2016年、今年のまとめ

2016年、今年のまとめ#interest_aeこんにちは、おがた (@xtetsuji) です。

最近全然ブログを書けていないなぁと反省していたのですが(直近が4ヶ月ほど前の2016年8月の記事)、慌ただしい日々を過ごしていたら年末になってしまいました。

個々の出来事はちゃんと一記事ずつ書きたいと思いつつも、もう2016年も終わってしまうということもあり、軽く振り返ってみます。

文書を書かなくなったのはなぜ?

2015年は前半無職で後半は現在の会社に就職したという特殊な状況なので置いておくとしても、それこそ2014年末までは忙殺されきっていたけれどブログはなんとかコンスタントに書いていました。2016年は慌ただしい1年だったとは思いますが、会社至近に住みつつ毎日18時台で帰るという、2014年末までのことを考えたら天国とも言える状態でした。

なぜ文章を書かなくなったのか。考えてみましたが、一つは社会人生活約10年の疲れが一気に出たのかもしれません。加齢だとか、こういうのは一気に来るというとか、そういう論説は多くありますね。ただ私が思うに、とりあえず2014年までは一切気が抜けない状況で、いわゆる「疲れすら感じない状態」だったんだろうなと思っています。

あと、2014年までの社会人生活ずっと私生活を犠牲にして深夜休日仕事をしていましたが、決して良い評価ではなかったことを最近よく振り返ります。文章を書くより、今まで考えたことも無かった今後の中長期的キャリアプランをひたすら内側にこもって考える数ヶ月でもありました。

時間ができた割に読書量が減って文章のインプットが減ったことも、アウトプットの減少に繋がったような気がします。疲れが出て、内にこもり考え、インプットが減って、結果的に書く習慣と書く技術が衰えていったような感じ。やはり継続は重要。

ただ、頭の中で考えた様々なことは整理してアウトプットしたいと悶々としていたことも事実。上述のような反省を踏まえ、2017年はアウトプットの年と位置づけ邁進していきます。

モチベーションと喜怒哀楽の話

前述の通り半年無職だった2015年は年間を通してとても穏やかな一年でした。ただ、12月の年末にかけて激昂するほど怒り狂う事が立て続けに起きて、そんな怒りの感情で2016年の最初の一ヶ月程度はモチベーションが枯渇していました。モチベーション枯渇は、その後もなんだかんだで2016年の停滞の一因になったような気もします。

仕事であれ個人であれ、予定していたタスクができなかった理由の分析を行うわけですが、理由を考えても「モチベーションが無かった」、悪く言えば「やる気がなかった」ということは素直に認めたほうがいいかなと最近感じます。確かに、会社のミーティングでタスクが未完となった理由で「やる気がなかった」と言ったら怒られること必死でしょうが、モチベーション管理も含めてのタスク処理ではないかなという気がします。

2017年はモチベーション管理により切り込んでいきます。

会社はどうだった?

2015年6月10日から7月31日までお試しジョインをしたあと、2015年10月1日から正社員ジョインをした、私にとって3社目となる現職場も在職1年を過ぎました(参考:株式会社ガイアックスに入社しました)。ちなみに2社目の在職期間は越えました(1社目10年、2社目10ヶ月)。

当初は「東京」と「IT」から離れる予定だったものの、結果的に東京のIT企業にいることに。ただ「東京」で懸念だった満員電車は職住近接での徒歩通勤で解消。「IT」で懸念だった過重労働と訳の分からない営業職も、なんと現職場にはいない(少なくとも私の視界の範囲には)といった嬉しい誤算。その他にも18時台には帰れたり、社会人生活十数年で疲れきった私にとって今までにない世界を体験することができました。

前職まで同様のIT企業ではありますが、職種は長年携わってきたウェブアプリケーション開発からインフラ担当となりました。インフラといっても DevOps とかデプロイとか CI とかのモダンなやつではなく、年季が入ったデータセンターやオンプレサーバを操作する立場。ポジションを提示されたとき、「今までインフラ部署には抑圧されてきたし、自分が理想のインフラ部署を作っていくのも楽しいかもしれない」と感じて引き受けました。あと、サーバ運搬や出張やデータセンター往復などで運動不足も解消できそうだというのもポイント。

もともと期待されていたのは、長年のウェブアプリケーション開発の経験から「コードによるインフラ改善」というものでしたが、最初の1年は愚直に手を動かして信頼の醸成に努めました。職種柄かなりのアクセス権限を保持するわけで、そういう愚直さは大事だと感じますし、急がず現場の経緯や事情などを理解してから動くのでも遅すぎではないでしょう。

そもそも現職場にジョインした段階で、かなりの量の社内ツールが(前任者の退職などにより)誰もメンテできない状態で放置されていました。この状態で新たなツールを書いても焼け石に水というか、相当周到にやらないと私のコードも遅かれ早かれ「この屍の山の一つ」になるだろうことは想像に難くありません。

そういうこともあり、最近の私が携わっている仕事は「保守が難しいツールやサーバを無くしていく」ことが多くあります。四半期の目標設定でもこれらは自ら志願していますし、ある種「無くしていく」という誰もやりたがらない退廃的な作業に対して私なりの動機付けもあり、やりがいは感じます。このあたり、「ついツールを作ってしまう優秀で勤勉なプログラマ」に対する、Apple などの「マイナスの哲学」の一つなのかなと勝手な解釈をしています。

オーバーテクノロジー問題であったり、仕事の内容に対してツールが過剰ではないかという疑問は、たやすくツールを作ることができる優秀な人達が周囲に多くいる(いた)からこそ意識したい問題なのかもしれません。

今年も日本各地に行った

2015年は半年無職で、「東京」と「IT」から離れようという意図もあり、有り余る時間とそこそこの貯金を使って地方都市を頻繁に訪れていました。

2015年の各地遠征は楽しかったものの、会社員復帰後の2016年は2015年ほど自由にはいけないだろうなと思っていましたが、そもそも仕事で出張が頻繁にあったり、休暇を利用して地方都市で行われる勉強会などに行くことができたり、2016年もそこそこ動き回った1年となりました。

  • 3月8日〜3月9日:沖縄:出張
  • 3月19日〜3月21日:京都:キッカソン
  • 3月27日〜3月28日:福岡:Hackerz Lab. の視察と日下部さんとのミーティング
  • 5月20日〜5月22日:京都:猫のあずまさんと飲み会
  • 6月17日〜6月20日:沖縄:Perl入学式in沖縄のため手弁当で訪問
  • 8月26日〜8月29日:沖縄:Perl入学式in沖縄のため手弁当で訪問
  • 10月14日〜10月16日:京都:猫のあずまさんと飲み会
  • 10月22日〜10月23日:福岡:出張
  • 11月12日〜11月13日:仙台:出張
  • 12月8日〜12月12日:札幌:YAPC::Hokkaido 2016 Sapporo

上記には年末年始・ゴールデンウィーク・シルバーウィークの実家帰省(帯広市、音更町)は除外しているので、だいたい1ヶ月に1回くらいのペースで地方都市に行っている計算。

特に春の3月、そして10月からの秋冬に精力的に動いていますね。やはり暑がりな私にとって、夏は瀕死(枕草子っぽく)なのかもしれません。

3月の沖縄は人生初沖縄でしたが、まさか今年さらに2回行くことになるとは…。あと、福岡と京都は何度行っても良いところ。Hokkaido.pm のために2011年から通っている札幌とともに、良い都市です。

個々のエピソードは別記事に譲ります。キッカソンの記事くらいは書かないとなぁ。

とりあえず暑い

日本有数の寒冷地で高校卒業まで育った暑がりの私ですが、今年の東京は特に暑かったような記憶があります。3月終わりには「暑い」といい、7月と8月は「暑い死ぬ」といい、10月も「なんで10月にもなって暑いの!?」って言っていた。オフィスも暑く、ここにいる人たちはこの暑さに適応してしまったのかと日々疑問でした。

3月に沖縄に行った時には既に沖縄は30℃近くで、これからの暑さを暗示しているようでした。

「東京」を離れて地元に帰りたいということを、この半年以上の灼熱地獄でひしひしと思い知らされました。ヒートアイランド化が顕著な東京ではない他の地方都市でも多少はマシ(もしくは気持ちのよい暑さ)かなと思いますが、できれば地元に帰って涼しい日々を過ごしたいです。

リモートワークの時代と言われますが、まだまだ東京一極集中を感じます。とはいえそういった東京一極集中を打破していくため、それこそ後述のように中長期的な人生プランを引いていきます。「東京オリンピックには東京にいない」を合言葉にしていましたが、もう前倒しをして2017年の間には良い結論を出したいです。

冬に冷え込むのは全く問題ありません。冬に正しく寒いことは、人の温かさを感じる良い側面もあります。

日下部さんと日下部さんを取り巻く人々

2014年末に出会った日下部さん(用語集を参照)ですが、2016年も多くの話題を振りまいてくれました。

2015年の年末に感動的なアドベントカレンダーを書いて今までの日下部さんとのギャップに話題となりました(Perl入学式のもう一つの歴史 : よなべPerl)が、2016年は暴走するでもなく(これでも2016年はおとなしかった)といった感じ。

「福岡といえば日下部さん」という雰囲気が2015年にはありましたが、2016年になると日下部さんはあまり手を動かしていないことが徐々に明らかになってきました。

実態はというと、福岡のプログラミング教育系についてはコバさん (@ITeensKOBA)・DOさん (@kondo_orange) といったプログラミング教育系の方々、Perl入学式in福岡などの Perl 関連はプリンさん (@debility) をはじめとした Perl プログラマーの方々による功績が大きく、日下部さんはピエロとも言われたりしています。

しかしたとえピエロだったとしても、日下部さんは相当愛されていることは事実。40歳手前で初めてプログラミングというものを学んで数年という人が、それこそ札幌など各地を訪れたときに「日下部さんですよね?」と何人もの人達から挨拶されるようになることは、なかなかなろうとしてもなれないでしょう。時にはゲスい発言をして嫌悪されたり、アンチもいたりしますが、それでも独特の魅力があるからなんでしょう。

これからも細々と日下部さんを応援しつつ、2017年は日下部さんのコミュニティにいる方々とも今まで以上に交流して、福岡のITコミュニティ、ひいては日本のさまざまな地方都市をITで元気にしていければと思います。

こういうことを言っても、「まぁ日下部さんだからねぇ」と許されてしまう。そういう人に憧れます。

日下部さんの不思議な魅力は何だろうと考えていたのですが、年末に飲み会をしたときの平松さん (@kaz_hiramatsu) の発言に「なるほど!」と感じました。

一部の高名なITエンジニアの方々が年収至上主義を掲げる中、それに対するアンチテーゼとして一部の30代中堅ITエンジニアが日下部さんを面白がって担ぎ上げるのかもしれません。お金は安定と基礎のために必須ではあるものの、幸せや笑いという軸には必ずしも直結しないだろうという考えの私には結構腑に落ちました。

中長期的な人生プラン・目標

「中長期的な人生プランや目標を、2年・5年・10年・20年…といった区切りで定めておくべき」ということは様々な場所で言われています。

私も常々そうしたいと思ってはいたのですが、とにかく2014年までは明日生きるのに精一杯で、とても1年後のことを想像することはできませんでした。

2015年は「人生の休暇」とでも言うべき年でしたが、2016年になってから余裕が出て「中長期的な人生プランを考えておくべきだなぁ」と考えにふけるようになりました。私も30代後半となり、今後のキャリアを真剣に考えていくべき歳というのはカッコイイですが、少なくとも年齢を重ねると再就職が難しくなったり健康を損ないがちになったり、安定のレールから踏み外す可能性が高くなるわけです。

「暑いから今の職場を退職して地方都市へ!」というのも、私の歳になると簡単にはできないなと感じます。そもそも、前述の通り今の会社は久々の平和というもので、この平和を利用して中長期的な人生プランを定めたいし、あわよくば今の所属のままこの仕事を地方都市に持って行きたいとすら思います。

40歳が見えてきましたが、まだまだ様々な可能性が見えてきます。30歳を過ぎると年次に応じて「衰えた」という人が多く見受けられますが、睡眠時間も削って酷い言葉をかけられても深夜休日も働き、精神的にどん底の状態になりながらも必死に日々生きてきた20代後半から30代前半に比べたら、体力の衰えなんて精神の強靭化によって軽くカバーできています。もちろん2017年は空いた時間を使って身体も鍛えて、中長期的な人生プランを推進していく腕力をつけていこうという意気込みです。

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