2014年を振り返る

2014年を振り返る#interest_aeおがた (@xtetsuji) です。

最近は毎年恒例ですが、今年2014年を振り返ってみることにします。

退職して転職してまた退職した

今年は慌ただしかった年でした。

1月末に前職を退職して、2月に新しい職場に就職して、そして11月末に退職 (実際の退職日は12月12日) しました。そして12月に無職になって、初めて自発的に無職期間ができて(2003年4月から5月24日まで無職ではありましたが)、自分で年金や健康保険の手続きをしました。手続きが苦手だったのでなかなか勉強になりました。

前職のfonfunでは比較的自由な出勤体系と残業の少なさに助けられていましたが、Wanoでは部署によるかもしれませんが定期的に忙しく出勤体系も定時があり、特に3月と6月は案件が込み入って終電帰りも結構あったりと、一年でも自分的には大変でした。このご時世、もっと大変な人はそこらじゅうにいるとは思うのですが、私は他の人よりかなり疲れやすい人らしいので、通院も増えたりと体調を崩したり大変な思いもしました。

その分、Wanoは給与待遇では (少なくとも前職と比べたらかなり) 厚遇してもらったので、貯金もそこそこ貯められて、今回の静養期間の生活資金にできそうなのは幸いでした。

2015年3月末くらいまでは、これからどうするかゆっくり考えつつ、余った時間をPerl入学式などのコミュニティ活動等に集中に使おうと思います。

病気と通院と療養と

昨年 (2013年) 12月に2週間、急性胃潰瘍で緊急入院したあと、病み上がりで年末年始に帰省して2014年年始に東京に戻ってきたら風邪とインフルエンザのコンボで、Wanoの初出社日の前日までインフルエンザで外出禁止になってしまいました。初出勤日はもうフラフラ。

完全に病み上がりでの2社目のスタートとなりましたが、それをひきずって新しい仕事が始まってからもタバコの煙によると思われる呼吸器の不調による呼吸器科通院など、通院する病院が増えるばかりで健康とはかけ離れた2014年でした。

胃潰瘍の退院後の通院も月1回であって、退院半年目で胃カメラをまた入れられて、やっぱり苦しくて大変でした。入院時は毎日胃カメラだったのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるものです。

コミュニティ活動4年目

2011年7月から始まったコミュニティ活動も4年目。今年は競争率も高かったこともあって、YAPC::Asia Tokyo 2014 での「3年目のトーク」はリジェクトされてしまい、一時はこっそりとガッカリしていました。ただ、リジェクトコンが盛り上がったこともあって、年間を通して見たらまぁまぁよかったかなと思えます。

LTなどの10分未満の小規模トークを除くとを除くと、今年はまとまった時間のトークをほとんどしていなかった。2つだけっぽい。やはり10年ぶりの新しい2社目の環境で10ヶ月大変だったこともあるかなぁと思うのは、半分言い訳でもあり、半分本当なのかなと思います。

リジェクトコンは本当に盛り上がりました。ビールで酔ったあとで壇上に立って、スライドを出した後に「みんな、飲んでる〜!?」と叫ぶあのノリは、逆にYAPC本編ではできないやつなので、貴重な経験でしたし楽しかったです。

LTを含めた私のトークのスライド一覧はSlideshareの私のページを御覧ください。公開可能なものはここに公開されています。

PerlBeginnersでは、主宰者である @ytnobody さんと二人三脚になることで「副主催者」として司会などを担当させていただきました。年末のPerlBeginnersには私用で出られなかったのですが、懇親会には顔を出させていただいて、いつものなじみの方や驚きのゲストの方と交流できました。PerlBeginnersは色々な意味で面白い立ち位置のPerlの勉強会なので、2015年も色々な戦略で育てていく予定です。ご期待ください。

ブログに書き忘れたような気がするのですが、今年は4月16日の「Foursquareの日」にFoursquare Meetup 2014が行われて、@FKU さんや @koogawa さんを中心としたコアなロケーションベースサービスのアーリーアダプターの方々と交流ができて、Perlコミュニティとは違った方向の交流の広がりができたことは個人的に楽しかったです。

その他のコミュニティや勉強会への参加側としては、Yokohama.pm、Hachioji.pm、五反田Perl、Twilio API 勉強会、Mishima.pm、PerlCasual、Kichijoji.pm (miniも)くらいでしょうか。ほとんどPerlの勉強会なんですが、このあたりも来年は幅を広げていければいいなぁとも思っています。

Perl入学式の活動

これもコミュニティ活動の一つではありますが、2013年度の東京の第2回目くらいからサポーターとして参加しはじめたPerl入学式

Perlが好きだというだけでなく、もともと人に何かを教えたりという教育活動というのは好きだったということもあって、Perl入学式の活動には共感することとなり、2014年度は第1回目からどっぷりとジョインさせていただきました。

2013年度の最後の第6回補講 (2014年3月) は結構もりあがりました。サポーターとしては途中からの参加でしたが、一つのターンをやり遂げた達成感がありました。

今年度4月からはサポーターとしてだけでなく、スポットで講師を担当したり、オンライン上での運営メンバーの議論にもコアメンバーとして参加させていただいたり、つい先日2014年11月の東京の第4回では @__papix__ 校長の不在ということもあり、モバイルファクトリーさん (特に@karupanerura さん) の協力のもと、私が4時間まるまる講師を担当したり、普段は校長が担当しているような細々とした雑務をしたりもしました。改めてPerl入学式というのは大変だなぁということを実感しつつも、非常にやりがいのある活動だなとも思いました。

Perl入学式を通して出会ったサポーターや受講生の方との出会いの数々も素晴らしいものがありました。サポーターも受講生も、みんな目標に向かって頑張る姿は、いわゆる巷の「勉強会」とは形の違う熱気があります。

2015年の私は、Perl入学式の中でさらに違った役割も担当し始める予定です。これからのPerl入学式にご期待ください。

YAPC::Asia Tokyo 2014

上述の通り、2012年と2013年はスピーカーとして参加したのですが、今年はスピーカーとしての参加はできませんでした。その代わりに「Perl入学式 in YAPC」のサポーターを2日目の午後に担当することで、かなり貴重な経験ができました。

YAPC::Asia Tokyo 2013 については、長い感想エントリがあるので、そちらをご参照ください。

今年の終わりごろに「YAPC::Asia Tokyo 2015 が最後のYAPC::Asiaとなる」と発表されました。もうその日からが我々の YAPC::Asia Tokyo 2015 への準備の開始日なのかもしれません。

話題を呼んだ「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」

2014年6月8日に私が主催した「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」というイベントは、各方から物議をかもしたり話題になったり大変でした。600程度バズるほど多くの人の興味関心を引いたにもかかわらず、参加者は私を含めて10名という「明らかに近寄りがたいイベント」

なにせ、ATNDの説明の中に書いてある趣旨みたいな文章がギリギリ過ぎた…。これ、目立った段階で炎上しちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしていましたが、みなさん優しくて助かりました。

そこで、インデックスの倒産を機に、インデックスの本陣が存在していた三軒茶屋の「キャロットタワー」の上階で、日曜日の昼下がりからワインなどを飲みながら、当時を闘いぬいたシニアエンジニアたちが語り合う会を開きたいと考えています。

変に要約したら「企業倒産を機に、その企業の上階にあるレストランで食事しよう」と読めそうなギリギリな文章。そんなつもりはなかったんですが、そこが多くの人の興味をひいたのかも。

当日の記録はブログに書いてありますので、興味のある方は読んでみてください。非常に示唆に富んだ会になりましたが、スライドはとても公開できるものじゃありませんでした久しぶりにスライド非公開事案になりました

趣味のプログラミング開発

会社では2月から11月末まで業務プログラミングで様々な体験をさせていただきました (退職エントリを参照)。差し支えない範囲で業務で培ったノウハウを出していきたいと思うのですが、在職中は忙しく、また12月は脱力していてなかなかできていなかったのが心残りです。

趣味のプログラミング開発では CPAN にアップしたモジュールの手直しをしたりしましたが、あまり大々的に公開系のものを作れなかったのは今年の反省点です。仕事が忙しくて時間的にというよりも、体力的だったり精神的な余裕がなかったんだなと思います。やる気だったり思考力や集中力が枯渇しているのが自分でもわかるほどでしたが、こういうときはどうしようもないこともわかっていたので、静養できる環境を作って夜が明けるまで待つしかないんですよね。

基本的に趣味の自分のプログラミングスタイルは「自分がほしいものを作る」なのですが、自分のために作ったChrome拡張機能週刊アスキーのウェブサイトに掲載されて多くの人に使ってもらったのは驚きでした。今まで趣味で作るものは「プログラマーが使うプログラム」が多かったわけですが、一般ユーザの意見をダイレクトに聴けたのは新鮮でした。

自分が知らない赤の他人が使うことは全く想定していませんでした。Chromeストアにアップロードしたのも「自分がどこでも簡単に使いたい」という要望だけだったので。

それ以外については、書き捨ての一枚スクリプトを多く書きましたが、そういうのをモジュールに昇華できるパワーが2015年には湧いてくればいいなというのが願いですね。

実際そうなりました。

中学時代の同窓会計画

私の中学校の同級生が「同窓会したいねー」と何度か言っていたので、彼の背中を押したら同窓会運営活動を行うことになって、20年ぶりくらいの同窓会のための人探しを9月から行うことになりました。

基本的に現地での足で探す地道な作業は最初に言い出した彼がかなり精力的に担当してくれて、私は東京からデータを整備したりネットを使って事情通に話を聞いたり文章を書いたり店を予約したりといった遠隔作業でした。それでも20年ぶりくらいの同窓会で半分くらいは足取りがつかめて3分の1くらいは参加してくれる見通しなのは成果としてはまずまずかなと思いました。

今回の運営では、最近のIT業界で評判の良い構成である、Googleドライブをファイル管理に使って、Facebookの秘密のグループをグループウェアとして使う方法を取りましたが、これがとても成功しました。現在は9人のアクティブメンバーがFacebookグループにいてやりとりを行っています。

同窓会は2015年1月3日です。久々に運営や幹事っぽい立場で数ヶ月頑張ることを行ったので、2015年最初から楽しみです。

休息の12月

11月末に退職をして、12月の冒頭は疲れと心労で休んでいましたが、実質退職日の12月12日以降、12月中旬からは事務手続きに奔走することになります。

送別会だったり草の根の勉強会があったり、行きつけのカフェのクロージングパーティがあったり、休んだり動いたりの生活でした。

年末恒例の第九演奏会を入れたらPerlBeginnersとかぶってしまい、@ytnobody さんにわびて懇親会から滑り込みました。

そして少し早い帰省ののち、追い込みで同窓会活動のラストスパートをしつつも、例年通り平和に帰省して実家でこのブログ記事を書いています。終わりよければすべてよし!

来年は1月3日から私が運営メンバーの一人として奔走した同窓会が悠久の時を経て開かれます。2015年は最初から本当に期待と不安が交錯します。

2015年をどういう年にしたいかということについては、2015年の最初に書こうと思います。みなさん、良いお年を。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください