学歴コンプレックスは心ない大人に植え付けられたトラウマ

学歴コンプレックスは心ない大人に植え付けられたトラウマ#interest_aeおがた (@xtetsuji) です。

最近考えていることがいくつかあって、その一つ。端的な題名の通りでTwitterでもツイートしたりしたんですが、考えていることの詳細を書いておこうと思います。主に学歴コンプレックスを中心に考えていきます

要約して万人向けに書こうかとも思ったのですが、どちらかといえば自分視点で帯広の高校について中心に書いています。暇な時に流し読みしてください。

子持ち同級生との交流

2015年1月3日に中学時代の同窓会を開いた(参考:2015年1月3日に中学時代の学年全体同窓会を開催した話と、同窓会に込めた想い)んですが、当然ながら約20年ぶりにあった人達は父や母となって子供を育てている人が結構いました。特に女性は大部分がそう。意外に男性は独身が多かった。

同窓会の場でもそうですが、その後も子持ち同級生との交流は続いています。約20年ぶりに会った同級生の家に遊びに行って、子供たちと遊んだりもしました。一人っ子で親戚にも子供が少なく、自らも子供を授かったことがない自分にとって新鮮なことが多いです。

そんな中で、多くの親は「子供を良い高校に入れたい」と言い、私が地元の自称進学校である高校に行った経緯を持ちだして、「どうやったら柏葉に入れるの?」と聴いてきました。

私はそれを成し遂げた私の母に、その作戦を聞きました。

母の思惑、息子の思惑

「どうやったら子供を柏葉高校に入れることができるんだろう?」。私は母に聞きました。なんともよくわからない質問の方向ですが。ちなみに母は柏葉高校出身ではなく、帯広市の隣接町にある高校出身です。

母は「子供が小さいうちから柏葉高校の前に連れて行って『ここがあなたの行く高校よ』と何度も教えればよい」と答えました。まるでネタのような回答ですが、本当に母はそう言いました。確かに連れて行かれたことあった気がする。母は自分の同窓会でもそう答えているそうです。

当時の私はというと、小学2年生のころから科学に興味を持ちだして、とにかくこの世の中が何で出来ているか知りたかった。ただそれだけ。そのために小学2年生のころから化学を自習して、元素の秘密に迫ろうとしました。あとはテレビゲームができれば満足で、ドラクエなどの人気ソフトが発売日に買える穴場である石黒ホーマ(ホーマックの前身)が柏葉高校の目の前にある(当時)のは魅力的でした。本当に俗っぽい。

親も息子も、進学校だというよりも、家から一番近いといったことを考えているだけ。母子家庭で貧乏暮しだったので、交通費もバカにならないですし。私も俗っぽい人間なので、進学校だとおだてられれば悪い気はしませんが、それを自慢のネタする発想はあんまりありませんでした。母もそれほど教育熱心ではなかったことも、のびのびと子供時代を過ごせたよい一面でした。むしろ私自身が柏葉高校に進学した一年目は地獄のような日々だったので(参考:文章を書く苦手意識を乗り越えるまでにやったこと、そして乗り越えたあと)そんなことを考える余裕すら無く…という感じ。

というか昔の帯広市は色々おかしくて、帯広柏葉高校以外の高校をことごとく市街地の端っこにおいやってしまって、対岸の音更町の子供からしたら嫌がらせじゃないかと思ったほどです。私は音更町の木野市街に住んでいましたが、帯広市は音更町のベッドタウン化を避けるために意図してやっていたんじゃ…とすら思えます。

音更町と帯広市の高校の位置関係

音更町にある音更高校はというと、音更本町の遥か北の陸の孤島みたいなところにあって、これまた登校が大変(農業科があるからというちゃんとした理由もあります)。

しかし帯広市も、若者が市街中心部にこなけりゃそりゃ空洞化もするでしょって感じです(あともう一つの要因は、帯広市がイトーヨーカドーとバスターミナルでもめて、イトーヨーカドーを市中心部から郊外に追いやったこと)。帯広市長もようやく民間出身の米沢市長が就任したので、この辺も変わっていくと期待しています。

柏葉高校の実際のところ(20年くらい前)

今はどうかわかりませんが、当時自分が進学した柏葉高校は、5教科全科目が完璧じゃないと入れないほどの高校ではありませんでした。

実際、私の時代に下音更中学校から柏葉高校へ進学した人は約100人中13人いたはずですが、5教科全科目が完璧な人はきっと誰もいなかった。むしろ、どれかの科目が大好きかつ得意で、その科目を軸に点数を取って、その他の科目は得意科目から勉強の仕方を学んで補強するというスタイルだったような気がします。私は理科が大好きかつ得意だったし、弁論大会で常連だった人は国語が軸だったり、海外にホームスティ経験がある人は英語が軸だったり、三国志好きは社会が軸だったり、計算好きは数学が軸だったり、そういう感じ。

むしろ、帯広近郊の学区内の中学生で、5教科完璧でかつ将来偏差値の高い大学への進学を念頭に置く中学生であれば、函館ラ・サール高校函館白百合高校を狙うだろうし、学区を飛び越えられるほど5教科満点近く取れる受験テクニックがあるなら、札幌の東西南北高校に行っているはずです。今人気の理数系を極めたいということであれば、釧路湖陵高校の理数科だったり、釧路高専旭川高専といった工業高等専門学校という選択肢が有力です。

柏葉高校を受験するということは、純粋に学区外の情報を除外して学区内一の進学校として選ぶというだけでなく、そういうところの滑り止めであることも実際のところ多いのです。

そして私は家から一番近いという理由でそこに進学しました。ただ進学校であれば、自分の目標に一歩近づけるのではと思ったこともありますが、あまり深くは考えていませんでした。中学時代は高専の存在は知らず、釧路湖陵はギリギリ知っていたけれど別学区からは難易度高すぎるし、当時数学にそれほど興味が無かったのでスルー状態。

倍率1.1倍程度で毎年調整される柏葉高校が、ある一定層からは「滑り止め」として活用される一方、偏差値では次点である三条高校や緑陽高校が毎年1.3倍程度であって、かつ滑り止め高校として見られていないことを考えると、私も私の母も、柏葉高校より三条高校や緑陽高校のほうが受験は難しいと考えています。

柏葉高校の校風に関しては、管内唯一の私服校という経緯もそうですが生徒自身が切り開いていくという伝統があるのは良かったです。実際、私の頃も理科系の部活群を存続させるために自分自身が精力的に動いたし、他の先輩後輩の人達もこれから入ってくる生徒のために部活存続のために協力してくれたりと、貴重な体験を色々することもできました。管内で一番偏差値が高いからという理由でなく、そういう校風が魅力的であるならぜひおすすめしたいです。

私の中学時代と高校受験

前述の通りですが、私は小学2年のころから「この世の中が何で出来ているか知りたい」という変わった子供でした。そのために化学という分野を見つけ、小学生の頃から元素の周期表を眺めながら、この世の中のアトム(これ以上分割できないもの)に思いを馳せていました。

そのおかげで、小学校時代から理科の成績は良かったですが、その他の成績はそこそこという状態でした。ただ、理科での勉強の仕方や考え方が他の教科に応用できた部分はあります。

ただ、小学6年生の国語の時間で行われたローマ字と英語の初歩の授業をインフルエンザで丸々休んでしまったことが、その後の英語の学習に影を落とします。中学時代は英語の成績が本当に悪くて、これが原因で柏葉高校に入るのはギリギリだったのです。それでも理科を中心とした科目で全体をカバーできたことを考えると、好きな科目の柱は大事だなと感じます。むしろ、どの科目もやれと子供に言うのは勉強の楽しさを見出すという観点で多くの子供には逆効果じゃないかと思うほど。

私がいた中学校でも、先生方がなるべく偏差値の高い学区内の高校に入れるべく、「柏葉・三条・緑陽」といった偏差値の高い順の高校名を呪文のように唱えるのです。それは進学校であるだけでなく、色々な配慮や思惑があって言われたことなのでしょう。しかし、当事者の大人ががどうであれ、正しい文脈で語られないこの杓子定規な価値観に、我々はここで人生最初の学歴コンプレックスを植え付けられることになるのです。

公立高校と別に受験ができる著名な私立高校である函館ラ・サールや函館白百合という存在はたまに触れられましたが、別学区の高専といったものは私のいた中学校では語られることはありませんでした。安全な進学をして欲しい中学校側からすれば、触れなくてもいい存在だったのかもしれません。私のいた中学校は素行不良な中学校として何故か有名で、先生方の活動リソースも進学教育だけには使えなかったという部分もあったのだと思います。

高校入学試験の自己採点で思ったほどの点数ではなかったので内心ビクビクしていましたが、なんとか柏葉高校に合格することができました。私は余裕で高校進学したわけではないのです。

私の高校時代と大学受験

柏葉高校に入学すると、私は化学以外の成績がダダ下がりしました。それは中学時代に行っていた塾に高校時代は行かないことにしたこともありますが、高校一年次のクラス環境の劣悪さにも要因がありました。この辺りは本当に不運としか言いようがありません。それについては前述のブログエントリをご参照ください。

柏葉高校に入れば学歴コンプレックスから解消されるかといえば、実際は全く逆です。

進学校である北海道の公立高校の存在価値は、いかに生徒を偏差値の高い国立大学に入学させるかということです。結局は、中学時代の先生が唱えていた「柏葉・三条・緑陽」という呪文が高校時代は「北大」に変わっただけでした。しかもよりひどく。

首都圏では小学校から私立優位の見方がされますが、田舎だと国公立こそ素晴らしいという価値観となります。私立は国公立に落ちた人の滑り止めという捉え方なのです。首都圏の家庭よりも私立学校に子供を進学させる金銭的余裕が無いということもあるでしょう。

東大京大は田舎の高校生にとって現実的な目標ではないということで、あまり表立って語られることはありません。また前述の通り、田舎では私立大学への興味はそれほど高くなく、早稲田・慶応といった最高峰の私立大学でさえも大学受験の目標として掲げられることは少ないです。その代わり、北海道大学に入る事こそが人生の成功といったような語られ方を3年間ひたすらされ続けることになります。これはかなりツラい

化学によってこの世の中が何で出来ているか解明しようとした私は、原子や分子が素粒子に分割できるということを知り、興味が化学から物理学へ移ることになります。その後、素粒子もまた基本粒子ではないかもしれないということを知り、いつまでたってもこの世の中を解明できないと思った私は、物理学のために高校2年生から真剣に勉強し始めた数学を志しました。小学6年生のスタートダッシュでつまづいた英語は、その後も致命的なキズとなって人生の選択肢を減らし続けることになりましたが、高校2年生から数学と物理は良い成績を取れるようになったので、大学受験の可能性も見えてきました。それまでは大学受験も考えられない、本当に絶望的な成績でした。

それでも5教科をそつなくこなす必要がある国公立大学は、私にとって難易度の高い選択肢であり、行けたとしても辺境の地にある大学なのです。当時の帯広市にはまともな書店がなくて、大学レベルの物理や数学にも手を出していた自分にとって、まともな書店がある札幌か東京に行くことは、自分の目標のための至上命題でもありました。真に学問を追求するなら、大学より書店のほうが重要というのは一理ある気がします。

科目間で偏った成績の私は、高校3年次の担任からは良い国公立大学に行けない生徒として扱われることになります。担任が英語のスパルタ教師だったことも、英語の成績が低い生徒でしかないと扱われる要因だったのかもしれません。進学校に行ってもいいことがまるでない

全校集会でも進路指導の先生がしつこいくらい「国立大学」とか「北大」といった単語を連発するので国立音楽大学に入ってクラシック音楽の作曲を学ぼうかとも思ったのですが、数学や物理で突破できなかったのでやめました。数学科に行きたかった私は、ダメ元で北海道大学の数学科を受験したいと言ったものの、不合格率を上げたくない担任は書類すら書いてくれませんでした。担任から、弘前大学の数学科なら入れそうじゃないと言われましたが、思い描く書店があるか分からない場所に博打で行くのは怖かったし、なにより東京に行くよりも移動コストが高い(帯広から函館まで半日かかります…)。葛藤の連続で、結局クラスで最後まで進学先を決められない生徒となってしまいました。

結局、傾斜配点で英語の成績が悪くてもなんとか入れそうな私立大学の数学科しか現実的な選択肢がなくなってしまい、学費がなるべく安く、かつ田舎の人の誰も思いつかない奇抜な学校に進学してやろうと思って進学先を決めました。母には私立大学で申し訳ないという感じのお願いになってしまいましたが、田舎では学習院大学という単語は奇抜すぎて「理学部なんて無いでしょそこ」と母に言われてしまいます。

大学時代は家賃月額29000円水道ガス代込みの激安ボロ物件で、大学院卒業までの6年間を過ごすことになります。

大学時代とその後

私立大学である学習院大学の数学科に入学した私は、とりあえず数学が勉強できることと、大学から徒歩で行ける池袋にビル一つまるごと書店があることを喜びました。

入学当時は正直なところ「私立大学だし文系学科のほうが有名だから、入試の難易度もそれほど高くない数学科は見劣りするのかな」と思っていたのですが、その考えは失礼極まりないものでした。学習院大学数学科は小平邦彦先生の時代から、東京大学(または前身である東京帝国大学)を定年退職した数学者が数多くやってくる、とてつもない場所だったのです。大学院卒業までの毎日が世界的数学者との対話で、本当に自分がいるのが申し訳なくなるくらいの空間でした。

教授の多くは東京大学の教授だった世界的数学者。そして大学入学すぐに参加した数学のインカレサークルは東京大学と早稲田大学の数学科の人が多数在籍していて、東大や早稲田の先輩に教わったり後輩に教えたりといった、東京に進学したからこそ得られた貴重な経験が盛りだくさんでした。母の理解があったからとはいえ、高校の教師に丸め込まれて辺境の地の国立大学に行ったら人生まるで変わっていた気がします。社会人になってからも、東大をはじめとしたいわゆる高学歴の人と関わることは日常となりました。

ほどなくして私はあることに気づきました。東大や早稲田の人と話していても「本当に頭がいいなぁ」くらいにしか感じないのに、北大の人と話をすると「この人は人生の勝ち組だ」「僕は負け組か」「こんなところで何やっているんだ」といった劣等感に苛まれるのです。時々、北海道大学を受験し直したくなる衝動にも駆られました。寝る前に思い出して憂鬱になることたくさんありました。今でさえも、頭では理解していても北海道大学に進学していれば…と考える事がある、それくらい柏葉高校での3年間で北海道大学に対するトラウマを完膚なきまでに植え付けられたと言えます。

もっとも、人によって同じ言葉をかけてもトラウマを負うか何も気にしないかは違うでしょう。どちらかといえば私は人の言葉に影響されやすい人だと自覚しています。もちろん、目標を持って上を見ている人は、多かれ少なかれどこかの時期にコンプレックスの類を感じるものだと思いますが、当時の進路指導のやり方は洗脳のようなあまり感心できないものに思えます。実際、考えてみれば学歴社会なんてだいぶ過去のもので、学歴というものは多くの評価軸の中の一つの軸に過ぎない、そんな状況になっています。

同窓会で、子供の柏葉高校への進学を夢見る親たちと話をして、私は心の中で北海道大学への病的なまでのトラウマを感じる自分を客観視して考えるのでした。果たして中学生や高校生にどういう将来の指針を出すべきなのだろうと

子供にはどういう勉強方針を掲げればよいか

頭が良いに越したことはないのですが、網羅的な勉強は難しいものです。まずは一つでも好きな科目を見つけるよう導くのが良さそうです。そこから「勉強の仕方」を学ぶことで、他への応用も効くからです。実際、得意科目が本当にずば抜けてよければ、他の科目の点数が多少悪くても、傾斜配点を利用して一点突破だったり、飛び級進学とかもできる時代です。

そして進学それ自体を目的にすることはなるべく避けたいところです。学校に進むことは、将来何かを成し遂げるための手段の一つであって、それ自体を目的にすると何かの失敗で人生見失う可能性が高いです。ただでさえ大卒でも就職難な時代、学歴が高い低いとかもう誤差でしかないです。勉強そのものが楽しいというのが理想ですが、将来なりたい職業のために必要な科目というものを見つけてもらうことが以前にも増して大事になってくるのではないでしょうか。

良い企業に就職するとか良い国家資格を手に入れるといった価値観は、物によってはこの先どうなるか分からないということも念頭に置いておくべきです。国家資格といっても、歯科医師・弁護士・美容師・司法書士といった職業は供給過多と言われていて、たとえ職に就けたとしてもその後は大変です(その中で勝ち抜ける人はさらに目立てる時代でもあります)。かといって需要過多な資格は国がこの先間口を広げる可能性もあったりして、決定打に欠けるのです。破綻する多くの企業、東京電力の凋落、家電メーカーの再編など、企業に対する価値観も数年のスパンで大きく移り変わっていると言えましょう。

最近強く思うことは、勉強自体を罰に利用すべきではないということ。私の高校3年次の担任がまさに典型的なそれで、英語の時間に宿題を忘れたり回答ができなかったりした生徒に「ペナルティ」と称して無意味かつ非現実的な量の英語の書き取りを課していたのですが、あれは教師として絶対やってはいけない行為だと思います。なぜならば、勉強自体が罰となること、すなわち勉強が楽しくないことを肯定しているからです。罰の是非は置いておくとしても、罰を課すならばスマホを取り上げるとかゲームを禁止にするとか、勉強以外のものにすべきです。勉強は楽しいものだということを明に暗に否定する親や教師が、子供に自発的に勉強をさせることができるでしょうか

各々の進学先と将来の展望

大学進学を考えないのであれば、高校は普通科ではなく商業科や工業科や農業科といった特色のある学科に行くほうが手に職がつくし、面白い見方ができる人格も形成されると感じます。帯広で言えば、帯広南商業高校帯広工業高校、そして帯広農業高校を卒業した人との話はとても面白いです。銀の匙効果などで、世間でもこういう職能系の高校に注目が集まっている気もします。決してニッチなスキルではありません。私も簿記であるとか電気工事ができる資格があれば、今の仕事でさらに有利になるのです。

勉強以外に特色のある高校を選ぶというのもあるでしょう。私はスポーツには疎いのですが、帯広の高校はスピードスケートに代表される冬のスポーツの盛んな地域です。音更高校には他の高校には珍しいオーケストラがあります(音更町民だしクラシック音楽好きなので、これ目当てで音更高校に入ろうとずっと思っていました)。高校は、学問というより教育や人生勉強の場所の要素が強いわけで、部活だったり制度といった側面も選択のポイントになりえるでしょう。

高専への進学は、良くも悪くも大学っぽい部分があるようです。高専に入れるだけで頭は相当良いと言えるのですが、高専を卒業した人に話を聞くと「勉強する人と勉強しない人がハッキリ分かれる」と言います。高専卒業で短大卒と同等の扱いになり、教授に良い就職先も斡旋してもらえる環境は、純粋に勉強が好きだったり大学編入を目指して勉強する人とそうでない人が分かれてしまうのも無理ありません。周りに流されない心がある人には高専は非常に良い環境だと言えますが、そうでなければ口うるさい進路指導がいる進学校の普通科に行ったほうが、大学進学という意味では良い気もします。たぶん私は普通科に行ってよかった方。

大学への進学も、高専と同じで目的意識がはっきりしていない場合は、大金と最低4年間の苦行で大学卒業の資格(学士)を得るだけの存在になってしまうのは同じでしょう。大学が学生生活のゴールとなって本業の勉学をおろそかにするというのはよくある話です。最近では「シューカツ」という悪習に問題もあったりして、頭を抱える部分でもありますが…(就職についてはこのブログ記事では取り上げません)。そういう意味では私も反省するところが多いです。

学歴偏重の大人と、学歴を自慢する人達

同窓生達に当時の話を聞いて面白かったのは、中学卒業当時、進学校に行った人の中でもそれを鼻にかける人とそうでない人がハッキリわかったという話。「Xさんは別け隔てなく接してくれたのに、Yさんは鼻にかけてた」とか。自分はどうだったかな…と少々不安になりましたが、当時の自分にとっての価値観は化学と格ゲーくらいしかなかったので、単純バカで幸いだったかも。

約20年の時を経て色々な人を観察してわかったことは、進学校に行ってそれを自慢する人もそうでない人も、大抵はその後のどこかで挫折しているということ。挫折を経験して、以前に自慢をした人も考えを改めて大人の階段を登っていく、そんなことを感じたのが約20年後の同窓会でした。自慢ばかりするA組の男子も、同窓会の場で当時のことを謝っていたのを見て、そう感じました。

学歴を自慢する子供とそうでない子供の分かれ目はなんでしょうか。一概には言えないでしょうが一つの要因として、親が学歴にこだわったりして厳しい教育を施すことなんじゃないかと考えています。

親が教育熱心で子供に厳しく接し過ぎると、子供はそれを成し遂げるために頑張るだけでなく、成し遂げた後の誇らしい気持ちが親以外に向くと、それが自慢になってしまうという寸法。中学高校時代に自慢をする人の多くがこれかなぁって感じがします。そういう視点で見ると、年月が過ぎて当時のアイツの自慢も許せるって気がします。

教育熱心で子供に厳しく接しすぎる親はどうやって生まれるかというと、これはもう冒頭のツイートのような、子が親になり受け継がれていく呪いのようなものなのでしょう。もちろん、別の外的要因でそういう人格が形成されることもあるでしょうけれど、それもまた地域コミュニティ内での呪いのようなものなのかもしれません。

教育熱心で厳しい親というのは、特に親が教師であるとかの場合が多そうな気がしますが、そういう事例をいくつか見ていても一概には言えないなぁという感じがします。やっぱり呪いのようなものと思っておくのが良いかも。

難関である医歯薬獣医を志望する子供も、大変だなと当時から思っていましたが、特にそれで自慢をするとかっていう印象も無いです。良い人は良い。

結局思ったことは、学歴コンプレックスや学歴主義のもとで厳しい教育を子供にしても、結局は子供も学歴コンプレックスや学歴主義を受け継いでしまって負の連鎖にしかならないということ。価値観が多様化した今、何のために勉強が必要なのか、親と子供と教師で今一度考えなおしてみる必要があるのではないでしょうか。

どうせなら楽しく勉強したいじゃないですか。この世の中には様々なジャンルの未解決問題がいっぱいあります。それをみんなで解決して良い世の中にしていくというのが、我々が勉強をし、子供に勉強してもらう、一つの大きな動機なのではないかと思います。

4 thoughts on “学歴コンプレックスは心ない大人に植え付けられたトラウマ

  1. おぎ

    学歴コンプに関しては、僕もとても強いです。
    僕は中高と福岡の進学校でなく、東京思考の大学の系列校に行ってたので、このブログで語られている、地方旧帝主義(福岡の場合は九大)の思想はだいぶ、薄かったです…
    ですが、福岡の公立の進学校もこのブログ同様での「北大人生至上主義」と同じかそれよりも強いレベルで「九大人生至上主義」だと昔からよくまわりを見て思っていました。
    逆に僕は、九大至上主義が嫌いで九大よりもいい国公立か早慶に行ってやろうと思っていましたが、受験ではかなわず…
    ちなみに僕も英語が苦手で、受験ではとても苦労しました。(中高一貫の中学一年生で落ちこぼれてしまったので、ひどいのレベルが他の大卒の方と違うレベルです。)
    僕は、私立という選択肢を選べず、ランクをだいぶ落とした国公立への進学を余儀なくされました。
    あまりにも学歴コンプがひどいため、大学進学当初から三年次編入、他大院進学を考えていました。
    このブログを読んで共感できることや思うことがたくさんあるのですが、学歴コンプはだいぶ強かったので僕は院進学でやっと拭い去れました、でもやはり未だに思うところがあります。
    学歴コンプについてはいろいろと思うことがあるので、今度飲んだときにでもじっくり話して見たいものです。

    返信
    1. xtetsuji 投稿作成者

      おぎさん、コメントありがとうございます。

      旧七帝大については、東大京大は別格としてもそれ以外の5大学は
      親世代に学歴コンプレックスを振りまいて子供が振り回されるといった、
      全国的に同じようなことが起こっているんだろうなとは思っていました。

      僕の場合も頭では北大に行かなくても現代社会で立派にやっていけると
      分かっていて自分自身で証明しているつもりですが、やはり多感な頃に
      晒され続けた心ない大人の言葉は一生ものですね。次の世代には
      そういう呪いを残さず断ち切りたいものです。

      飲み会はいくつか催そうと思っているので、その時にでも九州のお話が
      うかがえれば嬉しいです。

      返信
  2. 道民

    すごく納得できました。
    私も北海道の進学校で、東大の他には北大しかないくらいの進路指導をされました。そして、都内の私立も選択肢に入れたかったのですが、「北大がダメなら小樽商科大学、それもダメなら教育大学…」というように、地元の国立大学ばかりを勧められました。親も知識がなかったので影響され、結局道外への進学は許されず、北海道の地方の大学へ行きました。祖母からは「北大なら自慢できたのに」と嫌味を言われました。心臓がつぶれるくらいつらかったです。
    今になって思えば、都内の私立だって、家賃が少し違うだけだし、自分で働いて進学すれば良かったのでした。当時はわからなかったのですが。
    視野が狭いというか、北海道の教師達の国立信仰はおかしいと思います。自分も、東大生や京大生と話していても何も思いませんが、北大へ進学した同級生が羨ましくてたまらなく悲しくなる時があります。
    北海道の地方の国立大学では、東京へ来た時に私立と勘違いをされますし、有名ではないので少し寂しい思いをします。北大か、都内の私立に行きたかったな…今でも、受験の時の苦しみを思い出し、つらくなるときがあります。
    これは、親世代に植え付けられたトラウマなのですね。

    返信
    1. xtetsuji 投稿作成者

      道民さん、記事を読んでくださりありがとうございます。

      私が受験生だった頃は20世紀末でして、20年ほど経った今は学歴偏重主義は若干は薄れたかなと感じています。ただ、学歴偏重主義を今なお維持しているだろう、北海道の田舎の年配の方々の考えを変えることはもう無理そうだとも感じます。彼らの現役世代からの引退を促すことで、就労社会での能力主義者の割合を増やしていくことが重要そうです。

      当時の北海道の教師達の宗教じみた国立大学信仰も、結局は終身雇用制が維持されている時代に醸成された幻想に基づいて設定されたノルマでしかないのかなと感じます。冷静に見ると、当の教師の出身大学も実は私立大学だったりということも結構あり、何か見えざる手に動かされている不気味さを感じます。今や大企業もリストラの嵐が吹き荒れる時代、高学歴が安泰だった時代も終わりました。

      私の場合、親の理解があり、都内の私立大学に進学させてもらえたことは幸運でした。学歴偏重主義を率いている老人に対しても、対老人的ネームバリューだけは大きい大学だったので(偏差値ランクは入試は国立大学よりずっと低く簡単です)、その点もその後の苦労が小さかったのも幸いでした。

      学歴コンプレックスというより北大コンプレックスの方が呪いとして強力だなぁと感じていて、私は札幌駅の北側に行っただけで体調を崩すほどです。実際、社会に出てみると東大や京大の出身者と働く機会はとても多いものの、「頭の回転早いなぁ」と思うくらいでコンプレックスを感じたことはありません。北大はというと、北大が悪いというよりも、もう高校教師による呪いですね。たぶん今後も忘れることはないし、無理して忘れるよりこの一件をバネにして頑張ってやろうと最近は感じています。「北大コンプレックスな自分」というキャラクターを逆に売っていこうという気概で一石を投じていきます。

      返信

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