「人と人をつなぐ活動」をしていきたいです。それは勉強会やミートアップでもあるのですが、それ以外の角度からもです。

新年1月3日に運営メンバーとして行った中学時代の同窓会はその一つ。なぜ人と人をつなぐのか、それは色々な回答があって私の中では私なりの答えを持っている現状ではありますが、それはおいおい書くことにします。

人と会社をつなぐ、転職活動といったものについても同様です。私は色々な体験や伝聞から、昨今の転職サイトといったものや転職エージェントというものに懐疑的な立場なのですが、現在の混沌とした就職市場から、もうちょっと良い縁故採用へ持っていけないかという考えを持っています。縁故採用はいわゆる「コネ」と言われて忌み嫌われる時代もありましたが、コネも実力という立場もあります。私は成長する中小企業と能力ある人を無報酬か安価で結びつける人となって、自分のいる業界を盛り上げていきたいと考えています。一部の教育活動はこの活動の前哨戦にもなっているともいえます。

今年は1月3日と12月30日に中学時代の同窓会があり、2015年は人と人をつなぐ場所にフォーカスした一年になるでしょう。より良い人と人との出会いをプロデュースできるよう、色々と頑張っていきます。

その他

前職を退職して時間的余裕ができたこともあって、他にもやりたいことは色々出てくるのですが、まずは盛りだくさんの上記を優先したほうがよさそうですね。

2014年はうまくいった部分もあれば、もっとうまくやれればよかったなと後悔することもあった一年でした。その反省点は上記でも述べました。

同窓会の成功、帯広の勉強会の盛り上がりと、2015年1月上旬のスタートはとても良いものでした。この流れで2015年を良い一年にしていきます。自分だけでなく周りの皆さんも幸せにしていければ、これ以上嬉しい事はありません。

2014年を振り返る

おがた (@xtetsuji) です。

最近は毎年恒例ですが、今年2014年を振り返ってみることにします。

退職して転職してまた退職した

今年は慌ただしかった年でした。

1月末に前職を退職して、2月に新しい職場に就職して、そして11月末に退職 (実際の退職日は12月12日) しました。そして12月に無職になって、初めて自発的に無職期間ができて(2003年4月から5月24日まで無職ではありましたが)、自分で年金や健康保険の手続きをしました。手続きが苦手だったのでなかなか勉強になりました。

前職のfonfunでは比較的自由な出勤体系と残業の少なさに助けられていましたが、Wanoでは部署によるかもしれませんが定期的に忙しく出勤体系も定時があり、特に3月と6月は案件が込み入って終電帰りも結構あったりと、一年でも自分的には大変でした。このご時世、もっと大変な人はそこらじゅうにいるとは思うのですが、私は他の人よりかなり疲れやすい人らしいので、通院も増えたりと体調を崩したり大変な思いもしました。

その分、Wanoは給与待遇では (少なくとも前職と比べたらかなり) 厚遇してもらったので、貯金もそこそこ貯められて、今回の静養期間の生活資金にできそうなのは幸いでした。

2015年3月末くらいまでは、これからどうするかゆっくり考えつつ、余った時間をPerl入学式などのコミュニティ活動等に集中に使おうと思います。

病気と通院と療養と

昨年 (2013年) 12月に2週間、急性胃潰瘍で緊急入院したあと、病み上がりで年末年始に帰省して2014年年始に東京に戻ってきたら風邪とインフルエンザのコンボで、Wanoの初出社日の前日までインフルエンザで外出禁止になってしまいました。初出勤日はもうフラフラ。

完全に病み上がりでの2社目のスタートとなりましたが、それをひきずって新しい仕事が始まってからもタバコの煙によると思われる呼吸器の不調による呼吸器科通院など、通院する病院が増えるばかりで健康とはかけ離れた2014年でした。

胃潰瘍の退院後の通院も月1回であって、退院半年目で胃カメラをまた入れられて、やっぱり苦しくて大変でした。入院時は毎日胃カメラだったのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるものです。

コミュニティ活動4年目

2011年7月から始まったコミュニティ活動も4年目。今年は競争率も高かったこともあって、YAPC::Asia Tokyo 2014 での「3年目のトーク」はリジェクトされてしまい、一時はこっそりとガッカリしていました。ただ、リジェクトコンが盛り上がったこともあって、年間を通して見たらまぁまぁよかったかなと思えます。

LTなどの10分未満の小規模トークを除くとを除くと、今年はまとまった時間のトークをほとんどしていなかった。2つだけっぽい。やはり10年ぶりの新しい2社目の環境で10ヶ月大変だったこともあるかなぁと思うのは、半分言い訳でもあり、半分本当なのかなと思います。

リジェクトコンは本当に盛り上がりました。ビールで酔ったあとで壇上に立って、スライドを出した後に「みんな、飲んでる〜!?」と叫ぶあのノリは、逆にYAPC本編ではできないやつなので、貴重な経験でしたし楽しかったです。

LTを含めた私のトークのスライド一覧はSlideshareの私のページを御覧ください。公開可能なものはここに公開されています。

PerlBeginnersでは、主宰者である @ytnobody さんと二人三脚になることで「副主催者」として司会などを担当させていただきました。年末のPerlBeginnersには私用で出られなかったのですが、懇親会には顔を出させていただいて、いつものなじみの方や驚きのゲストの方と交流できました。PerlBeginnersは色々な意味で面白い立ち位置のPerlの勉強会なので、2015年も色々な戦略で育てていく予定です。ご期待ください。

ブログに書き忘れたような気がするのですが、今年は4月16日の「Foursquareの日」にFoursquare Meetup 2014が行われて、@FKU さんや @koogawa さんを中心としたコアなロケーションベースサービスのアーリーアダプターの方々と交流ができて、Perlコミュニティとは違った方向の交流の広がりができたことは個人的に楽しかったです。

その他のコミュニティや勉強会への参加側としては、Yokohama.pm、Hachioji.pm、五反田Perl、Twilio API 勉強会、Mishima.pm、PerlCasual、Kichijoji.pm (miniも)くらいでしょうか。ほとんどPerlの勉強会なんですが、このあたりも来年は幅を広げていければいいなぁとも思っています。

Perl入学式の活動

これもコミュニティ活動の一つではありますが、2013年度の東京の第2回目くらいからサポーターとして参加しはじめたPerl入学式

Perlが好きだというだけでなく、もともと人に何かを教えたりという教育活動というのは好きだったということもあって、Perl入学式の活動には共感することとなり、2014年度は第1回目からどっぷりとジョインさせていただきました。

2013年度の最後の第6回補講 (2014年3月) は結構もりあがりました。サポーターとしては途中からの参加でしたが、一つのターンをやり遂げた達成感がありました。

今年度4月からはサポーターとしてだけでなく、スポットで講師を担当したり、オンライン上での運営メンバーの議論にもコアメンバーとして参加させていただいたり、つい先日2014年11月の東京の第4回では @__papix__ 校長の不在ということもあり、モバイルファクトリーさん (特に@karupanerura さん) の協力のもと、私が4時間まるまる講師を担当したり、普段は校長が担当しているような細々とした雑務をしたりもしました。改めてPerl入学式というのは大変だなぁということを実感しつつも、非常にやりがいのある活動だなとも思いました。

Perl入学式を通して出会ったサポーターや受講生の方との出会いの数々も素晴らしいものがありました。サポーターも受講生も、みんな目標に向かって頑張る姿は、いわゆる巷の「勉強会」とは形の違う熱気があります。

2015年の私は、Perl入学式の中でさらに違った役割も担当し始める予定です。これからのPerl入学式にご期待ください。

YAPC::Asia Tokyo 2014

上述の通り、2012年と2013年はスピーカーとして参加したのですが、今年はスピーカーとしての参加はできませんでした。その代わりに「Perl入学式 in YAPC」のサポーターを2日目の午後に担当することで、かなり貴重な経験ができました。

YAPC::Asia Tokyo 2013 については、長い感想エントリがあるので、そちらをご参照ください。

今年の終わりごろに「YAPC::Asia Tokyo 2015 が最後のYAPC::Asiaとなる」と発表されました。もうその日からが我々の YAPC::Asia Tokyo 2015 への準備の開始日なのかもしれません。

話題を呼んだ「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」

2014年6月8日に私が主催した「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」というイベントは、各方から物議をかもしたり話題になったり大変でした。600程度バズるほど多くの人の興味関心を引いたにもかかわらず、参加者は私を含めて10名という「明らかに近寄りがたいイベント」

なにせ、ATNDの説明の中に書いてある趣旨みたいな文章がギリギリ過ぎた…。これ、目立った段階で炎上しちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしていましたが、みなさん優しくて助かりました。

そこで、インデックスの倒産を機に、インデックスの本陣が存在していた三軒茶屋の「キャロットタワー」の上階で、日曜日の昼下がりからワインなどを飲みながら、当時を闘いぬいたシニアエンジニアたちが語り合う会を開きたいと考えています。

変に要約したら「企業倒産を機に、その企業の上階にあるレストランで食事しよう」と読めそうなギリギリな文章。そんなつもりはなかったんですが、そこが多くの人の興味をひいたのかも。

当日の記録はブログに書いてありますので、興味のある方は読んでみてください。非常に示唆に富んだ会になりましたが、スライドはとても公開できるものじゃありませんでした久しぶりにスライド非公開事案になりました

趣味のプログラミング開発

会社では2月から11月末まで業務プログラミングで様々な体験をさせていただきました (退職エントリを参照)。差し支えない範囲で業務で培ったノウハウを出していきたいと思うのですが、在職中は忙しく、また12月は脱力していてなかなかできていなかったのが心残りです。

趣味のプログラミング開発では CPAN にアップしたモジュールの手直しをしたりしましたが、あまり大々的に公開系のものを作れなかったのは今年の反省点です。仕事が忙しくて時間的にというよりも、体力的だったり精神的な余裕がなかったんだなと思います。やる気だったり思考力や集中力が枯渇しているのが自分でもわかるほどでしたが、こういうときはどうしようもないこともわかっていたので、静養できる環境を作って夜が明けるまで待つしかないんですよね。

基本的に趣味の自分のプログラミングスタイルは「自分がほしいものを作る」なのですが、自分のために作ったChrome拡張機能週刊アスキーのウェブサイトに掲載されて多くの人に使ってもらったのは驚きでした。今まで趣味で作るものは「プログラマーが使うプログラム」が多かったわけですが、一般ユーザの意見をダイレクトに聴けたのは新鮮でした。

自分が知らない赤の他人が使うことは全く想定していませんでした。Chromeストアにアップロードしたのも「自分がどこでも簡単に使いたい」という要望だけだったので。

それ以外については、書き捨ての一枚スクリプトを多く書きましたが、そういうのをモジュールに昇華できるパワーが2015年には湧いてくればいいなというのが願いですね。

実際そうなりました。

中学時代の同窓会計画

私の中学校の同級生が「同窓会したいねー」と何度か言っていたので、彼の背中を押したら同窓会運営活動を行うことになって、20年ぶりくらいの同窓会のための人探しを9月から行うことになりました。

基本的に現地での足で探す地道な作業は最初に言い出した彼がかなり精力的に担当してくれて、私は東京からデータを整備したりネットを使って事情通に話を聞いたり文章を書いたり店を予約したりといった遠隔作業でした。それでも20年ぶりくらいの同窓会で半分くらいは足取りがつかめて3分の1くらいは参加してくれる見通しなのは成果としてはまずまずかなと思いました。

今回の運営では、最近のIT業界で評判の良い構成である、Googleドライブをファイル管理に使って、Facebookの秘密のグループをグループウェアとして使う方法を取りましたが、これがとても成功しました。現在は9人のアクティブメンバーがFacebookグループにいてやりとりを行っています。

同窓会は2015年1月3日です。久々に運営や幹事っぽい立場で数ヶ月頑張ることを行ったので、2015年最初から楽しみです。

休息の12月

11月末に退職をして、12月の冒頭は疲れと心労で休んでいましたが、実質退職日の12月12日以降、12月中旬からは事務手続きに奔走することになります。

送別会だったり草の根の勉強会があったり、行きつけのカフェのクロージングパーティがあったり、休んだり動いたりの生活でした。

年末恒例の第九演奏会を入れたらPerlBeginnersとかぶってしまい、@ytnobody さんにわびて懇親会から滑り込みました。

そして少し早い帰省ののち、追い込みで同窓会活動のラストスパートをしつつも、例年通り平和に帰省して実家でこのブログ記事を書いています。終わりよければすべてよし!

来年は1月3日から私が運営メンバーの一人として奔走した同窓会が悠久の時を経て開かれます。2015年は最初から本当に期待と不安が交錯します。

2015年をどういう年にしたいかということについては、2015年の最初に書こうと思います。みなさん、良いお年を。

文章を書く苦手意識を乗り越えるまでにやったこと、そして乗り越えたあと

おがた (@xtetsuji) です。

最近「てつじさんって文章うまいですよね」と言われることが多く、なんだか驚いています。

確かに、2011年に「Hokkaido.pm#5」に参加して地方PM・勉強会登壇のデビューをしたあと、ブログを作って外に情報をアウトプットしたりオープンな場で積極的にトークをしたりしましたが、文章力だったりプレゼン力はやっと人並みというのが自己評価

特に最近では、Perl入学式で同じくサポーターをされている @note103 さんと文章力で並び称されることがあったりするのですが、@note103 さんは本職が編集者だし、それは恐れ多いとすら思っています。

自分自身、高校時代の最初までは、ほとんどといっていいほど文章を書けない・書かない人でしたそれは超がつくアレルギーの域ですらありました。

年末で、それこそ「文章を書く」時間もできたので、その文章が書けなかった時代から、それを乗り越えて自発的に文章を書くようになるまでにやったことを振り返ってみることにします。

書いてみたら単なる自分語りになってしまったので、年始とかで暇すぎる時にでも流し読みしてください

要約すると以下のようになります。

  • 好きなことを探してそれを表現しよう
  • 最初のアウトプットはハードルが高いけれど、それを乗り越えたらポジティブ・フィードバックが回り始める
  • 機会があればラブレターを書こう
  • 他人の文章を研究して文体模写や言葉遊びに挑戦してみよう
  • 抵抗がなくなったら多くの文章を書いて場数を踏もう

作文を全くと言っていいほど提出しなかった小学生時代

小学生になると、授業で文章を書くことも出てきます。国語以外の教科はだいたい定形文を書けば乗り切れますが、国語では作文というものが容赦なく襲ってきます。

小学生時代の私はどうしたかというと、ほとんどの作文を題名と名前のみで提出していました。本当に書けなかった。400字詰め作文用紙が目の前にあるだけで震えと冷や汗が止まらないくらいでした。夏休みや冬休みの読書感想文も書かなかったし、挙句の果てに卒業文集すら書きませんでした。先生から書けと言わて放課後残されても、絶対に書かないというか書けないということを繰り返し、先生を根負けさせ続けて作文から逃れていた小学生時代でした。

科学というか化学は好きだったので、元素記号とか化学式とか周期表とかモル計算とかは良く書いていました。英語も数学もわからず手探りでしたが、好きなものは手探りでもやってしまうものですね。

そう、なぜか小学校の卒業文集に私の作文が載っているのですが、あれは私の知らないゴーストライターによるものです

高校受験のための最小限の文章をやっとの思いで書いていた中学生時代

中学生になると、国語の作文以外にもそれなりに文章を書く必要が出てきます。

小学生時代は苦手科目も含めて自主的に勉強することをしてこなかったので、高校受験に備えて学習塾に入りました。

この頃から、国語以外でもそれなりの文章を書く必要が出てきました。

算数からバージョンアップした数学では、ユークリッド幾何学で「証明」というものが求められます。当時は加減乗除や方程式の計算は難なくできたけれど、まだ数学に対して特段の興味というものはありませんでした。とりあえず、「証明」は塾で習った定型文作成テクニックを使って乗り切りることができました。

科学好きだったので部活は科学部に入部。本当は化学をやりたかったけれど、先輩からの引き継ぎで生物をやることになりました。実験レポートは定型文や箇条書きだったりをやっとの思いで書いていて、学年が上がって後輩ができるにつれて後輩にまかせるようになったと記憶しています。どちらかというと、顕微鏡で微小生物を観察してその絵を描かないといけないのが絵心のない私にとっては大変でした。

中学校には「弁論大会」という行事がありました。名前の通り、自分の主張を壇上で弁論するものなのですが、当時主張らしい主張もなくて文章を書くのも精一杯の自分にとって、この弁論大会は苦行でしかありませんでした。しかも書かないと内申点が下がる。小学校時代のようには行きません。

この時代は環境破壊が中心的な社会的問題となっていて、非常に多くの生徒が森林伐採であるとか割り箸の消費といったことをテーマにした作文をしていました。弁論大会というか割り箸バッシング大会みたいで、当時文章が書けなかった私でも「それはどうなんだ」っていう気がしました。よくわからないけれど、たぶん問題はそこだけではないだろうと。

私はというと、マジョリティに染まりたくないという中二病的考えと文章が書けない病の合併症で、なぜか「世の中には自動販売機がたくさんあります。自動販売機はすごい」とただ最初から最後まで自動販売機をひたすら称えるだけの作文をした記憶があります。オチも何もない。そもそも文章が書けない中学生です。起承転結とかというものを考えることすらできなかった。

国語の文章要約なども含め、5教科は塾で教わったテクニックで乗り切りました。小学生時代のように黙殺して先生が根負けさせることができる作文は書きませんでした。

なお、中学生時代の卒業文集にはゴーストライターは現れませんでした。つまり私の作文は書かなかったから載らなかったという自然な流れとなりました。よかった。

塾のおかげでなんとか高校受験もうまく行って志望校に合格することが出来ました。

数学に目覚めてそれによって文章を書くようになった高校時代

10クラスあった高校に進学しましたが、私の入った1年J組には誰一人知っている人がいませんでした。同じ中学校だった13人の進学組も、塾で知り合った隣の中学校の人達もいませんでした。そういうことも重なり、私は初日に出席番号と席が隣接していた小野山という奴に声をかけて、次の日から小野山から執拗ないじめを一年間受け続けることになりました。クラスの他の人達は知らない人で貫かれ、クラスの彼ら彼女ら誰もが「私が非捕食者となっている厄介な生態系」に関わろうとはせず、見て見ぬふりをしました。

この「失われた高校1年」は、授業以前にクラス内で行われていた事のマトモな記憶がありません。執拗に首を絞められていたり、窓から突き落とされそうになったり、服を汚されたりしたトラウマだけが記憶に残っています。文章を書く書かないといったことを考える状態ではありませんでした。そのことについての詳細は、いつかブログに書こうと思います。

高校入学時に入部した化学部が校内唯一の憩いの場でした。英語・国語・数学・社会の成績が落ち続けていても、中学時代までに勉強した化学の知識と、化学部での体験で、なんとか化学だけは良い成績を維持出来ました。

高校2年時にクラス再編となり、小野山からは遠ざかりました。さらに中学時代に親しかった同じ中学校卒の事情通と再会し、そのことを話したことがきっかけで、学年全体での小野山包囲網ができたらしく、私はようやく普通の生活を取り戻しました。

高校2年になってから、まずは落ちた成績の補修から始めました。

色々と気分で、高校時代になってからは塾には入っていませんでした。とはいえ中学校時代の塾で勉強の仕方はなんとなく分かっていたので、手探りで進めていくことにしました。当然ながら国語は敬遠しつつ、まずは積み重ねが重要な数学から始めることにしました。この頃、三角関数と数列をひたすら勉強した記憶があります。多少「証明」に文章を書く必要がありましたが、ユークリッド幾何学ほどではありません。ここで多少文章を書いたことが「ザコ敵を倒して低いレベルを少し上げる」という体験になったと思います。

とはいえ、国語の授業は中学時代までのような「作文」をあまり要求しなくなったのは幸いでした。中学時代から英語の成績は芳しくないことに変わりはなかったのですが、国語の心理的負担がある部分減ったことは助かりました。古文や漢文は機械的に頑張り、現代文は何度も読むことで、中学時代の塾テクニックの応用で乗り切ります。

この頃、化学部と山岳部がトラブルののち融和し、同じ学年の山岳部の人達との交流がスタートします。その中に物理の秀才がいて、彼との対話の中で特殊相対性理論などを教わりました。それは非常に興味深い世界で、そこで繰り広げられている内容はまさに数学であり、化学から物理へ興味が移行していくことになり、ほどなく特殊相対性理論の道具となっている数学へ興味が移行していきました

授業で微分積分を学んだことで、初めて数学がとてもスゴイものだと感動(多くの人と逆かもしれません)しました。幸い、成績立て直し時に三角関数と数列を重点的に学び直していたので、高校2年の知識から高校3年の理系数学を自習することができました。特殊相対性理論で使われていたテイラー展開だったり、物理の秀才と意気投合して大学数学で習うような微分積分学まで学習の範囲を広げました。

まさにここまで来るとイプシロンデルタ論法であるとか、手探りで自分の言葉で証明という名の文章を書いて数学を論じていくことになります。それは純粋に数学、いや微分積分学が楽しかったから。初めて、学校で習うような教科や学問を自分の言葉で論じたいと思った瞬間でした。

化学への興味が減った当時の自分は、化学部では副部長として部長の実験の補佐をしつつ、お菓子を作って文化祭へ出品して実験費を稼ぐという役割になっていました。放課後は山岳部の物理の秀才と一緒に物理と数学に取り組む生活でした。その中で意見を交わすために、レポートを書きあって持論を展開し、そこで文章力を培ったのだと思います。また、部員がゼロになった数学研究部を引き取ることになり、そこで部長となりました。

高校3年になると後輩も入部してきて、化学部にも部員が入ってきました。

その中で化学だけではなく数学にも興味を示してくれる女子がいて、数学研究部にも入部してもらうことになりました。彼女は中学時代、市内の塾でトップクラスの成績を収めていて、特に国語が得意で、小説を中心としたかなりの読書家でした。

彼女の表現は面白いほど詩的かつ修辞法的技法に富んでいて、書いてもらった数学の証明を読んでいても、機械的な受験テクニックによって書かれた証明以上の面白さがあって、そこで文章の力を感じることになるのでした。

それに面白さを見出した私も、そういう修辞法的テクニックを真似て数学のレポートを書くことになりました。当時は恋愛的好意が曖昧であるまま、縦読みのような言葉遊びのトリックで、ラブレターのようなフレーズを隠した数学のレポートを書いて、それを彼女に読んでもらってどう受け取ってもらえるか試したりしていました。高校生にもなって中二病か!

よく大学数学でネタを作る人がやったりしますが、数式展開からもメッセージが浮かび上がるような題材も作りました。恋愛以前に、これは私に数学的にも文章力的にも力をつける大きな出来事だったと思います。

こういうのを見ると、当時こんなことやったなぁと思い出したり…。

最近はケータイメール時代からLINE時代になって、長い言葉や文章で愛を伝えることはすっかり無くなってしまった気がします。ラブレターなんて、気恥ずかしい時代遅れのことだとさえ思われていることでしょう。

ラブレターを熟考しながら紙に書くことは文章力が上がる格好の教材でしょう。なにせ人間の根源的欲求に近いわけですから。ただ、ネットによって瞬時に伝わる現代の短文メッセージ文化の中ではそういう機会を作ることは難しいことかもしれませんね。まだPHSが出始めたころのアナログ時代の古い人間だからこそギリギリできた文章力アップの手法なんだろうなぁと感じます。

数学を勉強しつつインターネットに出会った大学時代

数学科に進学したかったものの英語の成績が振るわず、北海道の数学科 (それは北海道大学ひとつだけなのですが) を受験することを高校3年時の担任が許可してくれなかったので、私は東京の私立大学の数学科に進学することになりました。これを私は「英語ができなかったので北海道から追放された事件」と呼んでいます。

大学の数学科の一学年は80人位で、数学科にしては男女比もバランスの良いものでした。ただちゃんと授業に出席する人は1割にも満たず、女子との出会いもほぼ無くなったので、数学でラブレターを書くことはなくなりました。

その代わり熱心に数学に夢を持っている同期と数学の議論をレポートを交わす形で行いました。高校数学を越えた数学手法で、それを取った理由であるとか、数学的帰納法の最終的な解を類推した経緯を書いたりすることは、まさに自分の言葉でした。大学の数学は計算ではなく証明の世界であり、高校数学から見ると哲学か文学をやっているような感覚でした。高校時代の延長線上で数学を道具として楽しみたいのであれば、物理学科にでも行くべきだったのかもしれませんが、私にとって数学科に行けたことは結果的に幸いだったのだと思います。それが物理学科より就職に不利である数学科だったとしてもです。

大学や、その後進学する大学院では、TA (Teaching Assist: 大学院生が大学生にゼミをすること) や大学内のコンピュータ部門のインストラクターをしたり、教育に近いことに関わることも多くなりました。

高校時代から数学研究部の部長として後輩に数学を教えたりしていましたが、教えるスキルは文章を書くスキルと似ていると感じることが多く、それも文章を書くスキルを下支えしたのかもしれません。

大学に進学してからインターネットというものに出会います。当時の私はプログラミングには全く興味はなく、インターネットは地元と安価に連絡できる手段として魅力的に映りました。そう、私の時代は市内通話3分10円、北海道への市外通話はとても高い、携帯電話も出始めたころでした。

電子メールは現代の手紙のようなものです。貧乏学生の私は、電話を使うことなく電子メールをひたすら書き続けることで文章力を付けていったのかもしれません。それも高校時代に文章を書くアレルギーを払拭できていたことがあってのことでした。

当時はまだ不特定多数へ文章で意図を伝えることに慣れていなかったため、メールであるとかウェブ掲示板やネットニュース (これも年齢がバレますね) などで、考えの行き違いから誤解を生んだりトラブルや喧嘩や疎遠になってしまったこともありました。それは文章力の足りなさだけでなく、当時の私が人の考えを慮るほどの成熟な考えを持っていなかったこともあるでしょう。

当時のインターネットのウェブサイトは、まだまだ表現力が乏しい時代でした。Netscape Navigator 3 時代で、メディアファイルで使えるのはJPEGがやっとという時代。この時代だから流行ったのがいわゆる「テキストサイト」というものでした。先行者の「侍魂」であるとか、そのあたりを知っていると年齢がバレるかもしれませんね。

テキストサイトはネタを膨らませて読者を笑わせるサイトが多かったわけですが、表現力の乏しさを補うために、font要素で色を付けたり文字を大小させたり、brで大量の改行を作ってページに空白部分を作ったりといったテクニックが常套手段となっていました。テキストサイトは面白くありますが、これは文章力だけの面白さじゃないなとも思い始めます。それはある種のプレゼンテーションスキルとも言えるわけで、一概に否定できるわけではありませんが、もっと純粋に、「テキスト」サイトなのですから「テキスト」だけで勝負できないものかと思っていて、当時出会ったのが、今ではデイリーポータルZの編集長として有名な林雄司さんによる「Webやぎの目」というサイトでした。

当時の「Webやぎの目」は「やぎコラム」(いまは「やぎポエム」)という名前で、ほぼ毎日更新されていたのですが、それは文字装飾などを使わず、原則的に4段落で起承転結を踏襲するというある種ストイックな「形式」の中で人を楽しませる非常に秀逸な文章でした。当時の私もそれに影響されてウェブサイトを作って、人に隠れて自分も毎日そのフォーマットを踏襲して大学時代ずっと文章を書いてサイトにアップしつづけました。ブログが一般化するのはあと数年待つ必要がありました。

その自分のサイトは、高校時代の友人達にはウケて毎日読んでもらえるようなサイトとなり、面白いと言ってくれると喜んで、また毎日書く原動力となるという好循環を生んでいました。今の時代でもできることですが、毎日特定のフォーマットに従って文章を書くという習慣をつけることは文章力を上げるための良い方法だと言えるでしょう。

また、林雄司さんリスペクトではありましたが、そのサイトを更新している間は毎日面白い出来事を探すということが習慣化されていて、それは心にも良い影響を与えていたと思っています。

社会人になってしばらくしてから、多忙になってサイトの更新を止めてしまいましたが、今でもまた再始動してみたいとすら思っています。再びウェブサイトでアウトプットを始めるのは2011年のブログ開始からでした。

その他に、数学のインカレサークルで活動していた縁でコンピュータが苦手な人の数学の論文をLaTeXという数学組版ソフトに落とす仕事を行ったり、編集者っぽいこともしていました。

大学院の数学はやればやるほど大変で、当時の私には楽しさを見出す余裕すらなくなってしまいました。その中で大学院生室のサーバ管理者をやることになって、そこで得たサーバ管理のスキルを使って卒業後に働き始めることになりました。

社会人になってから

大学院を卒業して2ヶ月後、当時のネットビレッジ  (今のfonfun) という会社でアルバイトを始めることになりました。就職活動をしていませんでしたが、拾ってもらって助かりました。当時はまだネットベンチャーは今ほどメジャーな存在ではなく、アルバイトから拾ってもらうというのも特に抵抗はありませんでした。特に大企業志向があったわけでもなく、サーバ管理者の技術で食いつなげばいいやという甘い考えでした。

社会人になると各種文章を書くことが一種の仕事となります。事務スキルの一つとも言えます。

当初はサーバ管理者として頑張ろうと思っていたら、結局はサーバ管理者としてのスキルが低いということで、まずは下積みとして社内情シスをしていました。教えることが得意だったので良い仕事でした。その中でチュートリアルなどの文章を書くことも出てきました。

また社会人ともなると、対外的に書く文章と内部的な文章の違いを意識して書くことが多くなってきます。そういうことに気をつけつつ、あたかも他の人が書いたような文体模写的なことも意識してやったりすることがありました。これは以前から細々とやっていた文章遊びみたいなやつです。文体模写するためにはその対象の文章を読んで特徴をつかむ必要があって、それによって文章の違う側面からの書き方を学ぶことができたりして良い経験になりました

その後はひょんなきっかけでプログラミングをすることになって、ウェブプログラマーとして働くことになりました。

このころは技術書をひたすら読み漁って知識を吸収する時期でした。あまり読書しない人ではありましたが、この時期は相当読書していました。やはり人の文体を意識しながら書籍などを読むことで色々な勉強になります。和訳の技術書の癖だったり、そういうのを読んで、あえて英訳しやすいように和訳の技術書のような文章を書いたりすることもありました。

後輩ができてからはWikiを作って、そこにひたすら文章を書いていきます。ここでだいぶ文章を書く場数を踏めました。やはり場数を踏むしか無いんだろうなとは、今振り返っても感じるところ。対外的にアウトプットしていくのは2009年9月のTwitterアカウント作成から2011年のブログ作成まで待つ必要があります。

2010年に一度個人的事情で人生窮地に追い込まれてから、これではいけないと2011年から対外的活動を始めました。ブログを作って、Hokkaido.pm#5 のトークデビューをきっかけに多くの人に見てもらうためのスライドを作ってプレゼンテーションをしていくことになります。その後もPerlを中心とした勉強会や話題で、ブログ、スライド、プレゼンテーションを繰り返していって、ようやく人並みに近い文章力が身についたのだと思います。

その流れでPerl入学式に出会い、Perlの教育という目的に賛同することとなります。最初はサポーターとして活動していましたが、徐々に講師であったり広報っぽいことだったりと、色々なことを体験させていただいて今に至ります。2015年もPerl入学式を広めてオープン系ITエンジニア業界を盛り上げていくために、文章を書いたり、様々な施策にチャレンジしていこうと考えています。ご期待ください。

それでも、2014年年末の今振り返っても、私の活動は知人のITエンジニアの方々に比べたら全然足りないほうだなと反省することが多かったです。今年は病気や転職や仕事の多忙や退職などをはじめとして自分的感覚で慌ただしい年ではありましたが、アウトプットだけでなく、様々な事情で思考力や集中力も出せず読書などのインプットも少なかったので、2015年はジャンル問わず様々な文章を読みあさり、書いて様々な方に読んでもらいと思っています。

以前Twitterで「自分語りをしたら末期、自伝を書いたら終わり」みたいなことをみたのですが、そんなことは全くないんじゃないかなと思います。過去に拘るのではなく、自分の人生を振り返り、次の指針にすることは大事ですし、まず私自身が皆さんのことを知りたいからそういう文章を読みたいということがあります。みなさんもブログなどで文章を公開するということで、ぜひ私に良い文章を教えてください!

プレゼンテーション時に役立つMacのTips

おがた (@xtetsuji) です。

勉強会などに参加していて、プレゼンテーションをMacで行う登壇者が困る場面に出くわすことがたびたびあります。勉強会の主催者に近い側にいるときなどは即席アドバイスしたりするのですが、役に立つ人には役立ちそうなので、この記事でまとめてみたいと思います。

ディスプレイのマルチとミラーリングの切り替え

プレゼンテーションをマルチディスプレイで行うかミラーリングで行うかは、登壇者それぞれの趣味や志向があるので、どちらかが良いとは一概に言えません。

マルチディスプレイモードだと、Keynoteを使っているときに手元で次のスライドも含めて先読みできたり、メモや制限時間を表示できたりといった機能があります。また、他人には隠しておきたいけれど事情があって開いておきたいというウィンドウを手元のディスプレイに持ってくることもできます。

ただ、慣れていない人だとマルチディスプレイでのプレゼンテーションで混乱をする場合が多いです。私の場合も、マルチディスプレイを使うメリットを活かせなくて、たいていはミラーリングモードでプレゼンテーションを行います。時間などは手元のiPhoneのアプリや腕時計で計ります。

よくあるのは、ミラーリングモードにしたいけれどマルチディスプレイモードになって混乱してしまったもののシステム環境設定を開くのも大変というケース。こういう場合は以下の方法でマルチディスプレイとミラーリングの切り替えができます。

  • Command + F1 を押す

たったこれだけ。これだけでシステム環境設定からたどっていってチェックボックスを押したりといった作業をすることはないのです。勉強会でそんな状況に出くわす登壇者が現れるたびに「Commandキーを押しながらF1キー押してください」と声をかけるのですが、意外にこれは知られていないらしく、登壇者からも聴衆からも感心されることが多いです。

ちなみに Option + F1 で「システム環境設定」のディスプレイ設定を開くことができます。

一時的な画面拡大

プログラミング系の勉強会では、スライド資料の中にソースコードが入っていることが多くあります。ただ、少しでも量が多くなってしまうと、ソースコードは文字が小さくて多くの聴衆は読めないのが実情。「高橋メソッド」などではそういうスライド自体を否定しているわけですが、その是非は置いておきましょう。

最近はImpress.jsやReveal.jsといったウェブブラウザ上で表示をするプレゼンテーションソフトが流行っています。そういう場合はブラウザの文字拡大 (キーボードだとたいていCommand+Shift+;) を使うと解決できることもありますが、ソースコードの改行が崩れて見づらくなってしまうケースもあります。またKeynoteなどの場合はそういう手法すら取ることができません。

そういう場合に一時的に画面拡大をする機能を使うと良いでしょう。

以下の画面は Yosemite のものです。

まず「システム環境設定」のアクセシビリティの設定からズーム機能を表示します。

アクセシビリティのズーム機能の設定

この中の「スクロールジェスチャと修飾キーを使ってズーム」をオンにします。この修飾キーは初期状態でコントロールキーになっていますが、通常はこれでいいでしょう。

この設定をオンにしている状態で

  • 修飾キーを押しながらトラックパッドを2本指で上スワイプをすると画面拡大
  • 修飾キーを押しながらトラックパッドを2本指で下スワイプをすると画面拡大した状態から画面縮小 (1倍より小さくはできません)

という操作ができます。

この操作はブラウザの全画面だけでなく、カーソルキーが表示されないKeynoteのプレゼンテーション全画面表示時にも使えます。

「その他のオプション…」を選ぶと、詳細設定ができます。

ポインタと一緒に連続的に移動

私は上記状態で使っています。「ポインタと一緒に連続的に移動」のほうが、Keynoteの全画面表示での使い勝手が良いとは思います。

ただこの画面拡大機能を使いすぎると、聴衆が「画面酔い」をする可能性もあるので、使う場合はほどほどに。

アクセシビリティにかかわるOS標準機能ですし、特にこれを設定することによってシステムが不安定になる要素もないので、色々いじってみて自分の気に入った挙動を選んでみるとよいと思います。

この機能、小さい文字を見たり、少し離れたところにいる人に特定部分を見せたい場合など、普段から役に立つTipsです。

ソースコードのシンタックスハイライト

上述の通り、プログラミングのプレゼンテーションだからこそ登場するソースコード。できればいつものエディタで見ているようなシンタックスハイライトが再現できるといいんだけど…というときには以下のようにしましょう。

  • Emacsの場合は、M-x htmlize-file して、シンタックスハイライトしたいファイルを選択
  • Vimの場合は、シンタックスハイライトしたいファイルを開いたあと :TOhtml を実行

これでそのファイルのシンタックスハイライトをした結果のHTMLファイルを得ることができます。ブラウザベースのプレゼンテーションソフトの場合は得られたHTMLをその流儀に従って入れればよいでしょう。Keynoteの場合はテキスト領域を作って、Safariで開いたHTMLファイルからコピーして、そこにペーストをすると良いのです。Chromeからコピーするとうまくいかない場合もあるので、その場合はSafariを使うと良いでしょう。

Wano株式会社を退職しました

こんにちは、おがた (@xtetsuji) です。同報通信として。

2014年12月12日をもって「Wano株式会社」を退職することになりました。最終出社日は11月28日で、これを書いている12月上旬の今は有給消化期間中です。

入社が今年の2月初めだったので、10ヶ月の短い在職期間になってしまいましたが、その間にも色々な方にお世話になりました。前職1社目が約10年なので対比しても短い。

退職理由

主な退職理由をあげると以下のような感じです。

  • かねてから体調不良が続いていて、静養の必要性を感じていた
  • 親族の高齢化で、近いうちに地元で今後の身の振り方を考える必要があった
  • 「できること」より「やりたいこと」や「自分しかやらないこと」に興味を持った

列挙してみると休職・時短勤務・部署異動等でなんとかならなかったのと思われそうですが、他にも細々とした理由がいくつもあったりして、悩んだ末に総合的に考えて退職を決断することにしました。

体調不良については、昨年12月の胃潰瘍入院から今年1月の風邪・インフルエンザのコンボでの外出禁止の解除日が初出社日ということで、完全な病み上がり感がありました。その後も胃潰瘍の消化器外科の他にも呼吸器科に通うようになったりと、通院ばかりの生活が続いていました。

会社を経営している祖父が高齢になり、今も元気に動けはするのですが、重い病気を抱えるようになり、祖父自身の考えも色々変わってきたようです。一度じっくり話をしてみる必要があるなと思いつつも、今年の夏季休暇は思い通りに帰省にあてられず。1ヶ月くらいは自分の人生設計も考えてじっくり話を聞いてみたいと考えるようになりました。

就職活動というものは難儀なもので、1社目も今回の2社目も「やりたいこと」より「できること」を優先にしがちでした。ただ、今年のYAPCのキーノートを聴いたりしているうちに、「若いころは大変でもできることで経験値積むべきだけど、歳を重ねるとそれだけでは肉体的にも精神的にも無理できないよなぁ」と思うようになったこともあります。

その他にも悩んだ理由はいくつかありますが、主な理由は上記です。

今回の退職の件を話すとき、短い在職期間や次を明確に決めない形の退職に対する懸念を受けることも当然ながらありましたが、上記のような事情があって悩んだ末の決断でした。

在職中にやったこと

短いながらも色々経験することができました。

業務の中心としては、他社が提供するアフィリエイトなどのAPIを使ってウェブサイトのロジック部分を書いたりなどをしていました。あと他社向けのAPIも時々書いたりしていました。前職の最後のほうでは、社内サイト以外でウェブサイトの表側を担当することがほとんどなかったので、優秀なデザイナーの方々との仕事は新鮮でした。デザイナーの人と飲みに行くたびに「デザイナーの皆さん本当に優秀ですよね」って言っていた気がする。

前職はまだガラケー志向が残っていたのでJavaScriptは商用向け開発ではあまり書かなかった (趣味開発や社内ツールでは書いていた) のですが、Wanoに来てからは表側のウェブサイトのロジックを担当する機会が多く、そこそこJavaScriptを業務で書いたのは良い経験でした。Googleアナリティクスの詳細な振り分けだったり、アニメーションライブラリ (これはiOS 6 の Safari がメモリリークして大変でした) のカスタマイズ開発だったり、Hogan.js のようなJSテンプレートのミニマム版も作ることになりました。必要であれば何でも取り入れていくところは面白かったです。

他のチームでは完全なSPAを実現するAngular.jsだったりTypeScriptだったり、もっとJavaScript中心のフロント開発をしているようで、興味深くもありました。優秀で気さくなエンジニアがたくさんいる面白い職場でしたが、誰もが多忙で横の交流がなかなか取れなかったのは心残りでした。

最終出社日の話

11月28日に最終出社日だったのですが、定時直前に新入社員の一人に声をかけられて、社員全員の前で色紙を受け取ったのは嬉しかったです。

送別会は後日開催するというお話を聞いて、なんだか気を使わせて申し訳ない感じもしました。しかし、色紙を受け取ったのも送別会を開いてもらえるのも人生で初めてのような気がします。

普段社内でかかっているバックミュージックはニューミュージックが多いのですが、その日の夕方はバロック調の曲がかかっていて、最後の身支度をしているときにはベートーヴェンの田園交響曲の終楽章が流れていて、なんだかしんみりしました。

隣の部署で懇意にしてくれていたプログラマー2人と「今日は送別会もないのでということで飲みに行きましょうか」という話になってその日の夜に飲みに行ったのですが、プログラマーの新卒社員2名もついてきて、その後に自分の所属だったチームのみんながやってきてくれて盛り上がれて、嬉しかったですね。

たった10ヶ月しかいられなかったのですが、人の暖かみを感じる会社でした。

これからどうするの?

しばらくは静養して体調回復につとめます。

12月末に帰省して1月中は実家を拠点に話を聴いて回ったりする予定です。

時間ができるので、細々と自分が所属しているコミュニティのプロジェクトを進めようと思っています。時間が取れずできなかった趣味のプログラミングも進めたいです。

その後の予定は決まっていません。もしかしたら地元に戻ることになるかもしれないし、東京でまた働くことになるかもしれません。できれば自分のITエンジニアのキャリアは今後も活かしたいし、そのために魅力的な場所である東京を拠点にしたITエンジニア生活は続けたいのですが、そこのところは未定です。

お金がなくなっても就職的に安定しなかったら、体力的に無理のない範囲でバイトでもして食いつなごうかなと思っています。

求人募集中

どの会社もITエンジニア不足の昨今ですが、Wanoでもエンジニアを募集しています。興味があっても自分の適性とマッチするか心配な方は、私が出来る範囲でご相談に乗ります。tetsuji.jp に書いてある連絡方法から適当なものでご連絡ください。

語らいたい

退職エントリを見ると、よくAmazonのウィッシュリストを貼っているのを見るのですが、自分の場合はモノより体験が欲しいので、多くの人と語らいたいです。時間のある方は、カフェや酒場で業界のことやプログラミングのことなど、語らいませんか?

謝辞

まだ内定状態だった2013年12月に胃潰瘍入院しているときにお見舞いに来てくださったときは嬉しかったです。

在職中、特に同じプログラマー仲間として興味を持って話しかけてくれた皆さん、ありがとうございます。今後も同じプログラマーとして定期的にお話できれば嬉しいです。

企画営業の方々の仕事のさばき方に感心させられることが多かったです。またプログラマーと仕事上の接点が多いデザイナーの方々が本当に優秀で、仕事がしやすく楽しかったです。前職と比べて「こんなに雑な仕事の渡し方で大丈夫なのかな」と思っていたら、もっと雑でもいいですと言われるくらいデザイナーの方々に助けられました。

今後も外部から色々な形で応援していきたいです。ありがとうございます。

参考リンク

#Perl入学式 Advent Calendar 「いつもの風景」

この記事は「Perl入学式 Advent Calendar」の3日目です。

こんにちは、Perl入学式 in東京のサポーターとしてだいたい毎回お手伝いさせていただいている @xtetsuji こと「おがた てつじ」です。ハンドル名から、校長やサポーターの皆さんからはよく「てつじさん」と呼ばれています。

そういえば、先日の Perl入学式 in東京 第4回 「サブルーチン(関数)/正規表現編」 では、はじめて4時間フルの講師役を担当させていただきました。

今回はサポーター視点でみた「Perl入学式 in東京」のいつもの風景をご紹介させていただきます。

集合から昼食

前日までにサポーター間で「みんなで昼食を食べに行こう」ということになると、11時30分くらいに集まって昼食を食べます。手早く食べようということもあって、だいたい立ち食い寿司になることが多いですね。ITエンジニアはみんな寿司が好きだということもあります。直近のPerl入学式でも立ち食い寿司に行きました。サポーターの中には、この寿司のことをPerl入学式にもじってPerl入学寿司と呼ぶ人もいます。

会場到着と会場設営

in東京 は13時スタートがほとんどなので、12時30分すぎから入場を考えて、12時過ぎには会場設営を開始します。だいたいは、借りる会議室の椅子とテーブルをPerl入学式用に並べ替えるという力仕事を行ったり、講師用のプロジェクターの準備をしたりといった作業です。

最近のPerl入学式では、@__papix__ 校長の職場でもあるGaiaXさんが会場であることも多いですが、過去一年くらいの間では、直近のモバイルファクトリーさんだったり、DNPデジタルコムさんだったり、若干会場が変わったりします。とはいえ、五反田の企業が多くて、五反田のPerlが元気だって感じがしますね!

だいたいどこの会社の会議室を借りるとしても、だいたい会場設営の流れは同じです。人が多い少ないで作業の負担が変わる程度ですね。

受講生の皆さんを待つ

会場の設営が完了する頃には、徐々に受講生の皆さんがやってきます。

最近では、今後に活かすために出席を取ったり、学生の数を数えたりします。ドタキャン率は大阪よりも東京のほうが若干高かったりするのですが、これは東京のIT系勉強会の傾向でもあります。受講生の皆さんの個々の事情もあるので仕方がない部分でもありますね。

講義開始

13時になると講義開始となります。雨の日などは開始時の集まりが悪かったりするので、少し開始を遅らせたりします。

その後は、講師 (だいたい @__papix__ 校長) の挨拶から始まり、今日のサポーターの挨拶となります。

その後は、サポーターも受講生の皆さんと一緒に試行錯誤をしていくことになります。

講師も人間。やはり間違うこともあったりして、サポーターが講師に向かって「そこ違うんじゃない?」という発言から面白いやりとりが発生したりして、受講生の皆さんにはそれがウケることもあります。

受講生が20人集まれば、20人全てが同じスタートラインでは限りません。他のプログラム言語経験があったりして楽勝という人もいれば、経験が浅くて苦戦する人もいます。そういう受講生間での経験差を埋めるためにもサポーターがいるのです。それがPerl入学式の醍醐味と言えましょう。

だいたい半分、2時間くらい過ぎると暖気運転も済んで、講師・サポーター・受講生の間でのつながりが活発になり始めます。

その中で、受講生のみなさんに懇親会への募集をかけます。懇親会は講師やサポーターからの生の声が聴ける貴重な場ではありますが、ここは飲み会代金分の金銭的負担が発生したり時間的都合もあるので、任意で募集しています。とはいえ、4時間では分からない受講生の皆さんそれぞれの考えを聞いたりするフリータイムみたいな時間として多くの受講生の皆さんと懇親会で語らいたいなとは思っていますが、そこは強制できないところなので難しいところですね。

そんな中で、だいたい17時には予定通り講義が終わります。

片付けと撤収

懇親会に参加する受講生の皆さんの協力を得ながら、講師とサポーターを中心に会場設営の逆を行います。だいたい in東京 では会場を無償で借りているので、感謝の気持も込めて撤収作業を行います。

懇親会

その後、近場の居酒屋で懇親会を行います。最近ではなるべく安価な居酒屋を選択するようにしています。

この懇親会の場では、講師やサポーターの生の声が聴くことができます。参加される受講生の方はそれを醍醐味に常連で参加してくださるようです。またサポーター間では反省会的場所でもあり、それも受講生側からすると裏話的で楽しいかもしれません。

私自身も他のサポーターの方から聴く業界話などが楽しみで、Perl入学式の懇親会は毎回楽しみにしています。

時には受講生側からの悩み相談にも乗ったりして、暖かいアットホームな懇親会でもあるのが特徴です。

金銭的負担に関しては「ソフトドリンクしか飲まないから安くして」「途中で退席します」というのも融通効くと思いますので、ちょっとでも興味のある受講生の皆さんは、サポーターの人に相談してみましょう!

そして解散

Perl入学式 in東京 の場合、よほどノリノリでない場合は通常2次会は無くて、そのまま五反田駅前で解散となります。時間的には22時から23時あたりでしょうか。

だいたい最近の「Perl入学式 in東京」はこんな流れです。興味が湧いてきたら、ぜひ色々な形で参加してみてはいかがでしょうか?お待ちしています!

YAPC::Asia Tokyo 2014 Reject con #yapcasia #yapcasiareject

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014 のReject con編。概要は目次ブログ記事をどうぞ。

2014年の8月28日(木曜日)から30日(土曜日)までの3日間行われた YAPC::Asia Tokyo 2014 でしたが、今年は応募もさらに盛り上がり、募集トークのうちの約半数がリジェクト(落選)されてしまうという状態でした。競争率が高かったこともありますし、YAPC::Asia Tokyo というイベントがPerl以外の話題にも寛容になったこともあります。

かくいう私も、2012年と2013年に引き続きトークをしようと思って応募したのですが、見事にリジェクトされてしまいました。

しかし!そんなリジェクトされてしまったトークの中から、選りすぐりのものに発表の機会を与えてくれる「YAPC::Asia 2014 Reject con」というイベントが2014年9月3日(水曜日)に行われることになり、なんと私のトークも発表の機会を与えていただけました

トーク概要については以下の記事がまとまっているので、おすすめです。@hiratara さんの記録能力のすごさには毎回脱帽してしまいます。

会場

会場は、表参道から六本木に移転したばかりの今元気な会社であるフリークアウトさんで行われました。会場を提供してくださったフリークアウト @myfinder さん、そして当イベントを企画してくださった @__papix__ さん、ありがとうございます。

「ヒルズガレージ」というだけあって、コンクリートがむき出しとなった広い会場が新鮮でした。写真の通り、かなりオシャレな感じです。うらやましい。

そして、会費で振る舞われるビールとピザは、会費以上のボリュームがありました(その他のアルコールやソフトドリンクもありました)。

タイムスケジュール・トーク一覧

Zusaarのイベントページから抜粋。ほぼ時間通りに進行しました。

  • 19:45 … 開場
  • 20:00 … 挨拶 & 乾杯
  • 20:05 〜 20:25 … @ytnobody & @tsucchi 「これはORMですか? いいえOtogiriです」
  • 20:25 〜 20:40 … @__papix__ 「帰ってきたPerCUDA 〜PerlとGPGPUが出会い, そして未来へ〜」
  • 20:40 〜 21:00 … @punytan 「( ✌’ω’)✌ 楽しいモデル層開発」
  • 21:00 〜 21:20 … @xtetsuji 「今に伝えるメールの技術」
  • 21:20 〜 21:40 … @saisa6153 「今から始めるレガシーコード改善レポート」
  • 21:40 〜 22:00 … LTタイム
  • 21:40 〜 21:45 … @mala LT
  • 21:45 〜 21:50 … @note103 LT
  • 21:50 〜 21:55 … @karupanerura LT
  • 21:55 〜 22:00 … @xaicron LT
  • 22:00 … Reject con終了 / 会場の片付け / 解散

会場の雰囲気

基本的に、YAPCの理念でもある(?)カジュアルさを意識して、アルコールやピザを飲み食いしながら、トークを聴きたい人は聴けばいいし、その辺にいる人とコミュニケーションしたい人はすればいいという自由な感じでした。

このイベント、エンジニアが壇上でトークをするわけなのですが、最初から缶ビールを開けて「乾杯!」なのです。そういうイベントは探せば無いことは無いのですが、こうやって会場を用意してしっかりした内容のトークをする系のイベントでこのフォーマットはなかなか珍しい。でもこれくらいのカジュアルさがあってもいいですよね。

まずはこの Reject con の発起人であり、今年のYAPC::Asia Tokyo 2014 のもう一つの顔になったとも言える「国際的コンテンツ」@__papix__ 氏による挨拶。会場の雰囲気からも何かワクワクするものを感じます。

YAPCの顔papix氏によるReject con開始の挨拶

トーク

会場はひとつでいつも壇上が見えるわけですが、すべてのトークを真剣に聴いていたわけではないです。途中でビールをおかわりに行ったり、知人と雑談したり、自分のトークの準備などをしたりしていました。とはいえ、だいたいのトークは座ってビールを飲みつつも聴いていました。メモをとっていなかっただけ (その点で @hiratara さんはすごいと思います)。

トップバッターは、ORM “Otogiri” の作者である @ytnobody さんと各種DBへの造詣が深くDBD::mysqlのPurePerl実装なども保守する @tsucchi さんのコンビによるこれはORMですか? いいえOtogiriですというタイトルのお話。

今年のYAPC::Asiaでは、DBIx::Class トークがあったり、そこで Teng が引き合いに出されたり、DBIx::Class 軽くなった、Teng は以前から軽いといった ORM の話題が結構ありました。Otogiri は Teng よりもさらに軽く機能を絞った完全スキーマレスORMです。

20分の発表で、10分を @ytnobody さんが、あとの10分を @tsucchi さんが発表するという斬新なフォーマット。新たなチャレンジです。

コンセプトとしては以前から両人からは色々な話を聴いていて知ってはいたのですが、まとまった話を聴くと理解が深まってよかったです。私はDBについては全く疎いので、勉強がてらOtogiriの中身を読んでみるのも良いかもしれません。

@ytnobody さんの発表風景。

Reject conトークのytnobodyさん

そして @tsucchi さんの発表風景。

Reject conトークのtsucchiさん

その後は、@__papix__ さんによる帰ってきたPerCUDA 〜PerlとGPGPUが出会い, そして未来へ〜。学生時代の研究テーマのその後のお話でした。

要はGPGPUをPerlから使うためのお話なのですが、専門性の高いお話で手応えありました。さすが大学院でこういう研究をしている人の足腰は強いなと思わされます。

Reject conトークの__papix__さん

@__papix__ さんのスライドは、自分自身がコンテンツだからズルい。

その後は21時からの自分の発表のために、資料を整理したり頭の中で時間配分などをしていました。

開始から1時間くらいで、会場の人たちはだいぶ酔っ払ってきています。トークに背を向けて立ち飲み酒場になっているところもあって面白かったです。

自分が発表したトーク

そして21時からの自分のトーク今に伝えるメールの技術が始まります。

開始から1時間経過し、酔っている人に声を届けるためには、今までトークした人より大きな声でつかんでいかないとダメだなぁと壇上に立って確信した結果、最初の一言が「みなさ〜ん、飲んでますか〜?」でした。完全に自分も酔っ払いになっている。

私のトークの趣旨や内容については、上記スライドと、感想をまとめた以下のTogetterを見ていただけるといいかと思います。

リジェクトコンという場所も考えて、笑いの要素を入れたほうがいいかな、視覚的にインパクトのあるスライドのほうがいいかな、などと考えてこのような内容となりました。スライドを公開して文字だけにするとコンテキストが読めないものについては、書かずにしゃべりで補ったりしました(ちょっと危険なネタもありました)。あとは酔った勢いでしゃべった感じでしたが、それが謎のグルーブ感を生んで結果的にウケたのかもしれません。ありがたい。

mod_perlトークの前2年も、このメールトークも、結局は廃れかけて忘れかけられた技術のルネッサンス的なものを意識した感じです。特に私は新しいものへのキャッチアップ力が比較的弱いので、そういう方向で活動するしかないというのもあるのですが、廃れはすれど無くなりはしないものの昔の古い知識が更新されないという状況は難儀だなと思っています。なので、あまり世間からは注目されない話でも今風にブラッシュアップした話をしていきたいというわけで、こういう場をいただいてトークをしているのかもしれません。

実はこのトーク、YAPC::Asia でリジェクトされたとはいえ、YAPC::Asia Tokyo 2014 の期間ではまだできておらず「頭の中にはある」という状態でした。YAPCが終わって疲れがどっと出て、「あー、こんなに疲れてこれから資料を作るなんて計画性の無さを露呈するなら、Reject con に応募しないほうがよかったかな」という考えも一瞬頭をよぎったのですが、しっかり自分の言いたいことを頭の中から出してきっちりとスライドにブラッシュアップして、そしてトークをしたあとの思わぬ反響を受け取って、やっぱりやってよかったって思いましたね。YAPC本編でトークするよりも貴重な経験ができたかもしれない。

トーク後に、色々な方から面白かったって言ってもらえて嬉しかったし、Twitterでも現地にいる人から来られなかった人まで反響があって、本当に嬉しいの一言です。YAPC::Asia Tokyoの本編トークではこのグルーブ感は出しづらいと思うし、本当にリジェクトコンで拾っていただいたことに感謝する他ないです。

@tsucchi さんと @note103 さんには、ブログでも面白かったと感想を書いてくれました。本当に嬉しいです。ありがとうございます。

LT

当初予定していた @hirobanex さんが出られなくなり、急遽LT枠が設けられました。

@mala さん、@note103 さん、@karupanerura さん、@xaicron さんと、これまた豪華な顔ぶれが集まりました。

恒例の @mala さんのセキュリティを突くトークは軽快でした。本人は有名な撮影NGの人なので、写真は撮っていません。

@note103 さんのトーク「はじまりのPerl」は、本当に5分でトークするのがもったいない内容。経歴も面白いし、職業プログラマーではないPerl学習者としての視点も面白かったです。スライド必見

Reject conトークのnote103さん

@karupanerura さんはジョブキューの話をされたのですが、ライブコーディングがよかったです。アルコールが入った中でのライブコーディングは大変だったと思います。

Reject conトークのkarupaneruraさん

最後の @xaicron さんは、最近リリースした「ハッカドール」を引っさげて登場。というかPerlの話ほとんどなくて、宣伝とサイリウムを振るために壇上に上がった感じですごかったです。

Reject conトークのxaicronさん

これでLTは終了。ちょうど予定時間ほぼピッタリに終わり、各自解散となりました。

どうやら二次会も一部であったようでしたが、一緒に建物から出た @tsucchi さんらと「明日も平日だし、発表したから疲れたので、まー帰りましょうか」ということで六本木駅からまっすぐ帰りました。

これで自分の中の広義の YAPC::Asia Tokyo 2014 は終わりました。夏の楽しい夢の様な時間、そして最後に弾けられて本当に楽しかったです。本当にたくさんの人たちに感謝!

 

YAPC::Asia Tokyo 2014 2日目 #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014 の個別記事、2日目編。概要は目次ブログ記事をどうぞ。

トーク概要については以下の記事がまとまっているので、おすすめです。

聴講したトーク

2日目は「Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014」が大部分で、1日目より聴講したトークは少ないです。

@lestrrat さんによる「オープンソースの開発現場 – Perl 5.20 のSubroutine Signaturesが来るまでの奮闘の軌跡」、トークがうまいなーというだけでなく、Perlの開発の舞台の裏側の苦労話を語るその切り口は斬新でした。Martini氏がSubroutine Signatureを入れようとしたけれど政治的な理由でいくつもの困難があった話、プログラミングスキルだけじゃ解決できないことってコミュニティには色々あるんだなと改めて思わされた次第です。

たとえばこの辺り

  • あなたが参加しているプロジェクトも20年後に政治が必要になる可能性が高い
  • あなたが今後参加するプロジェクトも人間スキルが必要になる可能性が高い
  • コミュニティで活動する限りリスクは必ずある

といった部分はあるよなぁと思わされました。要は「ネガティブな一言に傷つくより、流して前に進もう」ということなのだと思いました。そういう強い心というか大人力を持ちたい。

そのままメインホールに残って @uzulla さんの「半端なPHPDisでPHPerに陰で笑われないためのPerl Monger向け最新PHP事情(5.6対応)」を聴講。これがすごかった。

ゆるふわ暗黒PHP

「ゆるふわ暗黒PHP」最初からこれ。しかも出オチではなく、このトーンでものすごい枚数のスライドが登場して観客の笑いを誘って行くのです。

しかし短絡的なPHP disに終わらず、現代のPHPの良い点を踏まえつつ、他の言語からの視点も踏まえたトークとなっており、PHPを書かない人にもとても参考になるトークとなりました。何よりトークが面白い。この面白さを追体験するには動画を観るしか無い

あまりの勢いに、これがベストトーク賞になったら伝説になるぞといった声が各方面から出ましたが、結果的に本当にベストトーク賞を取ってしまったのだからスゴイ!

その後、13時からのPerl入学式に備えて、同じくスポンサーをする @tsucchi さんと早めに食事を取ることにしました。1階にローソンがあると便利。2人で買ってきたものをイベントホールで食べます。ここでなら飲食できるし、後ろから無限にコーヒーやジュースが出てくるから素晴らしい。

ランチセッションではDNPデジタルコムさんが発表をしていました。以前にPerl入学式でもお世話になった @yu_loveperl さんが壇上でPerlの使用事例を語っていました。DNPデジタルコムもそうですが、ガイアックスやモバイルファクトリーといった五反田のPerl企業が元気です。

ランチセッションを遠巻きに見つつ食事をし、終了したところで司会の方が「みなさんブログを書いてください。(スポンサーである)ライブドアブログやはてなブログがおすすめです。あっ、(これもスポンサーである)MovableTypeでブログ構築もいいかもしれませんね」と言ったところで私が「MovableTypeはちょっと敷居高くない?」って冗談交じりに言ったら、ちょうど @tsucchi さんと反対側の隣にいたのが福岡のMovableType番長と呼ばれるアオキさんで、初対面で「えっ、そうですか?」って言われて少しキョドってしまいました。まさかこの後のPerl入学式のサポート担当テーブルでまたアオキさんと遭遇することになるとはこの時はまだ知らず。

Perl入学式の会場がある多目的教室へ早めに向かいます。

Perl入学式については後述。

Perl入学式の後に聴いた @myfinder さんの「YAPC::Europe 2014 に行ってきました」、自分も金銭的だったり英語力だったりが整ったら、ぜひ行ってみたいなぁと思わされました。ヨーロッパ好きですし、今回はヨーロッパからのゲストが多かったこともあって、ヨーロッパへの憧れが強まった、そんなYAPC::Asiaでした。

Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014

前日1日目は終電過ぎてタクシーで帰宅後、このPerl入学式のために自宅で予備MacBook Airをセットアップしていました。2日目は自分MacBook Airと予備MacBook Airの2台持ちだったので結構大変でしたが、結果的にこれが役に立つことになって良かったです。

Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014」は13時からの開始でしたが、サポーター陣は12時30分ごろから入って机配置などを整えたりといった作業にいそしみます。自分は持ってきた予備機を広げて動作確認をしたりなど。

13時になって開始。普段は東京・大阪・福岡で活動しているスタッフがオールスターズで揃った中で @__papix__ 校長によるPerl入学式の濃密版講義が開始します。

当日のレポートはTogetterにまとめましたので、そちらを見ていただけるとライブ感がわかるかもしれません。

今回サポーターはテーブル担当制となりました。私のテーブルには、先ほど初対面を果たしたMovableType番長のアオキさんの他、gihyo.jpのサイトにレポートを書く役割でやってきた、プログラミング初心者の滝沢さんも来ていました。最初、レポートを書く方とは知らず、とはいえ濃縮版で比較的レベルもスピードも通常版よりある今回のPerl入学式でなかなか苦戦している滝沢さんのサポートをずっとしていました。他の方が、他のプログラミング言語の経験者だったりMovableTypeに慣れたアオキさんだったりということもあって、そこは助けられました。最後のほうには滝沢さんにもだいぶ納得してもらって、真摯にサポートしてよかったと思いました。

その時の様子をレポートしてくださっています。

@__papix__ 校長も気合が入って、いつもよりオーバーアクションにトークしたのが受講生にも好評だったようですね。サポーターとして参加していましたが、会場の一体感も良くて、とても楽しかったです。

Perl入学式 in YAPC開始前の様子

開始前の様子。

Perl入学式 in YAPC 初注意とお願い

諸注意とお願い。

Perl入学式 in YAPC 講義の様子1

Perl入学式 in YAPC講義の様子2

こんな風景でした。

LT雑感

@T_akms ことタケウチ君のGeekDojo&脱北者トークは楽しかったですね(スライド)。そして @hoto17296 さんのトーク。両名ともガイアックスの若い人で、同じくガイアックスの若い人でYAPC会期中どこか壇上に立って「YAPCの顔」となっていた @__papix__ 校長を含め、ガイアックスの存在感の高かったYAPCでした。

私も脱北者(?)のひとりとして頑張りたいです。

前夜祭の流れから、1日目のLTも @__papix__ フリー素材 を使った一発ネタが多かったのですが、あの Sawyer X 氏も Dancer 2の LT で @__papix__ フリー素材を使ってきたのには、会場は大爆笑。彼が国際的フリーコンテンツとなった瞬間でした。

上記のツイートがメンションできた時点で

とのことでした。

今年は純粋な参加者として、でも個人で起業スポンサーをするという荒業を成し遂げた @941 さんによる「5分で分るイベント運営のコツ」は純粋に参考になりました。

キーノート

今年の締めくくりのキーノート(基調講演)は @typester さん。

終始穏やかな語り口の中で、ITエンジニア・プログラマとしてどう生きていくべきかといったエッセンスがたっぷり入ったトークにうなずくことばかりでした。氏の経歴が面白いということと、その幅広いスキルが面白いトークを生むのでしょう。

そんな氏も最初はぼっちだったとか、スタートは我々と一緒なんだなと思わされるトークもあったり。

主に20代の人へのメッセージトークといった側面で後半語られましたが、私のような30代にも響く言葉が多かったですし、始めるには遅すぎることはないので、今からでも見習っていきたいです。

まとめとして語られたこれら

  • 今の会社で成長できるか
  • 10年後どうなっているかイメージできるか
  • ロールモデルを持つ
  • 尊敬する人を持つ

は大事だなぁと思わされます。ロールモデルについては以前から考えていたのですが、このキーノートを聴いてからさらに意識するようになりました。一度の人生楽しまなきゃ損!

余談ですが、@typester さんとは会場が東工大時代に行われた YAPC::Asia Tokyo 2007 か 2008 の懇親会で、私がぼっちだったときに勇気を振り絞って話しかけた数少ない人の一人でした。その時はDBIx::Class のプラグインへの貢献で有名で、ちょうど仕事でDBIx::Classを使っていたので、色々と海外の開発者と開発をするということについての苦労話などが聴けて感銘を受けたのを覚えています。今でこそGitHubとTwitterがあって世界の開発者との接点が得やすい時代ですが、当時からそういう活動をしていたということは本当に尊敬します。

クロージング

そして名残惜しくもクロージング。

昨年の参加者数が1131人だったのが、今年は1361人!世界最大のYAPCであるとともに国内最大級のエンジニアカンファレンスとなりました。すごい。

そしてみんなの投票の結果でもあるベストトーク賞…。なんと

  • 1位:半端なPHPDisでPHPerに陰で笑われないためのPerl Monger向け最新PHP事情(5.6対応)
  • 2位:そんなにビッグでもないデータ処理手法の話
  • 3位:コマンドラインツールについて語るときに僕の語ること

ということになってしまいました。会場から沸き上がる「P・H・P!」コール。まさか自分がベストトーク賞1位となることなど思いもよらず裏方で作業していた @uzulla さんが呼び出されて表彰されます。

ベストトーク賞のuzullaさん満面の笑顔

(http://30d.jp/yapcasia/7/photo/965 より)

なんという良い笑顔でしょう!

その後、その場にいたスタッフ全員が登壇して挨拶。

@yusukebe さんの「次のYAPCは…」といったところで、謎めきつつYAPC::Asia Tokyo 2014は無事閉幕したのでした。

クロージング後も、そこら中に無限シリーズがあまっていて、投げ売り状態になっていました。写真は無限ウォーターの様子。

そこら中にある無限ウォーター

YAPCの終わりは夏の終わり、なのでHubで飲む!

でもまだ終わらない。2日目もHubは貸し切り!まだ盛り上がり足りない人みんながなだれ込みます。

1日目同様、色々な人とコミュニケーションをしました。最初はPerl入学式のスタッフ・サポーターで反省会みたいなのを行っていたのですが、徐々に会場にいる全国・世界のPerlプログラマーとの交流になってきます。静岡の話をしに @dokechin さんのところに行ったら、@ribasushi さんがやってきて、酔って英語が出てこないしもう筆談だとペンとノートを持ち出したり。しかし他の日本人参加者にも気さくに話しかけていた @ribasushi さんは本当に優しかった。ヨーロッパ話でも盛り上がりました。楽しかった。

北海道の人たちと再開したり、あの人とこの人を引きあわせたり、もう人だらけで大変な店内を縫うように歩いて、大忙しでした。

Perl入学式で苦戦しながらもなんとかコツをつかんでもらった滝沢さんともお会いして、詳しい経緯などをうかがうことができました。

その他、普段も他の勉強会でよく見かける関東圏の人たちから、Hokkaido.pm でお馴染みのメンバー、そしてPerl入学式つながりで紹介された大阪や福岡の人など、色々な人と出会うことができた、まさにここがYAPCの本番じゃないかと思わせる場所でした。

18時から5時間くらいひたすら飲みまくって、1000杯超えた後も残った飲み物を金を払って飲んで、5時間くらい飲んでしゃべって歩きまわったりしてクタクタになったところで店を出ました。昨日終電乗り過ごしてタクシーだったので余裕を持って。これで自分のYAPC::Asia Tokyo 2014 が終わったのでした。

終わった…?いや、この数日後、約2倍の競争率でリジェクトされてしまったトークを供養するための「Reject con」があって、そこで自分が応募してリジェクトされてしまったトークの披露の場をもらったのでした。

というわけでリジェクトコンへ続きます。

YAPC::Asia Tokyo 2014 1日目 #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014 の個別記事、1日目編。やっぱり書くのが遅すぎ(8月末開催で、書いているの11月末)なんですが、書きたいと思い続けていたので書きます。概要は目次ブログ記事をどうぞ。

トーク概要については以下の記事がまとまっているので、おすすめです。

オープニング

昨晩は前夜祭でもらったノベルティなどを整理していて夜更かししてしまって少し寝過ごしてしまったのですが、なんとかオープニングが始まる10時ちょっと過ぎに到着。オープニングにはギリギリ間に合った形。

JPAの理事でもあり今回のYAPCの主催者でもある @yusukebe さんによるオープニングトーク。いやがおうにも高まります。

聴講したトーク

トーク雑感

例年、メインホール以外の会場はすぐ満員になることはわかっていたので、録画NGだったり懇意にしている方のトークだったりすごく聴講したいという理由がなければ、メインホールを選ぶか、そのへんでブラブラして顔見知りの人と懇親することにしました。

最初のメインホールでの「Releasing Perl」。英語のトークでしたが、YAPC::Asia の歴史で初めて(IRC同時通訳とかの試みはあった)希望者に同時通訳レシーバーが配られることになりました。

同時通訳はありがたいけれど、専門用語満載のトークだし、翻訳が微妙だと英語で聴いたほうが無様な英語力しかない自分でも良かったりするかもと思ってみましたが、この同時通訳が本当にすごかった!本当に放送局が提供するような同時通訳って感じで、専門用語も的確に翻訳していて、全く違和感の無い翻訳でした。

新しいPerlをリリースするための「パンプキン」という集団についての話だったり、その周辺の話がなかなか興味深かったです。

パンプキンについての説明はperlpolicyに書かれているようなので、改めて読んでみて勉強になりました。

その次に聴講したのは @kenjiskywalker さんによる「完成されたシステムなどない。完成された人間もいない。あるのは成長し続ける未完成なシステムと、それを支える未完成な人間だけだ」という長大なタイトルのトーク。これはなかなか多方面から問題提起を喚起するトークとなりました。40分トークのはずが、まさかの20分弱での終了。その後の質問タイムでのバトルなどなど。これはYouTubeで録画が公開されているので、ぜひとも見てみることをおすすめします。

@kenjiskywalker さん本人のブログ記事も参考になります。

理想論として片付けるのは簡単ではありますが、今一度このトークで語られたキーワードをもとに自分のサービスを振り返ってみることもよいと思います。

その後の時間は、特に生で聴きたいと思ったトークもなかったので、外に出てブラブラしていました。飲食可のイベントホールでは色々とイベントやっているという話を聴いていたので、行ってみることに。

イベントホールでは、テーブルに地域.pmやPerl入学式などで知っている顔の人たちが全国から集まっていたので、同窓会的に色々と挨拶。こういうのもYAPC::Asiaの魅力ですね。

イベントホールではコーヒーやらジュースやらの飲み物が飲み放題になっていたり、前夜祭で話題になったDMMかき氷が配られていたり、原色系のお菓子が配られていたり、色々楽しい光景が繰り広げられていました。原色系のお菓子はブッキングドットコムさん提供らしいです。これがヨーロッパのお菓子か!(原色系のお菓子は写真を撮り忘れてしまいました)

イベントホールのお菓子

イベントホールの飲み物

ブッキングドットコムのFiona Wangさんがリクルーティングをしていたので、今年こそは英語コンプレックスを克服しようと話しかけてみました。もともとヨーロッパは好きだったので、色々話を伺えて貴重な経験でしたが、やはりビジネス英語の領域になってくるとダメ…。

そのまま色々な方とお話したりしていたらランチセッションになって、なんかお弁当を受け取ってランチセッションを聴くことに。初ランチセッション体験。

ランチセッション1日目の弁当

 

ランチセッションではDeNAのQuizNowについてのお話でした。なかなか面白かった。

メインホールの舞台反対側で販売していた「雅なPerl」も忘れずに購入。良書です。

その後は、最近仕事でも DBIx::Class を使っているということで @ribasushi さんの「DBIx::Class – what is it and what is it good for?」を聴講することに。

日本ではDBIx::Class(DBIC)よりもTengなどの国産軽量ORMが好まれるケースが多いけれど、まだ日本にもDBIC案件があったりして、自分も過去に使っていて今もまた使うことになったので、この辺りは興味があって聴講することにしました。今回も同時通訳が助かりました。

特にDBIC使い始めのころは、ResultSetという概念が面白くて、そのときのプロジェクトでは有効活用できていなかったけれど、自分的にはこれぞDBICといえるものでした。そういうものも含めて今後DBICを有用活用していくこともあるかもしれないなと思いました。以前よりも軽量化が進んでいるという話もあったり、DBICのコンセプトはまだいけるなぁと思わされました。

その後はメインホールから移って @masiuchi さんの「Windows ユーザーのための Perl による Web アプリケーション開発チュートリアル」を聴講。

StrawberryPerl だと cpanm も Mojolicious も結構サクッと動くことに驚きました。以前はWindowsのPerlといえばActivePerl以外の選択肢はなかったようなものですが、StrawberryPerlいけるなと思った次第です。

その後は @ktat さんの「継続的翻訳活動をささえる技術」を聴講。perldoc.jp などを支える翻訳技術と、それを助けるためのツールtranについてのトークでした。

そのまま場所を移動せず「YAPC::Asia2014会場ネットワークのツクリカタ」を聴講。今回のすごいネットワークを作ったCONBUの方のトーク。聴いていて驚きの仕掛けがいっぱい出てきて、さすがだなと思わされたと同時に、ただただこの快適なネットワークに感謝するだけでした。

その後、どこに行こうか迷っていたら多目的教室はどこも満員になっていたので、メインホールの「WHERE狙いのキー、ORDER BY狙いのキー」を聴講。40分トークだったものの30分くらいでまとまっていて、聴きやすかったです。MySQLは使っているものの、パフォーマンスを意識してMySQLを使ったことはほとんどないので、要所要所でへぇ〜と思いながら聴いていました。一応MySQLのパフォーマンス系の書籍は読んで、どういうふうにインデックスをひっかけることができるかくらいの座学くらいしかなかったので、結構よかったです。

早くトークが終わったので、メインホールを出たら、先ほど DBIx::Class のトークをしていた @ribasushi さんが座ってノートパソコンを操作していたので、思い切って声をかけてみました。英語、全然しゃべれないし聞き取れないんですが、なんとかこちら側のDBIx::Classの疑問点などを説明して、わかりやすくゆっくりとした英語で解説してくれて、とても嬉しかったです。昨年は海外ゲストとの交流が全然できなかったことは反省点だったので、今年はその反省点を元に行動に移せたかもしれません。

次のトークの時間があったので、@ribasushi さんとはいったんおわかれ。懇親会に来るのと聞かれたのでYesと返事をしたら、またあとで会おうという感じ。本当にこんなに英語が不自由な自分にも熱心に対応してくれるなんて感謝ですね。思い切ってお話してよかった。

その後は @charsbar さんの「Get a kick out of CPAN」を聴講。一応いくつかのCPANモジュールをアップしているものの、あまりCPANの作法を知らないので、これは聴いておこうと思っていました。入るのが遅かったので最初の「CPANとゲーミフィケーション」といった部分は少し聞き損ねてしまったのですが、なかなか参考になる話が聴けて、またCPANに貢献しようというモチベーションアップもできたので、聴講して良かったです。

その後は多目的教室を動かず「初心者が Web エンジニアのコミュニティに触れてみて感じたこと – ゆとりエンジニアの成長戦略」を聴講。@zoncoen さんはDeNAの新卒社員らしいですが、本当に最近の若い人は優秀だなーという印象。今や大手企業であるDeNAに入社できるというだけでも優秀なのかもしれませんね。

LT雑感

特に印象に残ったものをいくつか。

  • @maka2_donzoko さんのトークは例年通り、狙いに狙ったウケが楽しかったです。今後の同人活動がどうなっていくかわかりませんが、期待しています
  • @charsbar さんの「Top 10 Kwalitative Japanese authors 2014」、今年もランキング楽しめました。今年はCPAN Authorとなって眺めるランキングは一味違ったものでした。
  • @__papix__ 校長による「Perl入学式 2014年度活動中間記録」。前夜祭に引き続き、今日も壇上に立ってYAPCの顔となるのでした。
  • @kazeburo さんのパフォーマンスに関する造詣はすごいですね → 資料
  • @bayashi さんの YAPC Ramen Challenge は、あのアイスバケツチャレンジをパクったものでしたが、その後これがムーブメントとなるのでした。

会場の雰囲気

自分が慣れただけなのかもしれませんが、顔見知りの人が結構増えていい感じで同窓会的場所になっているのがわかります。

また、初参加の人もぼっちにならないような企画も結構あったりして、ぼっち対策も図られているなぁと思わされました。お祭り的雰囲気が全面に押し出されていて、初参加の人も常連の人に話しかけやすい空間になっている感じがしました。

懇親会

懇親会枠に入れたので、参加することができました。今回はスピーカーは落選してしまったので、とりあえず枠押さえが必要でしたが、懇親会に出られて良かったです。

懇親会は食べられんばかりの美味しい食べ物が並べられ、それを取って色々な方と懇親して楽しめました。全国から集ったPerl Mongerと懇親できるこの場は本当に貴重な機会です。あと@ribasushi さんとも再度お会いしてお話できました。Fiona Wangさんともお話しましたが、酔っていてビジネス英語は結構大変で、通りかかった @dankogai さんに助けてもらうという一場面も。

なんか懇親と料理に両手を塞がれていて、全然写真撮っていなかった!

その後Hubで「Perl入学式交流会」

YAPC::Asia の会期中、1階のHubがYAPCによって貸し切りになっており、YAPCの名札ストラップを見せるとHubに入場できて、各日合計1000杯まで無料で飲めるという素晴らしい企画があったのでした。

懇親会に出られなかった人が先だってそちらに流れていたのですが、懇親会後に行ってみたらギリギリ入れそうだったので入って飲み物を注文してツメツメで座りました。

私は「Perl入学式交流会」と銘打って、明日の「Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014」に向けて、東京・大阪・福岡のPerl入学式のスタッフが集まって飲むという感じで盛り上がりました。

Hubにぎっしりと詰まったPerlプログラマー達のものすごい人数と熱気から、なんかここには書ききれないくらいの体験が押し寄せてくるから、本当に年に一度のYAPC::Asia Toktyoはすごいなって感じ。

前日はすぐ帰っちゃったので、1日目は終電ギリギリまでHubで飲みまくりました。楽しかった。

結局、終電ギリギリまで飲んで電車に乗ったのですが、渋谷駅からのJRが遅れていて、代々木駅の大江戸線最終電車に乗り継げず、途中からタクシーでの帰宅となりました。3000円くらいかかったけど、年一度のお祭だから良し!東急で渋谷に向かっている途中で、思わぬ人と遭遇して面白い話が聴けたので、それもまた貴重だしYAPCだなぁと思わされました。

2日目へ続きます。

YAPC::Asia Tokyo 2014 前夜祭 #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

YAPC::Asia Tokyo 2014の個別記事、前夜祭編。書こう書こうと思っていていたら、いつのまにか約2ヶ月経ってしまって(開催は8月末で、ブログを書いているのは10月末)。だいぶ忘れかけている。だけど書きます。

この記事は 2014年8月28日(木曜日) に行われた YAPC::Asia Tokyo 2014 前夜祭編。その他の YAPC::Asia Tokyo 2014 関連記事は目次ブログ記事からどうぞ。通して参加した上での感想はだいたい目次ブログ記事に書いてあります。

入場まで

17時過ぎに会社を出て、丸ノ内線から副都心線に乗り換えて日吉の会場へ移動。他にもYAPC行くよっていう社内のエンジニアはいたのですが、前夜祭は行かないっていう人とか、仕事が大変で今日は…という人が多く、結局一人で会社を出ることに。

だいたい18時ちょっと前に会場に到着。会社を出るのが昨年に比べて遅くなったのですが、18時会場、18時30分開始なので、まぁ余裕がある範囲。

日吉駅を出て会場に向かう間に @htk291 さんにお会いしました (YAPC::Asia Tokyo 2014 感想 – 仮契約のエンジニア)。2007年からYAPC::Asiaに参加していましたが、2011年から本格的に各地で露出しはじめたら色々と顔を覚えてくれる人が多くて本当に嬉しいです。

昨年も同じ会場だったので、迷うことなく移動できました。入口にはファニーなイラストの看板も。

Welcome to YAPC

お祭り感を感じさせます。

今年は入場を急いでいたので、入場受付の写真を撮り忘れていました。といっても、あまり熱心に写真を撮る人ではないんですが、やっぱり最近は写真が残っていると思い出も残るよなって思います。

同窓会なYAPC::Asia

会場に入ってみると昨年以上に知っている人が多く、色々と挨拶したりされたりといった感じ。自分も2011年から各所に顔を出すようにしたり、コミュニティも成熟したりといった要因なのでしょうね。だからといってコミュニティへの新規参入への障壁をあげてはいけないとも思います。バランスが難しい。ぼっちを作らないといった部分も心がけないといけない段階かもしれません。

今年も出ました無限ビール、そして数々の無限シリーズ

昨年もイベントホールでは様々なものが出ましたが、今年もたくさん出ました。会期通して何が出たかは目次ブログ記事に書いてありますが、前夜祭で夜に到着した時にも、ビールやらつまみやらかき氷やらが配られました。大盤振る舞い!

無限にある飲み物1

無限にある飲み物2

こんな感じで、ビールを始めとした様々なアルコール飲料から、ソフトドリンク、そしてミネラルウォーターまで、飲み物が大量にありました。

そして2枚目の写真の遠くに見えるアイスボックスが、今回話題になった「DMMかき氷」。これは会期を通してとめどなく振る舞われ続け、DMMはかき氷の会社と言わしめた今年の名物となりました。例年の8月下旬の東京は灼熱地獄のまっただ中でかき氷はヒットするかと思われましたが、今年の8月下旬は一気に気温が下がってしまい(とはいっても汗ばむ暑さではありますが)、かき氷欲はそれほどでもなくなってしまったのが残念なところ。

とはいっても、味はラムネとストロベリーが絶妙で、とても美味しかったです。

席に座って何を取りに行こうか迷っていたら、スタッフの方からビールとかき氷とおつまみを配られました。これほど贅沢なカンファレンスはあるでしょうか。

もらったビールとかき氷

DMMかき氷近影です。

今年の前夜祭は「欲しいものは作ればいい! 〜Webアプリ10連発〜」

昨年度は「LTソン::Tiny」と銘打ったLT連発形式でしたが、今回は以下のような選りすぐりの10分トークの連続となりました。

ビールに始まる無限シリーズや様々な方との懇親に気を取られて前夜祭LTのメモを全然取っていなかったのですが、印象に残っているところを書き留めておきます。

@yusukebe さんのオープニングからいよいよYAPCがスタート。いやがおうにも高まります。

本トークに落選したものの、結局的に3日間どこかの壇上に上がり続けることになる「今年のYAPCのもう一つの顔」とも言える @__papix__ さんの GeekDojo の紹介がトップバッター。

純粋な技術面で面白かったのは「プライベートで3年間チーム開発をした話」(ストーリーボード)と「クイズを支える技術」ですね。

ストーリーボードは前からチラチラと知ってはいたのですが本当に良く出来ていて、Google Waveがたどりつけなかったリアルタイム編集の一つの形がこれなのかなと思わせるものでした。その内側、またそれを開発するための流れといった話はとても参考になりました。

「クイズを支える技術」はクイズ○ービーなどのクイズ番組の演出をどれだけ最新のIT技術で再現するかといった無駄な努力(褒め言葉)がとても面白かったです。とはいえ、トーク内ではその技術要素についてほとんど語られることがないという、聴講者の想像力をかきたてるトークではありました。

開発モチベーションであるとかサービス運用・改善といった面では、wri.peの話とtogetterのトークが参考になりました。前者はネットで話題になっていて知っていた @masuidrive さんによるメモアプリ、後者は今やTwitterユーザの誰もが知っているところとなったツイートまとめサービスです。

@syachi さんのゴミ収集カレンダー。Hokkaido.pm Casual発で本トークに応募したものの落選してしまった実地サービスでしたが、この場で聴講することができて本当によかったです。

前夜祭はほぼ時間通りに終わり、会場から撤収。

会場の入口付近には、これから飲みに行こうという人がたまっていたのですが、大人数で押しかけても入れるところは無さそうだし、明日も朝が早いので体力も温存したいしということで、少人数でさっと食事に行くことにしました。

その後

4人くらいで日吉の駅の反対側に行ってうろうろして、入ることができた洋食屋で軽く食事をしました。

誰と行ったのか記録していないので、記憶が定かではないのですが、確か @dokechin さん、@tsucchi さん、@htk291 さんと一緒だったかなという記憶。もしかしたら別の記憶とごっちゃになっている可能性もあります。間違っていたらごめんなさい。

ともかく、明日もあるし無理せず帰ろうということで、比較的早い時間に帰りました。

帰宅してからTwitterを見ていたら、みんな前夜祭からHubで夜遅くまでフィーバーしていて、元気だなぁって思いながら見ていました。どうやら前夜祭からHub貸し切りっぽかった?その元気さがあれば飲み会に行けるのにと、多少のうらやましさを覚えました。

明日が楽しみで「遠足前日に眠れない子供」状態になりかけていたのですが、2時過ぎに就寝。

1日目に続きます。

YAPC::Asia Tokyo 2014 に参加してきました #yapcasia

おがた (@xtetsuji) です。

そうです「ブログを書くまでがYAPCです」なのです。少しずつ書いています。

今年2014年も、8月28日木曜日から8月30日までの3日間、日本最大・世界最大級のPerlのお祭りである「YAPC::Asia Tokyo 2014」が行われました。

思ったことを全部書き始めようと思うと書く時間も文章も長くなるので、まず最初はこのサマリー記事を書いたあと、各日程に行われた個々のトークの感想を書いていきたいと思います。これは昨年の自分自身のフォーマットを真似ました。

このブログ記事は上記ブログ記事のまとめ記事でもあり、個々のトークや各種イベント枠以外のところにフォーカスを当てた記事です。あまり他の #yapcasia 関連ブログ記事で取り上げられていない部分かもしれません。

自分のYAPCと今まで

2007年から毎年参加して今年で7年目。「YAPC::Asia Tokyo」という名前では2006年から行われているので、結構な古参なんでしょうか?

2003年からPerlを書いている私ですが、それでも2010年までは怖かったり恥ずかしかったり人見知りだったり、外のコミュニティと積極交流することが無くて、Perlのスキルというのは全然伸びませんでした。業務ではひたすらmod_perlを使っていたので、書籍をむさぼり読んで、その知識だけは伸びたという感じ。YAPCで話題になるその年その年のPerl界隈の流行(PlaggerとかWAFとかMooseとかORMとか)には正直リアルタイムでは全然ついていけていません。

2011年からようやく地域pmに顔を出し始め、YAPCが同窓会のような場所になりはじめました。知っている人が少しいるだけでも、その知っている人から推移律のように顔見知りの人が増えていくという相乗効果。ぼっち参加でこの規模の会場に投げ込まれての交流は、今でこそ工夫されていたりコミュニティの成熟などもあって難易度が低くはなったものの、2010年以前はShibuya.pmがあって…あとは…って感じで、相当切り込んでいくぞっていう意思がないと、コミュニティに入りづらい感じはあったんじゃないかなと思います。少なくとも2010年までの私にその勢いがなかったのは悔やまれます。

2012年と2013年はmod_perlでYAPC::Asia Tokyoの壇上にも上がることができました。スピーカー側になって、さらに違った楽しみ方ができました。今年は残念ながらトークは落選してしまいましたが、それ以外の楽しみ方を満喫できたので結果的に大満足です。

私とYAPC::Asiaという部分の2013年までの時系列の詳細は昨年のエントリを参照ください。また、各項目の振り返りや反省が活かされたかという部分も、昨年のエントリと対比して書いてみました。

2014年も無事にYAPC::Asia Tokyoを楽しめた幸せ

昨年のYAPC::Asia Tokyo 2013での、牧さんと櫛井さんによる運営から手を引く発言。それで2014年のYAPCはどうなるんだという不安がありましたが、2014年に入ってから @yusukebe さんが主催することが発表になり、またあの興奮が味わえるのかという感慨深さがありました。

前夜祭が開催されてから、1日目2日目と、本当に本当に楽しいことばかりでした。これは少しずつ書いていきます。アルコールで記憶が弱った部分もあるけれど、まだ熱気が冷めやらない。

前回からさらに進化したYAPC::Asia

会場は前回と同じ慶応大学日吉キャンパスの協生館でした。

ただ、新たな工夫が前回以上に随所にありました。

まずは @yusukebe さんがYAPC::NAに行って取り入れようと思ったという、数々の無限シリーズ

  • 無限ミネラルウォーター (これは昨年もあったけど、さらに無限度が増していた)
  • 無限コーヒー、そして無限ジュース (これが今回の核となるアイデア)
  • いたるところにあるお菓子 / Sweets at everywhere (Thanks to Booking.com !)
  • 無限かき氷 (DMMはかき氷の会社!)
  • Hub貸し切りと2日間各1000杯無料

無限かき氷、予想外に外が涼しくて捌けるのが大変だったそうだけど、味は美味しくて開催中2つ食べました。

それだけでなく、CONBUを始めとした各ネットワークスポンサーによる快適なWi-Fi。前回はメインホールに人が集中した時に切れることがあったりしたのですが、今回は全く切れることがありませんでした。CONBUスタッフの方のトークによると、なんと上流は10Gbpsだとか。そしてハードウェアは最小限にして大部分のシステムをクラウドに押し込めた作戦には驚嘆。Twitterによる実況だったり、GitHubを参照したり、カンファレンスネットワークの安定供給は年々求められています。そんな中で安定したネットワーク回線を供給してくれた方々には本当に感謝しています

そして海外ゲストによる英語トークの同時通訳。「同時通訳といっても、この場所では相当ニッチな専門用語が飛び交うだろうし、英語力ない自分でもトークとスライドに集中したほうがいいんじゃないかな」という当初の不安を完全に吹き飛ばすほどのクォリティの同時通訳でした。牧さんのツイートによると翻訳スタッフの一人に元プログラマーの方がいて、さらに事前にトークする海外ゲストとの打ち合わせも綿密にしていたらしいです。

無限シリーズともかぶりますが、イベントホールの配置から漂うアツいイベント感。昨年は「聴きたいトークに行けなかったり、聴きたいトークが無ければイベントホールに来ればいいよ」という部分があまり伝わらなかった気がするのですが、今回は大いにイベント感あふれる場所・ちょっとした時間に来たいと思わせる場所になったと思います。主にイベントホールを仕切っていた名司会者 @uzulla さんの功績は誰もが認めるところでしょう。

それにイベントホールといえば、無限シリーズを振る舞ってくれて我々を常に快適にしてくださったスタッフの方々、そして「Acme大全」「雅なPerl」といった名物書籍を物販してくれた @maka2_donzoko さんと @kaz_hiramatsu さんの雰囲気作りによるものも大きいと感じました。オライリーブースもそうですが、いつもは通路にあってなかなか慌ただしいこれらの書籍ブースが落ち着いたイベントホールに移動したのは、イベントホールを彩り豊かにする作戦として成功していたと思います。

ドラクエ的に言えば、イベントホールの前のほうは劇場、イベントホールの後ろのほうはルイーダの酒場みたいになっていた感じ。

イベントホールの後ろのテーブルは円卓で、リアル「円卓会議」も実現されていたようです。

一部ののPerlプログラマーの間で、Plackのような次世代を切り開く第一線のPerlハッカー達のネット上での議論の場のことを尊敬の念を込めて「円卓会議」ということがたまにあるのですが、そんな風景がリアルに実現してしまうのがYAPCのすごいところ。

この記事を書くまで結構なYAPC感想記事を読まさせていただきましたが、こういう当たり前に使っている有名なソフトウェアを作っている人達に会えて感想を伝えられるのもYAPC::Asia Tokyoのスゴいところですよね。

YAPCの醍醐味は交流、そして海外との接点

日本中からPerlプログラマーが集まってくるYAPC、上記や前のエントリでも触れていますが、やっぱり醍醐味は交流なんだろうなと思わされます。

色々な交流があると思います。

  • ネット上や地域pmに行った時に交流がある遠方のPerlプログラマーとの同窓会的な交流
  • 会うことが貴重な海外ゲストとの交流
  • 興味深い発表をしたスピーカーとの交流
  • 業界の著名人との交流
  • ぼっちの人を見つけて交流促進支援

自分自身が2010年までぼっちで、懇親会に来ても会社の後輩と固まって食事をして帰るだけという苦い体験を繰り返してきたので、ぼっちの人やあまり知り合いがいない人を他の人との交流に巻き込むということは昨年から意識して行っていることです。さすがに1000人以上いる参加者全てをフォローすることは無理ですが、自分が無理なくできる一定の成果は上げることができたかなとは思います。

「実際に会ったことがないけどネット上では知っている興味のある人がいる」「このプロダクトを作った人に興味がある」という話を聞いて、その人を見つけて懇親会やHubの場で引き合わせたりといったこともしました。「余計なお世話なんじゃ」ってことが頭をよぎることもありますが、ぼっちを脱して交流ができた人はみんな明るい顔になるのを見ているし、自分が逆の立場、つまり著名な方だと言われて引っ張られたらやっぱり嬉しいですよ。昨年の懇親会で「mod_perlの人来たよー」とか言われた時とか、本当に活動してきてよかったなって思いましたもん。

第一線の人だってそうなんだということは、@miyagawaさんのツイートを見て思いました。

私の実質的な対外活動のスタートが2011年7月のHokkaido.pm#5で、実家も北海道ということもあり、北海道、特に札幌周辺の人達との再会は2011年からのYAPC::Asiaの楽しみでありました。それがHachioji.pmだったりPerlBeginnersだったり、他の地域pmやPerlの勉強会にも参加するようになって、本当に大きな同窓会になりました。ぼっちを脱したいと思っている人は、YAPCよりももっと小さな場所を攻めて、そこから顔を広げるキッカケを作ってYAPCに行くのが絶対におすすめです。

今年度に入ってからは、Perl入学式の運営に近いところで活動をさせてもらったりして、オンライン上でしか知らなかった大阪や福岡のPerl入学式のサポーターの方々とも初対面も果たしました。今回はそういう人との初対面という楽しみもあったのです。

海外ゲストとの交流。昨年は自分の英語力の無さから臆病になって全然できなかったのですが、それを自虐的に表明したら実は海外ゲストは孤立しているし、それはそういう日本の参加者が多いからだと教わり、心を入れ替えました。

どこかのフリーザ様のオマージュではありませんが、私の英語力はTOEIC300点台です(遠い昔ですけれど)。でも、そんなことを理由に海外ゲストから遠ざかっちゃダメなんだ、もっと興味のあることがあれば自分から切り開いていかないとダメなんだと痛感しました。

「日本人は読み書きならできるんだし」とも教わり、じゃぁ筆談だ!ということで今回はペンとノートも持参して活用しました。またGoogle TranslateやiPhoneに入れた英和辞書など、様々なツールを駆使しました。今回はヨーロッパからの参加者が多く、クラシック音楽つながりでヨーロッパが大好きな自分としては、その思いを伝えたいということもありました。

2日目のHubで「I love German! Becuase I like classical music, especially Beethoven and …」といった時にribasushiさんが第5交響曲(運命)の冒頭のフレーズを口ずさんでくれた時には「あー、プログラムもそうだけど、音楽も世界共通語だったわー」ってちょっと目が潤みました。その後「Do you like Bach?」って聞かれて、さらに会話が弾んだり。

1日目のイベントホールで休んでいたらBooking.comのFiona Wangさんと話す機会があったので「オランダに興味があるし、自分が好きなドイツも隣で近いし、行けるものなら行きたいです」といったことを英語で言ったらリクルーティングモードに入ってしまったのですが、そこは私の英語力がもっと上がってからチャレンジしますと答えておきました。

今働いている場所の良し悪しとは関係なく、海外で働くことは桁違いの人生の「体験」になると昨年くらいから思っています。若い頃から英語は嫌いだったし、海外への興味なんて全くなかったのですが、昨年くらいからかなり考えが変わってきています。

今年のキーノートでも「ロールモデル」というものが話題になりましたが、恐れ多くも私はmiyagawaさんのような働き方や生き方に憧れています。miyagawaさんのスキルや知名度というものに到達するのは半ば無理ゲーだし、どちらかというと自分にとってのスキルや知名度は働き方や生き方を実現するための手段なのかなって。でも海外で働くとかそういう部分は貪欲に攻めていってもいいんじゃないか。たとえそれが実現できなかったとしても、そのための努力は決して無駄にはならないでしょう。

物ではなく体験を買えとはよく言ったもので、大きな体験は大きな人生の豊かさをもたらすと思っています。そのためには英語も勉強して好きになるし、手段としてのスキルも身につけていく、そういう攻めのスタイルを加速させたいと思ったのも今回のYAPCでした。

2010年までの反省からも、人との出会いや再会、これほど人生の良い体験は無いとすら思っています。そして新しい出会いから生まれる、さらに新しい体験の数々。そういうことを考えると、どうして20代の頃は対外活動をしなかったんだろうと思うとともに、「なにごとも遅すぎることはない」という言葉を教訓にこれからも頑張りたいです。

Perl入学式 in YAPC::Asia の試み

今年はトークに落選した代わりに「Perl入学式 in YAPC::Asia」のサポーターとして参加しました。この試みは2年目で、昨年は少し見学した程度でしたが、今年はトークを聴講するよりも自らの体験を増やそうと思っていたので、すぐさまサポーターとして名乗り出ました。

当日の準備や2時間30分のサポーターなど結構大変な部分もあったのですが、@__papix__ 校長やイベントスタッフの方々に比べたら大したことはないでしょう。

プログラム言語のカンファレンスともなると、初心者お断りといった雰囲気を漂わせるものもありますが、このPerl入学式の試みは「誰にでも開かれたYAPC」という印象をYAPC::Asiaに根付かせることへ一定の成功を収めていると思います。実際会場でも、職業プログラマー以外の趣味プログラマーや初学者にお会いする機会が結構あり、それがPerl入学式 in YAPC::Asiaがきっかけだったという話を聞くと、サポーターとして参加している自分としても嬉しい気持ちになります。

Perl入学式 in YAPC::Asia の詳細については、2日目の記事に書きたいと思います。

国際的コンテンツ @__papix__ 画像について

今年のYAPC::Asiaの顔は主催者である @yusukebe さんであることに異論はないですが、違う意味での「顔」となったのが @__papix__ 氏。

前夜祭のLTのトップバッターを務め、1日目のLTに登壇し、2日目に「Perl入学式 in YAPC::Asia」の講師を務め、3日間どこかの壇上で話しているという事実。本人が2つ応募した本編トーク両方が落選したものの、結果的には壇上で多くの聴衆の目に触れることになりました。

さらに、彼の画像を使ったスライドのネタが多発するというのが今回のYAPCの特異なところでした。前夜祭では連発され、1日目LTでも登場、そして2日目LTではSawyer X氏までが使いこなすという事態。

これを見た @__papix__ 氏は

といい、その結果に対して @yusukebe さんは

と評論しました。

スタッフとしてスピーカーとして3日間どこかで登壇しつづけていた @uzulla さんのような例もありますが、また別の角度から「今年の顔」となった @__papix__ 氏。まさに「国際コンテンツ」です。

前夜祭から笑わせてもらいつつも、内輪受けだと思われると嫌だなぁと思って、あのコンテキストがわからない方へ簡単な解説を書いておきたいと思います。

大阪での学生時代から @uzulla さんにかわいがられていた @__papix__ 氏でしたが、@uzllla さんは頻繁に彼の写真を撮り、そして @__papix__ 氏の同意を取って「これはフリー素材である」として彼の写真をTumblr PAPICS にコレクションしはじめます。主にHachioji.pm界隈で使われだしたこの使い勝手のよい「画像コンテンツ」は、ついには @yusukebe さんが @__papix__ 氏に依頼をして正式な撮影の場を設けるなどして、 @yusukebe さんや @uzulla さんによる共著にも使われることになり、それによってさらに「画像コンテンツ」として一部界隈で有名になっていきました。

彼の味のある風貌や、ネタとして使い勝手のよいポーズの数々など、その汎用性の高さから、一部界隈で素材として重宝がられ、このYAPC::Asia Tokyo 2014で「爆発」したとも言えます。

@__papix__ 氏自身もフリー素材とは言ってくれてはいますが、今の世の中は肖像権があったりするし、使い方によってはコンテキスト的に誤解を生む場合もあるかもしれないので(そこは結構心配しています)、彼の知らないところでもしあなたがスライド等でPAPICS素材を使う際は、是非 @__papix__ 氏とコンタクトを取ってあげてください。商用利用の場合は交渉必須。

みんなを笑顔にする素敵な写真の数々、ありがとうございます > @__papix__ and @uzulla

YAPC::Asiaのこれから

クロージングで、来年のYAPC::Asiaについてあえてボカした @yusukebe さん。来年もやってくれるという気持ちもあり、万が一やってくれなかったとしても絶対に誰か意思を引き継いでやってくれる人がいると、今はそう感じます。JPA自体が可能な限りのYAPCの運営サポートをしてくれることもあるので、今より小規模になったとしても細々と継続して行われていくことに意義があるんじゃないかとすら思えます。

この辺りは2013年までYAPCを支え続けてきて、今年もサポーターやスピーカーとして多大な功績を残した牧さんのブログエントリが参考になるんじゃないでしょうか。

今までのPerl、これからのPerl

今年はトーク応募時点で全然Perlのトークがないと言われて来ましたが、蓋を開けたら半分はPerlの話だったりPerlと密接な話だったりして、やはりPerlのイベントなんだという印象です。でも、他のプログラム言語だったりインフラといったジャンルに対する垣根を作ったりしない部分も今年は例年以上に際立っていて、そこに対して多少の賛否両論もあったのですが、杞憂だよなぁというのが自分の考えです。

昨年はPerl FUDが吹き荒れた年でしたが、今年は目立ったものがあまりありませんでした。なんとなく「ある程度のスケールまで行くと使うプログラム言語は関係ない」「今のPerlは昔のPerlとは違う」といった認識が広がっているのかなとも思いました。

Perlはこれから爆発的なブームは生まないかもしれませんが、後方互換性を重視した姿勢が再評価されたりする時代が来そうな予感もします。それは、今イケていると言われている言語が後方互換性を気にしない姿勢による「バージョンアップ疲れ」みたいなものから発生するかもしれないし、ISUCONなどでのPerlの速度的実績が取り上げられて再評価ということもあるかもしれない。

また、ここ数年はPerl入学式PerlBeginnersといった初心者向け勉強会が豊富に行われて、他の言語よりも学びの場が多いという初学者からの話も聞いたりします。それになにより、今のPerlのコミュニティは言語コミュニティとして成熟していて、昔より開かれており温かい。そういったコミュニティの数々も評価される時代がくるんじゃないかと思います。

様々な理由や努力があるとは思いますが、どのプログラム言語の国内カンファレンスよりもYAPC::Asiaが大きな規模といったことが、国内でのPerlの活発さを物語っているのではないでしょうか。これからもPerlは他の言語の良いところを吸収しつつ、逆に他のプログラム言語やインフラへPerlの良いところを伝えていく時代がくるんじゃないか、今年のYAPC::Asiaを聴講してそういう期待が一層強まりました。

個別のトークの話をほとんどしませんでしたが、かなり長くなったのでこの辺で終わりにします。

1日目のトークのブログ記事へ続きます。

YAPC::Asia Tokyo 2014 が始まります #yapcasia

10年間くらい仕事と趣味でPerlプログラマーをしている、おがた (@xtetsuji) です。

件名の通りですが、YAPC::Asia Tokyo 2014 が2014年8月28日(木曜日)の夜の前夜祭から3日間にかけて行われます。

私とYAPC::Asia Tokyo

2006年から行われているYAPC::Asia Tokyoですが、私は2007年から毎年同僚と一緒に行っています。

最初は完全ボッチで後輩と固まって聴く専門でしたが、2011年7月のHokkaido.pm#5への参加からPerl界隈の知り合いが増えて、それ以来全国のPerlプログラマー同士の同窓会の場になっています。2012年と2013年には思い切ってトークをする側にまわることもできて、とても有意義な体験をすることができ、それによってさらに仲間が増えていきました。私にとってかけがえのないイベントです。

YAPC関連で2013年に書いたブログ記事はこちら。

YAPC関連で2012年に書いたブログ記事はこちら。

YAPC関連で2011年に書いたブログ記事はこちら。

2010年以前は個人ブログとかも書かず、対外的なアウトプットをせず社内にこもっていたので、感想記事はないんです。残念。

今年の楽しみ方

2013年は、突然の運営側からの「来年やる人いないからYAPC無くなるかも」発表の後、しばらくして@yusukebe さんが腰を上げて、2014年も行われることが発表されました。本当にめでたい。

上記にも書きましたが、YAPCの楽しみ方は「年に一度、日本全国のPerlプログラマーが集まる同窓会」といった感じではないでしょうか。もちろん人によって色々な楽しみ方があると思います。今まで地域.pmに行ったことのない人が今から突然行くわけにもいかないので、そういう人はせっかくのYAPCの場ですので、他のPerlプログラマーとの交流を重点的にするのがオススメです。情報だけならネットで検索すれば出てくる時代ですし、臨場感は味わえませんが後日Youtubeで大半のトークは公開されますし。

トークが終わった後のスピーカーを捕まえて質問してみるとか、そういうことで良い出会いが生まれたりすることがあるかもしれません。多くのスピーカーは質問を受けることが嬉しいはずです。私も質問する側、される側、両方で今までかけがえのない良い出会いがありました。

懇親会は事前応募制で漏れてしまった方もいるかもしれませんが、YAPCビギナーだったり、知り合いがいないよという方は、色々な場所に行ってみて声をかけられそうな人がいないか探してみるといいと思います。せっかく行くのであれば、実際に人と交流しないともったいない。本当にそう思いますし、2010年までの自分に言ってやりたいです。

昨年度までを振り返って、私のYAPC参加の反省点は以下です。

  • ずっとトークを渡り歩いて聴講し続けたので、YAPC運営側が想定していたようなフリースペースでの懇親といったものに参加できなかった
  • 特に英語力の問題で、海外ゲストとの交流に尻込みしてしまった
  • 自分のトークがあった2012年と2013年は、それで頭がいっぱいで結構大変だった (得られるものも多かったですが)

その後、英語力は全然成長していませんが、今年は拙い英語でも海外ゲストにぶつかって懇親していこうと思っています。ヒアリングとスピーキングはダメでも、読み書きなら多少はできるぞということで、紙とペンを持って困ったら筆談してやろうという意気込みです。「I can not speaking and hearing English. But I can write and read English!」なんてTシャツ作っておけばよかった。

というわけで今年はこんな感じでいこうと思います。

  • 今年はトークの聴講というものは最小限にして、各スペースで行われているイベントを積極的に回ることにする。臨場感は味わいつつ、多くのトークは後日公開される動画で観る。動画撮影非許可のトークは重点的にチェックする
  • 海外ゲストに果敢にぶつかっていく。最後の手段は紙とペンで筆談!
  • 自分のトークがない分、2日目の「Perl入学式 in YAPC::Asia Tokyo 2014」のお手伝いでYAPCに少しでも貢献する

あと、Twitterなどでいつも有益な情報をいただいているけれど、実世界ではほとんどまたは全く面識の無い人とお会いして顔を広げたいっていうのは毎年の願いです。2011年から人の輪が広がってきて、人が人を呼ぶ感じになってきたので、本当にコミュニティというのはありがたいです。

Perl入学式 in YAPC での出会いも今から楽しみです。

その他いろいろ

今年のYAPCのトークは例年にない2倍近い高倍率で、相当数のトークが落選しました。かくいう私も、今年も応募したものの落選してしまいました。

が!そういう落とされてしまった(リジェクトされてしまった)トークをやろうというイベントがYAPCの熱が冷めやらない9月3日に行われて、そこでお話させていただくことになりました。

例年、1000人規模の人数を集めるYAPCが終わったあと、日本のPerlプログラマーコミュニティはそれをきっかけに盛り上がります。今年も半分過ぎてしまいましたが、各地のPerlコミュニティに足を運んだり、日頃からサポーターとして参加しているPerl入学式が盛り上がったり、まだまだ楽しみなことが色々ありそうです。

まずは明日からの3日間の YAPC::Asia Tokyo 2014 を心残りなく楽しめるように全力で行こうと思います。皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。

良い睡眠習慣の今昔

おがた (@xtetsuji) です。タイトル通りですが、今回は睡眠についてのエッセー。

私自身も不眠体質なこともあり、一時期は睡眠導入剤を服用したり、もともと子供の頃は結構な夜更かしだったり、社会人になってからは仕事の都合で徹夜も幾度かしていました。

タイトルの通りなんですが、最近は夜更かしや徹夜は可能な限りすべきじゃないなって思っています。一般的に自分も歳を取ったからからかなとも思いますし、若い頃は夜更かしや徹夜に耐えられるだけの体力があったということもあるんでしょうね。

昔から睡眠というものそのものに興味があって色々と調べたりしていたのですが、時代とともに睡眠に対する論説が少しずつ変わってきている印象があります。徐々に医学的な研究が進んできていることもあるのでしょう。

一応お約束ですが、私は医療関係者ではないのでこの記事には医学的裏付けがありません。参考にして何か問題があっても責任は持てませんのでご了承ください。

一昔前の睡眠論説

もともと電灯などがなかったり高価だったりした時代は、日が落ちて暗くなったら眠るし、日が昇って明るくなったら起きるということを普通に行っていたので、医学的にも民間的にも睡眠について多く語られだしたのは、電灯などが一般に普及して24時間社会であったり夜更かしの文化が生まれた高度経済成長期以降で、それまでは睡眠時間が何時間とかそういうことを語ることはあまりなかったのでしょう。

自分の子供の頃から2000年台まで考えると、以下の様な睡眠論説が多かったように思えます。

20年くらい前の昭和の頃は「適正睡眠時間6時間」というキーワードが踊りました。睡眠といえば6時間というほど、6時間は定型句だったように思えます。

  • 子供に対しては早寝早起きを励行、成長のため子供は大人より長く眠らなくてはならない
  • 適正な睡眠時間は6時間
  • 睡眠リズムは1時間30分
  • 睡眠がどうして必要かという科学的な裏付けの説明がされることは少ない

それから少し状況が変わってきて、一時期は不況を脱するために働かなくてはならないとか、睡眠を削って自己研鑽するというような「短眠指南」「睡眠時間4時間法」といったものが相当多く出回った印象です。ビジネスマンにとっての睡眠は、自分の時間を減らす無駄なものとして語られることが多くなった印象。

  • 睡眠時間を削ることで自分の時間を作るといった論説が広まる
  • 睡眠時間を4時間まで削ることができるといった、いわゆる非専門家による短眠指南書のブーム

この短眠指南書の躍進には、ナポレオンだったりといった歴史的に短眠だった偉人を引き合いにしたものも多かった印象があります。この手の書籍はビジネス書が大勢を占めていて、書いている人も睡眠を専門とする医学従事者ではないことがほとんどでした。一部の睡眠医学の研究家はこの手の書籍を批判したりしていましたが、声が大きくなかった印象 (非科学的な民間論説に関わるべきではないという学者体質もあるのかもしれません)。

今の睡眠論説

今は2014年ですが、ここ2〜3年の睡眠論説はだいたいこんな感じに落ち着いてきた感があります。

  • 適正な睡眠時間は7時間から8時間だというと統計的主張がほぼ優勢
  • 間を取って7時間30分睡眠ということも言われるが、睡眠リズムが1時間30分であることはあまり取り上げられなくなった (この1時間30分説が前述の睡眠時間6時間説の補強となっていた部分もある)
  • 先天的に稀な短眠者と呼ばれる一部の人以外は、後天的に適正睡眠時間を短くすることは不可能だとし、睡眠学者による民間の短眠指南書を一刀両断する風潮になる
  • 身体の中の化学物質などによる睡眠の医学的裏付けが進んだものの、なぜ睡眠を取らないといけないのかといった根本的命題については今も解決されていないらしく、そこについて詳しく言及されないことが多い (栄養を取らないと死ぬ事は医学的に明瞭に説明できても、睡眠を取らないと死ぬ事は医学的に明瞭に説明できない) が、それでも医学的裏付けは一昔前よりもずっとできている

しかもこれらは以前の短眠指南書ブームの時とは違い、睡眠医学の専門家から独立に発表されたことをニュースや記事にしたものが多く、以前よりも信ぴょう性はあると感じます。

また歴史的にも、ナポレオンの短眠説を否定する論説もあったり、歴史の偉人が決して恵まれた短眠者だったわけでもないらしいということが明らかになったことも追い風になったと思います。ビジネス書がばらまいた短眠指南書ですが、現代成功しているビジネスマンのほうが蓋を開けてみたら7時間や8時間眠っている事実が結構あって、そういう情報が普及するにつれ短眠指南書ブームが去っていったように思えます。

これからの睡眠論説の予想

あくまで門外漢の私の予想でしかないですが、2015年以降数年は以下のように変遷していくのではないかなと思っています。未来を予想してみることは重要。

  • 理想的な大人の睡眠時間と言われた7時間から8時間説はほぼ揺らぐことはない (相当な統計的事実が積み重なった結果なので) ので、これに従っておくことは有意義
  • 「深い眠り」「浅い眠り」というものがもっと民間でも掘り下げられ、睡眠リズム1時間30分説よりももっと詳細な「良い眠りを取るための追求」が行われる
  • 大昔から行われてきた朝起きて夜眠る人間の自然のスタイルが身体にとって最も良いことが、統計的事実や医学的理論でさらに補強されていく
  • AppleやGoogleによるスマートフォンとヘルスケアのエコシステムが確立して、睡眠を計測する機器が今よりもずっと浸透して、それを利用した新たな良い方向の民間の睡眠指南が生まれる
  • 「なぜ短期的に一定期間全く眠らないと死んでしまうのか」といった類の睡眠の完全に未解明な事柄が医学によって徐々に明らかになっていく
  • 夜勤などといった一時的に不定期な仕事をしなければならない人のために、それらの人の身体的負担を減らす医学的技術が開発され、それは時差ボケといった問題にも応用されていく
  • 少子高齢化・人口減少時代で、24時間営業であったり深夜営業といった形態の店が減ってきて、ほんの少しであるが夜遅くまで現代人が起きている理由が減ってくる。それは海外で行われている無理をしない持続的成長でもあり、高度経済成長期以前の見直しでもある

もっと想像は膨らみますが、今も実現しつつあることなどから推察すると、今後数年で上記のような方向に進んでいくようにも思えますし、そうなるといいなという希望的観測でした。

昨日はレイトショーを観に行って夜更かしをしたら、今日は夕方まで眠気が晴れず大変でした。やはり不規則な睡眠生活は良くないなと思っていたら、左手の手首につけている UP24 by Jawbone が「今日は1時15分までに就寝するように」とiPhoneを通じて私にアドバイスをくれました。今後は、よりスマートフォンなどのデバイスや他の機器と密に連携したヘルスケアデバイスが出てきて、我々を健康な睡眠に導いてくれるのではないでしょうか。今日からはまた早寝をして明日に備えます。

UP24は半年近く使ってだいぶ使用感がわかってきたので別記事を書こうと思っています。

UP24は色だけでなく腕につけるサイズが3種類ありますので、買う前に事前調査をしてみてください。不安であればアップルストア等で店頭販売されているので、それを手にとって見るのもよいかもしれません。

参考リンク:

オープンにしたい情報、秘密にしたい情報

おがた (@xtetsuji) です。

私はコミュニティ活動を活発にしだした2011年以降、自分に関する結構な情報をネット上でオープンにしています。自分のドメインでポータルサイトも作って、ここを見ればだいたいどんな人かわかるようにしているといった感じ。

日本のネット文化って昔から匿名主義だったりするので、自分が実名主義だからそういう感想を持つのかもしれませんが、なかなか多くの人が自分の情報をオープンにしないことは残念な気もします。もともと日本古来から、実名を呼ぶことは失礼(偉い人を役職で呼んだりするとか)だという文化があって、変名を多用することもあるのかもしれません。

そういう意味でFacebookが根付かせた実名主義SNSは凄いなと思うのですが、正直自分自身がFacebookの社交的ノリについていけないので、評価半分・忌避半分といったところです。

情報をオープンにするメリット

実名主義を敬遠したりする人にとって、情報をオープンにするメリットってなんでしょうか。

今の時代、終身雇用制も瓦解して自分のスキルをオープンにしていくことが求められています。私の職種であるプログラマーでも、オープンソース・ソフトウェアを開発したりしてそのスキルを間接的にでもアピールしていくことで、役立つことがあったりします。

そういう職種でない人にとっても、現在はプレゼンテーションスキルであったり交友関係といったものはどの職種でも重要で、この時代に大人として生きていくために持っておきたいものです。そのためにも、自分についての情報を一部でもオープンにすることは、多くの人に自分を理解してもらう、良いきっかけではないかと思います。

これから少子高齢化で孤独社会が来ると言われてもいます。同窓会など、一度は疎遠になってしまった人が私を探したいとか偶発的に私の情報にたどりついたとかで、再度親交が温まったケースは何度もあります。初期のmixiとか今のFacebookではその傾向が強いです。ひとまず、来年始めに同窓会をやりたいと考えているので、今年になって数人の中学時代の同級生とつながれたことは結構嬉しいですね。これもひとえに自分の情報を公開しているからです。

オープンにしたいと私が考えている情報

これは私の考えなのですが、オープンにしたほうがいいなという情報です。

まず名前はとりあえず公開といった感じ。世の中同姓同名はほぼ必ずいるので、特に同姓同名が多そうな名前の人は、検索エンジン向けに固有のハンドルネームも一緒にあるとよいです。イベントなどで会ったときの印象も違うと思います。ちょっと恥ずかしいハンドルネームの場合は、恥ずかしくないハンドルネームをとっておくと良いんじゃないでしょうか。Twitterのアカウント名(スクリーンネーム)は一意なもので、2014年現在のハンドル名は多くの場所でTwitterのものがソレといった感じなので、Twitterのアカウント名がハンドルネームと対応していると良いと思います。

しかしながら、私の名前ってどの姓名判断でもズタボロの超ヒドイ結果でして、姓名判断というものの存在自体が「名前ハラスメント」になっているんで、言わないところでは言わないようにしています。色々な事情で本名が言えないとか言いづらい人もいるので、そういう場合はハンドルネームも含めた変名があるといいんじゃないかなと思います。ペンネームみたいな感じで。要は多くの人が自分自身を特定できるのが目的なので。

私はFoursquareなどの位置情報が大好きで、自分の位置情報を公開することにも結構熱心な人です。位置情報は結構なプライバシー情報で、人によっては公開すべきではない人もいるとは思います。特に女性とか著名人とかアイドルとか。でもまぁ私の場合は一般人で、公開しない機会損失よりも、公開したときの偶発的な出会いや助けを大事にしたいと考えています。前の職場では、会社帰りに近所で食事をしていたらFoursquareからTwitterにフィードした情報を手がかりに後輩が来てくれたり、近くにいるFoursquare仲間が会って飲まないかと言ってくれたり、人生を豊かにする偶発的な出会いに役だっています。嫌いな人や苦手な人が寄ってこないかって?日々の過ごし方にもよりますが、普段から八方美人でない限り、あんまりそういう人が寄ってくるっていうことは無いとは言わないまでも稀かなぁという気はします。人にもよるとは思うんですが、そういう思いって無意識に伝搬しますからね。

よく言われる位置情報公開のデメリットは「自宅にいないことがバレたら泥棒に入られる」といったものがあります。ただ、たいてい一日のそこそこの時間は自宅にいない時間だし、近所の人と日々仲良くしたりといった別の方法で泥棒対策をしたほうがいいというのは最近思うところです。もちろん治安の悪化は不安ではありますが、治安を良くしたり治安の良い場所を選ぶことも大切なのかなと思います。ここには決定打はありません。

位置情報が空間情報であれば、時間情報は予定にあたるかもしれません。差し支えない予定であれば公開してしまうのもおすすめです。これはITエンジニアだと結構飲み会などもオープンにATND等のイベントサイトにページを立てたりしているんですが、これもポジティブな偶発的な出会いを求めていることになるんじゃないでしょうか。誰か特定の人を誘うのは心理的障壁はあっても、予定を公開しておいて「これに行きたい人は参加表明してね」っていうのは、ぼっちにとってはライフチェンジングな手法だなと思いました。

大まかな出身地と居住地を公開しておくと話が弾みます。「どこ出身?」から始まる飲み会で盛り上がることは多いですし、実際に会ったことがなくてもネット上でどこ出身かがわかると、そこから広がる話も多いなと感じます。もちろん、上記の位置情報のように、住んでいた・住んでいる場所を話すと差し支えがあるという人や場合も当然あるとは思います。

何らかの連絡ができるメールアドレスはひとつ公開しておくと良いと思います。SPAMが心配であればGmailもある時代ですし、それ専用のメールアドレスを作ることは今では難しいことでもありません。そこから何か良い話が転がり込んでくる可能性もゼロではありません。当然ながら、電話番号やケータイアドレスやLINEなどのIMアカウントは、段階に応じてって感じで、一般公開ってものでもないでしょう。SPAM的対策のしようもないし、キャッチセールスや悪意のある人間に知られた時に逃げ場がない(逃げるコストが高い)。

趣味や特技は公開しておいてよかったと思うことが多いです。最近はSNS全盛、せいぜいブログで、一般のウェブサイトを持っている人は少なくなりましたが、ブログの固定ページででも自分の趣味や特技を列挙しておくと、何か良い出会いが生まれると思います。いわゆる「プロフ」サイトで作ってしまうのも一つの手でしょう。同じ趣味で意気投合して何か新しい体験ができたり、自分の趣味を知っている人が何かのキッカケでそれに関連したグッズをプレゼントしてくれたり、振り返ると良いことが多かったです。下心があるわけではないのですが、相手側も同じ趣味の人と出会える事は嬉しいはず。私の事を職業プログラマーだと思っている人が、実は路線バス好きだという私のもう一つの側面を知れば、良い情報を提供してくれたりといったこともあるかもしれませんし、実際そういうことは結構あります。すごく嬉しいです。ただ、「ロリコンです」とか、言ってドン引かれる趣味や特技もあるので、そのあたりの公開・非公開は各自の判断でお願いします。私は黒髪美女のお姉さん系が好きです。

特に公開しないとしても、大人になってよく聞かれる質問や選択肢には、あらかじめ自分なりの答えを持っておいたほうが便利です。「猫派?犬派?」といった些細なものから「座右の銘は?」など。

趣味や仕事に近い部分でもありますが、自分の作った成果物は公開しておくのがおすすめです。プログラマーであれば自分のプログラム、デザイナーであれば自分の描いた絵などですね。幸いに、今ではGitHubであるとかPixivであるとかニコニコ動画YouTubeであるとか、そういうものを公開する場は潤沢にあるので、そういうのを利用しない点はありません。もちろん転職などの時に有利に働く可能性があることもあるでしょうけれど、思わぬ人との出会いにもつながるかもしれないところが楽しいところです。

オープンにすべきかどうか状況が分かれる情報

学歴とか職歴は難しいなと思っています。就職のご縁など、これがキッカケで良縁があることも大いにあるのですが、人によっては学歴自慢に映ることもあるかもしれない。ネタとして使えるところでは使いますけれど、私の場合は基本的にはあまり全容は言わないことが多いです。前職情報とかも、どこの会社でもあるはずだけどネガティブ系の話題になったり守秘義務に抵触したら嫌だなと思って、話すときは言葉を選びながら話すようにはしています。昔よりは自分も大人になったかも。

あと病歴とか病気になったという情報も難しい。公開してもメリットになることは少ないばかりか、どうしても偏見やハンディキャップにつながったりする情報でもあるので、戦略的に公開しないほうがいい場合が結構あったりします。ただ、差し支えない持病を周知しておくことで周囲に配慮してもらえる部分もあるかなとは思います。呼吸器が弱いとか喘息持ちだと言っておけば、空気の汚いところには連れ出されないでしょう。私はタバコが本当に本当に苦手です。

私も2013年12月に胃潰瘍で緊急入院したときも、公開した時の諸々のリスクを考えた上で、自分には東京で頼れる親類もおらず意識を失う寸前だったことや直近で助けが必要だったこともあり、総合的に判断してTwitterで情報を流すことにしました。センシティブな位置情報を公開することも含めて、これは床上安静になってから1時間くらい真剣に悩んだんですが、結果様々な人に助けてもらって本当に助けられて感謝することになったし、その反面多くの人に心配をかけてしまったなという反省もありました。

血液型は面倒。血液型占いや血液型性格といった科学的根拠の無い差別に会う人もいるんじゃないでしょうか。特にB型の人とか可哀想。ただ、外科系で緊急入院した時にほぼ必要な情報なので周知しておくと役に立ちます、というのは緊急入院したことのある私の意見。まぁ、最近は病院でも採血したら即効で血液型がわかるようです。

位置情報の公開が大好きと上に書きましたが、居住地の住所まで公開するのはどうかなと考える日々です。前述の通り、電話番号やキャリアアドレスやIMアカウントは逃げ場がない系なのですが、居住地バレも逃げ場がない系。厳密に言うと逃げなきゃならない時に引っ越しコストが高すぎる。あんまり偶発的な出会いにも役立たないし、変な勧誘がくるとかのデメリットのほうがはるかに多い。ただ、私の場合は知人がネット上で住所を調べられるようにはしています。突然来られても自宅には入れない(というか片付けていないから入れられないだけ)ですが。

食事情報の公開も良し悪し。「うまいもの食べてるねぇ」って言われて嬉しいこともあれば、「野菜食べてないんじゃない?」とか心配されることも嬉しい範疇としても、「うまいものを食べているリア充アピールですか?」みたいな取られ方をする場合もあるようで、難しいなぁと思っています。自分の場合は単にライフログが大好きで、食事もライフログの一環として記録しているのを単にネットに公開しているだけなのですが、最近は公開すべきもの・そうでないものを分けようかなと思っています。

よくあるのは政治観や宗教観。日本人の特徴なのかなと思うのですが、互いに思想の違う人だと判明すると分かり合えないみたいなのがあって、そういうのは良くないなぁとは思いつつ、話題に出すと面倒なのがこれ。嘘でも「政治に興味はありません」「無宗教です」って言ってしまうのが一番簡単ですが、政治に感心がない大人ってどうなのって思うし、宗教が人を豊かにする側面もあるとは思う。もちろん選挙演説がうるさいってのもあるし、カルト宗教団体に軟禁されて大変な目にあったこともあるけど(本当です)、言うかどうかは別としてそれでも自分の思想は持っておきたいです。

顔写真。プライバシーとか肖像権を問題にする人も多いとは思いますが、私はそれ云々以前に単に昔から写真が嫌いだっただけ。写真写りが悪いというか元の素材が悪いので…。これからでも良くする努力をしていかなきゃとは思っているのですが、なかなか難しい。ただ、カンファレンスや勉強会のトークで撮影が入ったり、取材等で写真撮影があるときには快諾するようにしています。素材の悪さを嘆いても仕方がないので。それよりも人生を通したセルフブランディングのほうが大事だろうと。

あと最近思うのは、写真は撮られ続けると本人も写り方が分かってくるのか見る方が見慣れるのか、味が出てくるということ。毎日 @__papix__ さんの写真集Tumblrであるpapicsを見ていると、味が出てきます。彼の写真はフリー素材だそうです。すごい。

秘密にしておきたいと私が考えている情報

これも私の考え。多くの人が日々おおっぴらに公開しているものでも、自分なりに秘密にしておきたいというものもあります。だからといって、これらを公開している人を批判しているわけではなく、あくまで私個人的な考えで誰かに強制するものではありません。多様な意見があることって良いことじゃありませんか?

意外かも思われるかもしれませんが、私は生年月日を秘密にしたい人です。なぜって、サポートセンターとかに電話をして個人認証の最後の砦として生年月日を聞かれることが多いから。もちろん、金融機関もそれはダメって啓発活動をしているくらいなので、今どき生年月日の8桁か4桁の数字をパスワードや暗証番号ににしている人っていないだろうけれど、個人的に何か抵抗があるのが生年月日の公開。なのである程度信用した人か、何かの登録に必要でその登録先がそれなりに信用たる場合以外は生年月日は言わないようにしています。あと、あんまり年齢を知られて嬉しい歳でもなくなってしまいましたからね。

なので誕生日アピールを必然的にしないので、誕生日を祝ってくれる人がいないという寂しい問題にぶち当たります。それを解決するのが、誕生日は休暇を取って親類と一緒にいるようにする。それがだいたい例年の過ごし方になっています (が、今年は休めそうにないのでかなり落ち込んでいます…)。

それと交際ステータスは秘密にしたいと考えています。要するに、彼女がいるかいないか、結婚しているかしていないのか、離婚歴はあるのか、子供はいるのか、といった感じ。ネットの記事を見ていると、SNSはのうるさいアピールの筆頭として「ぼっちアピール」と「リア充アピール」という対極のものがあって、ぼっちもリア充もダメなのかーと思ったりしたから。自分も確かにあまり受け取って好きな類の情報じゃないなと。「Facebookなどに投稿される子供の写真に和まされる」という話はあって、確かに同意する部分もあるけれど、逆に子供が大きくなった時の意思を考慮して子供の写真は一切公開しないという趣旨の人もそこそこいて、色々あるなぁと思う次第です。私に子供がいるかとかはご想像にお任せします。

あと、自分の位置情報の公開には熱心ですが、同席している他人の位置情報には敏感になりますね。自分がどこにいるか知られたくない人が多いですから。誰々とここにいるという情報をツイートするときには、同席する人に聞くようにしています。一応そういうのには配慮しているつもりです。

交際ステータスや同席している人の位置情報といった話とも関連しますが、自分の情報公開ポリシーに他人を巻き込まないように配慮は必要だなと考えています。当然強制もしちゃいけない。写真を撮られるのが大好きな人も、全員が全員そうではないことを自覚して、他人と一緒に撮影するときには同意を得るとかそんな感じ。

まとめ

これからの少子高齢化社会、どんどん孤独が多くなってくると思います。そんな中で良い出会いを引き寄せていくためには、公開できる自分の情報は積極的に公開していくことで、思わぬ良い出会いがあるんじゃないか、そういうことをまず言いたかったのでした。

この記事は匿名主義である人に強制するものではありません。多様な意見が存在すること、そして参考にすべき意見がたくさんあることは良いことだと思います。様々な事情であまりおおっぴらに活動できないことをしている人もいるでしょうし、そういう人は適宜変名を使い分ければいいと思います。実名主義にも匿名主義にも良い部分悪い部分があると思います。そういうのが並列している世の中は決して悪いものじゃないでしょう。

あと、多くの人の多様な意見・まとまった論説を聞きたいというのはありますね。各自が自分の考えをオープンにしていくということ。そう、私のこんな些細な記事でも読んでくれる人は一人くらいはいるものです(多くの人になんて欲張らず、流し読みでも一人に読んでもらえれば十分じゃないですか)。昨今はTwitterなどのマイクロブログで発言が小出しになっていたりと、時代とともにネットに発言するハードルは低くなっているけど、まとまった量の文章を書くというブログ的文化は以前ほどではありません。Facebookなどでまとまった文章を書いても多くの人の目には触れず検索もできず流れていってしまってもったいない。今だからブログと気づいている人は少なからずいます。今や大手ブログサイトを訪問すればすぐに自分のブログが作れます。ブログを持っていない人も、ブログを書いて自分の意見を公開して、良い出会いを引き寄せてみませんか

夢を追いかけるということ

おがた (@xtetsuji) です。

最近は教育とか学習について考察していて、長文のブログ記事を書いていたんだけど全然まとまらないので、その途中で考えた軽いエッセーを書いてみます。

夢をかなえた人

これを書いている2014年7月30日は sweet ARMS という4人組声優ユニットの TRIGGER というCDの発売日なんですが、その一人の佐土原かおりさんがこのCDで夢をかなえたという話。

佐土原かおりさんは小学生の頃からTWO-MIXが好きで、TWO-MIXの永野椎菜さんに何度もデモテープを送ったりしていたという筋金入りのTWO-MIXファンだったそうですが、めでたくこのCDで永野椎菜さんに「Reboot Tactics」を作詞作曲してもらうことになりました。今日、帰宅途中にウェブラジオ「sweet ARMS放送局 ~RADIO THE TRIGGER~」(第3回目)を聴いていたら、そのことを嬉しそうに語っていました。本当に好きなんだということが伝わってくる。

以前から自身のTwitterでは「自分がTWO-MIXの楽曲を歌うなら?」といった質問もしていたので、当時から本気が伝わってきました。

それを聴いていて「やっぱり夢はかなうこともあるんだ」とか「かなうかなわない関わらず、何かに熱中してそれを追い求めることは大事なんだ」とか思ったりしました。もちろん、本人の才能もあるんでしょうが、佐土原かおりさんと永野椎菜さんの以下のブログ記事を読んで見ると、やっぱり努力や出会いって素晴らしいと改めて思わされます。

テレビを見ていれば「成功者」はたくさん映るけれど、こういうスケールで好きという感情がが駆り立てる成功例は、なんだか自分もできなくはないんじゃないかという、また違った夢や希望を感じさせてくれます。たんに自分が佐土原かおりさんを昔からウォッチしていて、数年越しにかなった夢に、本人のように喜んでいることもあるでしょう。

夢を追う人を理解しない日本

平成不況くらいからか、日本人は夢を見なくなっただけでなく、夢を追う人に対しても現実的な生き方を押し付けるようになったなと感じます。子供には夢や可能性を語るけれど、大人になったら途端に現実的で日々を生きるだけの人になってしまう。最近では子供ですら「将来の夢は公務員」とか言ったりする時代です(公務員が悪いと言っているわけではありません)。

身近な人に過剰な迷惑をかけないという前提ですが、大人になっても夢を追いかけ続けるっていうのは良いなって最近になって思います。冒頭の教育活動にも関連するし自分が年齢を重ねたということもありますが、年齢を重ねてからもプログラミングにチャレンジしようとする人を見ていたりして、そういう感想が強くなった感じがします。

例えば、40歳を過ぎてから医者を目指して医学部を受験しようとしだしても、アメリカでは周囲はとやかく言わないのが普通なのだそうです。これが日本だと、何を無謀なと言い出す人が多そうですよね。金銭面で他人に過剰な迷惑をかけるならまだしも、自分の蓄えた金で実行するのであれば何ら問題無い。だけど日本は年齢を重ねれば重ねるほど無難な方を選ぼうとする傾向にあるのだと思います。

今やインターネットやITの時代になって、外からのプログラミングやプログラマーへの興味関心が高まっているなと、教育系勉強会を通じて感じます。自分は職業プログラマーを10年ほどやっていますが、自分の職業が他の職種の人の夢や魅力となっていることは素直に嬉しいです。そういう人達が台頭して、私の立場を奪ってもらってもいいくらい。いや、困るかな。2020年には全ての職種がIT関連になるとも言われてる昨今、この流れは必然なのかもしれません。

昨今の日本の場合は、長時間労働で時間が無いことに加えて不況で金銭的な余裕が無いことも、夢が持てないというか、夢を追いかけられない理由なのかなと思います。せめてどちらかがあればもう片方を補えるのに、とすら思います。時は金なりですし、金は時でもあります。

趣味という観点も良いと思います。「二位じゃダメなんですか」という言葉は詭弁でしかありませんが、大人になってからも音楽や芸術やスポーツを嗜んでいる人は魅力的です。片手間でピアノを習ってもチャイコフスキーピアノコンクールで優勝できるわけでもないし、片手間でサッカーをやってもワールドカップに出られるわけではありませんが、それでも趣味を持つ事は良い。仕事人間が定年を迎えて人生の目標を失って転落してしまうという話は、特に高度経済成長期を抜けた頃ならよく聞いた話です。人生の幅は広げていきたいものです。

自分はというと、最近は金銭的にも時間的にも体力的にも余裕がなくて、趣味も課外学習もできていないなと、冒頭の佐土原かおりさんの話を振り返りながら考えさせられました。趣味として音楽やスポーツや絵画などに取り組んでいる周囲の人達を見習って、自分も何か趣味の広がり持たせたり、夢を追いかけたいと思いました。

社会人になってしばらくは仕事一筋というか仕事のことを考えるので精一杯だったのですが、2010年からのコミュニティ活動の開始や交友関係の広がりをキッカケに、ここ一年くらい趣味の充実は目下の課題となりました。ただ、時間・金銭・体力のどれも伴っておらず趣味の幅を広げられていなかったのが実情でした。しかしながら、これからはこの3つを作っていく事から始められたらいいなと思いました。

私の夢はなんだろう

時々思い出すフレーズに「夢は口に出すとかなう」というものがあります。実際、佐土原かおりさんがTwitterでTWO-MIX愛を語っていたりするのも、そうなんだなーと思わされました。もう若くない年齢とも言える私ですが、前述の通り今からでもやってやろうという意欲に満ちあふれています。金銭時間体力がついていかないだけ(言い訳か)。著名なプログラマーのあの方も言っていましたよ「何かをすることに遅すぎることはない」って。

子供の頃からの夢とかって言うと恥ずかしい部分もありますが、ここに書いて何かのキッカケがつかめるかもしれないので書いてみます。

最近では、海外で活躍することへの興味があります。中学時代から英語が全くダメなので、まずは英語力の向上から始める必要がありますが、何か糸口を見つけるために語学を磨いていきたいです。職業柄、英語の読み書きは若干できますが、細々とリスニングも始めています。とくに聞くこととしゃべることの英語勉強法が詳しい人がいたら、アドバイスいただけたらこれほど嬉しいことはありません。

職業プログラマーとして10年、コミュニティでのプログラミングを4年ほどしてきましたが、その経験を生かしてもっと人々が役に立ったと思ってもらえるものを作りたいです。また、プログラミング教育も推進して、私をきっかけにプログラミングを始めたという人が良いモノを作るという連鎖も作りたい。そこで自分の名前が表に出なくても良いけど、終身雇用制が瓦解した今、そういう活動がセルフブランディングとして多少役に立って人生を生きる役に立てばいいなとも感じます。

子供の頃からの夢といえば、科学者になりたかった。理科が本当に好きで小学生のころは元素の周期表や化学反応に夢中でした。その後中学時代に科学部に入って生物を勉強して、高校時代に化学部に入って化学に取り組み、高校時代後期はその後も交友が続く友人と大学レベルの物理学や数学に取り組んで大学は数学科に入って何年も数学に取り組んだものの、社会人になってからその経験があまり生きていないのが残念なところ。子供の頃の自分が今の自分を見たら、白衣を着て研究室にいない自分にガッカリしていたかもしれません。今からでも遅くない?

そして小学生のころからクラシック音楽が好きで、特にベートーヴェンやモーツァルトが大好きでした。ベートーヴェンのように作曲、特に交響曲で自己表現したかったし作曲家になりたかった。作曲は小学時代から高校時代まで取り組んでいましたが、ピアノが弾けなかったので和声の知識が乏しかった。楽理や作曲の書籍は読んでいたものの、やはりピアノが弾けないのはハンデでした。自分にとってのピアノは作曲のための手段でしかないですが、好きな曲が弾けたら生活が豊かになるだろうなぁって気持ちもあります。ピアノを習うことは今すぐにでも始めたいですが、ピアノを買うお金と置く場所が積年の課題です。とはいえ、今これを書いていて些細な問題だなと思ってきました。文章を書いて自分と対話することは大事。

というかここまで書いて気づきましたよ。2014年はゴーストライターに交響曲を書かせて問題になった作曲家や、コピペ論文で博士号を取って生物学を揺るがす大発見をしたと言った後に様々な研究不正が発覚して日本の科学への信頼を失墜させた科学者が話題をさらっていった年だったということを!

嘘や不正で名声を得るくらいなら、趣味の域でもいいので身近な人を感動させたり驚かせたりする作曲家や科学者に今からでもなってやるぜ!ここまで書いて自分の中でそういう結論になりました。交響曲HIROSHIMAやSTAP細胞が自分の気持ちを後押ししてくれるとは、思いもしませんでしたよ。

あなたの夢はなんですか?若くても年老いても、今からでも全く遅くはありません。もしよろしければ私にその夢を教えて下さい。私にも協力できることがあるかもしれません。