思い出す卒業の季節、そして偽物メッセージ騒動についての感想

思い出す卒業の季節、そして偽物メッセージ騒動についての感想#interest_aeおがた (@xtetsuji) です。

3月は卒業の季節ですね。

音更の桜

昨年ネットを巡回していたらこんなニュースを見つけて驚きました。

驚いた理由は後述ですが、結果的に以下のような顛末になって、ネットのニュースサイトで面白く取り上げられ、全国紙にも掲載される事態となってしまいました。

このお話の考察は最後にゆっくりしてみるとして、私の卒業の季節の思い出話に付き合ってくださいますか?最近は昔話ばかりコンテンツにしているねっていうツッコミはナシで。

卒業式っぽい写真ないかなと思って桜の写真を載せてみたのです、北海道の桜のシーズンはゴールデンウィークだった…。ちなみにこれは2014年5月5日に鈴蘭公園で撮影したものです。

今回は軽いネタ記事。

保育園時代

当時住んでいた家の近く、音更本町にある音更保育園というところに通っていました。ただ、卒園式は記憶に無いですね。まぁ幼かったし。

小学校入学前に住んでいたところの地図

卒園前に入学予定の小学校の見学があって、近所の音更小学校に見学に行きました。ただ、直前の3月に家庭の事情で急に木野市街の方へ引っ越すことになってしまい、結果的に下音更小学校に行くことになりました。3月は引っ越しやら何やらで大変だったことは幼少ながら覚えています。

音更本町は自宅近所に保育園・小学校・中学校があって、凝縮された利便性があったところでしたが、まぁ引っ越してからもさほど変わらず。むしろ帯広市街が近くなって良かったかも。

ちなみに最初に住んでいた家の南側の敷地、ここは十勝バスの終点でバスが待機・旋回する場所でした。この頃からバスが面白かった。

小学生時代

春休み開始前日?具体的な日付はいつだったけなぁ。

6年間の間に、いわば他人の卒業式に付き合うことが5回。別に知っている先輩や見送りたい先輩がいるわけでもないのに、なんか最後のほうに全校生徒で合唱するためだけにいるという。というか北海道の3月に暖房設備が未発達な体育館とか、とにかく寒いんですよ!体育館で白い息を吐きながらガタガタ震えていた記憶しかないです。「いやがらせの第九か」って小学生の頃いつも憤っていました。

そして自分が小学6年生の時の卒業式もそれほど記憶がないという。だってまぁ、ほとんどみんな同じ中学校に行きますからね。ちなみに、小学5年生のときに今の場所の建物に移設になったので、体育館は暖かかったです。

中学生時代

下音更中学校、3月15日。

ちょうど自分が入学した時に新しい校舎になって、体育館とかも新しくなって良い感じ。当初の設計がマズイ部分もありましたが、ボロいよりマシ!

卒業式の形式としては確か、先生とかの話→卒業証書授与→在校生合唱→卒業生合唱→全校生徒合唱、だったような気がする。なんか合唱が多い。

というか自分は指揮者だったので正確には歌っていなかったです。そう、卒業生合唱のときに最前列の女の子が泣いていたので、笑顔になろうよってアイコンタクトを取ったら、あとで母に「指揮している最中にニヤニヤしていたけど、何かあったの?」って聞かれました。ウィーンフィルニューイヤーコンサートみたいなことをやっても聴衆に伝わらない。どうせ中学校の合唱なんて指揮者いなくてもいいレベルなんだから、それくらいパフォーマンスさせてよ

卒業証書授与は、自分が3年A組の出席番号1だったのでトップバッターで緊張しました。あの段の名前の人がほとんどいないA組。

3月15日が卒業式で、その日が公立高校の合格発表日でした。前のブログ記事でも書きましたが、合格できるかどうかの瀬戸際だったので、合格しているという話を聞いて胸をなでおろしました。そう、自分が直接見に行く前に親戚に教えてもらいました。今と違って個人情報云々言われていなかった時代、合格者は高校の前や百貨店の前に実名で掲示されているので、地域の人はだれでもわかる時代でした。かちまい紙面にも載っていたんだったっけな。

卒業式が終わったあとは、教室で3年A組の担任の先生のお話を聞いて解散。卒業アルバムや最後の通信簿を受け取ったり。最後の給食である紅白まんじゅう出たんだったけな。記憶に無い。

とりあえずお世話になった先生に挨拶をして校舎を出ました。校門前にみんなたまって在校生とコミュニケーションを取って、笑ったり泣いたりしているのをみて「あぁ、小学生の頃とは違って、ここでいったんお別れなんだなぁ」って感慨にふけりました。

なんか当時はモテたので、在校生の女の子から制服のボタンくださいって言われて「こんなのでよかったらあげるよ」って、言ってきた人先着順であげました。というか、ボタンとかもらっても1ヶ月くらいでゴミになるんじゃ…。ボタンをもらって想い続けて…とかって人、いまだかつて聞いたことないよ

なんか合格するかどうかだけがハラハラもので、学校を出た後の記憶があんまりないかも。

高校時代

柏葉高校、3月1日。

1年次や2年次の先輩を見送る卒業式も、あんまり記憶が無いです。在校生としてそれほどやることがなかったのかな。部活も自分の1つ上の学年の人がいなかったし。

3年次、自分の卒業式もあまり記憶が無いです。体育館に行ったこと、普段着ない(柏葉高校は私服校)制服を来て窮屈だなぁと思ったことくらい?卒業証書授与のことも思い出せない。

卒業式が終わり、体育館を出て3年B組の教室に戻りました。物理化学の理系クラスだったので、数名しか女子がいなかったですが、普通に泣いています。クラス全体としても、これから地元を出て各自が未知の場所に進学するということで、本当の別れっぽい雰囲気でした。自分もそうでしたが、まだ受験が残っている人もいたりして、全ての一区切りという感じにはならなずに安堵と緊張が同居している感じでした。

教室で担任の先生から通信簿と一緒に卒業証書を受け取った気もします。自分の代は一学年450人いたので、たしかに体育館で全員に渡すのに時間がかかりすぎるから、体育館では代表(一番成績の良かった人)が受け取る形式だったかも。

通信簿と卒業証書を渡し終え、いくつかの配布物が配られたあとの最後の配布物は、札幌のとある病院の入院案内のコピーでした。

3年B組のスパルタ英語教師である担任はこう続けました。

「まだ受験を控えている人もいると思うが気を抜かず頑張って欲しい。ただ、報告などで高校に来ても、私は数日後からここの病院に入院するので高校にはいない。連絡が必要であれば病院に電話してほしい。」

悲しんでいる生徒達にどよめきが走ります。一人の生徒が恐る恐る「何の病気なんですか?」と聞くと、担任は「痔だ!」と大声で一言。もう悲しんでいたB組の生徒全員が大爆笑ですよ。

卒業式の思い出と聞かれたら、この痔で入院する先生が強烈過ぎて、他の記憶が霞むくらいでした。

教室を出たあとは、化学部の部室である科学教室に行って、いつもの仲間で昼食に行きました。帯広市内のとんかつ屋。そこでワイワイ話したあと、まぁ受験を控えている人もいるしと解散しました。

私は母親に金銭的迷惑をかけつづけていたので1万円以上する卒業アルバムを買わなかったのですが、とんかつ屋のすぐ近くに帝国データバンクがあるじゃないですか。おもむろに「あー、節約のために卒業アルバム購入ケチるなら、買ってここで売ればよかったのか!」って言ったらみんなからダメでしょってツッコミを受けました。まぁ当然ジョークですけど、本気でそれやる人いるんだろうなぁ。

私のその後は、私大受験や合格後の住まい探しのために何度か地元と東京を往復する日々でした。いまほど航空券も安くないし、この時に初めて飛行機に乗ったので、色々落ち着かない一ヶ月でした。

大学時代

大学にもなると、特に卒業式に出なきゃいけないというわけでもなくなり、在校生として卒業式に参加することもなくなりました。なのでほとんど印象がない。

大学4年次の卒業式は、いちおうスーツを着て参加しました。同じゼミの人と話をしたり、交流があった人達と話をして、進学や就職といったそれぞれの行き先の情報交換をしました。

大学4年次の卒業式は、もう早々に切り上げて大学院生室に行って、これから2年間お世話になる先輩に挨拶に行きました。

大学院時代

大学以上に卒業式っぽくなかったというか。全て終わって安堵していたというのもありますが。

広場に集まってきてくれた先生や先輩後輩、そして一緒に卒業する人達と話をしていました。その中で誰かに「そういえば就職先どこなの?」って聞かれて「あっ!就職活動していなかった」って素で自分自身に驚きました。

ちょうど同じ学校法人の女子大学のコンピュータシステム構築を手伝っていたのですが、3月中に終わらないことがわかってきて、結局4月中旬までそこでアルバイトとして働き続けることとなりました。

その後は就職活動もしたことがなくてどうしていいか分からず、すでに自分の机が無くなった大学院生室に遊びに行きました。だらだらしていると、日頃色々お世話になった他学科の先輩がやってきたので、その先輩に「どこに就職すればいいでしょうかねぇ」って聞いたら「ネットビレッジに行け」と言われて、行ったらバイトとして雇ってくれることになったので就職活動は即座に完了。そのまま数カ月後に正社員になって10年近く勤めることになるのですから、この業界にしては相当長いものでした。

柏葉高校の中島みゆき騒動について

タイムリーな話題なので、これについても触れておきますか。

私が柏葉高校の生徒だったころから、中島みゆきは母校である柏葉高校とは距離を取っているというのは校内ではたびたび聞かれた噂でしたし、実際に吉田美和などと違って中島みゆきは明らかに出身高校を隠していることは、学校関係者が少し観察すれば分かる事実です。今回、リアルタイム検索していても、中島みゆきファンの中では周知の事実らしい。

何が原因で距離を取っているのかはわかりませんが(当時の地元の事情から憶測はできますけど)、私の高校時代にはそっとしておいてあげようという暗黙の了解があったように思えるのですが「今はないの!?」って驚いたのが冒頭に書いた話。

生徒は分からないのは仕方がないとしても、教職員は把握して生徒に教えてあげようよ…っていうのが私の感想。これで中島みゆきサイドが責められたり、次にメッセージを強要されるようなことがあったら本当に可哀想。

本当、卒業式で何を歌うのかは自由だけど、作り手はそっとしておいてあげましょうよ…。

以前からOBOGの有名人に取り入ろうという校内の人達の姿勢をみるたび、真っ向勝負していないなぁって微妙な気分になるんですよね。大学時代に「さんまのスーパーからくりテレビ」を観ていたら、安住紳一郎さんに柏葉高校の新聞部がコンクールで入賞した新聞を持っていった風景が流れた時は、もう本当に脱力しました。当時弱小だった化学研究部には実験機材一つ買えるかどうかって部費しかくれないのに、潤沢な部費がつぎ込まれる新聞部はこんなことに金を使っているのかと。

自称進学校で5教科勉強しろしろ言うなら、もっと理数系部活に投資しなきゃダメでしょって当時から思っていたのですが、今の化学研究部は相当な頭脳揃いで校内からも認知されているという話を最近きいて嬉しく思いました。スーパーサイエンスハイスクールもそうですけど、もっと理数系を伸ばして、今の学校そのもののの活動で注目されるといいなと応援しています。柏葉高校で理数系を楽しんでいるみなさんからのおたよりもお待ちしています。

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