xtetsuji) です。
おがた (@2月始めに転職をして2週間経過。12月と1月は入院生活と病気生活で横になっていたのでまだ病み上がりで体力が戻りきったとは言えないのですが、だいぶ気分的に落ち着いたので、転職活動のことを文字で振り返ってみようと思います。
要所要所に、これからPerlで転職活動をする人への参考となることを書いてみたつもりです。
詳細は退職エントリと入社エントリを参照下さい。長文ですが、忙しい人は見出しと太字だけ読めば何となく流し読み出来ると思います。
Contents
- 1 2013年転職活動の成果
- 2 所有スキルが一致する事が第一ではないらしい
- 3 ソーシャルゲーム業界はエンジニアが飽和していてハードルが高い
- 4 複数内定を選ぶ悩み
- 5 実際に入社してみて
- 6 転職エージェントは絶対に使わないと決めた
- 7 2010年転職活動の振り返り
- 8 人生の「もしも」
- 9 2011年からの転換
- 10 セルフブランディングという活動と実際のスキルを伸ばす活動
- 11 自力で転職活動をするメリットとデメリット
- 12 なぜ2013年就職活動は上述の4社だったのですか?
- 13 あの大きな企業は選定基準に入らなかったのですか?
- 14 スカイアークには入らないんですか?
- 15 各人それぞれのスキルでPerlを武器に転職活動をするには
2013年転職活動の成果
2013年10月から12月初旬まで転職活動をしました。結果的に4社面接を受けて、2社不採用、2社内定という内訳。
入社した「株式会社Wano」以外に面接した社名については、昨今色々と敏感に反応する方もいらっしゃるので伏せることにします。
「1社目」は、勉強会でよく交流している方から以前より声をかけてもらっていた会社。今や誰もが使っている超有名プロダクトを出している大企業で、誰もが知っている会社。10月に転職活動を開始することになる前から水面下で話をしていたけれど、10月にいよいよ就職活動開始となったときに繋いでもらいました。結果的に一時面接で不採用になるのですが、面接前事前テストから面接決定そして一時面接を受けて不採用になるまでが1ヶ月以上(5週間くらい)かかって、大いに焦りました。「この調子じゃ、いつまでたっても次が決まらない」と。
1社目の不採用で、焦って次を当たりました。水面下で就職活動をしているとコッソリ伝えていた人づてに2社目3社目と面接を受けさせていただきます。
「2社目」は、社名自体の知名度はそれほど高くないものの、業績も良くて今元気な会社。主にモバイルでソーシャルゲームを開発運用している会社。私の経験を買われて、中の現場の人から熱烈歓迎を受けてオフィス見学までさせてもらって、すごい良いオフィスだと感動しました。ただ、マネージャークラスの方と面接したときの受け答えで何か良くない部分があったのか、まさかの不採用となってしまいました。中の現場の方も残念がっていたので、本当に残念です。分析は後述。
「3社目」は、親会社の名前は誰もが知っている歴史のある会社の子会社。社員数数百人で、親会社なら万の単位の人数がいるらしいです。話を繋いでもらった中の現場の方に呼ばれて、上級職の方とざっくばらんに話をするという内容だったのですが、結果的にこれが一時面接のようなもので、次の「二次面接」で話をした方とも感触が合って、嬉しいことに内定をいただくことになりました。
「4社目」は、入社エントリでも書いた「株式会社Wano」。ここは今までの3社と違って、YAPC::Asia Tokyo 2013 のハガキを送ったのがキッカケで、中の人で知っている人が全くいない、だから興味があった会社でした。詳細は入社エントリを参照下さい。
所有スキルが一致する事が第一ではないらしい
私は2011年からPerlを中心としたエンジニアコミュニティでオープンに活動をしはじめて、そのなかでも「Apache mod_perl」と呼ばれるPerlを組み込んだウェブサーバを専業として各地でトークをしたりしていました。何しろ前職の業務のミドルウェアの縛りが相当きつくて、Apache mod_perl以外のウェブサーバを使わせてくれなかったという事情があって、それは今では良い部分も悪い部分もあったと思っています。
1社目と2社目は、社内にmod_perlの資産をまだ結構抱えていると聞いていました。なので1社目と2社目は結構自信があったのですが、結果は不採用となってしまいました。中の現場の人も意外がっていた部分です。
逆に、3社目はPerlの古い資産も抱えているもののJavaやPHPもあって、これからMojoliciousで新しいサービスをPerl部隊が作っていこうとしている会社。4社目(Wano)はAmon2をベースとしたフレームワークで結構長くサーバサイド開発をしている会社。この2つの会社はmod_perlとほとんど縁がなかったこともあって、面接を受ける段階で自分の強みが伝わらないから内定確度は低いと思っていたら、非常に好意的に迎えていただいて内定をいただけたました。
結果的に「Perl」という主軸となるスキルはすべての会社で訴求して一定の効果はあったのですが、その中でも自分が突き詰めた「mod_perl」というスキルは結果としてあまり活きなかったというのは興味深かったです。
すべての会社が面接時に私のオープンな活動に目を通していたはずです。1社目と2社目でも面接時にmod_perlの話やYAPCでのトークに触れたのですが内定を受け取ることはできませんでした。想像ですが、レガシー資産を抱えている会社はレガシー資産を捨てたい一心であって、今さらレガシー資産を専門に開発できる専門家なんて雇ったら捨てたいものも捨てられなくなるという思いがあったから不採用になったんじゃないかと思っています。あくまで想像でしかありませんが。
mod_perlがレガシーというくくりに入れられるかどうかは別ですが、多くの会社にとってPlackやそのエコシステムこそ新しく、CGIやmod_perlは旧世代のものだという認識でしょう。mod_perlが好きな私にとってはいささか寂しい話ではありますが、それが事実です。
ソーシャルゲーム業界はエンジニアが飽和していてハードルが高い
数年前に一世を風靡したソーシャルゲーム。プラットフォームとなる大企業、開発をしてプラットフォームにゲームを提供する中小企業、開発の受託を受ける零細企業、それぞれの規模で勝ち組と負け組がだいぶハッキリしてしまいました。また、ソーシャルゲーム自体の市場規模も以前ほどではありません。
何が言いたいかというと、ソーシャルゲームの開発運用経験が無いシニアクラスのエンジニアは今ソーシャルゲームの会社に入って開発運用の仕事を受けるのは難しいということです。2社目がまさにソーシャルゲームを作っている中規模の会社でしたが、私がソーシャルゲームについて中立的な立場であることや、ソーシャルゲームの開発運用経験が無いことを話したら場の空気が悪くなった(感じがした)ので、私の年齢になると中途無経験でソーシャルゲーム業界には入れないんだなと痛感しました。まぁソーシャルゲームが大好きだという熱意を押せばまた違った結果になったかもしれませんが。
今回は面接を受けませんでしたが、ソーシャルゲーム企業の代表格であるDeNAの募集要項を見ると「ソーシャルゲーム開発運用経験3年」がすべての職種において付いていて「こりゃ色々無理だな」と思った次第です。たとえ運良く入れたとしても、ソーシャルゲーム特有の知識を求められることは必死でしょう。他の落ち目になったソーシャルゲームの会社から人材は毎日のように流れてくるわけですし、私のような人材を雇う必要性は少ないわけです。新卒といった若い年齢でポテンシャル入社をするのはまた別の話ですが。
複数内定を選ぶ悩み
結果的に2社から内定を頂いたというありがたい状況ですが、同時に選択に悩むことにもなります。年収や福利厚生や職場環境といった部分は両社甲乙付けがたいという状況でした。
内定をもらったのは12月始めでしたが、悩んでいる最中に2013年12月11日の緊急入院となってしまいました。貧血と連日の胃カメラなどの検査の連続でグッタリしている最中に、3社目から返事を急かされるメールをiPhoneで確認したあと2時間ほど熟考したのですが、結果的にWanoを選ぶことにしました。Wanoが決め手になった部分については入社エントリに書いてありますが、選択は本当に僅差といった感じでした。同時に複数社受けても、内定をもらえてもせいぜい1つと思っていたので、これは本当に大変な選択でした。人生は選択の連続です。
熟考の末にたどり着いた結論は「どんなにオフィス見学をしても面接で詳しい話を聴いても、実際に入社してみないと結局何も分からない」ということでした。分かれ道があっても、失敗を恐れずどちらかに歩いていかないと何も始まらない。
実際に入社してみて
まだ2週間、緊張癖なので手探りです。1ヶ月とか半年とか1年経ったときに振り返りブログ記事を書こうと思っています。
前職が在職10年。客観的に見ても業界内ではかなり長いですが、10年ぶりに環境が一新したという事実にまだ慣れないというのが実際です。たぶん2ヶ月病気で病み上がり状態、かつ環境適用力が高いとは言えない自分の場合は、少なくとも慣れるまで1ヶ月くらいは掛かりそうです。
転職エージェントは絶対に使わないと決めた
今回の転職活動では、いわゆる「転職エージェント」というものは使いませんでした。退職エントリや入社エントリにも書いた通り、2010年に人生最悪の出会いをしたからです。
よく「転職エージェントは複数活用すべきだ」という意見を聞きます。あれの真相は、視野が広がるとかそういう意味ではなく、誤解を恐れずに言えば転職エージェント4人のうち3人は他人の人生なんて考えず、自分の目先の利益だけを考えて、人を会社に機械的に突っ込むだけの人売りに落ちぶれてしまっているからでしょう。数名に聞いたのですが、だいたいの人は転職エージェントの6割から7割5分は落ちぶれた人売りだと言うところ、自分と同じ感想を抱いているんだなと思いました。
私は2010年の最悪の体験以来、金輪際「転職エージェント」というものを使わない・関わらないと心に誓いました。
もしあなたが転職エージェントを使って転職活動をするならば、絶対に4人以上の転職エージェントを使うべきです。そしてそのうち胡散臭い下位3人は話半分で付き合う程度で良いでしょう。運悪く全員胡散臭い場合は全取り替えも躊躇なく行うべきです。それがあなたの人生とあなたのメンタルを守る大切な行動になります。
2010年転職活動の振り返り
2010年転職活動は、元同僚の「転職を考えていなくても自分の市場価値を測るためにも転職活動をしてみるべき」と言われ、2010年春に紹介された転職エージェントの出会いからになります。
2010年、時代はまさにソーシャルゲーム全盛時代、その転職エージェントはひたすらソーシャルゲームの会社を勧めてきます。当時ソーシャルゲームに何の関心も無かった私は「いいんですか?」と言うと「作れる力があれば良いし、そう言えばよい」という転職エージェント。面接に行って、作れる力があることを語って不採用になった理由が転職エージェントに伝わって、次の会談で転職エージェントから「何でそんなこと言ったんですか」と怒られるということを何度か繰り返しました。典型的なダブスタとしか言いようがありません。当時のソーシャルゲーム市場は年収も高騰しており、転職エージェントの実入りを考えれば、とりあえず多くのエンジニアを機械的にソーシャルゲーム会社に突っ込む事で食い扶持をつなぐという、人それぞれの人生プランを考えない、最悪の考えだったのでしょう。運が悪かったし、私自身も無知だったとしか言いようがありません。カルト宗教に勧誘されたりねずみ講に捕まって軟禁されるくらいの屈辱とストレスを味わいました。
2010年の春から、転職エージェントと自然に縁を切った同年秋まで、人生最悪の半年間を過ごして疲弊しました。メールに返信できないくらい精神的に疲弊し、思い出したくもない最後にもらったメールが「メールに返信しないなんて大人として最低」だったと思います。「おまえのダブスタのほうが最低だよ」と返そうと思ったのですが、その余力もありませんでした。
今だから時効だと思うので2010年転職活動の一端をお話しますが、1社目はDeNAでした。転職エージェントのソーシャルゲーム至上主義に踊らされた序章でした。YAPC等の露出を通じてDeNAは良い会社だと認識していて(今も良い会社だと認識しています)、Perlという自分の強みも活きると思ったのですが、前述の通り不採用となってしまいました。
カレンダーに記録が残っている面接記録です。他にも面接を受けた会社があるかもしれないのですが、もうあの転職エージェントとのメールのやり取りを見たくないので、調べるのはやめました。また、DeNA以外は社名を伏せることにしました。
- 2010年7月2日(金曜日) DeNA 0時面接 (転職エージェントを交えた雑談)
- 2010年8月16日(月曜日) DeNA 一次面接
- 2010年9月8日(水曜日) 某ECサイト運営会社 一時面接
- 2010年9月24日(金曜日) 某ベンチャーキャピタル 一時面接
- 2010年9月28日(火曜日) 某有名会社のソーシャルゲーム孫会社 一時面接
- 2010年9月29日(水曜日) 某ECサイト運営会社 二次面接
- 2010年10月4日(月曜日) 某有名会社のソーシャルゲーム孫会社 二次面接
- 2010年10月25日(月曜日) 某ベンチャーキャピタル 二次面接
DeNAを除いて、二次面接までは進めました。ただDeNA以降、転職エージェントのダブスタに辟易として、なるべくソーシャルゲーム会社を避けようとしていた事が伝わります。この中で内定をもらえたのは「某ECサイト運営会社」からだけでした。ただ、業界で良い評判を聞かない「EC Cube」を採用しているというところと、社内がPHPとPythonで二分されているというところに自信がなく、「某ベンチャーキャピタル」の二次面接の結果を待ちたいという理由で内定を辞退することにしました。同じ問題解決の層であるLL言語が社内に多く乱立しているということは、何となく個人的に避けたかったという気分でした。Pythonオンリーであれば入社していたかもしれません。
この時期も就職氷河期で、新卒の圧迫面接などが問題とされていて、そういうのにさらされたら嫌だなぁと思っていたのですが、中途だからかそういうのにはほとんどあたりませんでした。あ、ただ「某有名会社のソーシャルゲーム孫会社」だけは、高圧的な面接態度にさすがに立腹した覚えがあります。2010年秋、Plackを使ったことがないということで相当罵られました。この親会社ももともと好きじゃなかったのですが、さらに嫌いになりました。ちなみに既にこの孫会社は業績不振で無くなってしまったようです。具体的な名前を知りたい方は口頭で教えます。ここではさすがに書けません。
人生の「もしも」
今考えると、だいたい自分の周りのサーバソフトウェアやミドルウェアは6年くらいの周期で変わっていったと思います。これは私基準ですが、1997年、2003年、2009年です。個々の事例は省きますが、2009年秋にはPlackが登場してPerlウェブ開発の世界に変革が起きました。だいたい世間的にもこの周期で影響力の高いソフトウェアが登場しているんじゃないかと感じます。なので昨今はソフトウェアの話よりも開発手法などといった話が多いという仮説。
退職エントリに書いてある通りですが、2009年に自分や後輩が作ったサービスを潰していく作業をすることで私は精神的に疲弊していきます。また、私の立ち位置が柱サービスへの所属へと変わること、またインフラ部門とのセクショナリズムが確固たるものとなったことにより、2009年以降サーバサイドの裁量がほぼ無くなってしまいました。
大企業や終身雇用制度の基であればセクショナリズムも良い方向に働くといえるのでしょうが、中小零細企業ではセクショナリズムなど良いことなど何も無いと私は断言できます。たとえ会社の経営層がそれで良いと感じても、エンジニアの仕事の幅は非常に狭まってしまい、スキルを伸ばす場としてはふさわしくなくなってしまうからです。
2009年の退廃的な作業、それ以降のサーバサイドへの裁量の消失、そして2009年秋に起こったPlack等のPerlウェブ開発界隈での大変革を考えれば、2009年から2010年に前職を退職しておくことが自分のスキルを磨くことを含めて自分の人生プランとして良かったのではないかと思えます。ただ、それは元同僚がキッカケで転職エージェントを通じて実際に2010年に行ったものの、(まず転職エージェントが最悪だったとはいえ)上手くいかなかったのでした。
また私は業界で無名で、まずはスキルセットを増やすかセルフブランディングをする必要があったのだと思います。
2011年からの転換
2010年秋に精神的に疲弊しきって、いったんすべての活動をやめてしまいます。転職エージェントとも縁を切りました。ただ、なぜ転職活動が上手くいかなかったのか、自分がこのまま閉じた場所でスキルを伸ばせなくて良いのか、等々といったことは何度も考えました。その結果として、2011年からオープンな活動を始めるのでした。
まずはYAPCのパンフレットで見た地元企業スカイアークにアプローチしてみることからでした。運良く繋いでくれる人がいて、2011年のゴールデンウィークの間の平日に帯広本社に行って、@onagatani さんと初対面、そして @onagatani さんの持ち味である強引な人心掌握術(?)で、2011年7月の Hokkaido.pm (#5) に初参加、そして20分初トークという事になりました。地域PMは初参加、そしてオープンな場所で人前で話すのは初めてといった状態でした。トーク自体はあまりうまくいかなかったのですが、これが記念すべきオープンなアウトプット活動の最初となりました。
それまで、Linux系のイベントやYAPCをはじめとした勉強会やカンファレンスに聞き手として参加していたことは何度もあります。また後輩育成のために社内で熱心に教育活動はしていました。とはいえ、聞き手として参加するだけでは勉強会やカンファレンスを真に満喫したとはいえず(ということは今になって痛感)、社内で熱心に教育した後輩はみんな別の大企業に行ってしまいました(結果的に「別の大企業」を育てただけと気づいたときは無力感に苛まれました)。社内教育は必要なことですが、人材が流動的な業界では社内教育一辺倒になってはいけないのだと思わされた次第です。
2010年の転職活動の失敗は、転職エージェントが合わなかったという原因以外に、転職エージェントを頼らないと転職活動ができないという自分の弱さからだと分析しました。その後も他の地域PMなどに参加してトークを重ねることで、まずセルフブランディングをしていこう、そうしないと終身雇用制度が崩壊した昨今、今いる会社も安泰とは限らないし、将来的にエンジニアとして生きづらくなると考えました。
セルフブランディングという活動と実際のスキルを伸ばす活動
セルフブランディングといっても、トークだけでなく、オープンなプロダクトを出していくことも徐々に行っていきました。ただGitHubは2009年にアカウントを取得しただけで、本格的に使い出していくのはもうちょっと先になります。
会社で得たスキルは「Apache mod_perl」くらいしかありませんでした。もともと自分は、会社で得たスキルと自分で得たスキルを混ぜて両輪回していくタイプでした。2003年に新卒入社をして自宅サーバを作ったりする技術などをそうして回して言ったのですが、2009年以降は自分で得たスキルを会社に投入することができなくなり、会社のミドルウェア等の縛りがきつくなって、会社で得られるスキルが限定的になってしまうというジレンマに陥ってしまうのでした。愛社精神はあって、会社で使えるスキルを自宅でも勉強するというスタンスでいたのですが、結果的にこれは無為に時間を過ごす悪い考えとなってしまいました。
そういうわけで、結果的にニッチで古いと認識される「Apache mod_perl」という話題を突き詰めて各地でトークをして、2012年と2013年のYAPC::Asiaでもそれでトークをすることとなります。
この活動で「mod_perlといえば@xtetsuji」「mod_perlの神」などと恐れ多い事を言われることも多々あったことはセルフブランディングの成功例だと思います。ただ、2013年就職活動を振り返ってみると「レガシーしか知らない人」という見られ方をたぶんされてしまったのは、このセルフブランディングの失敗例だったと言えるでしょう。セルフブランディング活動も、ブランディングの題材によっては良い方向にも悪い方向にも解釈されてしまうという一例なのだと思います。
実際にmod_perlの勉強は進めたりしたのですが、それ以外の活動は「どうせやっても会社で使えない」ということで勉強が気乗りしなかったことは事実です。会社の研究職ポジションでAnyEventやTwiggyを推したり、個人的に作りたい小さな書き捨てサーバをPlackで書いたりといったことはありましたが、手を伸ばしたジャンルの幅が広がらなかったのは、私の会社を中心とした考え方が悪い方向に働いたのだと今では反省しています。これは会社自体が自由に何でもやらせてくれるか、そうではないのかにもよると思います。2008年まではこの考えで色々なスキルが伸びていたことを考えると、会社や各種状況によってこの考え方が良いか悪いかは変わってくることなんじゃないかと思います。
そういう考えを薄々感じつつ、本格的に自分で作ったモジュールなどを公開していくのは2013年になってからになります。2009年に取得したGitHubアカウントがGist以外でようやく大々的に使われていくのでした。PAUSE IDも取得して、色々管理画面をいじっていたら、うっかりCPAN Authorになったりもしました。ようやく健全なセルフブランディングができつつある、そう感じたのは2013年になってからでした。
自力で転職活動をするメリットとデメリット
転職エージェントの話になると、自力で転職活動をする・転職エージェントを利用する、それぞれのメリットとデメリットが話題になります。
転職エージェントを利用すると、以下のような利点が挙げられるのではないでしょうか。
- 会社を見つけてきてくれる
- 予定を調整してくれる
- 職務経歴書や面接結果を分析してくれる
- 採用時の給与交渉をしてくれる
これは一例で、転職エージェント礼賛記事になるとあらゆる利点を挙げた上で「転職エージェントを使わない手はない」といった論調が繰り広げられますが、私はこれらに懐疑的です。
2010年に転職エージェントが「見つけてきた」会社は、どれも私にとって乗り気ではない会社ばかりでした。転職エージェントとの席では、転職エージェントが何に熱心になるかというと、私がこれらの会社を好きになり、これらの会社の面接に乗り気になる説得ばかりでした。果たしてこれが私の(あなたの)人生にとって良いことでしょうか。甚だ疑問です。
予定調整に関しては助かる部分もあるのですが、自力でも負担なくできることでした。
職務経歴書の分析はエンジニア経験がない転職エージェントは適当なことしか言わないという印象を受けました。もちろんすべての転職エージェントがそうではないのかもしれませんが、多くの転職エージェントはそうであるというのは前述と同じでしょう。全く職務経歴書を書いたことがないという人も、友人知人に相談したり、ウェブで参考例を検索すれば済むことです。むしろ、あまりにも長大で力作な職務経歴書よりも、あなたのオープンな活動のほうが評価されることでしょう。オープン系ITプログラマであれば、ブログを書いたり小さなことでも良いのでオープンな活動を絶対にすべきです。
給与交渉を転職エージェントのメリットとする人は多いと思いますが、私は疑問です。この部分は、転職エージェントは自分の利益が少しでも増えるためにやっているだけです。これから私が(あなたが)入る会社が転職エージェントの手数料で相当懐が痛むことを考えたら(会社は転職エージェントにあなたの年収の数ヶ月から半年分くらいの手数料を払います)、自力で面接に行って内定を勝ちとった後で、自分が納得しない額の年収を提示されたら内定を辞退するくらいの勢いで良いのだと思います。
それ以上に、私の(あなたの)働きがいは金だけなのか?金は大事だけどそれと同じくらいに大切なものがあるのではないか、目先の金に執心しすぎてそういうところを見誤ると、劣悪な仕事環境に陥ったり、プライベートの時間が持てなかったり、金以上に大切なものを失うことだってあると感じます。
一番怖いことは、転職エージェントの話に乗せられるままに転職活動をして「思考停止」してしまうことです。私も2010年に転職エージェントを精神的に拒絶しなければ「思考停止」したまま、転職エージェントの言いなりになって、入りたくも入りたくなくもない曖昧な考えで会社に入って、その後のキャリアプランを台なしにしていたかもしれません。
もし、あなたが転職エージェントを使うなら転職エージェントに「思考停止」させられることだけはあってはなりません。都度自分の頭を使い、何が自分のキャリアや人生にとってよいか自分自身で熟考して考えるべきです。
なぜ2013年就職活動は上述の4社だったのですか?
単純に声をかけてもらった順番と自分で考えて良いと思ったところだという理由です。
ただWanoに関しては別で、中がよく分からないからまずオフィス見学をさせてもらおうと思ったら面接が始まって、トントン拍子で内定をいただいてしまったという感じでした。結果的にその会社に入社するとは運命的という感じです。
私が水面下で転職活動をしているということが広まって、後になって声をかけてくださった会社は他にもありました。本当にありがたいことです。その時には既に2社内定を貰っていていて、そのことを伝えたのですが、それでも良いとオフィス見学をさせてくださったガイアックスさんのご好意にはこの場を借りて感謝します。
あの大きな企業は選定基準に入らなかったのですか?
在職していた会社が20人規模の小さな会社だったので、大企業には正直興味がありました。
ただ、2013年就職活動の1社目が大企業で、散々待たされて不採用という感じだったので、大企業を中心に攻める戦略は無理そうだなと感じ、戦略を改めました。また、YAPC等でも新卒を百人単位でエンジニアを採用しているよと発表している企業は、なんとなく近寄り難い感じがして避けました。優秀な若い人に(教わることには抵抗ないのですが)埋もれること、そもそも中途より新卒指向であると推測できることもありました。また、この規模の企業は私のような人間のスキルが吹き飛ぶような超絶な人が何人もいます。内定の見込みは当然低いでしょう。
「3社目」が親会社が大企業で、そこに結構興味を覚えたことは事実です。ただ、社内政治的なことがあったら嫌だなぁという思いもあったりして、相当色々考えた末に辞退させていただくことにしました。苦渋の決断でした。
スカイアークには入らないんですか?
私の人生を変えたとも言えるスカイアークですが、色々考えて、まだスカイアークに入る段階ではないと感じました。
家庭的な事情で、将来的に北海道の実家に帰りたいと考えています。その時の就職先の選択肢はたぶんスカイアーク帯広本社になるのではないかと勝手に思いますが、スカイアーク帯広本社のエンジニアは少数精鋭かつ相当手広い知識を持っています。今の私にはまだ雲の上と感じました。スカイアークが求めるような手広い知識を身につけることがまず先決かと今は感じています。
また私のような発展途上なエンジニアは、今は東京という情報が集まる場所にいて、スキルを磨き研鑽する時期なのだと感じています。スカイアークには東京営業所がありますが、今回は色々な思惑から採用申込みの優先順位をグッと下げた結果が今回です。
各人それぞれのスキルでPerlを武器に転職活動をするには
Perl入学式などに出ていると、Perlのビギナーの方々がPerlを使った仕事をしたいという話を聞くことが時折あります。
これについては、多くの人に聞いたのですが「頑張れ」としか言えないと感じています。私が在職している会社に紹介することはできますが、判断するのは経営層なわけで、私の一存で就職を斡旋することは当然できません。
参考になるのは私の前職の後輩かもしれません。彼の前職は職業プログラマではなく、Perlは趣味でCGIなどを書いていたという経歴でした。転職エージェントにも「30歳近くで業務経験もない人がIT系に転身出来るはずがない」と言われていたようです。転職エージェントらしいですね、アハハ。
ただ、彼は面接時に趣味で作ったPerl CGIの掲示板プログラムのデモを行ったのでした。組織的にウェブフレームワークを使った開発をしている企業であればまだしも、私の前職はmod_perl環境に *.cgi のようなものを並べる仕事だったので、小奇麗に作られたその外観もあって好感触を得て、結果採用となりました。
ここで言えることは以下のようなことだと思います。
- とにかくPerlの基礎を勉強する。少なくとも何らかの入出力を伴うウェブアプリケーションが書けるくらいまで。
- 有名な大企業は難しいが、まだレガシー開発をしている中小企業を地味に当たる。情報収集は転職エージェント任せにせず自分中心でやる。勉強会などの人のつながりを最大限に活用する。これは苦難の道かもしれない。
- 面接時に自作アプリのデモをするといった一見奇抜な作戦に出る。オープンな活動をしているとさらに良い。
- 意外に外観重要。MojoliciousやAmon2も良いけど、パッと見で評価されるアプリなのでTwitter BootstrapやCSSなどの力のほうが効いてくる
- IT業界の職歴なしで30歳を過ぎていたらかなり厳しいと思われる。この場合はパイの大きいJavaやPHPに切り替えることも考える。IT業界への転身さえできれば、あとは職歴を詰んでPerl業界に入れる可能性は広がってくる。
とにかく人の人生に無責任な事を言えないので、上記については参考としてください。私が忙しくなければ個別にご相談に乗ることはできますので、興味のある方は声をかけてください。