アウトプット停滞期間の話と、アウトプットについて最近考えていること

アウトプット停滞期間の話と、アウトプットについて最近考えていること#interest_ae「最近ブログが書けていないな」と思って、前回の記事が6月末、前々回の記事が2月末、その前は昨年のまとめ記事で2016年12月末だった。

オープンに活動しはじめた2011年から個人ブログは毎月1記事程度は書いていたのに、それを考えると2017年はとても低調な年だ。

この間、個人ブログは書かなかったにしろ、仕事やコミュニティ活動では外から求められる形でアウトプットをしていたし、また軽いプログラミング系の話題を Qiita に投稿したりはしていた。ただ、個人的に満足行く量かというと、もっとアウトプットできたかなという心残りはある。

なぜ2017年は低調なアウトプットの年になったか、またそれを改善する手立てはあるのか、最近ぼんやりと考えていたことを書いてみたい。

春の雑事

5月11日(木)は慌ただしかった。2017年は所用で渋谷にあるシーサー株式会社に何度も訪問していた。この5月11日(木)はその最初の訪問の日だった。

その次の日、5月12日(金)にはなぜか帯広(もしくは実家)にいた。

実はこの帯広訪問は全く予想しておらず、「直前(今回は搭乗前日)に飛行機のチケットを買う」ということを本当に久々にした。JALだと直前の運賃は割高なので、LCCのジェットスターを使い、東京自宅→成田→新千歳→帯広という行程をした。5月12日のツイートが詳しい。

いつもの計画的な帰省の場合は、東京に帰りたくないと言いつつ1週間近く実家に滞在しているのだが、今回は5月14日(日)には東京に戻ってきており、5月15日(月)には再度シーサーさんに訪問している。

この急遽帯広に戻ることになった出来事は、その後の直接の多忙は生まなかったものの、頭の中で考えることが多く、様々な思索活動が滞っていた。だいたい7月くらいには手を動かす作業が一段落し、半年経った11月ごろには心も落ち着く状態となった。

シーサーさんオフィス訪問については5月だけでなく、7月と8月にも訪問をしていた。こちらは面白い試みの一端を担わせて頂き、知見が広がった出来事だった。

単に忙しいのであれば、2011年からそうだったとも言え、アウトプットが滞る話でもない。ただ、急遽帯広に行くことになった話はそこそこ重めの話で、その事の事後処理的なものが、その後数ヶ月間の頭のワーキングメモリを占めていたことがアウトプットの滞りの大きな要因だった。

急遽帯広に行くことになった話、そしてシーサーさんオフィス訪問をすることになった話は、今月中にでも個別にブログ記事としたい。

夏の暑さに耐えられなく

上述の春の慌ただしさは夏も引き続く感じではあったが、それ以上に大変なのは夏の暑さだった。

「中学校の頃、徒歩で塾に通うマイナス17℃」を平然とこなしていた北国(音更町)出身ということもあり、その反動でもともと暑さというものが嫌いで嫌いで仕方がなかったが、暑さへの耐性が年々加速されている気がする。その代わり得たのが寒さへの耐性だと考えると納得ではあるのだけれども…。

昨年2016年は、職住近接を実現して自宅からオフィスまで徒歩10分かからない状態だったので、暑いと言ってもたかが知れていた。しかし2017年1月にオフィスが移転して地獄が帰ってくる。それは、自宅→駅で徒歩10分、駅→会社で徒歩2分、そして私が嫌いで嫌いで仕方がない東京の電車だ。

最初は新オフィスの徒歩圏内に引っ越して暑さから命を守ろうと思ったものの、あろうことかオフィスの徒歩圏内は私のような庶民が住める価格の物件が皆無だった(豚箱みたいな物件が14万円とかする)。さらに移動の快適さを追求する上で必須とも言えるバス路線は貧弱(オフィスから徒歩数分のところに橋63のバス停「平河町二丁目」があるのみ)。

もともとオフィス移転は「エンジニアの職場環境の改善」を旗印に上げられていた。後に「会社のブランディング」が錦の御旗となったが、それでも旧オフィスにあった過酷な暑さ(正しくはエアコンの温度のムラがひどすぎて自席付近が灼熱になる問題)や二酸化炭素濃度が高いという問題は、「付け過ぎでは?」と笑ってしまうほどのエアコン・加湿器・換気ダクトの新オフィスへの導入をもって完全解決した。ただ、今度はオフィスが暗すぎる問題(当初の照明導入計画のミス)など、新たに発生した諸問題の解決のため、私が指揮を執ることになった。

「忙しさ」というのもそうだけど、作業の差し障りになるのは忙しさだけでなく「暑い」「うるさい」「息苦しい」「暗い」といった負の環境であることが多い。半分は見事に解決したけど、当初予想もしなかった(普通のオフィスでは当然満たされるべき)問題が出てきたことで、その解決のために増えた仕事の「忙しさ」と、「暗い」といった負の環境、そして通勤地獄・外の灼熱地獄といった地獄めぐりをしていたのが夏だった。

もともと「2020年には東京に絶対にいない」と言っていたものの、この夏を越えるのはできてもう1回くらいじゃないかと思うようになってきた。もちろん、東京以上の灼熱地獄を誇る地域が日本国内にいくつもあることは知っている。ただ、東京は超過密都市であることが暑さの不快さを増長していると強く感じる。

秋の多忙

まだ地獄の夏が続く8月下旬、もともと高校時代の友人達と約半年前から約束していた花火大会に行くため、また地元に帰省した。

8月はこの前後もデータセンター作業などが立て込んだりと慌ただしかったが、9月に入り中旬から下旬まで各地を飛び回ることになった。

その予定の中には、前述の花火大会のように約半年前から決まっていたものもあれば、1ヶ月前くらいに決まった出張もあれば、ノリで入れたものもあった。この間、仕事でもプチトラブルがあり、なぜか観光で行ったはずの新得町の民宿でサーバに入って作業し続けたりしていた。

諸国漫遊中に対処していたプチトラブルも概ね解消し、10月に入って落ち着けると思っていたら新たなサーバ関連の過負荷や障害に見舞われたりと、10月も落ち着けない日々を過ごしていた。

11月に入って、ようやく少し落ち着けるかなという状態になってきた。

仕事、コミュニティ、他の目的指向記事など

多忙ゆえ、仕事の方にアウトプットを集中させていたかというと、そういうわけでもなかった。主にトラブルが多かったこともあり、下記で考察するようにアウトプットが滞るような自身の状態もあったのかもしれない。

コミュニティでは、最近はPerl入学式関連の運営をしている事が多い。最近でこそ外向けの記事を書いたりすることは少ないものの、サポーター向けの資料であったり活動報告用の内部文書を書いたりすることはある。外向けには、講義資料は2017年でかなりブラッシュアップしたものの、2018年度に向けての改良はこれからといったところ。もちろん、運営全般も文章を元にしたコミュニケーションの連続ではある(それは Slack であったり GitHub Issue ベースで進む)。

個人ブログだけでなく、Qiita であったりといった目的指向の記事は時々書いていた。ただ、個人ブログだと「ノージャンル」であるとか「長文」であるといったことを意識してしまって書けないということがある。本来はそんなことは全く無く、単なる自縄自縛に過ぎないのだが、そういう思い込みであるとか、「良いものを書かなくては」と思うことで何も書けないという「子供の作文」からの伝統は、思いのほか手強い。

短文のTwitter、長文のブログ(という思い込み)

上記のように、目的指向の記事は書けるというのは、制限がある方が書きやすいということでもある。

それが端的に現れているのは Twitter なのかなと思う。もちろん、短文ベースで日々の考えを文書に落としていく思考回路が Twitter によって鍛えられたという向きもありそうだけれども。それは、俳句のようなものばかり詠んでいた昔の人にも同様のことが言えるだろう。

Twitter は短文、だからブログは長文…と思うのは上記にもある良くない思い込みだなとは思う。ただその反面、まとまった文章を書きたいという欲求もある。しかし、まとまった文章というのは推敲も大変で、書いているうちに疲れてしまうというのもあるし、読み手も疲れるというのもあるはず(ここまで読んでもらっている方、すみません)。結局は、よい落とし所を探すということなのだろう。

ひとまず個人ブログを書く上で、今まで暗に自分に課していた良くないと思われる制限を解除し、また自由過ぎて戸惑う部分に制限を課すという、両方向の対応をしてみることにした。

自分を縛る「ライフハック系ブログ」からの決別

「ライフハック」という言葉は2008年12月発売の「はじめてのGTD ストレスフリーの整理術」あたりから流行り始めた言葉だろう。

私も発売当初のこの書籍を手に入れ、何度も読み込んで日本に紹介されて間もないGTDのことを学習した。

その後、GTD的タスク管理を何度か試してみたものの、自分ならではのつまづきがいくつもあり、結局定着はしなかった。それについてはいつかブログ記事で考察したい。

この書籍の出版の後、2010年以降の「ライフハックブーム」とでもいうものに、ライフハック的思想に共感していた私も大いに熱狂したものの、数年前から「あれ?ちょっと違うのでは?」と思うことも増えてきた。

ライフハックという言葉が目指すものは各人の目指すものの違いで多少の違いはあるのは当然だ。ただ、「ライフハックブーム」を牽引してきたライフハック系ブログのアルファブロガーと呼ばれるような人達の言動の変遷、または彼らがブームの黎明期に勝ち得た影響力をことさら自分の利益のために使い、ライフハックが目指すべきものから「ライフハック」という言葉が離れていっているのでは、と。

提灯記事疑惑からはじまり Evernote 狂騒曲まで。ここ数年心に引っかかっていたことが、最近ようやく言語化できるようになってきたものの、まだ私の考察は足りていない。いつかこれについてもブログ記事で考察したい。

「ライフハック系ブログ」が私のアウトプット習慣と何の関係があるかというと、2011年にはライフハック系ブログを詠んでいた私は、ブログの文章フォーマットもライフハック系ブログのそれを真似ていたからだ。

主に

こんにちは、○○ (@***) です。

前文

目次

結論、私はこう考えた

こういう文章の構成も、実は多くのライフハック系ブログから取り入れたものであるものの、別に自分のブログに Google を介して来る一期一会の人に「こんにちは」から始まる自己紹介をするのも意味ないよな、という達観めいたものもここ最近は感じていた。終身雇用制度が崩壊した今、無名が良いはずはないものの、Google を介してアクセスしてくる一期一会に執着するのは自分のスタイルではないと。

もっとも Facebook のような、必ずしも強固なつながりではない知り合い同士の「毎日が年賀状」みたいな世界観も私のスタイルではなく、過去何度となく「○○疲れ」が出ている双方向フォローのSNSからは私は距離をおいていたりもする。私が心地よいと考えるのは、各々が興味ある方向を向けばいいだけの片方向フォローと、勉強会やカンファレンスなど実際に会って得られる信頼感や連帯感だろうか。

「ライフハック系ブログ」では、だいたい「です・ます調」の文体であるものの、今までのこのブログ記事と一線を画すように、このブログ記事は実験的に「だ・である調」にして書いている。

「です・ます調」の方が文体から親しみやすさが出るものの、「です・ます調」は長文がどうも書きづらいという欠点がある。また文書の性質にもよるかもしれないが、読み手にとっても長文が「です・ます調」であるのは読んでいて疲れるものかもしれない。それは Wikipedia が「です・ます調」だとどうか考えるとわかりやすいかもしれない。もっとも、Wikipedia は書き手の個性を消すことが求められる百科事典だから単純に比較はできないかもしれないが。

短めの文章かつ読み手に対するレクチャーを伴った文章は「です・ます調」でも良い。難しい概念の解説のとっつきづらさを和らげる効果は「です・ます調」にはあると思う。Qiita で書く記事は「です・ます調」を主にとっているものの、文章以外のコードなどがメインとなるため、文書だけでみると長文とは言えず、あまり苦にはならない。紹介であるとか体験であるとか、個人の視点を主眼にした記事は「です・ます調」を使えばいい。一つのブログ内で両方の文体の記事が混在していてもなんら構わないだろう。

もっとも、国語教育では「です・ます調」と「だ・である調」を混ぜることに消極的だったかもしれない。むしろ、そういう事を陽に教えない(「作者の気持ち」や古文や漢文にばかり時間をかける)とも言えるし、読解教材でそういう文書を取り上げないともいえる。ただ、「だ・である調」の中に「です・ます調」が紛れ込んでくる手法も、効果的に使えば面白い効果をもたらすかもしれないなと最近感じている。例えば、カンファレンスでのトークで淡々と解説していた登壇者が突然聴衆に問いかけてくる、または戸惑ってみせる、そんな効果とでも言えるかもしれない。

今記事を、ライフハック系ブログの影響を捨て去って文章フォーマットも簡素にし「だ・である調」をメインにしてみたところ、思いのほか書きやすいなという印象がある。この部分は私を縛っていた要らないルールだったのだと感じる。

オープンに活動しはじめてブログを書き始める前、それどころかブログという言葉すらなかった学生時代には、個人ページの「日記欄」のようなものを毎日更新して、そこの文体に統一感を持たせつつも、様々な効果を狙った文章の実験をしていたのを思い出した。時に誰かの文体模写をしたり、突然ドイツ語で一部の文章が綴られたり、まるまる暗号文を唐突に出すということをやったこともあった。読み手のことはあまり考えない(読んで不快になることは書かないけれど)。あれはあれで面白い文筆実験だったし、ああいう統一感の中にある自由さを再度追い求めようとしている。

ブログには統一感を持たせることも必要だけど、上述の通り記事毎に効果的であれば「だ・である調」と「です・ます調」の記事が併存してもいいと思うし、記事内に混在する意欲的な実験もありだろう。どうせ個人ブログだし。統一感を取るのか、それともそれにとどまらない効果を取るのか、学生時代の個人サイトの更新作業を思い出しつつ、大いに実験していきたい。

量より質、アウトプットよりインプット

無職時代の2015年ごろから、量より質を高めようと考えるようになった。またそれにともなって、アウトプットよりインプットに比重を置くようにもなった。

先日、ファイル整理の一環で今まで作成したスライド資料を整理していた。中小の勉強会から大規模カンファレンスまで、トークをする時にはスライド資料を作るものの、2011年からオープンに活動をし始めて一番スライドを作った年は2013年だった。以後、年を経る毎に無難な量に落ち着いていく。

2013年は毎年催される Hachioji.pm によく行っていて、そこ(居酒屋)でLTをすることになるのでスライド資料を多く作っていたようだ。過去の流用をするほどネタもないので、とりあえず話題を作ってスライド資料を作るということをやっていた。スライド資料の中には「無いネタをひねり出していた」苦しい資料もあるものの、オープンに活動し始めて2〜3年目で(たとえ10人程度の居酒屋であっても)トークをする場数を踏めたのはとても良い経験だった。

ここ数年はPerl入学式の開催日と被ったり、土曜日に疲れ果てて電車に乗る気力もない事から足が遠のいているものの、たまには行ってみたいし、場数を踏んでスライド資料作成力やトーク力を上げたい人には Hachioji.pm はピッタリの場所だと思う。

活動2〜3年目は場数を踏むのが良かったものの、5年目頃から「もうちょっと自分を客観的に見てアウトプットスキルを上げたい」「無理やりひねり出したネタは見苦しいかもしれない」と考えるようになった。

上述のように3年ほどで結構な場数が踏めた前後、YAPC::Asia Tokyo (2012、2013)やそのリジェクトコン(2014、2015)といった大舞台でもトークをする機会を得た。そういう大舞台でのトーク経験を経て、あとで自分を客観的に振り返る余裕も出てきて、実際に振り返ると様々な知見があった。そういう余裕も場数あってこそなのかもしれないが、単に場数を踏むだけでないアウトプットスキルの上げ方も見いだせると色々と考え方が変わってくる。

また、2013年の自分のような話ではあるものの、様々な勉強会で「毎回登壇している人」というのはたまにいて、その中でも一定のクォリティを維持できずに「登壇ノルマ消化」みたいな状態になっている人を見て自戒することが結構あった。人によっては毎回新しいネタをぶつけてくるのに一定のクォリティを維持している驚嘆すべき人もいるものの、多分そういう人は珍しい人種だと思う。私なんか、愚痴としか言いようがないことしか書かれていないスライド資料があったくらいだ。

逆にスターエンジニアと呼ばれる人の多くは、年1回の大舞台のために仕事や個人で行うことをそのネタに集中させて大舞台を成功させているように感じる。違う側面から見ると、登壇回数が多くないということは、スターエンジニアという人の神秘性の向上や登壇の希少性(登壇への価値がつく)に寄与している。

もちろん私も含めた多くの人はスターでも何でもないので、場数を踏んでトークスキルを身に着けていかなければならないし、大転職時代にセルフブランディングをしていなければならない。今スターエンジニアと呼ばれる方も、最初はそうやって場数を踏んでトークスキルを身に着けたのだと思う。天性のトークスキルを身に着けている人は早々いない。

こう考えると、量と質の問題は難しい。ただ、まず量をある程度こなした後に質に比重を移してもいいかなとは思う。スターエンジニアを意識するというとおこがましいが、だからといって「6年目」の私が「登壇数至上主義」になるのも違うかなと。30代になってから始めた遅咲きのオープン活動、「6年目」と言えど年齢的にはいい歳になるので、ちょっとは感心してもらえるものを出さないと、時間を割いてトークを聞きに来てくれる方に申し訳ないという一面もある。

そうなると、トークや記事発表という「アウトプット」の量を増やすことより、その質を高めるために読書や開発手法の勉強など「インプット」が増えていく。インプットを多くすることは、実は過去あまり意識できていなかった(外部要因でやることはあれど)ので、ここ数年間の平和を利用して勉強時間を捻出していこうという機運は高まりつつある。

そういう部分もあり、ブログ記事など表向きの文章を書くことから疎遠になり、また上述のような多忙や自縄自縛など様々な要因があり、書かないことと書くスキルが落ちていくことの悪循環に陥っていたのがここ半年ほどの状況だった。

ありきたりなまとめになってしまうが、量も質も、インプットもアウトプットも、バランスなんだろう。

平和になったがゆえに気が散る、そして環境

2014年の年末から無職となり、2015年は前半無職、後半から現職場で働き始めた。一つ言えることは2015年から本当に平和だということ。

2014年は職場環境が喫煙環境と隣接しすぎていることなど様々な要因があり、複数の病院を掛け持ちするほど体調を壊して10ヶ月で退職するに至った(2月〜12月)。また2013年まで約10年務めた会社は、お世辞にも平和とは言えない過酷な時期があった。それでも在職していたのは、尊敬していた当時の先輩方の作ったものを守り伝えたい一心だったから。

2015年から、心身の健康を脅かすものがほぼ無くなった。もちろん、今の職場でも問題にぶち当たることはあるものの、自分が指揮を取って問題解決に至れることが多く、心の平穏に寄与している。

過去の、周囲の理不尽さに激昂したり絶望していた当時の自分の振る舞いは、それが一過性の防衛機制だったとしても、中長期的には自分の心を蝕んでしまい苦労することを身をもって知った。それがだいたい2005年頃から2011年前後までの話で、そういう心の葛藤があったこともあって、社内に閉じこもっていた自分が当時の「外のエンジニア怖い」という恐怖を乗り越え、オープンな活動を始めるキッカケにもなった。

2015年の長い無職期間の間、心を落ち着けて感情の起伏を穏やかにすることを心がけたことも功を奏し、また今の職場の平和さと相まって、2015年以降「激昂する」とか「絶望する」といったことからほぼ無縁になった。無論、暑さや電車や超過密都市東京のように嫌いなものはあれど、逃げる段取りを作ればいいだけの話だし、今の職場もブラックならすぐやめよう(もともと全てを捨てて地方で非ITの仕事をするために無職期間に放浪していたのもある)と思っていたものの、思いのほか平和だったので定着することとなった。それでも東京の電車と暑さが好きになれるかは別の話。

前段が長くなったが、平和になったことでアウトプットがはかどるかと思ったら、意外にそうではなかった。

長年の疲れが出た、加齢によるもの、平和だけど今までと違うタイプで忙しい(内勤だけでなくデータセンターや深夜障害対応や出張などがある)…。どれも多少はあると思いつつ、平和だから周囲がよく見えて気が散るようになったということがあるなと感じつつある。

簡単に逆を言えば「平和じゃないと周囲がよく見えない」だけど、それはしっくり理解できる。炎上案件の対応を続けていたら、部屋が多少汚いとか気にならなくなる。そして炎上案件の連続から解放されたときに初めて部屋で落ち着けない自分に気づくわけだ。

(命題の逆は元の命題と真偽が必ずしも同じではないけれど、この場合は元の命題が「平和」と「周囲がよく見える」をほぼ必要十分条件と扱うと考えれば、なんとなく飲み込める)

とはいえ、世間に目を移しても2012年前後からIT企業もITコミュニティも目に見えるほど温和になった気がする。ただでさえ少ないITエンジニアが人口減少時代でさらに奪い合いとなるわけだ。ちょっとの悪評が命取りになることを考えると、もっともな変化だと感じる。

環境というと

  • 部屋が汚い
  • 周囲がうるさい
  • PC環境が遅い

といった、いわゆる「生活環境」と「デジタル環境」の両方全般を指している。

15年以上住んだ中野区の自宅は、もともと部屋の片付けが苦手だった性分に加え、過酷な仕事の数々に心も荒んで、汚部屋としか言いようがない「物の海」を泳ぐ家だったが、2015年の品川区への引っ越しでだいぶまともになった。今は「床を歩いている」とはいえ、それでもまだまだ散らかっているので少しずつ頑張っている状態だ。

このあたりの環境改善については、別のブログで考察したい。

これからの改善

他にも原因はありそうだが、キリがないのでこの辺で打ち切る。

問題点を洗い出せたところで、これからどうするかということになる。落ち着きを取り戻した秋以降、上述のように部屋の片付けなどを続けているが、まだ道半ばといえる。

最近、ADHDに関する書籍を読んで、もしかしたら自分もADHDなのかもしれないと思ったりもしている。まだそういう症例が無かった数十年前の大人が「大人のADHD」と診断されることもあるという。

自分の場合、平和が損なわれた状態で日々恐怖や怒りといった感情に追われて行動していた時代には ADHD であることは気づかなかったということなのかもしれないと。子供の頃は「落ち着きがない子供」として見逃され、また大学時代は好きな数学をやっていたことや自分にとってちょうどよい難易度の進学基準に助けられていただけなのかもしれない。

病気のレッテルというわけでなく、それによって行動を改善する知見が得られれば良いという考えに基づいている。最近は心を診察する病院が身近になったこともあり、頭痛やめまいと扱いは似ているとも言える。むしろ病気でないということであれば、単に「落ち着きのない大人」ということになり、それもまた微妙な心境だ。

GTD に馴染めなかったという話は上述の通りだが、自分にあった簡素なタスク管理手法を試したりしている。また、この過程で GTD に馴染めない理由もなんとなく分かってきた。自分と同じ悩みを持つ人にいつかアドバイスできたらと考えもする。

タスク管理をしっかりして、仕事以外の個人タスクも優先順位や時間配分を自分にちゃんと課すことができる仕組みづくりができれば、あとは文書も書くべき順に書いていけるよう、時間を捻出してモチベーションコントロールをしていくだけだ。2017年からオフィスが遠方になってしまったが、様々な工夫をすることで通勤の負担を減らしていきたい。

直近は、アドベントカレンダーの記事を書くことになりそうだ。心を入れ替えて、新たな文書のチャレンジを地道にしていく思いだ。

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