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「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」というイベントを開催した話 #garake_kaikoroku

10年弱ガラケーでウェブ開発をしていた おがた(@xtetsuji) です。

2014年6月8日に「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」というイベントを開催させていただきました。

最初は「3人くらい集まってワイワイとガラケー時代のことを語れればいいな」くらいに考えていたら、2万人くらいフォロワーがいる人にRTされて、その日一日中iPhoneが震えっぱなしでした。意図に反して、人によっては悪ふざけと取られて批判されるかもしれないという内容だったので、自分もその日一日中震えっぱなしでした。

結果的にATNDのページには相当のブクマやLikeがついて、一人反響に驚いていました。

めちゃくちゃバズったガラケー大戦回顧録

ネットの人もジョークがわかってくれる人がほとんどで安心しました。まぁ「近寄ってはダメだ」とか言ってくれる人も良い人です。

「まだ有効なNDA等には注意してくださいね」といったことは周知しつつも、バッドノウハウとか闇とかアレすぎて、文脈すっ飛ばしてブログに書くと色々問題がありそうなネタばかりだったので、以下では詳細までは書いていません。気になる方は実世界で私をつかまえてこっそり聞いてください。問題ない範囲でお話します。

かなり面白い人々が集まった

参加者は、@kaz_hiramatsu さん以外は実際の面識がほとんど・全くない人ばかりでした。

日本のC++の第一人者として有名な江添亮さんが参加することになったとき、多くの人に「江添さん来るけど大丈夫なんですか?」って言われました。ネットでは怖い人だと思われているのかな。本人のブログで信念を持った文章を書いているからなのかもしれません。でも実際に会ってみたら、頭の回転が凄まじく早い、口や手といったI/Oも相当早いけど頭の回転のほうが遥かに早くてすごい、という人でした。ダメなものはダメと断罪する人だったけど、怖い人ではなかったですよ。物凄い人であったことは事実で、また一人そういう人に会うことで自分もしっかりしなきゃと思わされて、とても良い経験でした。

メールで問い合わせを頂いた上で参加くださった方ともお会いして、楽しい話ができました。

当時貴重なガラケー向け情報サイトke-tai.orgを運営していて、今はインフィニットループの代表取締役である@keitaiorgこと松井さんも、札幌から参戦していただきました。Hokkaido.pmですれ違ったことはあったのですが、実際に挨拶をして名刺交換をしたのは今回が初めてでした。

会場に選んだ「レストラン・スカイキャロット」について

三軒茶屋のランドマークタワー「キャロットタワー」の上階にある「レストラン・スカイキャロット」を会場にしました。とても眺めが良かったです。

電話で10名予約をして席が用意されたのですが、電話予約の時から噛み合わないやりとりを何度もしていたら、店を出るときに意外なことを言われて、やっぱりなーとか思いました。私は悪くなかったんですが、私達が結果的に得をしたのか損をしたのか、ちょっと書けない。

なんか枝葉のことまで書けないことだらけの会すぎて困る…。会の実際の内容も含めて、実情を知りたい人は私を捕まえてこっそり聴いてください。大事なことではないのですが、二回言いました。

集合

主催が遅刻するわけにいかないので、とりあえず13時までに会場に向かいます。ちょっとギリギリかなと思っていたのですが、なんとかたどりつけました。

一人、キャロットタワーに興奮します。

会場に到着して予約名を言ったら、既に江添さんがいらっしゃいました。初対面。

続々と人が集まってきます。松井さんは札幌から直行で遅れるとあった通り、しばらくは松井さん以外の9人で食事をしつつ歓談。

私の個人名刺入れがドラクエ2のROMカセットのデザインのやつだったので、最初がドラクエ2の設計に関する話から始まるところ、シニアエンジニアっぽい感じです。

その後、松井さんも合流して10人揃います。揃って食事しつつ歓談。

話題いろいろ

「Tomcatが動かないことが発覚して、急遽シェルスクリプトから標準入力を読んでJavaのコマンドラインに与えるJava CGIを…」といった話がでて、「え?Java CGI?」と会場が驚きに包まれたり…。あんまりガラケー関係ない話ではありますが、ガラケー時代のサーバサイド技術の混沌期を感じさせる話題です。これはツイートしていいって言われたのでツイートしました。誰が言ったかはヒミツ。

終始、江添さんトークがすごかった。ドワンゴの今からC++に関することまで。エンジニアやエンジニア経験のあった人は楽しめただろうけど、それ以外の人を置いてきぼりにしてしまったかなとか、主催者として後で不安になったりしたくらいでした。

その他にも個別に書けない(書く許可を取っていない)話題をいくつもいただけて、主催者として非常に楽しめたイベントでした。

トークと、私が考える過去からの教訓からより良く学ぶ方法

事前トークを募集したのですが誰もいなかったので、結果的に私のトークだけでした。発表したかったけど、雰囲気がわからず準備できなかったという人はいました。発表といっても、特にプロジェクターとかはなく、大きな文字のスライドをノートパソコンに写してかかげて見せる形式。少人数だからできる形式ですね。

これもまた、ちょっと文脈無視では公開できない内容なのですが、せっかくなので一枚見せます。モザイクだらけですけど。

スライドよりクリスタルタワー、モザイク入り

このイベント、「8年前の今日」にガラケー開発で貴重な体験をしたネタを「供養」するために開催したというネタばらしでした。スライドの一部分をファイナルファンタジーIIIのストーリー仕立てにしたら、これもドラクエ2と同様にシニア世代にうけたようで良かったです。

当時は本当に大変だったけど、3年6年と年月が経つにつれ、当時の関係者と当時を振り返って笑えるようになりました。そして8年の時を経た今、同じ失敗を繰り返さないよう、一見ネガティブと思われることもポジティブに変えて、こういうことはどんどん共有したほうがいいんじゃないかなという私からのメッセージでもありました。

話題としての失敗っていうのは、そういう文脈を伝えられなかったり伝えづらい文章の形で公開してしまうと、どうしてもネガティブなものと捉えられられて、本来伝えたい過去からの教訓というものが霞んでしまうんですよね。こういうのをポジティブな文脈に替えて誤解なく伝えられるのは、実際に顔を合わせて話をすることしかないんだよなーとは、よく思うところです。

ネットには成功体験記事は多いけど失敗体験記事が少ないのは、恥を公開したくないといった側面の他に、どうしても読み手にネガティブな印象を与えてしまうからじゃないかと思っています。勉強会や懇親会といった場でなら失敗談であるとか技術の廃れといったことを聞けるのは、このネット時代であってもリアルに出会える場所が重要であることを物語っていると思います。

「ネガティブ良くない、ポジティブに行こう」というのには大賛成なのですが、失敗談から学ぶときに一見ネガティブととられかねない話題は避けては通れないと思っています。ガラケー開発の闇も同様。ガラケー開発の闇ほどではないものの、今もスマートフォンの断片化などが問題になっています。そういうものもポジティブに変えて考えていこう、この会にはそういうテーマも根底に設けたつもりです。

ちなみに昔ほど今の開発現場の闇が深くないと考えられる理由として、ガラケー時代以降の勉強会文化によって横の情報連携が活発になったこと、昔よりもはるかに開発現場のツールチェーンが進化したことなどが挙げられていました。

NDAというものの影響がはるかに大きいガラケー開発の世界

江添さんも直近のブログで指摘してくれていましたが、勉強会文化が普及しなかったり横の情報連携が停滞したりといった要因は、やはり巷でNDAと呼ばれている秘密保持契約によるものが大きいなと感じました。

それは「発売日・正式リリース日までの口外を禁ずる」といったAppleやGoogleがよくやる期間限定タイプの最近よくあるパターンなものではなく、ほぼその技術が存在し続ける限り恒久的に続くNDAを結ばなくてはならないものです。ハードウェア的なものは理解できなくはないとしても、ソフトウェア的なことに関してもことごとくNDAの世界が広がっているのがガラケー開発の世界でした。

絵文字の世界も闇が深いです。ガラケーから外部SMTPサーバへ絵文字入りメールを出すと、いわゆる「ゲタ」(〓)になることは有名な話ですが、特別な申請を経てキャリア側の特別な許可が下りることでこれを回避することができます。そうでなければGmailやYahoo!メールの挙動を説明することはできませんし、3キャリア(WILLCOMやE-MOBILEも入れるともっと?)間での絵文字の相互運用を説明することはできません。

観測事実として、絵文字には各キャリア統一テーブルが存在するのです。とはいえ、実際に絵文字を「統一」したのはUnicodeコンソーシアムに働きかけたGoogleやAppleでした。実際に3キャリアの下で統一された絵文字コードはこのUnicodeではありません。もしそうであれば、ドコモなどを差し置いてGoogleが申請する道理もないですし、GoogleはドコモとのNDA違反をすることになります。すなわち観測事実として、NDAを結んでいない人が知らないテーブルが存在するのです。私は前職でこのテーブルについて偶然知り得てしまったのですが、これは各キャリアとのNDAが今も有効なので当然ながら今回も話すことができませんでした。

日本のガラケーキャリアが閉鎖的な絵文字テーブルを運用している間に、GoogleやAppleは標準化を提案し、美味しいところを持って行って主導権を握るのです。

これは絵文字の例だけではありません。AndroidであったりiPhoneであったりといったスマートフォンのエコシステムと比較したガラケーの世界は、似たり寄ったりの話ばかりです。GoogleやAppleが好きか嫌いか国粋主義者か否かは別として、日本のガラケーキャリアがガラパゴスと揶揄されるゆえんがわかる話ではないでしょうか。

「公式サイト」という言葉も生んだガラケー業界。公式サイトになるためには、それなりの体裁をなした企業が溜池山王(ドコモの本社があるところです)に何度も通わなければならず、一度作った公式サイトの企業間譲渡も制限されるといった不自由さ。そりゃ、どこにも出向かず、お金さえ払えば、たとえ無名の個人だってウェブからアプリをアップロードして全世界展開させてくれるGoogle(Android)やApple(iPhone)に飛びつくに決まっていますよね。公式サイトの課金手数料もNDAだと思うので書けませんが、それよりもはるかに高いと言われる30%というGoogleやAppleに払う手数料も、実際に参勤交代をすることもなく、日本だけでなく世界展開させてくれると思えば安いものです。ガラケー全盛末期の時代はキャリアのトップサイトより影響力を握ったソーシャルゲームプラットフォームに載せるために、キャリアの手数料にソーシャルゲームプラットフォームの手数料も更に上乗せされた額が乗ったわけです。この流れは、公式サイトやソーシャルゲームプラットフォームをすっ飛ばしてGoogle PlayやAppStoreに直接載せるという今の「パズドラモデル」を推進させる流れにもなったように思えます。

今後のガラケー

スマートフォンが使いづらい、スマートフォンの料金体系が高いといったことを嫌う一定層から、今またガラケーが支持を集めています。会の参加者も、私を含めてガラケーとスマートフォンの二台持ちという人も見受けられましたが、そういう人であってもガラケー開発のノウハウは記憶をたぐり寄せるという、いにしえの技術になってしまっています。ke-tai.org の松井さんでさえもです。

しばらくは一部の愛用者からのガラケーの支持も続くとは思いますし、ガラケーが完全になくなることは今後数年は無いとは思いますが、今後はガラケーとスマートフォンの内部的な垣根はどんどんなくなっていって、外側をガラケーに似せた「ガラスマ」が進化し、適切な料金プランとともにガラケー愛好家に浸透していって、根底のガラケー開発の知識はほぼ過ぎ去った知識と言える時代もそう遠い未来ではないのではないかと思えます。

会の終了後

13時から始まったこのイベント、17時に予定通りお開きとなりました。

会計を済ませて、少しみんなで三軒茶屋の名所を散策。

二次会っぽいものに行く人は残り、そうでない人は解散という流れ。5名が帰路につき、5名が残りました。

二次会は居酒屋。とはいえ昼食はしっかり食べているし、アルコールは飲まなかったものの飲み物も結構飲んでいたので、皆さん数杯飲んで満足。

ここでは江添さんのC++話が炸裂しました。

レトロゲームやネトゲの話にもなったのですが、どんなゲームも結局一年くらいで飽きるし、一番のクソゲーであり最もプレイ時間が長い「現実」というゲームに投資しておいたほうが良いと満場一致したのが面白かったです。

21時頃解散。

まとめ

「江添劇場」はすごかったです。C++へ興味湧きます。

二次会にも来てくださった @halmatch さんは、ゲーム業界寄りの話も含めて興味深い話題を色々と提供してくれて、また会って話をしてみたいと思いました。他の勉強会などの集まりとかでつながりが持てると嬉しいです。

予想外に多くの人に注目はされたこのイベント、コメントで「行きたい」という人も多く見受けられ、それに対して江添さんが冗談まじりに「ドワンゴで大規模に勉強会形式でやりますか?」と振られたものの、みんなで「逆に大規模にやったら、発表者出てくるのか…?」といった心配事もあったり、なかなか性質が難しいイベントだなと思った次第です。この規模だからアットホームに各人の真意が正しく伝わって、過去から学んでポジティブに行こうという認識が持てたけど、人が多かったどうなるんだろうとか…。大きな会場が提供されて自分が主催をするとしても、誤解の無い進行は難しいだろうなって感じはします。2012年に一度行われた「失敗カンファレンス」も、今になって概要を見ると、扱いづらい話題を扱った難しいイベントだったんだなと思わされます。

普段はPerlの勉強会ばかりに行くので、そこでは顔見知りの人と話せて楽しいという反面、新しい人との出会いが最近少なかったので、今回のイベントは主催者ながら本当に刺激的でした。

このイベントや続編の開催などに興味のある方、ぜひとも私をリアル世界でつかまえてこっそり聞いてくださるか、Twitterで #garake_kaikoroku ハッシュタグをつけてツイートしてくださると嬉しいです。

これからも様々な経歴を持った方々と様々な場所でお会いして学んでいきたいです。よろしくお願いします。

「お薬手帳」を持参しないと20円得する話

胃潰瘍の消化器外科やら咳の呼吸器内科やらと、通院マイスターになりつつある おがた (@xtetsuji) です。

最近こんなニュースがありました。

要約すると「お薬手帳を持っていかないと20円自己負担額が安くなる」というもの。2014年4月からのようで、複数の診療科にかかっている自分からしたら、そんなの初めて知ったということで、本当なのかと昨日確認してきました。

実際に確認しにいったのは、東京都の中野駅近くの調剤薬局。私がずいぶん以前から常連の場所で、普段私がお薬手帳を持ち歩いていることを薬剤師の方々が知っている薬局です。

  • 薬剤師「お会計は920円です。お薬手帳はお持ちですか?」
  • 私「えっと…ネットで最近見たんですが、お薬手帳を持っていると20円負担が増えるって本当なんですか?」
  • 薬剤師「はい、本当です」
  • 私「それって具体的にどういう行為にお金がかかっているんですか?」
  • 薬剤師「このお薬手帳に貼るための処方したお薬の一覧が書かれたシール、これをお出しすることが通常の3割負担で20円のご負担になります
  • 私「私って普段はお薬手帳を持っているんですが(今日は持っていたもののの隠しましたが…)、実はスマートフォンのアプリで服用履歴を管理していて(薬剤師の方に見せる)、これを以前初めて行った調剤薬局で見せたらとても薬剤師の方の参考になって話が早かったのですが、そういうのを見せてアドバイスをもらうことで金は取られないのですか?」
  • 薬剤師「こういうアプリもあるんですね。参考になります。あくまで先ほどお話した通り、当薬局ではお薬手帳に貼るための処方したお薬の一覧が書かれたシールを出すことで負担が発生します」
  • 私「私はアプリで服用記録をしていて満足なのですが、ここで要らないといったら20円引かれますか?」
  • 薬剤師「はい」
  • …といいつつすぐに900円に直された領収書が出てくる

少なくとも私の行きつけの調剤薬局では本当でした

とはいえ、薬の飲み合わせというのがあるのも事実。でも、メモでも何でも自分でとっていて、お薬手帳以外の手段でそれを薬剤師に伝えてもこの負担は発生しないらしい(どこでもそうかはわかりません)という話を聞いたので、じゃぁ自分で管理したほうがいいやというのが本音です。

というか通院マイスターになると、お薬手帳がかさばって大変なんですよ。しかも過去のお薬手帳をどうするかとか悩ましいし。大昔のお薬手帳を持っていて、そういう薬を飲んでもアレルギーがなかったとかってことを言おうにも、直近のお薬手帳はまだしも普通は大昔のお薬手帳なんて持ち歩いていないし、スマートフォンアプリで管理するのが良いよなぁというのが最近の意見です。

最近私が使っているアプリは、iPhone/Android両対応の「総合お薬検索」というアプリです。初回に多少面倒なユーザ登録が必要ですが、サーバ上でデータを持ってくれて、複数端末で使った時にもデータを同期してくれるのがすごい便利です。また先発・後発かかわらずかなりの薬のデータベースを持っていて、入力も簡単なのが良いです。

先日、お薬手帳を持たずに病院に行って、急に初めて入った調剤薬局で、初診者恒例で書かされる各種アンケートを書いた後、薬剤師が飲み合わせについて困った顔をしながら一つ一つ聞いてくるなかで、このアプリで記録している服用履歴を見せたら一気に解決したようで、豆に記録しておくものだなぁと思いました。私のようにライフログ大好きな人ならすんなり入れるんじゃないでしょうか。その前に病気しないに越したことはないのですが、人間生きていればどうしても病気にかかってしまうのは常。日頃から準備しておくことに越したことはなさそうです。

iPhone版はこちら:

Android版はこちら:総合お薬検索 – Google Play の Android アプリ

先のリンクの記事を読むと、今回の制度改定には医療行政の思惑だったりがあるようですが、医薬分業でコストがかかっているのなら利用者にとっても国にとっても良くないよなぁとか思います。薬剤師の雇用創出的側面もあったり、医師と薬剤師の二重チェックといった部分や、医師の利益操作を避ける意味での医薬分業という意義もあるのだと思います。ただ、病院行った後、調剤薬局であれこれ面倒なことをして薬を受け取る手間とか、そういうコストを考えると、もっと利用者や国にとって良い形があるんじゃないかなぁと思う次第です。

なんだか2014年はアクティブに活動していけそう

おがた (@xtetsuji) です。

当時それ以前から悪運続きではあったのですが、2010年にどうしようもない転職エージェントに出会ったところで人生どん底に落ちてしまい、はいあがるために2011年7月から一転してオープンな活動を始めるまで大変な時期を過ごしたっていうことは何度も書いたり話したりしました。

2012年と2013年のYAPC::Asia Tokyoへの大舞台登壇や、2014年2月の転職などを経て、ようやく色々な活動が軌道に乗りつつあります。

今現在進行形でやっている活動や、これからやりたいことを含めて、2014年も半分近く過ごしたので振り返ってみたいと思います。共感してくれて一緒に活動してくれる仲間募集中ですまた、かなり長いエントリなので、時間のない人は大きな文字だけ流し読みして「あとで読む」にぶち込んでいただければ幸いです

このエントリは2014年5月に書かれましたが、しばらくのあいだは加筆する予定です。

時間がある人向けの参考エントリ:

Perl入学式の運営側に入りました

3年目を迎えたプログラミング言語Perlの初心者向け勉強会「Perl入学式」、今まで2013年度のサポーターをやらせてもらっていたのですが、2014年度はより運営に近い形で参加しています。2014年度からはサポーターだけでなく、勉強会の運営方法の議論だったり、資料作成だったり、一部の講師だったりをさせてもらっています

これからもPerlを軸に、幅広い活動をしていこうと思っているのですが、Perl入学式は初心者に向けてアプローチできる絶好の場であります。しかも毎月定期的に行われている。たとえ手弁当でもそこで得られるものは自分にとって大きいと思い、色々と手を上げて作業させてもらっています。大変だけど、最初からこれをやっていた人も無報酬でやっていたわけで、コミュニティ発展のために自分も力になりたいと思った次第です。

これについては色々と盛りだくさんなので、興味があれば以下の記事を読んでみてください。

PerlBeginnersの共同運営者になりました

これもPerlの勉強会なのですが、PerlBeginnersという勉強会の共同運営者になりました。

今までは @ytnobody さんが一人で主催をして全てを一人でやっていたのですが、#12の懇親会のときに色々と大変だという話を聞いて、運営チームを立ち上げて複数人体制で運営をしていくことになりました。

ほぼ隔月で約2年間続けられたわけですが、当日 @ytnobody さんが突発的な仕事だったり病気だったりになった場合に主催できないという属人的危険性をはらんでいました。2年続けてきて、だいぶ多くの人に知られて定期的に20人程度の人は来るようになった勉強会になった今、そういう不安定な状況を解消しようと運営チームが立ち上がりました。今まで予定した日時に開催出来ていたことは、@ytnobody さん一人でやっていたことを考えると「運が良かった」とすら言えると思います。その辺の冗長化も考えた運営チーム発足となりました。

運営チームと言っても、現状は主宰者の @ytnobody さんと私の二人体制ではありますが、今後様子を見つつ徐々に増やしていこうと考えています。

2014年5月23日に新体制初の #13 を行いましたが、ちょうどというか @ytnobody さんが仕事で来られるかどうかわからない状況だったので、私が会場を開ける担当となりましたが、今回は @ytnobody さんの仕事が無事に終わったので事なきを得たのでした。こういう状況のための運営チームといっても過言ではありません。

執筆業へ進出したい

私には書籍を書くという夢があります。これ、実は水面下で良いお話をいただいていて、もしかしたら今年あたりに共同執筆者という形ですが実現できるかもしれません。私の頑張り次第である部分も大きいのですが。夢は言えば叶う方向に向かうものなんだなぁと思わされます

1冊書いたら満足とは思っていませんし、今後も人の役に立つアウトプットはしていきたいので、どんどんインプットもして、それに応じたアウトプットをしていきたいと思っています。

とかく、文章を書くというのは時間のかかるものです。このブログを書くのだってゆうに数時間はかかっています。1000文字以上のそれなりの品質の文章を書くというのは、多くの人にとってそれなりの時間がかかるものだと思います。

ブログ等といった広義の執筆も続けていくつもりではありますが、これからは電子書籍かなと思っています。自分自身もKindle PaperwhiteKindle Fire HDXを買って読書と書籍に対する概念が変わりました。紙の書籍はとてもあたたかみのある良いものではありますが、保管場所は有限です。特に東京での保管コストは高いと言わざるをえないでしょう。

今後、電子書籍はどんどん普及していくことでしょう。それに伴って、紙の書籍よりも出版障壁の低い電子書籍への出版も増えていくものと思われます。私もその流れに乗って電子書籍で自分の知識を出版していきたいと考えています。もちろん「電子書籍だから値段も内容も妥協」なんてことはしないつもりです。

とはいえ紙の書籍や雑誌へは一度は書いてみたいですね。もう5月末ではありますが、今年中に実現できるよう、邁進していきたいです。

新たな勉強会の立ち上げや、教育事業をやりたい

ここ最近はPerlの勉強会がブームです。色々な新規勉強会が告知され、既存のも含めて告知されるとすぐに定員が埋まってしまいます。

Perl入学式in東京も五反田の会社であるガイアックスさんが毎回会場など全面的にサポートしてくださっていますが、特に五反田界隈のPerl企業がとても元気です。

  • Gortanda.pm
  • 五反田Perl
  • Yokohama.pm (最近になって不定期開催から定期開催になった)
  • Hachioji.pm (毎月の飲み会勉強会)

最近はPerl入学式つながりで、時間があるときにPerl入学式の「卒業生」の方と中野で会って個人レクチャーをしたりしています。

そういう話を他の勉強会の懇親会でしたら「Nakano.pmを作ればいいじゃないですか」と言われたりしました。確かに「もくもく会」的なものでもいいから、隔週でやるのも悪くないかなと思って、実際に中野駅周辺で会場探しなどを始めています

ここまで来ると、Perlにこだわるのも、それにこだわらない活動をするのもアリだなーと感じています。Perlをやることを目的として楽しむことも大切だと思いますが、私達は人生の何らかの目的を持っていて、それを実現するための手段を日々探しているものです。それを実現するための一つの手段がPerlであり、また別の目的を実現するためにはPerl以外の手段が必要な場合もあります。

中には「金を払ってでもマンツーマンで個人レッスンを受けたい」という需要もあるようです。cyta.jpなどがそういう人とのマッチングサービスを行っていて、家庭を持っている人に比べて自由な時間の多い独身の自分は、そういうところでお金をもらって人にモノを教えるのも悪く無いと思いました。世の中、金で人の時間を買ってでもいいから深く学びたいという人だっているという需要に答えることは悪くないと思っています。cyta.jpには登録したのですが、登録審査の面接に行けていない状況です。こういう審査が厳格だというのは好感が持てますね。

手弁当や無報酬でコミュニティに尽くすことも大事なのですが、自分を安売りすることだけはやめたほうがいいと思っています。無報酬コミットも、最終的には自分の名声を高めたり、教えた人が業界をめぐりめぐって間接的にでも自分の利益になるかもしれないと考えて行動することが大事なんじゃないかなと思います。そうじゃないと持続的に活動できない。

私が住んでいる中野区などの自治体と協力できないかとか考えたりもして、実際に中野区の課に電話をしたりと行動に移したりもしているのですが、電話ではあまり良いアクションはもらえていません。中野区には「中野アフターシックス」という中野区役所の若い意欲的な職員の勉強会があるらしく、テーマが自分の考えているものに近い時に出てみようと機会をうかがっています。政治思想云々に関わらず、今後自分の住んでいる街を良くしていくためにも、行政との関わりを増やしていくことは悪いことではないはずです。これは特に既婚者や子供を持った家庭であればなおさらではないでしょうか。

また中野区に新しく誘致された大学のキャンパスとの連携も出来ないかと考えています。明治大学が中野セントラルパークにキャンパスを新設して、そこに理工学部が併設されていることを考えると、若い優秀なIT人材の拠点としても中野区は有力な一つじゃないかと思っています。まだ実際にアプローチはしていませんが、明治大学には一度アプローチしてみたいと思い、手元で準備をしたりしています。

また会社主催の勉強会も出来そうな雰囲気で、期待していますし、そのために細々とネタを貯めています。最近は社内勉強会も盛んで、個々人が業務で忙しくて定期的な開催はできていない状況ではありますが、その成果が社内から社外へ何らかの形で出していこうという事を会社の役員が課題として持っているところは、非常に頼もしく思っています。この会社に転職できてよかったと素直に思えるポイントです。

純粋数学の勉強会をやりたい

私は数学科出身です。最近はプログラミング活動ばかりで数学からは遠ざかってしまったのですが、たまにやってみると面白い。もっと数学へ時間を割いて、数学の楽しさを再び体験したいと考えています。

どうせなら多くの人で数学の楽しさを享受できないものかと、とりあえず夢を声に出すメソッドで「純粋数学の勉強会というものをやりたい」と言っていたら一部から期待されているらしく、これの実現も模索しています。こうやってブログに書くのも夢を声に出すメソッドの一環です。

会場探しに関しては、上述のように中野区にアクションをかけたり、大学へのアクションを模索したりしています。またPerlBeginnersの共同運営者になって、主宰者である @ytnobody さんから会場を借りるテクニックというのも学べて、本当にありがたいと思わされます。

数学の勉強会は、統計学などの実用に近い勉強会は社会人向けで幾つか行われているようです。そういうのも大切ではあるのですが、自分がやってみたいのは、どちらかというと業務や社会の役に直接は役に立たないけど非常に示唆にとんで興味を駆り立てられる数学というものです。具体的なテーマを言えば「素数」とか

私は功利主義やお金を稼ぐことに対することへの大切さも身を持って体験しているのですが、行き過ぎた功利主義への反論というか皮肉も大好きで、よく「それってなんの役に立つんですか」といった質問に対して「何の役にも立たないんですよ」と笑顔で言って楽しむことが多いです。とかく数学科なんかに進学したら、当時超就職氷河期と言われた時代、外野はそういう質問ばかりするわけです。完全に慣れました。というかそんなことを言ったら、大学の学問なんてどれも実利になるかと言われたらどれも変わらないでしょう。私も「残念ながら数学の整数論といった分野も、現代のコンピュータ時代の暗号化理論の中で最重要分野となってしまいました」と皮肉を込めて何度も言っていました。大学生に学問の功利主義的質問をする人は「大学行くくらいなら職業専門学校に行った方がいい」って素直に言ったほうがいいです、本当に。

整数論の話が出ましたが、数学科時代、そんなに整数論に興味はありませんでした。というか整数論の研究室が最も難しいと言われていたことや、数学に興味を持ったのは高校2年の微分積分論からだったので、微分積分論を包含した解析学の研究室へ進むことになりましたが、やっていたことはフーリエ積分の概念を拡張して完全に代数学として抽象化したものをやっていて「代数学やりたいと思わなかったんだけど…」というのが正直な感想でした。逆に整数論の研究室に進んだほうが、素数の分布を調べたりするのに重要な関数の積分を使ったりといったことをするので「素数の理論に興味あるし、整数論の研究室に行けばよかったかも」とも思いました。とはいえ、解析学の研究室の教授は日本でも有名な数学者で、非常に勉強になった大学院2年間であったことは事実です。

私と同世代に中島さち子さんという数学者がいます。現在の本職はジャズピアニストですが、日本人女性として初めて数学オリンピックで金メダルを受賞したり、高校生当時から論文や数学書を書いたりといったすさまじい人でした。高校生向けの数学雑誌などでそういう活躍を見て、当時数学に興味を持っていた高校生の私は衝撃を受けたものです。そんな中島さち子さんも、私が大学院を卒業する頃には研究活動を聞かなくなり、結婚して子育てをしているという話を聞いていたのですが、そんな彼女もここ数年になってまた数学活動を再開したという話を聞きました。比較にならないすごい人ではあるのですが、ブランクを経てもまた数学という活動をやる姿勢に、大いに感銘を受けたことは事実です。

誰もが中島さち子さんのような天才にはなれませんが、近づこうと頑張ることは自由です。中島さち子さんも素数の学問の一つである「ゼータ理論」を主に業績としています。そんなことを考えながら、我々一般の社会人も素数を研究したっていいじゃないかと、現在やり方などを模索している最中です。

ラジオなどの音声媒体への進出したい

エンジニアの世界では情報の提供方法が時代とともに変わってきています。一時期流行ったポッドキャストという手法が、今エンジニアの世界で脚光を浴びています。

非常に著名なエンジニアであるTatsuhiko MiyagawaさんによるRebuild.fmから始まり、riywo’s Podcast職質テックトークといったポッドキャストが続々と登場しました。最近ではボケてで有名なオモロキのCTOでJPA理事でもある和田裕介さんによるDandy.fmなどが躍進しています。

実は職質テックトークの第3回に出演させてもらったりして、ポッドキャストに出演するという夢は叶えられたのですが、実際にポッドキャストを立ち上げたり、もっと別のポッドキャストの番組に出演したりといったこともやっていきたいと考えています。そのためにも、自分のしゃべりをより聴きやすくするといったトークの技術も磨いていきたいと日々意識しています。

自分の声って録音したカセットテープを聴いても鳥肌が立つのですが、大学時代のアルバイト仲間に「おがた君って声やしゃべり方がNACK5の長谷川雄啓に似ているよね」って言われて、「えっ、こんな声でもラジオでDJできるの?」って思ったというか思い上がった経験があります。実際、自分の声の良し悪しって自分では判断できないもので、大人気の声優さんも当時は自分の声が嫌いだったりとかっていうことはザラにあることらしいです。みなさんも自分の声を録音して聞くのが苦手という人は多いのではないでしょうか。

しゃべるのは好きで、内容は置いといても延々としゃべっていられる自信はあるので、ポッドキャストとはいわず、実際にFMやAMで電波をとばしているラジオ局で番組を持ってDJをやってみたいという夢を持っています。それも、前述の大学時代のアルバイト仲間に言われた言葉がキッカケなような気もします。そして2011年から勉強会やカンファレンスで人前で時間制限を設けてトークをすることに慣れてきたこともあるでしょう。

エンジニア向けのポッドキャストに出演して語れるトーク力や技術力を磨くこともそうですが、ラジオのDJであったり、もっとラジオという媒体にコミットできればなーとも思っています。最近ではテレビの視聴率低下という話は聞きますが、ラジオといった音声媒体は今だからこそ可能性が広がっている部分もあります。

エンジニア向けポッドキャストの流行も、iPhoneがいつでもどこでもポッドキャストを回収できるようになったというソフトウェア的・ネットワーク回線的な要素も強いでしょう。また、radikoらじる★らじるといったインターネットを通じたFMやAMのリアルタイム配信も始まって、ラジオの新しい時代が来ている感じがします。

最近、コミュニティFM「練馬FM」の開局を目指している練馬放送の関係者と偶然お会いして、支援は惜しまないという話をしたところ、そのあたりでも話が進みつつあります。すでにあらゆるプロによってDJという枠は埋まっているらしいですが、ラジオという媒体を伸ばしていく活動はしていきたいと考えています。

ピアノと作曲をやりたい

小学生の頃からクラシック音楽が好きで、今でも毎日NMLでクラシック音楽を聴き漁っているのですが、ピアノと作曲をやることが昔からの夢でありました。

作曲自体は、中学時代から楽理の書籍を買ってリコーダーの曲を作曲したりしていたのですが、和声というものに対する理解が進まず、そのための第一歩としてピアノを習いたいと考えています。ピアノ曲自体への興味は、クラシック音楽全体の中ではそれほどないのですが、作曲ツールや楽理解析ツールとしてのピアノを学びたいと考えています。

私はベートーヴェンを心の底から尊敬しています。私も交響曲という芸術で自分を表現したいという夢があります。死ぬまでに一曲は交響曲を書きたい。え、ゴーストライターに書かせればいいって?サムラゴーチの話は後述するから

歩けばコンビニと歯医者と美容室だらけの日本ではありますが、ピアノ教室もそこら中にあります。ただ、どこに行くかという決定打が無いのです。このあたりも音楽に携わっている人に紹介してもらおうと、日々おすすめの教室を聞いて回っている最中です。そんな中で二胡のおすすめの教室は聞いたのですが、二胡をやるかどうかは迷い中です。

あとは部屋を片付けて電子ピアノを買うだけです。部屋の片付けは大変ですが、電子ピアノの投資はグランドピアノほどではなく、ちょっとしたパソコンを買う程度です。

嘘をつく人の研究

よく「人間観察が好き」という人がいます。そして「人間観察が好きとかいう人、ちょっとキモい」という意見もあったりして、面白いなぁと思います。「人間観察が好き」って女性に多いと思うのですが、「音楽が好き」くらい他愛もない主張で、社会人になったら誰もが初対面の人に対して「こいつカルト宗教やねずみ講やってないよな」って警戒するのが普通だと思っています。別に性善説・性悪説は別として。

私は田舎出身で田舎丸出し状況大学生だったので、カルト宗教に軟禁されるところからからエウリアンや高額商法に閉じ込められるところ、ねずみ講の勧誘までひと通り体験しています。性悪説と言ってしまうと極端ですが、人間観察というよりもその対象人物が関わるに足る危険人物ではない最低ラインを越えているかという観察は社会人は普通にするものだと思っています。

危険人物に共通しているのは、自分の領域に引き込むために「嘘をつく」ことです。危険人物でなくとも嘘をつく人というのはそこら中にいて、上述のような経験を経て、私は嘘をつく人の心理を研究することが大好きになりました特に社会を震撼させるような嘘をつく人の心理は超大好物です。騙された側の出方というのも興味深い。今からこれをテーマに社会学の大学に入学したいくらいです。

昔から最近まで、社会を震撼させるような嘘をつく私の研究題材となったのは以下の三人です。

特に旧石器捏造事件は熱中して、実際に「遺跡」に行ったり、藤村新一に会って話をするにはどうすればよいか考えたくらいです。

佐村河内守については、事件以前から交響曲HIROSHIMAの存在は知っていたのですが、無調音楽が嫌いだということと、(後の嘘だとわかる)聴覚障害などを商業主義にし過ぎだろうと敬遠していました。CDが回収騒ぎとなってしまった今となってはCD買っておけばよかったと思いました。NMLで配信してくれないかな。私の尊敬しているベートーヴェンを冒涜してくれた人として、後世まで「世間を震撼させた嘘をついた人」「私の尊敬しているベートーヴェンを冒涜した人」として徹底的に研究しようと思います。

そんな長年の研究(?)でわかったのは、嘘をついてもバレる、嘘をついてもいいことがまるで無い、ということでした。当時ゴッドハンドとして名声を得ていた藤村新一も、実際は葛藤を抱えながら不安とともに生活していたことは、のちになって明らかになることです。

私は時々不眠になって朝起きられない体質にあるのですが、そういう時、会社には遅刻の理由として、正直に寝過ごしたと言うことにしています。拡大解釈すれば体調が悪いと言えないこともないのですが、それは言っても遠因であって、本当に体調が悪いときにオオカミ少年になる可能性があるからです。

一時は不眠で通院していて睡眠薬を処方されていた時期もあるのですが、今は不眠は脱しました。とはいえ朝早起きが苦手なのは子供の頃からなので、体質といった部分もあるでしょう。今は処方された薬の副作用で昼夜を問わず眠くなるので困ったものです。正直に理由をいうことによって自分を律することが出来て、また薬の副作用に対する耐性も出来て、最近は遅刻もしなくなりました。

お金を稼いで節約して、好循環を築きたい

前述のように手弁当や無報酬でイベント運営に協力したりしていますが、自分の中長期的な人生を俯瞰した時に、持続的な活動をするためにはお金を稼ぐ必要もあると考えています。職業プログラマーとして会社勤めをしていますが、終身雇用制が瓦解した今は、明日に何が起こるかわかりません。いつかは地元に帰りたいとも考えているので、今の会社と相思相愛だから大丈夫…という話でも無いのです。同じような状況の人は少なくないのではないでしょうか。

個人的に活動するといっても、サーバ代であったり交通費であったり、時間をコストに換算しなくても直接かかってくる費用というものはあります。せめてそういうものが相殺されるくらいの収入が定期的に入る状態をまず作り、あわよくば会社の収入に頼らずとも生活できるくらいのお金が入るような体制が築ければ良いと考えています。

最近では副業といったものの是非であったり法律的根拠の皆無な点を説いた記事を見かけます。会社員としての仕事を真っ当にこなしていることを前提にすれば、私は副業については賛成な立場です

前職は規約で副業を禁止している会社だったのですが、「私はAmazonでアフィリエイト収入を月に数百円もらっているが、そのために書いたブログ記事なども副業になるのか」と聞いて回っても、偉い人から管理部署まで、答えられる人がいませんでした。「小銭だから大丈夫じゃない?」という発言は答えになっていません。同僚の「確定申告しなくちゃいけなくなったら副業と言われそうだよね」という発言が一番的を射ていましたが、労少なく儲かってしまって確定申告をする羽目にになったら副業だと言われて活動を禁止されてしまうのでしょうか。本当よくわかりません。私も調べては見たのですが、労働関係の法律で副業禁止に対する法的根拠が明確に関連付けられるものは無いように思えました。これは前職退職の多くの遠因の一つです。

「エンジニアが収入アップするには転職しか無い」というのは多くの場所で事実になっているように思えます。会社に長く勤続しても、エンジニアという職種では大きな収入アップは望めない場合が多い。その割に、優秀な人は高給で引き抜こうとするので、エンジニアの収入アップは転職という手段に限られると揶揄される一面は良くない風潮だと思えます。

とかく年収という話はタブー視されていますし、私も蜘蛛の巣を突くような議論をしたくはないので意識的に避けてはいるのですが、個々人が本職を含めた生活全般でもっと所得アップできる仕組みづくりはしないといけないと考えています。それが年収を暴露する風習を作ることで実現できるか、今の私には分かりません。

私達30代が60歳になった時には確実に年金制度は崩壊しています。年金とは積立制度ではなく、現在の老人世代に払う費用であり、それは平均年齢が60歳から70歳だった高度経済成長期だからこそなりたつ制度でした。少子高齢化時代ではすでに年金制度は崩壊していると断言してしまってもよいことは長妻昭に聞かなくてもすぐに分かります。正直、今の国家や老人をないがしろにしてもいいというのであれば、国に年金を払うことをやめて、個人積立年金を契約したほうがいいのです。正直、残念なことに、ないがしろにされても仕方がないような尊敬に値しない老人が最近増えているように思えます。可能な限り年金制度維持のために税金を払って行きたいとは思っていますが、こういう老人がさらに増えるのであれば、老人優遇の政治に反旗を翻す意味でも、労働者世代は根底から考え直す必要があるかもしれません。

数十年後、年金制度が崩壊している中でどう生活をするか、この話はそういう中長期的な人生プランへの疑問提起でもあるのです。

健康とそれに対する投資を惜しまない

私は病気がちで、昨年2013年の12月に胃潰瘍で入院したり、色々な病院へ通院しています。

私の業界ではそう多くないようですが、働き盛りの男性は病院嫌いだったり自分が病気認定されるのを嫌う人が多く、病院受診をしなかったりするケースが結構あるそうです。そういう人が、突然大病を患って一気に亡くなってしまうという話も聞きます。

私はライフログが趣味で、自分に関するあらゆるデータを数値化したいという趣味があります。そういう意味でも病院は結構好きな方で、風邪でもすぐに病院に行ったりするくらいです。もちろん、痛いのは嫌だし未だに注射されるのは嫌なのですが、ちょっと体に異常があったら病院に行こうとするタイプではあります。「健康な人」が保険金泥棒と揶揄する典型的な人ですね、私って。

胃潰瘍入院のときも、「ちょっと内科に行ってみるか」と気軽な気持ちで行ったら、救急車で運ばれて緊急入院となったくらいです。大量出血で突然倒れて死ぬ可能性も十分あったということは後で聞かされました。何か体に異変を感じたら病院に行くことはとても大切なことです

最近は UP24 by Jawbone という、iPhone/Android端末とBluetooth通信をして、歩数や就寝を管理してくれるデバイスを購入しました。自分の行動が数値化されるだけで嬉しいのですが、歩かなかったり睡眠時間が足りなかったりした場合にアドバイスしてくれたりする機能がお気に入りです。一人で生活をしているとどうしても生活リズムが乱れがちになりますが、こういうアドバイザーがいるのは良いと感じます。この機械、1万6千円くらいしたのですが、健康への寄与を考えたらかなり安い投資だと思って買ってしまいました。まぁ、胃潰瘍の入院費用がそれの10倍位しましたからねぇ…。

UP24については1ヶ月使ってみて色々使い方がわかってきたので、別記事で書きたいと思います。

部屋の片付けと良質な作業環境とノマドワーキングを整備したい

部屋が散らかっています。冒頭の話になりますが、2010年からやる気が起こらなかったからなのと、最近は土日に勉強会などの予定がてんこ盛りで、時間がないからです。

カフェ巡りは好きなので、そういうわけでカフェで作業をしたりといったノマドワーキングでお茶を濁しているのですが、本格的に部屋を片付けようと思っている次第です。ちょっと今の状況だと来客呼べない。

キーワードとしては、自炊、料理教室、効率的な洗濯環境、断捨離といったところでしょうか。年始に書いたブログ記事にもそんなことが書かれていました。

ノマドワーキングについても、部屋を片付けたあとでも「別の場所で作業をする効果」というのはあると思っています。近所のカフェなどの営業時間などを把握したり、趣味の延長線上で新規開拓をしたりといったことをしていきたいなと思いました。

今まで目を向けてこなかった語学や経営といった勉強

YAPC::Asia Tokyoでは、毎年海外から著名なゲストが来るのですが、英語を聞いたり話たりすることに臆病になってしまい、結局交流できずといったことが続いていました。そんなことをとある人に話したら結構怒られてしまい、ダメだなぁと思った次第です。せっかく著名な開発者が海外から来ているのに、つたない英語でもいいから話さないと本当にもったいない。とかく日本人全般的にそういう傾向にあるようで、海外からきたゲストは結構ぼっちになっていて、そんなぼっち気味の海外ゲストを誘導したりする英語に堪能な方は、もっと日本の開発者はつたない英語でも積極的に話せばいいのにと思っておられるようです。本当にそう。反省しかできない。英語教室に通うかどうかわからないですが、英語を聞くことや話すことへの抵抗を無くして、今年は世界を広げます。あわよくば日本を飛び出して世界で働きたい。声に出すと夢が叶うメソッドです。

また、経営といったものも勉強したいと考えています。元々は先日祖父に言われたことで、詳細は割愛しますが、その話がごもっともだと思ったからです。

前の会社では、経営陣がコロコロ変わって、とある時期には実質的な経済犯罪といったことが行われたこともありました(上場企業なのでこれは公開情報です)。その後も経営不振が続いたり、経営が理解できればもっと発言に説得力が持てたんじゃないかと今になって思います。経営への参画は別として、平社員でも経営を監視する眼力は必要であると思わされました。

幸い今の会社は業績も好調ですが、経営への理解をすることは、自分の仕事がどのようにマネタイズされているのかといった意識を持つことにもなって良いことでしょう。

どうやって経営を勉強するかは悩みどころです。経営者セミナーに行けば莫大な金を取られるでしょう。書籍を買って学ぶとしても、玉石混交そうでどれから手をつけていいか分からない状況です。何かオススメの経営学習方法があれば教えていただけると幸いです。

結婚はしないんですか?

これ、今も祖父に言われるんですよね。一回この質問をされて親親戚の前で相当不機嫌になったことがあって、祖父以外の親親戚は聞かなくなりましたが、祖父だけはしぶとい。

そんな、くじ引きみたいな感じで女性とペアを組んで結婚できるほど現代は手軽じゃないんですよ。とかくメディアは虚構のような恋愛観を女性に振りまいて、統計人口的に多い男性のほうが不利な状況を生んでいます。

高度経済成長期を生きた今の老人は軽々しく結婚できるだろといいますが、あれは戦争直後で男性人口が減っていたのと、誰もが企業に入れて年功序列と終身雇用の中でお金をもらえたので、結婚のハードルというものが実質なかったからです。

今はテクノロジーが発展した平和でエキサイティングな世の中でありますが、そういった今の老人世代が体験した結婚へのハードルが低い時代ではありません。むしろ、男性人口が増え、働いても所得は増えず、メディアが発達したために虚構のような恋愛観に感化された女性が冗談のようなハードルの上げ方をしている時代です。

これは江戸時代中期と同じような様相なんですよね。江戸時代中期は太平の世となり、統計的に男性人口が増えていきます。また戦もなくなり、徳川幕府の方針によって取り潰される藩も出てきて武士を失業した浪人というのも出てきます。そうでなくても参勤交代などで藩の財政は圧迫され、武士の収入は上がる余地がありません。特に江戸といった地域では圧倒的に男性人口が高かったようです。これも現代の東京人と似たようなものでしょうか。なので、江戸時代に結婚できない男性というのは珍しくなかったようです。江戸時代でさえそうだったんですから、今の若者世代が責められても困りますよね。

エンジニア界隈でも女性エンジニアの人口を高めていこうとしています。少子高齢化でエンジニアに限らず今後どの職種でも人材不足を起こすことでしょう。エンジニア業界でも、女性を取り込むことでエンジニア不足の解消を図ろうとしているのです。数的に男性優位になりがちなエンジニアコミュニティ、女性エンジニアの増加にいやらしい考えを持つ人も少なからずいるようですが、私は今後職業選択の上であらゆる職業で男性女性という区別はなくなっていくのではないかと考えています。男性の所得だけでは生活できないという負の側面もありますが、女性の社会進出が増えていき、多くの職種が男女均等になり人数的に平滑化していくことでしょう。それは素直に喜ばしいことだと思います。

そうなったときに考えるのかですって?それはあと10年くらい先の話でしょう。

私は老若男女といった視点で人を見ていません。そこにいる人は老若男女関係なく人として素晴らしいかどうかという価値観しかない。その素晴らしい人がたまたま女性で、たまたま未婚で、たまたま私に好意を持って男女の関係で付き合うことができればそうするし、そうでない場合には何もしないといった単純かつ明朗な価値観しか私は持っていません。「喉は渇いても下水は飲むな」とはよく言ったもので、今の時代、無理して結婚しても「腹を壊す」ことは心得ておいたほうがいいと思います。特に高度経済成長期を生きた老人は。

ここでは私が独身であるという表明をしていますが、私は仮に女性と付き合っても、仮に結婚しても、そのステータスは隠すと思います。まぁ結婚式とかは女性先導のイベントなので、そこで多くの人に広まってしまう可能性はあるかもしれませんが、個人的に男女関係や結婚の話は年収くらいタブーでもいいと思います。というか男女関係の話って酒場で話すと面白いけど、公で話されているとイライラするというのが年収の話と共通なのは、私が高給取りではなく独身だからでしょうか

上述のように様々な活動をしていく上で、今後今まで以上に多くの人と出会うことになるでしょう。というか多くの人と出会って自分を成長させていきたいと思っています。そんな中で出会いの確率というのも微量ながら上がっていくのではないでしょうか。それくらいしか私は祖父にいう言葉がありません。

私自身、結婚したいとか女性と付き合いたいという欲求が他人と比べて少ない人なんだなというのは、他の男友達と話していて感じることです。ただ、女性と付き合いたい、結婚したいという欲求の高い友人知人には成就してもらいたいという気持ちはあるので、どのようにすると出会いが生まれて男女は惹かれ合うのかということは、常日頃から考えています。それが自分に活かされるかは別として。なんだか思考が「お見合いおばさん」になっている感じもするのですが、人間の感情を数値化したいというライフログ的・数学者的価値観が根底にあるからなのかもしれません。

すべての活動はつながってゆく

最近電車通勤していて目にとまる「男子との“三角関係”を解く“公式”は/大塚食品 マッチ、マッチピンク「青春と数学」編」の車内広告を見ていて面白かったのですが、恋愛に方程式や公式がないのは、恋愛が一階述語論理で記述できないからです。では高階述語論理を導入すれば恋愛が記述できるのか、冗談でそういう勉強会をやってもいいかもしれません。それにはHaskellがちょうどよいでしょうか。プログラムや数学といった活動につながりますね。

カフェ巡りは趣味ですが、行きつけのカフェが出来て、そこの店主と知り合いになって仕事以外の女性の知人が増えつつあります。特に深い知り合いでもなく、一度きり会ってFacebookで友人申請をする程度ですが、その女性の趣味傾向で、自分の男性の知人の中と合いそうな人がいたら、積極的につなげていきたいと考えています。

とある私の北海道の友人は行きつけの酒場で生き生きしているので、どうすればそんな生き生きできるのかと聞いたら「ここが自分のホームだからだ」と言いました。また、他の居酒屋では普通にしているとも。私にとってのホームは、前述のカフェなのかもしれません。慣れ合いの場を作れという意味ではありませんが、自分の活動の軸足、ホームを作ることは大切なことだと感じます。

ピアノの世界は数的に女性優位の世界なので、ピアノを習えば出会いの一つもあるでしょう。私は交響曲を作曲したいだけで特に出会いに期待はしていないのですが、もしかしたら祖父が喜んでくれるイベントがあるかもしれません。

手弁当や無報酬で行ってきた各種勉強会も、運営側に入ってみると内部では「属人性を解消していきたい」とか「実費くらいは捻出できないと継続的な活動ができなくなる」といった問題点を抱えていることを知りました。でもできれば参加者からはお金をとりたくないというのはどの勉強会でも一緒で、儲けるというか「赤字を出さない」ためにはどうすればよいかというのは、まさに経営的思考だったりします。

ラジオやポッドキャストでは、著作権フリーの楽曲が求められています。特にポッドキャストで歌を歌ったりすると、ジャスラなんとかが大金をふんだくりに来たりすることもあるそうです(私の収録のときにも「歌を歌わないでください」と注意されました)。私は作曲活動をすることで、他愛もないけど色々な状況で使える使用権フリーなBGMも作曲していきたいと考えています。それはポッドキャスト界隈やコミュニティFM界隈を盛り上げていきたいといったところにもつながります。そうした積み重ねが、芸術としての「私の交響曲」につながっていけばいいなと感じます。

何が危険で何が安全なのか、嘘をつく人の研究をもとにして、勉強会などで知り合った多くの人を危険な目に合わせないために、自分が身につけた情報発信力で啓蒙していきたいと考えています。とかく、参加している勉強会の性質上、Perlを仕事に活かしたいというビギナーの方から相談を受けることが時々あります。私が2010年に出会ったような、(嘘というよりは)ダブスタに満ち溢れた最悪の転職エージェントといった人売りを頼ることはさせない、そういう活動は啓蒙していきたいです。技術力との折り合いが付けば、私の職場や、他のマッチする職場への斡旋もやぶさかではありません。転職エージェントとは違い、私に法外な対価は要りません。

色々な活動をすることで、土日も忙しい日々を送っていますが、逆にリズムが保てるというメリットもあります。以前まで平日の睡眠時間を削って土日に眠り続けるという生活をしていましたが、そういうのはやめて、平日も土日もあまり差がない睡眠時間にしようとしています。なぜ人間は睡眠を取らないといけないのかという医学的な結論は出ていないそうですが、所定の睡眠時間を取らないと多くの人は健康を損なうという事は裏付けられています。UP24を買って睡眠を数値化出来た今、ようやく良いリズムが出来て、それが今の私の活動意欲につながっているのだと思います。

長い文章でしたが、いい年齢になった今さらながら色々な方面で頑張って行きたいと考えています。何事も始めるのに遅すぎることはない。協力してくれる方や仲間も募集しています。今後の私の活動にご期待ください。

Yahoo! TVの番組ページにあるYahoo!カレンダーへの登録リンクをGoogleカレンダーへの登録リンクに変更するChrome拡張機能をリリースしました

おがた (@xtetsuji) です。

長いタイトルの通りなんですが、手元でずっと使っていたChrome拡張機能の一つをChromeストアで公開しました。

どんな拡張機能なの?

何をするものかというとこのブログ記事のタイトルまんまなんですが「Yahoo! TV の個別番組ページにある Yahoo! カレンダーへの登録リンクをGoogleカレンダーへの登録リンクに変更する」拡張機能です。

Yahoo! TVを選んだ理由

正直、Yahoo! TV は今日本にあるテレビ番組サイトの中では一番使いやすいなと思って使っています。各番組ページにパーマリンクがあるところがいいんですよね。Bingテレビとかだとパーマリンクとかなくて、番組表の上にモーダルダイアログのように出てしまう。番組ページは固有のURLであってほしい派なので、昔も今もYahoo! TVに落ち着いています。

昔は日刊スポーツがテレビ番組サイトを運営していてそこもシンプルで良かったんですが、2012年頃になくなってしまってガッカリしたあとで落ち着いたのがYahoo! TVでした。

Yahoo! TV の各番組ページには、昨今流行りのFacebookやTwitterへのシェアボタンなどもついていたりするのですが、Yahoo!だからではありますが、カレンダーへの登録リンクというのはYahoo!カレンダーへのリンクなんですよね。Yahoo! Japanには失礼ではありますが、「Yahoo!カレンダーって誰か使っているの?」っていう感じで、私も結構ハードなGoogleカレンダーユーザだったり、周囲を見てもみんなGoogleカレンダーのユーザなので、ここに併記でもいいからGoogleカレンダーへの登録リンクを付けて欲しいって思うわけなんですが…。まぁ要望送っても付けてくれないだろうなと思って、自分で拡張機能を書いてしまいました。もともとはブックマークレットだったものを成長させたものです。

Yahoo! Japan自体は良いサービスをたくさんリリースしていて、Yahoo! TV以外にも色々とお世話になっているんですが、まぁ今見てもYahoo!カレンダーは使う気になれないですねー。Yahoo!自体もカレンダーでGoogleと戦う気は感じられない。

インストール方法

Chromeストアで公開したので、Google Chromeユーザは当該ページに行ってインストールすることができます。

プラグイン紹介ページ

今のところ (初期バージョン 0.0.0.1) では、tv.yahoo.co.jp へのページ読み取り権限くらいしか要求しません。本当に単純なことしかしていないので。

インストール権限は最小限

これをインストールすると、以前はYahoo!カレンダーへの登録リンクの部分がGoogleカレンダーへの登録リンクに変身します。

具体的には以下のようなリンクが…

プラグインのインストール前

以下のように変わります。

プラグインのインストール後

カレンダーに登録ボタンを押せばGoogleカレンダーへの登録画面になります。

ちょっとした機能の話

機能としては、Google Event Publisherという機能を使っていて、たんにイベント情報を所定の全ユーザ共通のイベント登録リンクにクエリ文字列を伴って渡しているだけです。

ということもあって、現状この制限でできていないのが「番組情報全てを渡す」という部分。ちょっとでも長いとクエリ文字列の長さの制限に引っかかってしまうからです。これはEvent Publisherを使っている分にはどうしようもない。やるとしたらYahoo!カレンダーの番組ページ側でコピー支援をすることくらいかな。

一応、イベント概要部分に番組紹介の一番最初の抜粋を入れるようにしたのですが、うまく入らない場合があって、それはまぁ後でいいかと割り切ってリリースしました。手元で自分だけが使う状態にしておくと、そういう改善意欲が湧いてこないってのがあって、GitHubで公開して、Chromeストアにも載せるという作戦に出たわけです。

まぁコードはZIPを伸長したりGitHubでも公開しているので見られますが、ひどいひどい。私がまだJavaScriptを全然知らない時に見よう見まねで書いたブックマークレット時代のひどい痕跡がそのままなんですが、まぁ動いてくれるし危険なこともしていないし、公開することで自分も改善意欲が湧いたり、誰か綺麗にリファクタリングしてくれるかなとか思って公開しました。そういうライフハックです。

要望ありましたら、Twitter @xtetsuji にご連絡くださるか、http://tetsuji.jp/ に書かれている私への連絡方法のどれかでご連絡いただければ、出来る限り対応します。

Chrome拡張機能の開発方法やChromeウェブストアへの公開方法といった話については、また後日ブログを書こうと思います。ではでは。

2014年8月21日追記

二項演算子の間の空白の意味

おがた (@xtetsuji) です。インフラ志望で10年以上前にオープン系IT業界に入ったのですが、今では当時やろうとも思わなかったウェブプログラマーをして生活しています。

今回はタイトルの通り、二項演算子の間の空白の意味。コードレビューがある文化の人達はこういう議論をしたことがあるのかな。私はそういう文化がほとんどなかったので、単に持論を持っているだけでして、今回はその持論を書いてみようかなと思ってブログを書き始めました。Qiitaに書こうかなと思ったんですが、エッセーに近いのでたまにはプログラム的話題をこっちにも書いてみようかなと。

事の発端

先日、会社でJavaScriptの初心者向け研修が行わていて、自分は参加対象じゃなかったのですが、講師の話が漏れ聞こえてきました。「あぁ、基礎的なことをやっているんだな」って感じでしたが、講師が言った「イコールは代入です。イコールを代入に使ってしまったので数学的な比較はイコールイコールになりました」とか、そうだよねぇって聴いていたわけなんですが、一つ漏れ聞こえてきた解説で気になったことがありました。

「イコールの両端の空白は見やすさのためです」

いや、それは半分正しくても、本当の意図はそこじゃないんじゃないの?と。

演算子の優先順序

演算子には優先順序があります。JavaScriptにも当然ながら演算子の優先順序があります

私は、空白や空白類文字がこの演算子の優先順序や結合力を惑わしてはいけないし、それを表現するようになっているべきと思っています

空白が表現する演算子の優先順序

一番簡単な例は、加減乗除でしょう。足し算や引き算よりも掛け算や割り算のほうが優先順位が高くて、左から計算される(評価される)ことは中学までに習うことで、誰もが知っていることです。

2980円のものを買って消費税がかかったんだけど1000円の割引クーポンを持っていたとしましょう。

2980 * 1.08 - 1000

こういう計算式を書くのが普通で、普通に左に掛け算があるから左から計算しても大丈夫だと思うでしょう。ただ、こう書くとどうでしょう。

2980 * 1.08-1000

マイナス記号の両方に空白がありません。普通のプログラム言語では二項演算子の前後の空白についてはあまり気にされませんし、まさに見やすさ以外の意味はないのですが、あたかも「くっついているほう」が先に計算されると、油断している時や心が弱っている時に勘違いしてしまうと思いませんか?

これは誰もが知っている二項演算子の簡単な例ですが、もし普段あまり使わない二項演算子の組み合わせでこれをやられて惑わされたとき、あなたは正しい判断ができるでしょうか。

Perlにも演算子の優先順序がありますが、空白で惑すことはいくらでもできます。

my $result = 2 * 3 ** 5

2に3の5乗をかけているのですが、空白が等しく入っているので、べき乗演算子 “**” の優先順位が掛け算演算子より高いことに気づかない人は惑わされるでしょう。一番良いのはカッコを使って明示的に優先順位を表すことですが、プロジェクト内で比較的自明な場合は空白のありなしで結合力の強弱を表すことが暗に行われることもあると思います。これは簡単な例なので良いのですが、カッコだらけになって見づらくなるという意見もあるので、なかなか悩ましいです(Lispをしこたまやっていると、カッコが見えなくなるというプログラマ的進化を遂げられるらしいのですが)。

my $result = 2 * 3**5;

PerlでもJavaScriptでも、代入演算子 “=” の優先順序は非常に低いのです。なので、より優先順序の高い比較結果の真偽値を入れるということもできます。

var bool = x == y; // x == y の真偽値を bool に入れる

あれ、でもなんだか見づらいですね。カッコを入れるか、”==” の両端の空白を無くすか、色々なやり方があると思います。私も個人で書くプログラム、GitHubやCPANで公開するプログラム、社内プロジェクトで書くプログラムで、書き方をわけるかなーとは思います。

単項演算子や三項演算子

今回の話とはあまり関係ない話ではありますが、三項演算子 ” ? : ” の優先順位は、CやC系の言語やPerlでは「右結合」なのですが、PHPでは「左結合」なの、それを知らないとネストした三項演算子でハマる可能性があるので気をつけたほうがよいです。というかPHPでネストした三項演算子は(たとえカッコを付けて順序を明示しても)書かないほうがいいとすら私は思っています。C系の言語の普通の常識で読めないから。

単項演算子は二項演算子より高い優先順位を持っているケースがほとんどなので、少なくとも私自身は、文法上不必要な空白を入れて離す書き方をするのはケースバイケースかなと思っている派です。Perlでも、組み込み関数に見えるものが実際は単項演算子やそれと同等の優先順位だったりする場合があって、その場合には優先順位が高くなります。たとえば ref とか scalar とか。JavaScriptでもtypeofなどがこれに当たるのかな。これは英単語のキーワードなので、変数と空白一つを挟んで書く必要があったり、そのほうが自然な場合がありますが(Perlだとシジルがあるからくっつけて書けてしまう場合もあるかもしれないけど、なんか気持ち悪い)、あまり詳しくない人とソースコードを共有する場合には、明示的にカッコを付けて書くほうがよいかもしれません。

よくあるのは、否定演算子 “!” が変数とくっついていると見づらいから離す書き方。演算子の性質上、離して書いてもあまり大勢に影響がない場合が多いのですが、結合力を惑わさないように、私は否定演算子 “!” と変数を離して書かない派です。見づらいという意見には確かに同意しています。特にPerlのようにシジルがつく場合はそう。各エディタのシンタックスハイライトでどうにかしてほしいものですね。

まとめ

というわけで “=” の両端に空白を入れることの大きな意味は、代入演算子 “=” が大抵のプログラム言語の二項演算子としての優先順位でも最下位かかなり最下位に近いところにいるから、という、持論のお話でした。

たぶんプログラマの数だけ意見あるところではあると思いますが、あくまで一人のプログラマーの一つの持論ということで軽く考えていただければと思います。もし参考になったら幸いです。

2014年5月に3日間帰省しました

おがた (@xtetsuji) です。

2014年5月4日から5月6日まで、二泊三日で帰省しました。

最近は、近況報告とかブログに書いておくと、一部の読む人は読むし、自分にとってもまとまった情報としていいかなと思ったので、一応個人名刺にも刷ってあるこのメインブログに書くことにしました。Twitterで都度情報を流したりはしているのですが、まとめないとTwitterの情報は流れちゃうので、まとめるの大事かなと思います。

自分の場合、想定読者別にブログをいくつか分けて複数ブログに毛色の異なった記事を書いているんですが、まぁメインブログに何を書くかは私の自由ということで。読んで私の生活を知って楽しんでくだされば幸いです。

3月に帰省の予定を決めた

2月に転職をして1ヶ月経って、慣れないうちから仕事が忙しくなってきたので「転職してから3ヶ月経ったら精神的に疲れているかもなー」と思って気分転換がてら帰省しようと思いました。

マイルが余りまくっていたんですが、普段のゴールデンウィークだとマイル使って帰省とかできないんですよね。マイル枠の座席って相当限られているようで、すぐに埋まってしまう。

ただ、ゴールデンウィーク帰省を思い立ったのが3月だったので、2ヶ月前だったからかマイル枠が若干空いているのを発見して、ちょうど良い帰省プランを立てることが出来ました。有給は勤務半年後(8月初め)に付与されるので暦通りに行くしかなかったのですが、5月3日の便は満席だったものの、5月4日の便で帯広へ行けるので速攻抑えました。休暇は暦通りなので、6日に帰るしかなかったのですが、6日の便も最終便が空いていてラッキーでした。

普段なら先々の予定を決めるのが苦手でついつい先延ばしして、結局座席取りに苦労するというパターンなのですが、今回はすんなり決めることが出来ました。

今回の帰省の目的

二泊三日でできることは限られているんですが、以下の様なことができればいいなと思っていました。

  • 祖父の話を聞きに行く
  • cafe Jorro に行く
  • 母の日フライングとして、母にフォトビジョンをプレゼントして使い方を教える
  • 東京で出来なかった花見
  • @atashiro さんとバーベキュー
  • 先日の年末年始でうんともすんとも言わなくなった実家のWindows XPマシンをどうにかする
  • クラス会タスク

だいたい出来たこともあれば、出来なかったこともありました。@atashiro さんが別件で来れなくなってバーベキューは無しになったのと、時間と体力が足りなくてクラス会タスクができなかったことでしょうか。

Cafe Jorro に行く

子供の頃からこのすぐ近くに住んでいて、この古民家の前の住人の人も知っていたり、この付近を遊び場にしていたので、この田舎の古民家がまさかカフェに生まれ変わるとは驚きました。

開店は昨年2013年で、昨年秋に行ってみたのですが良い雰囲気で、帰省のたびに行っています。前回の来店時のことを店長さんに覚えてもらっていたようで声をかけてもらえて嬉しかったです。

祖父と話をする

以前から母づてに祖父が話したいことがあると言っていたと聞いていたので、空港から cafe Jorro に寄って、そのまま祖父母の家に行きました。高齢になって、昨年は入院することとかもあったものの、それでも健在で、今も毎日山登りしている元気な祖父なのですが、先々のことが心配になったのか、一時間くらい話を聞いてきました。自分の人生を左右しかねない話でもあったし、祖父とこんなに長い時間話したのは久々だったので疲れた。

フォトビジョンを母にあげる

Softbankから発売されているフォトフレーム「フォトビジョン」を、母にちょうどよいと思って2月あたりに買ったのですが、結局使い方を自分自身が把握するのは実家に持って行ってからになりました。転職してから仕事に慣れないうちから忙しかったのと、休日は勉強会か疲れて寝てるかのどっちかだったから。

とはいえ、シンプルな製品だったので、自分が操作するのを母に見てもらって覚えてもらいました。母には写真機能よりも、カレンダーと時計が大きく表示されて見やすい点がとても好評でした。前回iPad 2をプレゼントしたときのリアクションとぜんぜん違うので面白かったです。しかし、喜ぶポイントが見やすい時計かって感じですね。3Gの電波に時刻情報も乗っているし、電波時計並に正確な時計なので、時計としては月額840円の良質な時計なのかもしれません。

母には5年くらい前からSoftbankのガラケーを持たせていて、自分が支払う契約にしておいて家族間通話で無料にしているのですが、まぁ母親本人にあまりネットに興味が無いのに合わせて、年齢的にあの小さい画面でウェブを見たりはしないだろうと、S!ベーシックパックの契約はせずにSMS程度は送れる通話ケータイという感じにして費用を抑えていたのですが、写真くらいは手軽に送って見せたいなと思ったのでフォトビジョンを買ったのでした。

もともとそれは昨年iPad 2でやろうと思ったものの、あまり使ってもらえない割に通信コストがかかるのがあって、iPad 2の通信契約は解約してしまいました。

結果的に母には喜んでもらえたので、フォトビジョンはネットに対して能動的ではない親世代へのプレゼントとして良いかもしれないなと思いました。iPad だとどこかで能動的な操作が求められるのとは一線を画しています。フォトビジョンも操作があるといえばありますが、テレビと似た感覚なのがうまいところ。良いフライング母の日プレゼントとなりました

ちなみに実家にはインターネット回線がありません。母が使わないから。本人曰く、会社の昼休みにGoogleニュースを見るので十分らしい。会社ではパソコンを使って仕事をしているのですが、家に帰ってまでパソコンの画面を見て目を疲れさせたくないとは本人談。

個人的には帰省してインターネット回線が無いのは不自由なので、以前はADSLを引いていたのですが、新築して引っ越した街区が光化区域でADSLを引けなかったのと、戸建てで光回線を引くと相当コストがかかるので、普段使わないものにこんなに金は払えないと断念したのでした。ADSLの細い安い回線くらいなら引けたんですけどね。というわけで、自分が帰省した際は、普段は最低料金で寝かせているWiMAXルータを使って接続しています。

東京で出来なかった花見

今年の東京は、桜が咲いたと思ったら、あっという間に散ってしまった感じでした。週末に花見をしようと思ったけれど、天気が悪かったり悪条件も重なりました。

地元には「鈴蘭公園」という公園があって、ゴールデンウィークに帰省したときには花見に行っています。昨年も行きました。名所というほどではないのですが、いつ行ってもそれほど混雑もしていないし、隠れた穴場スポットです。

今年は4月末に突然夏日になるほど暑かったようで、すぐ咲いてすぐ散ってしまうんじゃないかと心配していたのですが、まだ若干残っていて安心しました。

桜の他にも色鮮やか

空が綺麗で桜も綺麗

桜の花の近影

 

写真管理ができていなくてどこにアップしていいものやら迷ったんですが、とりあえず撮影した写真をFacebookのアルバムにアップしました。アカウントがなくても閲覧可能です。

今後Flickrなどを整備してアルバムをそっちでも見られるようにしたいと思っています。

コンデジ(Canon CX3) を持っていったのですが電池切れに気づかず持ってきてしまい、結局iPhone 5で撮影したのですが、これでも結構十分なものですね。というかコンデジの電池切れに気づかない程度にはコンデジを普段使っていないというオチでした。

鈴蘭公園は、高校生まで住んでいた自宅が近くだったこともあって、よく行ったなーと思い出深い場所です。昔は名前の通りすずらんが鬱蒼と茂っている暗い公園だったのですが、今はすずらんに変わって芝生や木々が整備されて、日差しを取り入れて明るく開放感にあふれた、多くの人々がやってくる公園になっています。

実家のWindows XPマシンをどうにかする

学生時代か社会人になって早々に、Linuxノートパソコンを使っていた時、実家にもWindowsマシンがないと困ると思ってデスクトップマシンを買いました。いつ買ったのかすら覚えていないくらい昔です。当時はLinuxノートパソコンにVMwareとか入れて実用的な速度で動く時代ではありませんでした。

そのデスクトップマシン、先日の年末年始帰省で電源すら入らないことに気づいて、マザーボードのボタン電池を入れ替えたり色々と対策を講じたのですが、結局直らず、これをどうにかしようと思っていました。

とはいえ相当古いマシンで、既にサポート切れになったWindows XPときた。これが復旧したとしてもWindows 7を入れたりするのは非現実的だなと、ハードディスクからデータを吸い出す作戦に出ることにしました。このマシンがやっていることはせいぜい母のiPad 2の音楽データの管理くらいだったので、それさえ取り出せれば大したことありません。

分解が大変でしたが、とりあえずハードディスクを取り出したら容量がなんと80GB。

ハードディスクの中身を吸い出すためにパソコン工房に行ったんですが、ISAかSATAか分からずに結局接続キットを買えなかったというオチ。9割9分ISAだと思ったんですが。後で分解したらやっぱりISAでした。

母とパソコン工房でパソコンを見ていて、今ならデスクトップパソコンじゃなくてノートパソコンでもいいかもねなんて話をしていました。高性能なゲームマシンが欲しいとかじゃない限り、筐体開けてCPU取り替えたりPCIカードを挿して云々する時代じゃないですからね。

最終日の3日目はダラダラしていた

初日二日目と動き続けて疲れたのか、最終日の3日目はダラダラ過ごしていました。本当は2015年年始に行いたい同窓会タスクとかこなそうと思っていたんだけど、全然着手できず。

飛行機の予約が夜だったので、夕方に出る準備をして、母の自動車に乗せられて夕食を食べて、とかち帯広空港に向かいました。早く空港に到着したのと飛行機が遅れていたこともあって、とかち帯広空港に出来た新しいカフェで母とダラダラしゃべっていました。

最近は家族間通話無料でもあるし、電話も含めて親とのコミュニケーションは取るようにしています。それだけでも親孝行になると思っているし、早いうちから親孝行しておいたほうが色々と後悔が少ないっていうのはよく言われる話ですからね。

まとめ

このエントリ、単なる個人的なエッセーでしたが、短い帰省の日程を多少は有効活用できたかなと思います。長く帰省してもダラダラしちゃうことが多い中、こういう帰省も悪くないかなと。

あと、北海道の東側って桜の見頃はゴールデンウィーク前後であることが多いので、ゴールデンウィークの旅行に北海道を選ぶと、自分の土地と北海道で二回花見ができるかもしれませんよ。桜は東京の桜とは違う色合いですが、それもまた好き好きだし一興だと思います。

Foursquareの本質とは何なのか

Foursquare大好き、ロケーションベースサービス大好きな おがた (@xtetsuji) です。

ここ最近、私の周囲ではGoogleからリリースされたAndroidアプリ「Ingress」が少しずつブームになってきています。いわゆる位置情報が取れるようになってから定期的に出てきた「陣取りゲーム」のようなものなのですが、グラフィックの秀逸さなどから、一部に熱狂的なファンを生み出しつつあるようです。 そんな中、「IngressはFoursquareより面白い」といった声も聞かれるようになりました。ただ、なんだか違和感を感じます。「Ingressってゲームだよな。FoursquareってIngressと比較されるようなゲームだったっけ?」と。

Foursquareは今や世界でも有数の位置情報のビッグデータを持った企業でありサービスです。FoursquareユーザがFoursquareでチェックインし続ける目的はそれぞれあるでしょう。そんなことを考察していき、私が考えるFoursquareの本質と、今後の展望について文章の形で考えてみることにしました。

とりとめもない長文になってしまったので、最初に結論を書きます。あとは興味と時間のある人だけ読んでいただければ満足です。また、太字だけを流し読みしていただいても嬉しいです。

結論としては

長文を読むのが面倒(いわゆる tl;dr)という人向けに結論だけ書いておきます。

  • 私が考える上でFoursquareの本質はゲームではない。新規ユーザを取り込むためにバッジといった「ゲーミフィケーション」を設けているのは呼びこみの一つに過ぎない。バッジ目的でFoursquareをしても、早晩頭打ちになる。
  • Foursquareは位置情報のビックデータを持つ有数の企業になった。今後はこの情報を使って、O2Oを仕掛けてくる。また、位置情報を欲する企業や団体と連携して音頭をとって収益モデルを築いていく。
  • ユーザがFoursquareを使う大きなメリットの一つは、ライフログであり、それは個人のビッグデータである。また、Foursquareが仕掛けてきつつあるO2Oの情報を使うことで、いわゆる食べログよりももっと汎用的なべニューランキングツールとしてユーザにメリットをもたらす。
  • 実際に興味のある人は、熱心なFoursquareユーザ(4sqer)と顔を合わせて語ると良い。4月16日のFoursquareの日に、全世界で4sqDay Meetupが行われる。2014年も東京でも行われる予定。私も行く予定です。

Foursquareはゲームではない

Foursquare自体、仕組みとして「バッジ」などといったコレクション要素のあるゲーミフィケーションの仕掛けを用意していますが、Foursquareの本質はここにはないと思います。 バッジを集めるためにわざわざ外出するという動機付けのもとに頑張っている人もいることは確かですが、多くの人はそうではないでしょう。後述の「位置ゲー」企業の中の一部は、自治体などとタイアップして観光誘導などで成功している例もありますが、Foursquareはそういうことを直近では行わないと思います。不正チェックインは論外です。

そうなると普段の生活圏内でチェックインをしてどれだけバッジが収集できるかといった話になるわけですが、一通り数十種類のバッジが集まったら、あとはほとんど手に入らなくなってしまうでしょう。 またメイヤーについてもゲーミフィケーション的要素ですが、これは「ユーザの中でも最も常連である」的意味合いしかなく、奪い合うものではないと思います。これも普段の生活圏内でチェックインしている限りは、それほど増えるものではありません。

要するにバッジやメイヤーといったゲーミフィケーション要素は、Foursquareの本質ではないと私は考えています。 もちろん、Foursquareユーザの中には様々な場所に足げく通い、バッジやメイヤーの収集に楽しみを覚えている人もいます。当然ながら、楽しみ方や活用方法は人それぞれではありますが、それがFoursquareユーザの大多数かと言われると私は否定的な方です。

位置情報とその実用と遊びの前史

いわゆるガラケー、ドコモなどでは基地局によるキロ単位の位置情報が取れる機能がありました(オープンiエリアなど)。その頃から、地図などを表示するという実用アプリが徐々に出てき始めました。まだ、精度的にもゲームに利用するには早い時期でした。 その後、多くのガラケーがGPS機能を搭載して、地図アプリなどが高機能化します。ガラケーにもGoogleマップといったPCでお馴染みの「実用アプリ」がガラケー向けにブラッシュアップして登場します。 そのなかでGPSの位置情報が、「実用」と対比される「遊び」(=非実用)に利用される事例が現れ始めました。スマートフォンの前の時代は、世界的には日本のケータイ(ガラケー)が性能的にも最高峰の携帯電話でした。この点でも日本が先行していたと言えるでしょう。特に「位置ゲー」という登録商標をひっさげて市場に切りこんできたコロプラはよく知られた企業です。このころ、コロプラという企業の前身である「コロニーな生活」が作られた頃から、企業や個人が多くの位置情報を活用したゲームを公開します。 しばらくは日本のガラケーによる位置情報を活用したゲームが先進していました。

その状況を塗り替えることになるのがスマートフォン、特にiPhoneの登場です。このころから、Foursquareのような位置情報サービス・ロケーションベースサービスと呼ばれる毛色の違うものが登場するのですが、その詳細は後述します。

Foursquareに至るまでのロケーションベースサービスの歴史、そしてGoogleの戦略

スマートフォンが登場する前後に、アメリカで「Dodgeball」というサービスが生まれました。これは実は今のFoursquareを作った人達によって作られた位置情報サービス・ロケーションベースサービスなのですが、ほどなくしてGoogleに買収されてしまい、そしてサービスが終了してしまいます。

Googleはというと、買収したDodgeballを無駄にしたというよりも、そのノウハウなどを利用して新しいものを作ったと想像しています。それが記憶にある人もいるだろう「Google Latitude」です。これはスマートフォンの位置情報を送信し続け、仲間達の間で位置情報を共有しあうというサービスだったのですが、セキュリティ上の懸念が優先してしまい、いまいち流行らず、そして数年ののち終了してしまいました。

Dodgeballを作った人達は、GoogleにDodgeballを売却した後、新しいロケーションベースサービスを作ります。それが今のFoursquareです。ちょうど高機能なスマートフォンが出てきた時代であったり、Gooogleにサービスを売却した人達が再度類似サービスを作ったという状況などが話題となり、Foursquareは一気に有名になっていきます。

当初は、日本も世界もスマートフォンをゲームに活用しようという機運が非常に高く、その括りでFoursquareも位置情報ゲームとし捉えられることが多かったように思います。ちょうど日本でのガラケー時代からのコロプラ勢などの影響もあるでしょう。ただ、当時のFoursquareの経営陣はゲーミフィケーション的要素はユーザ獲得の入口に過ぎないとしていたのだと思います。当時のFoursquareは収益モデルも確立しておらず、多くの人が先行きを不安視したりしましたが、現在は位置情報のビッグデータを持つ有数の企業として、対企業向けにそれを元に商売をしていることは知る人ぞ知るFoursquareの顔です。

ここで話を戻して、Googleはせっかく買収したDodgeballを閉鎖し、その後のLatitudeもサービス終了して、位置情報サービスの負け組となったのかというと、そうでもないようです。ユーザ数ではTwitterやFacebookに大きく水を開けられているGoogle+ではGoogleマップと連携したチェックインの概念を持ち込み、最新のAndroid端末のウリとなっている「Google Now」でLatitudeのような機能を持ち込み、そこそこの好評を得ています。また、冒頭に出てきた「Ingress」などにも経験が生きているのかもしれません。

Googleくらいの大きな企業ともなると、位置情報への投資と失敗は些細な出費なのでしょう。Googleがここまで失敗を繰り返してもロケーションベースサービスに興味をもったのは、一つはソーシャルメディアへの強いあこがれと、もう一つは自社のメインサービスとなったGoogleマップやGoogle Earthの進化といった理由があるのではないかと私は見ています。

FoursquareとGoogleは仲が良いかと言われると、そうでは無いように見えるところが面白いです。Googleマップの企業向けの利用料が格段に上がったときにいち早くGoogleマップの使用をやめた企業の一つがFoursquareです。FoursquareはOpenStreetMapを使う選択をしました。Foursquare自身も自分たちが作ったサービスを潰されて、しかもFoursquareの対抗サービスを定期的に出してくるGoogleに、あまり良い気分をしなかったことは大いに想像できるところです。

またFoursquareはGoogleのライバルとも言えるAppleとの接触を何度か図っています。記憶に新しいところでは、新しいiOSで採用されて大不評となったAppleマップのデータ改善にFoursquareが情報提供をしたという報道。これが事実であるかは不明ではありますが、FoursquareはどちらかというとGoogleよりもAppleに寄っているという見方は正しいのではないかと思います。

GoogleとFoursquareという軸で話をしてきましたが、私の想像なども入っているので、全て事実であるという保証は無いところはご注意ください。また、日本語のWikipediaの以下の記事を参考にさせていただきました。

今もFoursquareに熱心なユーザは何を目的に使っているのか

どの無料サービスにも言えることですが、サービスを何年も継続していると、登録はしたものの使わなくなったユーザと熱心に使い続けるユーザの二通りに分かれるのは常といえます。

では今もFoursquareをしているユーザのモチベーションとはなんなんでしょうか。

少なくともゲーミフィケーション要素は、何年もFoursquareを続けていくと薄れてきます。バッジも取れなくなるし、メイヤーも取れなくなる。

ユーザの目的の一つは「同報通信」的目的があるでしょう。Twitterの「○○なう」の代わりにFoursquareを使う人です。私もそれを実践して、カフェにいたら私に会いたい後輩がやってきたという出会いがありました。位置情報を公開する事のリスクばかりが取り沙汰されますが、一定のプライバシールールを意識することで、有用な出会いのツールになるのではないかと思います。

もう一つ、これが重要なのですが、ライフログ的使い方があります。FoursquareはiCalなどのフィードもしていて、いつどこに行ったのかという情報を後から振り返る機能をいくつも提供しています。GoogleカレンダーにiCalファイルを登録すると、何年も前のチェックイン情報を振り返ることができます。これが数年分たまると、とても興味深い自分のライフログ・個人版ビッグデータとなるのです。

今後のFoursquareはどこに向かうのか

Foursquareの本質が、少なくとも多くの人にとってゲームではないことは前述した通りです。

ではFoursquareの本質は何なんでしょうか。いったいFoursquareは今後どういった方向に向かうのでしょうか。

一つは位置情報のビッグデータを使って対企業に商売をするという方向性があります。これは純粋に位置情報が欲しい企業への情報提供というものでしょう。あまり一般ユーザには関係ない話かもしれませんが、AppleマップやOpenStreetMapが改善するかもしれないことを考えると、我々に無関係な話でもなさそうです。

また、日本でいうところの「食べログ」的な情報発信源になろうという目論見も垣間見えます。つまり、いまどきの言葉で説明すればO2O事業への参入です。既にFoursquareは、飲食店などのビジネスパートナー向けのアプリケーションをリリースしています。今後、日本での活動が活発化した際には、この分野での攻めもあることでしょう。以前からアメリカでは「Yelp」と競合すると言われてきました。2014年春、ついに日本にもYelpが遅れて上陸したわけで、Foursquareの動向には注目が集まります。Foursquareの経営陣は「世界で一番多いチェックインは新宿駅」などといった、日本を注目しているといった発言もたびたびしており、日本でのFoursquareの本格的な活動が楽しみであるというのが、Foursquareの一ファンである私の意見です。

飲食店に限らず、全世界の全ての場所「ベニュー」を包括的にレーティングし、それを一時発信元として発信できるのは、Foursquareなど一部の限られた企業だけでしょう。また、一連のステマ騒動や星3つ収斂問題を抱えている食べログの牙城が誰によって切り崩されるのかといった興味もあります。それはYelpかもしれないし、Foursquareかもしれません。外来のO2Oプレイヤーの活動から今後も目が離せません。

Foursquareのユーザと交流することでFoursquareの色々な面が見えてくる

既に周囲でFoursquareをやっているユーザがいないけど、なんとなく好きだからやっているというユーザは、FoursquareのMeetupなどに参加してみるとよいでしょう。

4月16日は4の2乗(square)が16であることから「Foursquareの日」とされており、その日に全世界でMeetupイベントが行われます。今年2014年も東京でイベントが行われます。

私も2012年に参加して、様々な目的でFoursquareをプレイする人達の様々な意見を聴き、非常に興味の持てる、幅の広いサービスだという印象を持ち、さらにFoursquareが好きになりました。

もしFoursquareに漠然とした興味はあるけど、その本質が何か分からないという人は、FoursquareのMeetupに顔を出すなどして、実際にFoursquareのコアユーザと話をしてみることで新たな視点が得られることは間違いないでしょう。初心者から開発者まで、様々な人達が集まった過去の4sqDay Meetupでしたが、みなさん非常に楽しんでいました。

上述の、2014年東京のFoursquare Meetupには私も参加します。後日レポートを書く予定ではいますので、もし興味があるけど出られないという方は、楽しみに待っていてくださると嬉しいです。

過去の4sqDay Meetupのまとめなどを引用して、この文章を締めくくりたいと思います。

皆さんのFoursquareライフが充実したものになることを願っています。

Qiitaとブログの使い分け

おがた (@xtetsuji) です。

Qiitaという「プログラミングに関する知識を記録、共有する最適なサービス」が最近活発です。見やすく使いやすいインターフェースや、ウェブ開発者に人気のMac向けに専用エディタKobitoを提供したり、アドベントカレンダーの提供インフラを提供したりと、様々な工夫があります。

実際Qiitaは便利で、そっちに書き始めると、今まで開発系の話題を提供していた自分のブログとの使い分けに悩んだりすることがあったのですが、今のところ私は以下のような基準で使い分けています。

Qiitaの「趣旨」に明らかにそぐわない記事は自分のブログへ

Qiitaは「プログラミングに関する知識を記録、共有する最適なサービス」なわけで、一見技術的な話題でも「プログラミングに関する知識」とはいえないコンピュータの記事は自分のブログに書くようにしています。例えばGoogleドライブのフォルダ名称変更とかは、操作自体はsqlite3を使ったり技術的な話題なのですが、プログラミングに関する…とは若干離れていたので、Qiitaに書きかけたものの、最終的には自分のブログで記事を公開しました。

コンピュータからかけ離れたエッセーとかをQiitaに書くのは明らかに違いますよね。

あとどこかで指摘があったのですが、「自分のプログラミング勉強日記」といったタイトルのような連載ものもQiitaに書くべきではないといった意見もありました。そういう体裁のものは、得てして他の人に役立たない、他の有用な記事を埋もれさせるという理由もあると思います。そういうのは個人のブログを使うのが正解なのでしょう。

コンピュータの話題がTwitterで展開された場合も、直接Qiitaを使わずTogetterで「プログラミング」カテゴリとしてまとめて、Qiitaを使う場合もそれを引用する形にしたほうが再利用性も上がって良さそうな気がします。

自分の作ったものの紹介は自分のブログに書く

「○○を作りました」「○○をリリースしました」系の話題は、Qiitaよりも個人のブログのほうが良い気がします。紹介は知識というよりアナウンスに近いような気がするからです。

アナウンスを自分のブログで行った後で、それを引用する形で実際の使用例をQiitaに書くのは良い流れかもしれません。

自分のブログを育てるか、QiitaのSEOの力を借りるか

「共有すべきプログラミングの知識」があったとして、それをブログに書くかQiitaに書くか、悩ましい部分もあると思います。

まず自分のブログを育てたい、自分のブログ記事を多くしたいという思い。この場合は自分のブログに書くべきでしょう。

ただ、QiitaはKobitoを提供したり、もしかしたらあなたのブログよりもプログラミングの知識を書くための良いインターフェースを提供していることも事実です。

また、Qiitaには自分のGoogleアナリティクスを設定できるので、それをして計測してみるとわかるのですが、外部からの流入が自分のブログの比ではない事が多いと思います。Qiitaは相当SEO(検索エンジン最適化)に気を使っていると言えましょう。そこそこ有名なブログでない限り、自分のブログに書くよりQiitaに書いたほうがアクセス数は断然多くなります。せっかく書いたプログラミングの知識、より多くの人に見てもらいたいと誰もが思うわけで、そういう場合にはQiitaを使うのが正解と言えそうです。

こちらは質問サイト寄りですが、海外のStackOverflowも(2015年現在は日本語版サイトもありますが活発ではありません)SEOに相当力を入れていることが垣間見えて、日本語サイトを検索エンジンで検索してもStackOverflowが引っかかるくらいです。SEOの重要性をQiitaの中の人も意識しているのでしょう。

承認やコミュニケーションを求めている場合はQiitaを選ぶ

自分のブログを育てたいと思っても、プログラミングの知識を書くのもそうですが、多くのブログは他者とそれでコミュニケーションを取るインターフェースが不足していることが多いと思います。

Qiitaはコメント欄でもMarkdown、しかもGitHub Flavorに近いMarkdownが使えたり、他者からのフィードバックがもらいやすい環境となっています。

また「ストック」という仕組みがある種の承認欲求を満たしてくれるということを歓迎する人もいるでしょう。本来はサイト内ブックマークとしての役割の一つですが、それが可視化されているために、はてブ数やイイね数のような指標としても使われます(投稿が信頼できるものかの絶対的指標ではありませんが、参考にはなります)。また、多く「ストック」されている記事が分かるので、そういう記事は多くの人の役に立っていたり興味をひいていたりといった指標にもなるので、使う側も嬉しい機能でしょう。

アフィリエイトを中心にしたい場合には自分のブログを使う

先ほど挙げた「プログラミング勉強日記」にも似ていますが、多くの書籍を読んだ勉強結果を書いた上で、それらの書籍のAmazonアフィリエイトリンクを貼って誘導させようという記事はQiitaより自分のブログのほうが良いです。

Qiitaでのアフィリエイトに関する規定はどうもグレーなのですが、サービス利用規約第8条第4項第2号を読むと「広告、宣伝および検索サイト最適化を目的としてユーザー登録、投稿する行為」は「行ってはなりません」と書かれています。常識的な文献の引用として補足的にアフィリエイトリンクを貼った書籍へのリンクは問題とはされないと思いますが、全面的にアフィリエイトを目的としたような記事はQiitaの禁止事項にひっかかりかねないと解釈できます。そういう小遣い稼ぎを狙った記事は自分のブログに書くのが安全でしょう。

Qiitaの将来性

せっかく書いた記事も、Qiitaというサービスが無くなってしまったら消えてしまいます。そういったサービス継続性の心配は、どんなサービスを使う上でも心得ておく必要があるでしょう。

私が見るに、Qiitaを作っているIncrements株式会社は、Qiita:Teamといった課金プランも用意していて、いわゆるGitHubなどに見られるようなフリーミアムモデルを採用しています。つまり広告収入以外の収益源があるということです。これはサービス継続性を見極める一つの基準となるでしょう。

またIncrements株式会社の人達のインタビューなどが多数ネット上で公開されていて、そのサービス継続性やサービス育成への期待感が感じられること。GitHubとの連携や、GitHubとの機能補完といった、今や開発者の素養となったGitHubとQiitaの関係を見極めているといった部分は大いに評価できると思います。

私は、そういった判断材料を総合して、Qiitaがすぐに無くなってしまったりはしないと判断しています (あくまで私個人の判断なので、責任は持てませんが)。

Qiitaとブログを緩く連携させる

最後になりますが、Qiitaとブログを「連携」させる方法は色々考えられるでしょう。

Qiita側からは、ユーザのURLを設定できるので、そこにブログのアドレスを書いておけばよいでしょう。

ブログ側からは、Qiitaが出力するフィードをブログパーツとして載せる手が考えられます。フィードをブログパーツにするサービスはFeedWindなどがあります。探してみるとよいでしょう。

この情報がQiitaとブログを効果的に使い分けしたい人の一助となれば幸いです。

Station TV i for Macから映像も音も出なかった意外な原因

おがた (@xtetsuji) です。

ずいぶん以前に、iPhoneやiPadでフルセグが観られる「SoftBank SELECTION デジタルTVチューナー SB-TV02-WFPL」というものを買って、iPhoneやiPadでフルセグを観ていました。iOSでの視聴は問題無く、それだけでもそこそこ重宝するものでした。

私は普段はMacBook Airを使っているので、これがMacでも使えると聞いて、2000円の追加出費をしてソフトウェア「Station TV i for Mac」を買いました。iPhone/iPadアプリは無料だというのに…。

その時はAmazonダウンロード販売を利用して購入しましたが、結果的にソフトウェアを起動してもEPG番組情報を取れるところまで進むものの黒い画面のまま画面も映らないし音も出ないという状況が続いていました。

もともと Station TV i for Mac は、画面キャプチャ能力を持っているアプリが起動していると、起動すらできないという厳しすぎる制限があって、Evernoteすら終了させないと起動すらできないというソフトウェアです。Evernoteに画面キャプチャ能力があるのかすらよく知らないのですが、とりあえずStation TV i for Macが起動できるところまで、普段常駐しているソフトウェアを終了させても、黒い画面のままという状態は脱することができませんでした。

サポートに電話してもそういう症状は無いらしく、諦めてiPhone/iPadのみで使っていましたが、今日古いMacBook Airを出してきて、ふとStation TV i for Macを起動させたら、なんと長い時を経て動いたのです。もしやと問題の切り分けをしていたら意外なことが分かりました。

  • ローカルマシンの8080番ポートが開いていると、黒い画面のままという症状になる

私は自分のMacBook Airからは自宅サーバにSSHをして使っていて、自宅サーバで8080番ポートで待ち受けているのSquid HTTPプロキシサーバへ SSH の ~/.ssh/config で「LocalForward 8080:localhost:8080」という設定を入れていました。つまり手元の8080番のTCPポートが自宅サーバのSquidの8080番ポートに繋がっている状態、手元の8080番ポートがHTTPプロキシサーバに見える状態になっていたのです。

この設定をオフにして新しいMacBook AirでStation TV i for Macを起動させてみると、なんと画面が映るではありませんか。

「起動時に手元にHTTPプロキシサーバが起動しているかポートスキャンしているのか?」と新たな謎仕様を疑ったりしたのですが、ローカルの8080番ポートにLocalForwardしている設定を試しに1080番ポートにしてStation TV i for Macを起動して、sshとStation TV i for Macを再起動してみても映るではありませんか。よく分かりませんが、Station TV i for Macは、起動したマシンの8080番ポートを見て、開いている(もしくは開いていてそれがHTTPプロキシサーバのポートである)ことを確認すると、映像も音も出さないらしいということが分かりました。

自宅限定ではありますが、普段使いのMacBook Airでフルセグが観られるようになって、ようやく快適になりました。

録画対応のマシンも今ではだいぶ安くなりました。欲しい。

浄輪寺にある関孝和の墓に行ってきました

昔は数学をやっていた、おがた (@xtetsuji) です。

3月15日(土曜日)に関孝和の墓に行ってお参りしてきました。江戸時代の大数学者です。

行ってみたかった

よく「東京の人は東京タワーに行かない」とか言われますよね。いつでも行けると思って行けない効果。最近も、札幌にずっと住んでいる人が北大のポプラ並木を見たことがなかったとかそんな話があって、自分も東京に相当長く住んでいるけど、そういう場所あったかなぁと考え直しました。

確かに東京タワーにも東京スカイツリーにも行ったことがない。かろうじて、都庁は良く行っているし東京ディズニーランドには行ったことがある程度。

昔勉強していて、今も勉強しなおしたいと思っている数学。そうだ、前々から興味があった関孝和の墓に行ってみようと思ったのでした。江戸時代の大数学科のお墓参りをして、改めて数学を勉強するぞと気合いを入れようと

行ってみた

検索してみるとすぐ場所が分かります。

一番近い場所に至る方法は、都営バスの「白61」という新宿と練馬車庫を大回りして運行している系統に乗って「牛込弁天町」というバス停で降りること。降りたすぐ近くに関孝和の墓がある「浄輪寺」にたどり着けます。

浄輪寺への入口

浄輪寺への道路からの入口はこんな感じ。「都史跡 浄輪寺」という石碑があるのですぐ分かると思います。

浄輪寺の入口の石碑 関孝和の墓、浄輪寺の入口

特に入るのに何か必要なわけではないので、とりあえず気を使いつつ入ります。

境内は普通の寺で普段は静かな場所です。通常の墓地となっており、関孝和の墓はその奥まった部分にあります。道は狭いので、知らずに入っていくにはちょっと勇気が要りますが、入っていくとすぐ分かります。

関孝和の墓

境内はそれほど広くないし大体一本道なので、都によって立てられた看板が目に入って、すぐ関孝和の墓の場所は分かると思います。

関孝和の墓の正面

看板には生い立ちや、その偉業の数々が書かれています。とても簡潔に分かります。

関孝和ってどんな人

江戸時代の数学者(和算家)です。詳しくはWikipediaの解説を読むと良いと思います。

例えば、高校時代に習ったことがある人もいる、あの「行列式」を世界で最初に見出した人でもあります。江戸時代に中国からもたらされた算術が日本国内で高度に発展した「和算」の中でも、取り分け「算聖」と呼ばれるまでになった人。後になって数学史研究者によって、西洋数学よりも数々の事実を先に発見していた人として、今に知られるようになりました。

墓はパワースポット?

大学が池袋の近くにあったころは、ときどき雑司が谷霊園を通り道にしていたことがありますが、あの墓地にも文豪の墓があったりして、良い散歩スポットだったことを思い出しました。

関孝和の墓、今あるのは二代目の墓とのことですが、ここにもともと関孝和が埋葬されたのかと感じると、特に何かをお願いしたわけではないですが、何かパワーがもらえたように感じます。そんな清々しい気分を味わいました。

暗いイメージが先行する墓場ですが、今を切り開いてくれた偉大な先人に敬意を表すキッカケになることは良い事はないか、今回の「墓参り」を通じてそう思わせてもらいました。

最近は帰省時期が悪く、自分の先祖への墓参りがここ数年できていないことが思い出されます。良くないですね。今年は彼岸の時期に帰省して、先祖の墓参りができるようにしたいと思います。

おまけ画像

3月15日、今年は厳冬でまだまだ冷えている感じではありましたが、境内の入口近くの木には元気に花が咲いていました。桜はまだとして、梅とかかな。病気の連続、そして2月からの新生活で色々忙殺されている中、少し心が癒された感じがしました。

関孝和の墓の近くに咲いていた花

 

Twitterのお気に入りツイートを振り返ってみて気づいたこと

おがた (@xtetsuji) です。

今回の記事は、ちょっと「気がついたから考えてみた系」のただのエッセーです。

Twitterにはツイートの「お気に入り」という機能があります。よく「ふぁぼ」とか言われるものです。ここではRTのように、Favということにします。

「あとで読む」はもう読まない

Favは「あとで読む」的な意味合いもあるとは思うんですが、世の中「あとで読む」とタグ付けされたものは、大抵あとで読まれないという法則があります。

自分も大量のブックマークをDeliciousに投稿したりしていますが、「あとで読む」というタグ付けは使わないようにしています。逆に「何度も読みたい」というタグ付けにして、一度は必ず目を通す、目を通すまでブラウザのタブは閉じないようにするという流れにしています。そういうようなタグ付けの工夫をすることによって、Deliciousブックマークの内容をあとで活用できることが多くなってきました。Delicious側が過去ブックマークの表示機能を高速化したというのも大きいです。使いやすい。

TwitterのFavも、この「あとで読む」的意味合いが多少なりともあると思います。もちろん、Fav結果がツイート主などにも伝わるのでそのツイートへの同意を示す意味合いや承認的意味合いもあるでしょう。ただ、このFav、あとで見返すことができるようになっているのに、しないのはもったいないなと感じた次第です。Deliciousブックマークの振り返り運用が最近うまくいっているからこそ思ったことなのかもしれません。

サードパーティのTwitterクライアントでは既に全てのFavをたどれないかもしれません。その場合はTwitterの公式クライアントか公式ウェブを使えば、少なくとも1000ツイートFav程度ならたどることができます。この理由は後述。

Favより自分の手法でメモしておいたほうがあとで検索できる

自分の場合、メモっておきたいツイートは自分専用のプログラムで自分用IRCチャンネルに投稿してIRCボットにログを取ってもらうようして (簡単なコンセプトは以前トークした「クリップボード監視と外部コマンド実行 #chibapm」のスライドを参照) います。ボタンひとつでログファイルに残るので、便利でガンガン使っています。ログファイルの検索も簡単なので、あとで「あのツイート、コピーしておいたけどなんだったけなー」といった時にも役立ちます。

TwitterのFavツイートは事実上あとで検索できないし、自分で書いたプログラムで回収しようとしてもTwitter API1.1のレートリミットの制限で指定時間内に数百ツイートしか回収できないようで、自分がFavするツイートは「これぞ」といったもののみに最近はしています。Tweetbot for iOSというクライアントでも2012年くらいのツイートまでしかたどれませんでした。これはTwitterクライアントが悪いわけではなく、Twitter社の提供するTwitter API1.1での制限です。

気になったツイートのロギング手法については、こんどいくつか解説してみたいと思います。

というわけで、私のFavには特別な思いがこもったものが多いのですが、それを振り返ってみようとして気づいたことを書いてみたいと思います。実際にツイートを列挙して振り返るのは今度にしようと思います。

Twitterを始めたきっかけ

Twitterは2006年頃からあるサービスですが、当時ブログや公での発言にあまり積極的でなかった私は「マイクロブログ」と称していたTwitterに対しては距離を置いていました。

ただ、2008年頃からジワジワとTwitterは日本でも影響力を増していきます。2009年9月のYAPC::Asia TokyoではTwitterを主要な連絡手段にするというアナウンスがあって、そこで半ば負けた気持ちでTwitterに登録したのが2009年9月9日でした。

最初のツイート。敗北を認めた感じが伝わってきます。当時は2008年くらいまで多忙を極めていて、ネットのトレンドなどが追えていなかったことがあって、Twitterは流行らず消えると考えていたり、とにかく勘が鈍っていたような気がします。

その後、試行錯誤しながらツイートしていきますが、Twitterの楽しさというか活用法も分かってきて、同報通信的用途や自分のライフログ的用途に活用していくようになります。特に2011年3月の東日本大震災前後でTwitterの活用が広がっていったり変化していったような気がします。

他のブログ記事でも書きましたが、2011年からは勉強会でトークするようになったり、ブログを開設したり、対外的な発言も積極的に行うようになって、Twitterとの連動も広がっていきました。

震災に対外的活動デビューにと、2011年は節目の年でした。

Favを振り返って分かったこと

2009年9月9日から2014年3月16日までの間に、私のFavツイートは1000ちょっとあるようです。https://twitter.com/xtetsuji/favorites にアクセスして、たどれる最初のFavまでたどって、Chromeのデベロッパーコンソールで document.getElementsByClassName(“tweet-text”).length を打った結果です。最初はよく分からずブックマーク代わり程度にFavを使っていたので、厳選してこの数というわけではないです。

とはいえ、Twitterのウェブインターフェースでは、たどれるFavの数に制限は無さそう(3200制限はあるかもしれない)なんですが、どうも2012年11月4日以前のツイートのFavの取り消しができないっぽい。もしかしたら私だけの現象かもしれませんが、Twitterは定期的に仕様を変えてきているので、何らかの要因はあるのかもしれません。特定の人にだけ起こる不具合というのもTwitterにはあって、それを踏んでいるのかもしれません。

当時はフィードリーダーの代わりにTwitterのURL付き投稿をブックマーク感覚でFavしていたのですが、あとで検索できないということもあって、このフィードリーダーのブックマークがわりとしてFavを使うのは、本当に大切なFavツイートを見返せないから良くないなと今になって追っている次第です。

次回は

実際に同感して付けたFavツイートを振り返って、当時または今の自分がどう考えるか、時間を見つけて少しずつ振り返ってみたいと思います。

転職活動の振り返りと、人生の「もしも」

おがた (@xtetsuji) です。

2月始めに転職をして2週間経過。12月と1月は入院生活と病気生活で横になっていたのでまだ病み上がりで体力が戻りきったとは言えないのですが、だいぶ気分的に落ち着いたので、転職活動のことを文字で振り返ってみようと思います。

要所要所に、これからPerlで転職活動をする人への参考となることを書いてみたつもりです。

詳細は退職エントリ入社エントリを参照下さい。長文ですが、忙しい人は見出しと太字だけ読めば何となく流し読み出来ると思います。

2013年転職活動の成果

2013年10月から12月初旬まで転職活動をしました。結果的に4社面接を受けて、2社不採用、2社内定という内訳。

入社した「株式会社Wano」以外に面接した社名については、昨今色々と敏感に反応する方もいらっしゃるので伏せることにします。

「1社目」は、勉強会でよく交流している方から以前より声をかけてもらっていた会社。今や誰もが使っている超有名プロダクトを出している大企業で、誰もが知っている会社。10月に転職活動を開始することになる前から水面下で話をしていたけれど、10月にいよいよ就職活動開始となったときに繋いでもらいました。結果的に一時面接で不採用になるのですが、面接前事前テストから面接決定そして一時面接を受けて不採用になるまでが1ヶ月以上(5週間くらい)かかって、大いに焦りました。「この調子じゃ、いつまでたっても次が決まらない」と。

1社目の不採用で、焦って次を当たりました。水面下で就職活動をしているとコッソリ伝えていた人づてに2社目3社目と面接を受けさせていただきます。

「2社目」は、社名自体の知名度はそれほど高くないものの、業績も良くて今元気な会社。主にモバイルでソーシャルゲームを開発運用している会社。私の経験を買われて、中の現場の人から熱烈歓迎を受けてオフィス見学までさせてもらって、すごい良いオフィスだと感動しました。ただ、マネージャークラスの方と面接したときの受け答えで何か良くない部分があったのか、まさかの不採用となってしまいました。中の現場の方も残念がっていたので、本当に残念です。分析は後述。

「3社目」は、親会社の名前は誰もが知っている歴史のある会社の子会社。社員数数百人で、親会社なら万の単位の人数がいるらしいです。話を繋いでもらった中の現場の方に呼ばれて、上級職の方とざっくばらんに話をするという内容だったのですが、結果的にこれが一時面接のようなもので、次の「二次面接」で話をした方とも感触が合って、嬉しいことに内定をいただくことになりました。

「4社目」は、入社エントリでも書いた「株式会社Wano」。ここは今までの3社と違って、YAPC::Asia Tokyo 2013 のハガキを送ったのがキッカケで、中の人で知っている人が全くいない、だから興味があった会社でした。詳細は入社エントリを参照下さい。

所有スキルが一致する事が第一ではないらしい

私は2011年からPerlを中心としたエンジニアコミュニティでオープンに活動をしはじめて、そのなかでも「Apache mod_perl」と呼ばれるPerlを組み込んだウェブサーバを専業として各地でトークをしたりしていました。何しろ前職の業務のミドルウェアの縛りが相当きつくて、Apache mod_perl以外のウェブサーバを使わせてくれなかったという事情があって、それは今では良い部分も悪い部分もあったと思っています。

1社目と2社目は、社内にmod_perlの資産をまだ結構抱えていると聞いていました。なので1社目と2社目は結構自信があったのですが、結果は不採用となってしまいました。中の現場の人も意外がっていた部分です。

逆に、3社目はPerlの古い資産も抱えているもののJavaやPHPもあって、これからMojoliciousで新しいサービスをPerl部隊が作っていこうとしている会社。4社目(Wano)はAmon2をベースとしたフレームワークで結構長くサーバサイド開発をしている会社。この2つの会社はmod_perlとほとんど縁がなかったこともあって、面接を受ける段階で自分の強みが伝わらないから内定確度は低いと思っていたら、非常に好意的に迎えていただいて内定をいただけたました。

結果的に「Perl」という主軸となるスキルはすべての会社で訴求して一定の効果はあったのですが、その中でも自分が突き詰めた「mod_perl」というスキルは結果としてあまり活きなかったというのは興味深かったです。

すべての会社が面接時に私のオープンな活動に目を通していたはずです。1社目と2社目でも面接時にmod_perlの話やYAPCでのトークに触れたのですが内定を受け取ることはできませんでした。想像ですが、レガシー資産を抱えている会社はレガシー資産を捨てたい一心であって、今さらレガシー資産を専門に開発できる専門家なんて雇ったら捨てたいものも捨てられなくなるという思いがあったから不採用になったんじゃないかと思っています。あくまで想像でしかありませんが。

mod_perlがレガシーというくくりに入れられるかどうかは別ですが、多くの会社にとってPlackやそのエコシステムこそ新しく、CGIやmod_perlは旧世代のものだという認識でしょう。mod_perlが好きな私にとってはいささか寂しい話ではありますが、それが事実です。

ソーシャルゲーム業界はエンジニアが飽和していてハードルが高い

数年前に一世を風靡したソーシャルゲーム。プラットフォームとなる大企業、開発をしてプラットフォームにゲームを提供する中小企業、開発の受託を受ける零細企業、それぞれの規模で勝ち組と負け組がだいぶハッキリしてしまいました。また、ソーシャルゲーム自体の市場規模も以前ほどではありません。

何が言いたいかというと、ソーシャルゲームの開発運用経験が無いシニアクラスのエンジニアは今ソーシャルゲームの会社に入って開発運用の仕事を受けるのは難しいということです。2社目がまさにソーシャルゲームを作っている中規模の会社でしたが、私がソーシャルゲームについて中立的な立場であることや、ソーシャルゲームの開発運用経験が無いことを話したら場の空気が悪くなった(感じがした)ので、私の年齢になると中途無経験でソーシャルゲーム業界には入れないんだなと痛感しました。まぁソーシャルゲームが大好きだという熱意を押せばまた違った結果になったかもしれませんが。

今回は面接を受けませんでしたが、ソーシャルゲーム企業の代表格であるDeNAの募集要項を見ると「ソーシャルゲーム開発運用経験3年」がすべての職種において付いていて「こりゃ色々無理だな」と思った次第です。たとえ運良く入れたとしても、ソーシャルゲーム特有の知識を求められることは必死でしょう。他の落ち目になったソーシャルゲームの会社から人材は毎日のように流れてくるわけですし、私のような人材を雇う必要性は少ないわけです。新卒といった若い年齢でポテンシャル入社をするのはまた別の話ですが。

複数内定を選ぶ悩み

結果的に2社から内定を頂いたというありがたい状況ですが、同時に選択に悩むことにもなります。年収や福利厚生や職場環境といった部分は両社甲乙付けがたいという状況でした。

内定をもらったのは12月始めでしたが、悩んでいる最中に2013年12月11日の緊急入院となってしまいました。貧血と連日の胃カメラなどの検査の連続でグッタリしている最中に、3社目から返事を急かされるメールをiPhoneで確認したあと2時間ほど熟考したのですが、結果的にWanoを選ぶことにしました。Wanoが決め手になった部分については入社エントリに書いてありますが、選択は本当に僅差といった感じでした。同時に複数社受けても、内定をもらえてもせいぜい1つと思っていたので、これは本当に大変な選択でした。人生は選択の連続です

熟考の末にたどり着いた結論は「どんなにオフィス見学をしても面接で詳しい話を聴いても、実際に入社してみないと結局何も分からない」ということでした。分かれ道があっても、失敗を恐れずどちらかに歩いていかないと何も始まらない

実際に入社してみて

まだ2週間、緊張癖なので手探りです。1ヶ月とか半年とか1年経ったときに振り返りブログ記事を書こうと思っています。

前職が在職10年。客観的に見ても業界内ではかなり長いですが、10年ぶりに環境が一新したという事実にまだ慣れないというのが実際です。たぶん2ヶ月病気で病み上がり状態、かつ環境適用力が高いとは言えない自分の場合は、少なくとも慣れるまで1ヶ月くらいは掛かりそうです。

転職エージェントは絶対に使わないと決めた

今回の転職活動では、いわゆる「転職エージェント」というものは使いませんでした。退職エントリや入社エントリにも書いた通り、2010年に人生最悪の出会いをしたからです。

よく「転職エージェントは複数活用すべきだ」という意見を聞きます。あれの真相は、視野が広がるとかそういう意味ではなく、誤解を恐れずに言えば転職エージェント4人のうち3人は他人の人生なんて考えず、自分の目先の利益だけを考えて、人を会社に機械的に突っ込むだけの人売りに落ちぶれてしまっているからでしょう。数名に聞いたのですが、だいたいの人は転職エージェントの6割から7割5分は落ちぶれた人売りだと言うところ、自分と同じ感想を抱いているんだなと思いました。

私は2010年の最悪の体験以来、金輪際「転職エージェント」というものを使わない・関わらないと心に誓いました。

もしあなたが転職エージェントを使って転職活動をするならば、絶対に4人以上の転職エージェントを使うべきです。そしてそのうち胡散臭い下位3人は話半分で付き合う程度で良いでしょう。運悪く全員胡散臭い場合は全取り替えも躊躇なく行うべきです。それがあなたの人生とあなたのメンタルを守る大切な行動になります。

2010年転職活動の振り返り

2010年転職活動は、元同僚の「転職を考えていなくても自分の市場価値を測るためにも転職活動をしてみるべき」と言われ、2010年春に紹介された転職エージェントの出会いからになります。

2010年、時代はまさにソーシャルゲーム全盛時代、その転職エージェントはひたすらソーシャルゲームの会社を勧めてきます。当時ソーシャルゲームに何の関心も無かった私は「いいんですか?」と言うと「作れる力があれば良いし、そう言えばよい」という転職エージェント。面接に行って、作れる力があることを語って不採用になった理由が転職エージェントに伝わって、次の会談で転職エージェントから「何でそんなこと言ったんですか」と怒られるということを何度か繰り返しました。典型的なダブスタとしか言いようがありません。当時のソーシャルゲーム市場は年収も高騰しており、転職エージェントの実入りを考えれば、とりあえず多くのエンジニアを機械的にソーシャルゲーム会社に突っ込む事で食い扶持をつなぐという、人それぞれの人生プランを考えない、最悪の考えだったのでしょう。運が悪かったし、私自身も無知だったとしか言いようがありません。カルト宗教に勧誘されたりねずみ講に捕まって軟禁されるくらいの屈辱とストレスを味わいました

2010年の春から、転職エージェントと自然に縁を切った同年秋まで、人生最悪の半年間を過ごして疲弊しました。メールに返信できないくらい精神的に疲弊し、思い出したくもない最後にもらったメールが「メールに返信しないなんて大人として最低」だったと思います。「おまえのダブスタのほうが最低だよ」と返そうと思ったのですが、その余力もありませんでした。

今だから時効だと思うので2010年転職活動の一端をお話しますが、1社目はDeNAでした。転職エージェントのソーシャルゲーム至上主義に踊らされた序章でした。YAPC等の露出を通じてDeNAは良い会社だと認識していて(今も良い会社だと認識しています)、Perlという自分の強みも活きると思ったのですが、前述の通り不採用となってしまいました。

カレンダーに記録が残っている面接記録です。他にも面接を受けた会社があるかもしれないのですが、もうあの転職エージェントとのメールのやり取りを見たくないので、調べるのはやめました。また、DeNA以外は社名を伏せることにしました。

  • 2010年7月2日(金曜日) DeNA 0時面接 (転職エージェントを交えた雑談)
  • 2010年8月16日(月曜日) DeNA 一次面接
  • 2010年9月8日(水曜日) 某ECサイト運営会社 一時面接
  • 2010年9月24日(金曜日) 某ベンチャーキャピタル 一時面接
  • 2010年9月28日(火曜日) 某有名会社のソーシャルゲーム孫会社 一時面接
  • 2010年9月29日(水曜日) 某ECサイト運営会社 二次面接
  • 2010年10月4日(月曜日) 某有名会社のソーシャルゲーム孫会社 二次面接
  • 2010年10月25日(月曜日) 某ベンチャーキャピタル 二次面接

DeNAを除いて、二次面接までは進めました。ただDeNA以降、転職エージェントのダブスタに辟易として、なるべくソーシャルゲーム会社を避けようとしていた事が伝わります。この中で内定をもらえたのは「某ECサイト運営会社」からだけでした。ただ、業界で良い評判を聞かない「EC Cube」を採用しているというところと、社内がPHPとPythonで二分されているというところに自信がなく、「某ベンチャーキャピタル」の二次面接の結果を待ちたいという理由で内定を辞退することにしました。同じ問題解決の層であるLL言語が社内に多く乱立しているということは、何となく個人的に避けたかったという気分でした。Pythonオンリーであれば入社していたかもしれません。

この時期も就職氷河期で、新卒の圧迫面接などが問題とされていて、そういうのにさらされたら嫌だなぁと思っていたのですが、中途だからかそういうのにはほとんどあたりませんでした。あ、ただ「某有名会社のソーシャルゲーム孫会社」だけは、高圧的な面接態度にさすがに立腹した覚えがあります。2010年秋、Plackを使ったことがないということで相当罵られました。この親会社ももともと好きじゃなかったのですが、さらに嫌いになりました。ちなみに既にこの孫会社は業績不振で無くなってしまったようです。具体的な名前を知りたい方は口頭で教えます。ここではさすがに書けません。

人生の「もしも」

今考えると、だいたい自分の周りのサーバソフトウェアやミドルウェアは6年くらいの周期で変わっていったと思います。これは私基準ですが、1997年、2003年、2009年です。個々の事例は省きますが、2009年秋にはPlackが登場してPerlウェブ開発の世界に変革が起きました。だいたい世間的にもこの周期で影響力の高いソフトウェアが登場しているんじゃないかと感じます。なので昨今はソフトウェアの話よりも開発手法などといった話が多いという仮説。

退職エントリに書いてある通りですが、2009年に自分や後輩が作ったサービスを潰していく作業をすることで私は精神的に疲弊していきます。また、私の立ち位置が柱サービスへの所属へと変わること、またインフラ部門とのセクショナリズムが確固たるものとなったことにより、2009年以降サーバサイドの裁量がほぼ無くなってしまいました。

大企業や終身雇用制度の基であればセクショナリズムも良い方向に働くといえるのでしょうが、中小零細企業ではセクショナリズムなど良いことなど何も無いと私は断言できます。たとえ会社の経営層がそれで良いと感じても、エンジニアの仕事の幅は非常に狭まってしまい、スキルを伸ばす場としてはふさわしくなくなってしまうからです

2009年の退廃的な作業、それ以降のサーバサイドへの裁量の消失、そして2009年秋に起こったPlack等のPerlウェブ開発界隈での大変革を考えれば、2009年から2010年に前職を退職しておくことが自分のスキルを磨くことを含めて自分の人生プランとして良かったのではないかと思えます。ただ、それは元同僚がキッカケで転職エージェントを通じて実際に2010年に行ったものの、(まず転職エージェントが最悪だったとはいえ)上手くいかなかったのでした。

また私は業界で無名で、まずはスキルセットを増やすかセルフブランディングをする必要があったのだと思います。

2011年からの転換

2010年秋に精神的に疲弊しきって、いったんすべての活動をやめてしまいます。転職エージェントとも縁を切りました。ただ、なぜ転職活動が上手くいかなかったのか、自分がこのまま閉じた場所でスキルを伸ばせなくて良いのか、等々といったことは何度も考えました。その結果として、2011年からオープンな活動を始めるのでした。

まずはYAPCのパンフレットで見た地元企業スカイアークにアプローチしてみることからでした。運良く繋いでくれる人がいて、2011年のゴールデンウィークの間の平日に帯広本社に行って、@onagatani さんと初対面、そして @onagatani さんの持ち味である強引な人心掌握術(?)で、2011年7月の Hokkaido.pm (#5) に初参加、そして20分初トークという事になりました。地域PMは初参加、そしてオープンな場所で人前で話すのは初めてといった状態でした。トーク自体はあまりうまくいかなかったのですが、これが記念すべきオープンなアウトプット活動の最初となりました。

それまで、Linux系のイベントやYAPCをはじめとした勉強会やカンファレンスに聞き手として参加していたことは何度もあります。また後輩育成のために社内で熱心に教育活動はしていました。とはいえ、聞き手として参加するだけでは勉強会やカンファレンスを真に満喫したとはいえず(ということは今になって痛感)、社内で熱心に教育した後輩はみんな別の大企業に行ってしまいました(結果的に「別の大企業」を育てただけと気づいたときは無力感に苛まれました)。社内教育は必要なことですが、人材が流動的な業界では社内教育一辺倒になってはいけないのだと思わされた次第です

2010年の転職活動の失敗は、転職エージェントが合わなかったという原因以外に、転職エージェントを頼らないと転職活動ができないという自分の弱さからだと分析しました。その後も他の地域PMなどに参加してトークを重ねることで、まずセルフブランディングをしていこう、そうしないと終身雇用制度が崩壊した昨今、今いる会社も安泰とは限らないし、将来的にエンジニアとして生きづらくなると考えました。

セルフブランディングという活動と実際のスキルを伸ばす活動

セルフブランディングといっても、トークだけでなく、オープンなプロダクトを出していくことも徐々に行っていきました。ただGitHubは2009年にアカウントを取得しただけで、本格的に使い出していくのはもうちょっと先になります。

会社で得たスキルは「Apache mod_perl」くらいしかありませんでした。もともと自分は、会社で得たスキルと自分で得たスキルを混ぜて両輪回していくタイプでした。2003年に新卒入社をして自宅サーバを作ったりする技術などをそうして回して言ったのですが、2009年以降は自分で得たスキルを会社に投入することができなくなり、会社のミドルウェア等の縛りがきつくなって、会社で得られるスキルが限定的になってしまうというジレンマに陥ってしまうのでした。愛社精神はあって、会社で使えるスキルを自宅でも勉強するというスタンスでいたのですが、結果的にこれは無為に時間を過ごす悪い考えとなってしまいました

そういうわけで、結果的にニッチで古いと認識される「Apache mod_perl」という話題を突き詰めて各地でトークをして、2012年と2013年のYAPC::Asiaでもそれでトークをすることとなります。

この活動で「mod_perlといえば@xtetsuji」「mod_perlの神」などと恐れ多い事を言われることも多々あったことはセルフブランディングの成功例だと思います。ただ、2013年就職活動を振り返ってみると「レガシーしか知らない人」という見られ方をたぶんされてしまったのは、このセルフブランディングの失敗例だったと言えるでしょう。セルフブランディング活動も、ブランディングの題材によっては良い方向にも悪い方向にも解釈されてしまうという一例なのだと思います。

実際にmod_perlの勉強は進めたりしたのですが、それ以外の活動は「どうせやっても会社で使えない」ということで勉強が気乗りしなかったことは事実です。会社の研究職ポジションでAnyEventやTwiggyを推したり、個人的に作りたい小さな書き捨てサーバをPlackで書いたりといったことはありましたが、手を伸ばしたジャンルの幅が広がらなかったのは、私の会社を中心とした考え方が悪い方向に働いたのだと今では反省しています。これは会社自体が自由に何でもやらせてくれるか、そうではないのかにもよると思います。2008年まではこの考えで色々なスキルが伸びていたことを考えると、会社や各種状況によってこの考え方が良いか悪いかは変わってくることなんじゃないかと思います。

そういう考えを薄々感じつつ、本格的に自分で作ったモジュールなどを公開していくのは2013年になってからになります。2009年に取得したGitHubアカウントがGist以外でようやく大々的に使われていくのでした。PAUSE IDも取得して、色々管理画面をいじっていたら、うっかりCPAN Authorになったりもしました。ようやく健全なセルフブランディングができつつある、そう感じたのは2013年になってからでした。

自力で転職活動をするメリットとデメリット

転職エージェントの話になると、自力で転職活動をする・転職エージェントを利用する、それぞれのメリットとデメリットが話題になります。

転職エージェントを利用すると、以下のような利点が挙げられるのではないでしょうか。

  • 会社を見つけてきてくれる
  • 予定を調整してくれる
  • 職務経歴書や面接結果を分析してくれる
  • 採用時の給与交渉をしてくれる

これは一例で、転職エージェント礼賛記事になるとあらゆる利点を挙げた上で「転職エージェントを使わない手はない」といった論調が繰り広げられますが、私はこれらに懐疑的です。

2010年に転職エージェントが「見つけてきた」会社は、どれも私にとって乗り気ではない会社ばかりでした。転職エージェントとの席では、転職エージェントが何に熱心になるかというと、私がこれらの会社を好きになり、これらの会社の面接に乗り気になる説得ばかりでした。果たしてこれが私の(あなたの)人生にとって良いことでしょうか。甚だ疑問です。

予定調整に関しては助かる部分もあるのですが、自力でも負担なくできることでした。

職務経歴書の分析はエンジニア経験がない転職エージェントは適当なことしか言わないという印象を受けました。もちろんすべての転職エージェントがそうではないのかもしれませんが、多くの転職エージェントはそうであるというのは前述と同じでしょう。全く職務経歴書を書いたことがないという人も、友人知人に相談したり、ウェブで参考例を検索すれば済むことです。むしろ、あまりにも長大で力作な職務経歴書よりも、あなたのオープンな活動のほうが評価されることでしょう。オープン系ITプログラマであれば、ブログを書いたり小さなことでも良いのでオープンな活動を絶対にすべきです。

給与交渉を転職エージェントのメリットとする人は多いと思いますが、私は疑問です。この部分は、転職エージェントは自分の利益が少しでも増えるためにやっているだけです。これから私が(あなたが)入る会社が転職エージェントの手数料で相当懐が痛むことを考えたら(会社は転職エージェントにあなたの年収の数ヶ月から半年分くらいの手数料を払います)、自力で面接に行って内定を勝ちとった後で、自分が納得しない額の年収を提示されたら内定を辞退するくらいの勢いで良いのだと思います。

それ以上に、私の(あなたの)働きがいは金だけなのか?金は大事だけどそれと同じくらいに大切なものがあるのではないか、目先の金に執心しすぎてそういうところを見誤ると、劣悪な仕事環境に陥ったり、プライベートの時間が持てなかったり、金以上に大切なものを失うことだってあると感じます。

一番怖いことは、転職エージェントの話に乗せられるままに転職活動をして「思考停止」してしまうことです。私も2010年に転職エージェントを精神的に拒絶しなければ「思考停止」したまま、転職エージェントの言いなりになって、入りたくも入りたくなくもない曖昧な考えで会社に入って、その後のキャリアプランを台なしにしていたかもしれません。

もし、あなたが転職エージェントを使うなら転職エージェントに「思考停止」させられることだけはあってはなりません。都度自分の頭を使い、何が自分のキャリアや人生にとってよいか自分自身で熟考して考えるべきです。

なぜ2013年就職活動は上述の4社だったのですか?

単純に声をかけてもらった順番と自分で考えて良いと思ったところだという理由です。

ただWanoに関しては別で、中がよく分からないからまずオフィス見学をさせてもらおうと思ったら面接が始まって、トントン拍子で内定をいただいてしまったという感じでした。結果的にその会社に入社するとは運命的という感じです。

私が水面下で転職活動をしているということが広まって、後になって声をかけてくださった会社は他にもありました。本当にありがたいことです。その時には既に2社内定を貰っていていて、そのことを伝えたのですが、それでも良いとオフィス見学をさせてくださったガイアックスさんのご好意にはこの場を借りて感謝します。

あの大きな企業は選定基準に入らなかったのですか?

在職していた会社が20人規模の小さな会社だったので、大企業には正直興味がありました。

ただ、2013年就職活動の1社目が大企業で、散々待たされて不採用という感じだったので、大企業を中心に攻める戦略は無理そうだなと感じ、戦略を改めました。また、YAPC等でも新卒を百人単位でエンジニアを採用しているよと発表している企業は、なんとなく近寄り難い感じがして避けました。優秀な若い人に(教わることには抵抗ないのですが)埋もれること、そもそも中途より新卒指向であると推測できることもありました。また、この規模の企業は私のような人間のスキルが吹き飛ぶような超絶な人が何人もいます。内定の見込みは当然低いでしょう。

「3社目」が親会社が大企業で、そこに結構興味を覚えたことは事実です。ただ、社内政治的なことがあったら嫌だなぁという思いもあったりして、相当色々考えた末に辞退させていただくことにしました。苦渋の決断でした。

スカイアークには入らないんですか?

私の人生を変えたとも言えるスカイアークですが、色々考えて、まだスカイアークに入る段階ではないと感じました。

家庭的な事情で、将来的に北海道の実家に帰りたいと考えています。その時の就職先の選択肢はたぶんスカイアーク帯広本社になるのではないかと勝手に思いますが、スカイアーク帯広本社のエンジニアは少数精鋭かつ相当手広い知識を持っています。今の私にはまだ雲の上と感じました。スカイアークが求めるような手広い知識を身につけることがまず先決かと今は感じています。

また私のような発展途上なエンジニアは、今は東京という情報が集まる場所にいて、スキルを磨き研鑽する時期なのだと感じています。スカイアークには東京営業所がありますが、今回は色々な思惑から採用申込みの優先順位をグッと下げた結果が今回です。

各人それぞれのスキルでPerlを武器に転職活動をするには

Perl入学式などに出ていると、Perlのビギナーの方々がPerlを使った仕事をしたいという話を聞くことが時折あります。

これについては、多くの人に聞いたのですが「頑張れ」としか言えないと感じています。私が在職している会社に紹介することはできますが、判断するのは経営層なわけで、私の一存で就職を斡旋することは当然できません。

参考になるのは私の前職の後輩かもしれません。彼の前職は職業プログラマではなく、Perlは趣味でCGIなどを書いていたという経歴でした。転職エージェントにも「30歳近くで業務経験もない人がIT系に転身出来るはずがない」と言われていたようです。転職エージェントらしいですね、アハハ。

ただ、彼は面接時に趣味で作ったPerl CGIの掲示板プログラムのデモを行ったのでした。組織的にウェブフレームワークを使った開発をしている企業であればまだしも、私の前職はmod_perl環境に *.cgi のようなものを並べる仕事だったので、小奇麗に作られたその外観もあって好感触を得て、結果採用となりました。

ここで言えることは以下のようなことだと思います。

  • とにかくPerlの基礎を勉強する。少なくとも何らかの入出力を伴うウェブアプリケーションが書けるくらいまで。
  • 有名な大企業は難しいが、まだレガシー開発をしている中小企業を地味に当たる。情報収集は転職エージェント任せにせず自分中心でやる。勉強会などの人のつながりを最大限に活用する。これは苦難の道かもしれない。
  • 面接時に自作アプリのデモをするといった一見奇抜な作戦に出る。オープンな活動をしているとさらに良い。
  • 意外に外観重要。MojoliciousやAmon2も良いけど、パッと見で評価されるアプリなのでTwitter BootstrapやCSSなどの力のほうが効いてくる
  • IT業界の職歴なしで30歳を過ぎていたらかなり厳しいと思われる。この場合はパイの大きいJavaやPHPに切り替えることも考える。IT業界への転身さえできれば、あとは職歴を詰んでPerl業界に入れる可能性は広がってくる。

とにかく人の人生に無責任な事を言えないので、上記については参考としてください。私が忙しくなければ個別にご相談に乗ることはできますので、興味のある方は声をかけてください。

Wano株式会社に入社しました

おがた (@xtetsuji) です。

題名の通りですが、2014年2月1日付けで「Wano株式会社」に入社しました。2月3日(月曜日)に初出社しました。

先日の退職エントリが長すぎと何度か指摘を受けたので、転職活動中の詳しいお話については別に書きます

Wanoを選んだきっかけ

転職活動の最初の一社目が、面接前事前テストから一時面接後の不採用まで一ヶ月以上という時間のかかりようで「このまま転職活動していたら何時まで経っても終わらない」と危機感を募らせていました。

ちょうど数社の中の人から声をかけてもらっていたので、ひとまず直近で声をかけてもらっていた2社の中の人に頼ることにしました。

ただ、最初の一社目の選考時間の掛かりすぎに焦ったこともあって、同時に前々から興味を持っていたWano社に以下のようなアクションをかけてみることにしたのでした。

YAPCのカード1

 

あれ、これはどこかで見たことがありますね…

YAPCのカード2

 

といった感じ。せっかく貼られた50円切手の有効活用。面白法人カヤックさん、ありがとうございます。

このハガキ、送っても返信は返ってこないだろうと思っていたら、しばらくしたらWanoの中の人からメールでアクションが返ってきました。あとで聞いたら、向こう側もこのハガキが送られてくるとは思っていなかったようです。

この後、一時面接は前述の2社とほぼ同時日に行われることになりました。

一時面接は無事通過し、社長と話すために少し日を置いて二次面接に来ることになりました。二次面接はざっくばらんに社長とお話をして「しばらく待ってもらえますか?」「はい」→約10分くらい経過→「じゃ内定で」という驚くべきスピーディな流れ。一社目もこれくらいのスピーディな流れで結果を出してくれれば(たとえ不採用でも)良かったのにと思わざるを得ません。

Wanoを選んだ理由

もともと数年前からYAPC::Asia Tokyoで露出はあった会社だったのですが、「音楽を事業としている会社」ということしかYAPCでもウェブサイトでも伝わってきませんでした。確かにこのソーシャルゲーム全盛時代に音楽事業とは興味深かったのですが、YAPCに大々的にスポンサーをしているにも関わらず、中でどんなPerlの技術が使われているのすら全く分からない。これは中に興味あるというわけで、オフィス見学くらいできればいいな程度の気分でハガキを出したのでした。面接を希望するにしてはこの手法はあまりにも不躾な気もします。

そんな気持ちでハガキを出したのですが、結果的にオフィス見学と同時に一時面接をさせてもらえました。面接などの中で聞いたPerlなどの技術の使われ方の洗練っぷりにも惚れたのですが、一連の流れのスピーディさに会社としての決断力があるなと思ったのも大きいです。

2008年創業の新しい会社だけあって、当然ながらレガシーの負の遺産はあまりなく、Plackなどの新しい技術が多く投入されているという印象でした。いま当たり前の技術を当たり前に使えるということがようやくできそうだという心踊る思いがありました。

二次面接で野田社長とお話させていただいて、エンジニアではないという説明を受けたのですが、話していてIT業界においてキャッチアップ力の高い方だなと感じました。何しろ若いし勢いがある。社会人として1社しか経験の無い自分でしたが、3人の社長を経験して、そのIT業界におけるキャッチアップ力には疑問を持つことも多くありました。今回「この社長となら気持よく働いていける!」と率直に思えたのは決め手でした。

面接で話を聞いていると、表には機密保持的に出しづらいものの、音楽事業以外にもいくつかの事業をしているようで、その堅い事業と自分との相性もよさそうだなと感じました

Wanoの社員数は30人ほどなのですが、社員に占めるデザイナーを含めたエンジニアの割合が半分くらいという多さにも惹かれました。15人が多いか少ないかは人それぞれの感覚ですが、社員比としても多いし、純粋な人数としても多いと思いました。だいたい二週間に一度の割合で社内勉強会も行われているようです。会社でこの規模のエンジニアコミュニティが形成できる点は魅力的でした。世の中、見回せば何百人もエンジニアを抱えている会社もありますが、多すぎても自分が埋もれるという部分もあるし、これくらいが今の自分にちょうどいいかなと思っています。

結果的に自宅から会社が近いという点も魅力的でした。大江戸線で4駅。電車が嫌いでも、これくらいであれば我慢できる範囲です。

ウォーターサーバーは無いものの、飲み物は常時ペットボトルで提供され続け、いくらでも飲むことが出来るのは魅力的でした。水と従業員福利厚生の相関を真面目に説くネットの記事もあるくらいですが、大げさではないと思います。ウォーターサーバーは自宅導入も考えたのですが、トータルコストの割には少人数ではメリットが少ないので、Wanoくらいの規模の会社だとペットボトル運用がピッタリだと思いました。

勤務時間は裁量労働制などではないものの、パソコン環境などの仕事環境を柔軟に選べるのも良かったです。個人的に裁量労働制には良い思い出がないし、自宅も近いので、定時出社・定時退社で良いと思っています。

その他にも色々と決め手がありました。

内定のその後

内定を頂いたのは12月3日でしたが、12月11日に胃潰瘍で入院してしまうのは以前のブログの通りです。その時も、Wanoの方々にお見舞いに来ていただき、正式採用の取り交わしをまだしていない身分にもかかわらず配慮していただいて、本当にありがたく思いました。

年をまたいで1月に一度出社して詳しい説明を聞くことになります。その後すぐ風邪→中耳炎→インフルエンザの流れになってしまうことを考えたら、タイミング良かったなと思わされます。インフルエンザが治った次の日から初出社という綱渡りのようなタイミングでした。

初出社した

今日2014年2月3日に初出社しました。

社内の空気も綺麗、水も飲める、うるさすぎない(音楽が流れていてちょうどよい)、といった良い第一印象を持つことができました。最近「行ってきた」で出てくるようなオシャレオフィスとまではいきませんが、必要十分な空間に満足できるものが手の届く範囲に揃っているという印象でした。

出社1日目は、パソコン環境の構築と、事務的なもろもろ、あと事業内容についての詳しい話を聴いたりしました。2日目以降、どんどん作業を進めて、早くプログラミングをしたり案件ハンドリングをしたり、バリバリ働いていきたいです。

株式会社fonfunを退職しました

おがた (@xtetsuji) です。

このたび2014年1月31日をもって、大学院卒業後の2003年5月25日に入社した「ネットビレッジ株式会社」時代から約10年間勤めた「株式会社fonfun」を退職することになりました。

これを書いている2014年1月現在ではまだ在籍はしていますが、最終出社日は2014年1月17日だったので、事実上退職をした状態になっています。

今まで「期日が決まったアルバイトを自動的に辞めた」ということはあったのですが、正社員として勤めた会社で正式な退職手続きをしたのは人生始めてとなりました。この移り変わりの激しいオープン系IT業界で約10年勤続という話をすると、多くの人に長いと驚かれることが多いくらい長かったです。

いわゆるこのような「退職エントリ」は、おもにオープンに活動するITエンジニアの同報通信的意味合いでしかありません。何らかの材料を探している人(株主など)は下記の私の長々とした思い出を読んでも得られるものは無いと思います。この点については、以前のブログエントリ「私が考える転職エントリのありかた」をご一読ください。

はじめに

書く前から想定していましたが、10年の思い入れのある歴史を振り返ったりしているので非常に長文な記事です。それだけに、私を応援してくださっている方にはぜひ読んでもらいたい記事ではありますが、忙しい方に向けて箇条書きで要約を書いておきます。

  • 大学院卒業後、2003年5月25日に入社した株式会社fonfunを退職することになった
  • 今のfonfunには期待しているし、今後も求められれば外部の人として応援していければよいと思っている
  • 10年の間に2回社長が変わったりして、3つの特色ある時代を過ごしてきて、正直弁護しきれない酷い時代もあったけど、今の時代は平和
  • 10年間のうち最初の7年間で先輩や後輩から色々学び、後の3年間はコミュニティとの両輪で成長していった
  • 色々な事があったけど、結果的に最後の数年の孤軍奮闘時代に会社に合わない施策を打ち出し続けた私の戦略ミスが大きかったと感じている
  • 当然ながら、退職を決断するまで非常に多くの要因があったが、総合的に退職を決断するに至った

誤解を招きたくなかったりするのでいくつか。

  • 長文の中には私の文章力不足等で誤解を招く部分があるかもしれませんが、私は今も昔もfonfun(と昔のネットビレッジ)という会社が好きだという根底が脈々と流れています。仕事仲間としてもプログラマーの仲間としてもとても大切な一人の後輩を残し、自社株をまだ持っている身として、今後とも外野から応援することは退職交渉時にも宣言しています。
  • 時々ある「退職エントリ」推奨派が言う「業界を良くするために前職の悪い点はどんどん糾弾しろ」といった内容は含まれていません。ただ、なるべく中立的な視点で良い点・悪い点を並べて書いている部分はあります。これは愚痴や文句ではなく、改善すれば会社も業界も良くなるだろうと考える私の主観的考えです
  • 私のことを応援してくれる方にはぜひ読んでもらいたいのです。ただ、こういうことは出来れば書きたくはないものの、私のことを嫌っていたり良く思わない一部の方は出来れば読まないでいただきたいと思います。ポジティブとネガティブは表裏一体です。私の事を良く思わない人は、私のポジティブワードを全てネガティブに読み替えてしまい、きっと嫌な気分になるだけです。

謝辞

最初に謝辞を書くのはどうかと思ったのですが、長文なので最初に書いておきます。

  • 2003年入社当時、大学院時代に習得したサーバ管理の知識で食っていけるかなといった甘い考えで入社した私に対して、厳しくも要所要所で的確に育てていただいた大御所のITエンジニアの先輩方には本当に感謝しています。「日本○○協会」の理事クラスの人とか当時ゴロゴロいて、「ここでミスしたら即刻業界から消される!」と日々戦々恐々としていました。
  • 入社して1年ちょっと経過した2004年ごろから会社の柱プロジェクト以外にも多角的にコンテンツ事業をしていこうということになり、そこでペアを組んだ若い企画職の後輩の皆さんや同僚がいたからこそ、Perlを使ってウェブプログラミングをするプログラマーとして自立することができました。私が力不足で一人でプロジェクトを任せられるレベルにないと部署内で先輩方から言われていた時に、無理を言って私を使ってくださった最初の企画職の方々には本当に感謝してもしきれません。
  • 2005年頃からECサイトを大々的に開発していくことになった際に入社した、多くの後輩プログラマーの方々は、本当に私を立ててくれました。最終的には私の待遇の低さをめぐって会社側と交渉までしてくれて、当時まだ力不足だった私にとって本当にありがたかったことは言うまでもありません。今でも本当に感謝しています。

上記で謝辞を述べた方々は全て退職していってしまいました。大切な人が去るたびに、自分も去るべきか何度も悩んだ事は事実です。

また、当時の「ネットビレッジ株式会社」へ行けとアドバイス下さった大学院時代の(他学科ではありましたが)先輩のMさん、ありがとうございます。

また、2013年1月現在fonfunに在職している方について、色々とご迷惑をおかけしましたし、また現在進行形でお世話にもなりました。本当にありがとうございます。

入社のきっかけ

思い出振り返りになりますが、入社のきっかけを書いておきます。10年前とはこの業界では悠久の時ですね。

2003年3月、大学院の卒業式がありました。そこで誰かに「次はどうするの?」と聞かれて、「あ!就職活動とかしていない!」と気づいたのでした。バカですね。

2003年3月現在、アルバイトとして働いていた付属の女子大のシステム構築が長引いていて4月上旬までそちらにかかりっきりになっていました。4月中旬にそれも落ち着いて、アルバイトとしての契約が終了ということで、改めて先輩と相談をしようと 、古巣の大学院生室に行ったところ、普段からよく訪ねてきてくれていた他学科の大学院生の方がいらっしゃいました。状況を相談したところ「ネットビレッジに行け!」と言われて、それに従って面接に行ったのです。何でですかと聞いたら「○○がいるからに決まってるだろ!」と一喝されてしまいました。本来であれば長い無職期間を作りたくなかったのですが、4月下旬に自転車で転倒事故を起こして顔面がひどいことになってしまい証明写真が取れず、2003年5月25日の入社となりました。当時の業界はまだ未成熟で、ネットビレッジに限らず、多くの会社は試用期間としてアルバイト(準社員)採用を普通にしていました。私は大学院を卒業したにも関わらず、卒業後アルバイトをすることになったのです。今では考えられないと良く言われることです。

面接では、入社後上司になり、今(2014年1月現在)ではJPAの理事となった方が面接官でした。「Emacsは使いますか?」という問いに、「はい、navi2chで2chをみようと思って使い始めました」とバカ丸出しの回答をして「コイツ絶対落とす!」と思われていた事を相当年月が経った後で聞きました。どうやら前述の相談に乗ってくれた先輩がDebian関連のIRCチャンネルで「採用しておくときっと役に立つ」と口添えしてくれたから救われたらしいです。本当にありがたいことです。

入社日は社内が大騒ぎだったことを覚えています。そう、2003年5月25日は初めての505iのi-mode端末が発売する日だったのです。今でいうガラケーが全盛だった時代、ドコモの新ラインナップ発売という出来事はケータイ業界が大騒ぎする出来事でありました。i-modeがこの10年で事実上姿を消して、Android/iOSという二強にすっかり置き換わるとは、この時は全く想像できない出来事でしたね。

在職中の思い出 〜在職約10年間と特にここ3年間を振り返る〜

入社のきっかけは上記の通りです。なんと怠惰な大学院生だったことでしょうか。これによって、「最後の紙の就職活動」「空前の就職氷河期」と言われた時代、ほぼ就職活動をせずに2回スーツを着ただけで結果的にアルバイトを経て正社員になることができました。感謝。

他人の「退職エントリ」は好きで結構読むのですが、こうやって私自身が退職エントリを書くことになるとは、約10年同じ会社で頑張って働いてきて、なんだか不思議な気分です。

よくある、入社3年前後で次の会社に行くような「準ジョブホッパー系」の人は「嫌なことは無かったし辞めたいと思ったこともなかった。ステップアップしたかった。」といった事を書いていますが、私は何度も辞めたいと思ったことがあります。辞めたかったというか逃げたかった、のほうが正しいかもしれない。綺麗事なんて言うつもりはないです。だいたい3年に一度は逃げたくなりました

とはいえ、ここ数年は全く落ち着いてしまって、逃げたいという感情を抱いたことは無くなったことは、会社全体が良くも悪くも落ち着いた証拠なのだと思います。2代目社長とその取り巻きが一掃され、3代目社長体制の努力の賜物でしょう。

逃げたかった話を3年ごとに分けて書いてみたいとおもいます。

まず2003年に入社してすぐ逃げたいと思いました。柱コンテンツの第4世代へのバージョンアップがうまくいかず、入社してから1年くらいはずっとバグとクレームとの戦いでした。傍観するしかなかった私も微力ながら協力しようと頑張りましたが、先輩方が発する凄まじい不機嫌オーラに押し潰されそうになることは何度もありました。時には協力会社がアホなことを言い出して、先輩がゴミ箱を蹴り飛ばして大声で罵声を上げることもありました。逃げたかったけど、同じ部署の先輩は業界で権威のある方々ばかりだったので、ここでやめたら業界から消される(今考えたら大げさかもしれませんが)という思いと、逃げたら負けだという思いがあって、思いとどまりました。2004年になって今も友人として交流することとなる仲間が企画職で入社して、相談相手ができたのも大きかったと思います。

そして2006年頃、社長が変わって2代目社長が打ち出した中国事業のとばっちりを食らうようになって連日屈辱的な作業を繰り返すようになって逃げたくなりました。創業社長が某施策の大失敗で心折れたのか逃げるように辞めてしまい、2代目社長は大好きな中国への中国事業へ2005年頃から会社全体を挙げてのめり込み始めます。当初の中国事業は「中国で作ったものを中国で売って利益を上げるだけなので日本とは関係がない」という話でしたが、その後すぐに日本からの受託事業へ切り替えます。いくら中国が当時の日本の10倍の市場規模とか言っても、貨幣価値が日本の10分の1くらいなのですから、柱事業もまだない中国子会社が食っていけるはずもないでしょう。日本の親会社に利益を還元するなんて夢のまた夢。見通しが甘すぎます。2代目社長、最初から最後まで疑問符のつくことしかやらなかったのは、この会社の歴史の中で最大の損失と言えましょう。この勝手な転換に私の尊敬する先輩エンジニア達は激怒し、辞めていきました。子会社の中国人が書いたクソコードの尻拭いと連日の徹夜、なのに2代目社長とその取り巻きによって中国子会社がもてはやされ、日本の技術者は中国の10倍の人件費の金食い虫と呼ばれ、当時は本当に悔しくて毎日「次の日に退職したい」感じでした。この中国事業、2代目社長とともにYahoo!ファイナンス掲示板では連日バッシングの対象になっていた(社内では内部犯行説も囁かれていた)のですが、2008年頃には我々日本の開発部署の間では「そもそも中国の子会社から納品されるものが動くはずがない」という前提となってしまい、ヘルプが来たら「はいはい、次はどんなものかな〜♪」とか超楽しんでいました!当然のようなクソコードに悪態付きながら(しかも悪態ついても誰も不幸にならない!素晴らしい!)何故か動かないのに納品されてしまったものを、我々日本の開発部隊が明日早朝の納品に間に合わせるためにタイムアタックをする。日本で当時行っていたECサイトの開発部隊として僕が育てた若い後輩とともに、徹夜作業を楽しんでいた(?)のが懐かしいです。2代目社長の取り巻き連中は、社長肝いりの中国子会社を使うことそれ自体で2代目社長に媚びていましたが、時が過ぎると中国子会社に発注することで自分自身も相当な被害を食らうことが分かったのか、日本の開発部署を頼るようになりました。私が「あれ〜、日本は中国の10倍の人件費なんだよ?あの偉そうな営業部長も言ってるでしょ?どうして日本の僕らの部署を使おうとするのかな?ウェブ掲示板なんて誰でも作れる簡単なプログラムでしょ?君らの大好きな中国を使いなよ」と言ったりするのが、もうもう楽しくてなりませんでした。とにかく、いじって遊ぶくらいしか価値のなかった中国事業と取り巻き連中でしたが、最後の方はいじりがいのあるとても楽しい遊び道具でした。そりゃ、2代目社長の筆頭太鼓持ちであった当時の営業部長K(既に退職)が大阪弁で「10倍や!10倍やぁ!」とか言いながら営業社員全員を引き連れて、連日のように開発部署のところにあのドラマみたいに「総回診」よろしく威圧しておりましたら、こちらも出方がありますよねぇ。繰り返しますが私は最後のほうはとても楽しんでいましたよ。後半戦は後輩達という味方ができたからだと思いますが、本当に楽しかった。

その後、中国事業の失敗やその他諸々が積み重なって、2代目社長の失脚となりました。大阪証券取引所(現在は東京証券取引所)からもその詳細顛末が公表されております。そして日本でも事業の急激な縮小を行っていくことになることは上場会社としての公開情報なのですが、事業縮小で後輩がいなくなり、自分や後輩が作った思い入れのあるサイトを潰したり他社に売るためにひたすらサイト閉鎖作業や引継書を作っていた2009年ほど、精神的につらい時期は無かったと思います。先輩もいなくなり、後輩もいなくなり、そして丹精込めて作った思い入れの深いサイトも自ら潰していく。こんな作業を通年やっていたら精神的にもおかしくなるよなぁと、今になって思う次第です。実は企画職の元同僚(当時既に退職)にこのころ転職を勧められて、転職エージェントを紹介されたのですが、この転職エージェントが人生最悪級の出会いで、実は一度転職活動をした2010年の春から秋にかけて、この転職エージェントとのやりとりは最悪としか言いようのない出来事になりました。潰す作業と人売りとのやりとり、この二つの出来事はまさに10年間の中で公私含めて最も精神的に追い詰められた出来事でした。精神的に余力があれば後述します。人売り、金輪際絶対に信用しない!!!

冒頭でも述べましたが、当時の後輩達の最後の尽力で、私は研究職として多少の待遇改善をさせていただくことになりました。本当にありがたい。上司は自由に研究をさせてくれて、2011年から始めたコミュニティ活動により多くのアウトプットが発生したのですが、会社というか主にインフラ系部署との方針の違いで、入れたい技術がことごとく入れられず、自分の役割を果たすことと、それを実際の業務に一切活かせないことのギャップに苦しんだのが2012年でした。結果的に「成果」が出せなかったことや、それに関わる諸々の要因で2013年度に**%年俸が下がってしまうのですが、雑談でそのパーセンテージを話したら様々な人から「明日退職レベル」と言われる始末(年収自体は機密事項なので話していませんが)。コミュニティ活動で日々研鑽をしていたつもりが、同列の大手IT企業の初任給より年俸が下がってしまい、「技術書を買って自分に投資しながらでも貯金が貯まる」から「自分への投資を最低限まで押さえても貯金が減っていく」という負の連鎖になってしまい、ITエンジニアとしてどうしようもなくなってしまいました。

「**%の年俸減」はちゃんとした理由があって、業績減の中での業績連動型賞与制度の中で、長く在籍している(6年頭打ち)年寄り(30歳以上)で職能要件がその役職(平社員)で頭打ち(フェローポジションは無い)をしている人に対しては、限られた固定費から出す年俸を下げざるをえないという事情があったようで、信頼する某氏からその説明を受けて非常に納得した(最近入った若い子達はあまり被害を被っていない)のですが、役員説明が足りないよねぇという話はありました。私の活動が真っ向から否定されたわけではないようで、この時は安心しました。まぁ、それを聞いたところでITエンジニアとしての負の連鎖は払拭できなかったのが悲しいところですが。

そして2013年にそれら諸々の理由を携えて転職活動へ再度踏み出すのでした。今回は人売りの力は一切借りず、コミュニティ活動で知り合った人にこっそり話をして、一社ずつ採用活動をしている会社を紹介してもらい面接をお願いするといった細々とした活動をしていくのでした。転職活動中のお話については興味深いのですが長くなりそうなので、別ブログ記事ででも語れればと思います

学べたことはいっぱいある

研究職として新たなプロダクトを仕入れつつも、様々な理由で通年に渡って自分の提案するプロダクトが入れられなかったのは、私の戦略ミスも大きかったと思いますし、会社が保守的なプロダクトを柱コンテンツに据えていて、多くの物事がその延長線上で考えられていたこともあったでしょう。まぁほぼ全ては私の戦略ミスでしょう

「危ない事は一切させてもらえなかった」というわけでなく、世間でよく知られたmemcachedやTwiggyが「素性の知らないサーバとして受け入れられない」という無念な理由で導入を拒否された割に、Apache mod_perl を worker MPMで動作させて Perl の ithreads で変数共有といったような、他のPerlハッカーが聞いたら危険すぎて断固拒絶するような危険極まりないことも逆にやることになりました。私も当初反対したのですが、Twiggyを却下された上に結果的にそれしか方法がないと上司に説得をされ、その設計をすることになり商用環境に投入されました。動かなくてクレームが来ても困るというスタンスでしたが、結果的に動作したので面白い経験をさせていただきました。それはYAPCのネタにも結実したわけです。そういう普通の会社では縛りと言われるものが結果的にApache mod_perlを極めるきっかけになったのは興味深いです。

2003年まで、尊敬する先輩方が、当時では先進的な様々なものを投入した時代が移り変わり、当時の先輩方がPerl CGIの高速化の意味で「mod_perlを知らないと…」と言った発言を真に受けて、洋書のmod_perlの書籍を何冊も熟読して、最終的にApache httpd serverで任意のTCPサーバを書くまで至るとは思いませんでした。2011年から始めたコミュニティ活動のネタとして、そしてYAPC::Asia Tokyoでのネタとして結実するとは、先輩方がmod_perlが…と言っている太古の昔の私は、全く想像していなかったことです。

また、新しいことが何もできなかったわけではなく、在職中盤あたりに後輩達と携わったECサイトではCatalystのような自社フレームワーク自体のメンテナンスを担当させていただき、そこでも勉強したてのmod_perlの知識が大いに役に立ちました。サイトの最後のほうでは、Catalystのソースコードを読んで、そこからパクッてくるという事もよく行っていました。ウェブアプリケーションフレームワークというものでコードを書くという機会がほとんどなかったのにもかかわらず、それ自体のコードリーディングやメンテナンスをするといった良い機会となりました。

粘り強く新しいものを社内から広めていくという方策も、うまくいった部分もあれば、私の戦略ミスで軋轢を生んだ部分もあって、成果半分、反省半分といった感じです。AnyEventが有用であることを社内IRCボットなどを通じて社内に対してアピールできましたが、反面社内サーバで勝手にperlbrew環境を構築したことで平謝りをしたこともありました。正直言えば、「普通の会社」が「普通にやっていること」ができないことで大いに苛立った事は確かです。ただ、今ではAnyEventも(たぶん社内で)受容され、インフラ系部署が拠り所とする「原則的にDebian stableのパッケージのみを使った開発をせよ」という部分で、Debian stableがPlackやMojoliciousをdebパッケージに取り込んでくれたおかげで、社内ツールからようやくMojoliciousによる新規ウェブアプリケーション開発ができるまで開拓することができつつあります。

当時の不安定なPOEでネガティブな印象が沈着していたPerlによるデーモン開発も、Debian stableに入ったAnyEventが有用であるということも分かり、PlackやMojoliciousでの開発ができるまでになった。私だけの成果だけでなく、数年前に一人入った優秀な後輩の力も大きいですが、これだけでも最近の成果として充実したものだったなと思う次第です。

Debian stableにはまだ日本由来の多くのPerlパッケージが入っていません。なので、TengやAmon2やStarmanやStarletを使った開発ができず、ORMは独自でそれっぽいものを書いて、デプロイ先のHTTPサーバはmod_perl (Plack::Handler::Apache2) によるものであることはしばらくは変わらないものの、開発フローはだいぶ「普通の会社」に近づいたと自負しています。残念ながらまだperlbrewやplenv、またcpanmは商用環境では使えません。とはいえ、AnyEventによるデーモンも安定していることが認知され、dbjアレルギーでdaemontoolsが使えなくても、今後はDebian stableにも入ったsupervisorによるデーモン管理など、「普通の会社」の「普通の開発」ができていくのではないか、残された後輩に期待しつつ、多少満足しつつ私は会社を去ることにしました。今後はDebian Developerを目指し、fonfunのためにDebian stableに日本由来のPerlパッケージのdebパッケージを多く公式パッケージに入れていく事に尽力していきたいと考えています。そうすることで、最近ユーザ数が増えているUbuntuなどのDebian由来のディストリビューションでも「システムPerl」の活用が結果的にしやすくなるのではと夢見ています。Ubuntuをサーバとして採用する会社もあると聞きます。結果的に多くの会社や個人にメリットがあるコミュニティ活動ができれば本望です。

コミュニティ活動との両輪と研究職的ポジション

以前の後輩達により待遇改善と研究職であるという肩書きが増え、2011年くらいから研究職的ポジションに立って業務を行い試行錯誤したことは前述の通りです。

とはいえ何もかも上手くいったかといえばそうではありませんでした。これも私の戦略ミスである部分が大きいのですが、コミュニティ活動と研究職的ポジションを相乗効果として両輪回すことができなかったという反省点があります。

コミュニティ活動で得た有用なプロダクトを入れようにも、他部署との交渉の段階で「普通の会社」が行っていることができないということが多くありました。私の交渉力不足や説得力不足もありますし、結局は私が10年平社員でしかないということもあったでしょう。他部署の部長級・課長級の人に断られたら太刀打ちできませんから。多くの会社が導入をして、有用な成果を上げているミドルウェアなどが導入できなかった事を私の力不足に帰してしまうのは無責任ではありますが、他人のせいにするわけにもいかず、結果論的にそう論じざるを得ない部分が大きいです。

そういう部分も、粘り強く打開して、上述のように「普通の会社」が「普通にやっている」ことができつつあります。今後、残された一人の優秀な後輩と、これから入社するまだ見ぬ優秀なエンジニアには非常に期待しています

また、社名で検索しても2代目社長のおかげで「上場廃止」とか忌まわしきキーワードばかりがサジェストされる検索エンジン、なんとかしたいと社名のイメージアップのためにYAPC::Asia Tokyoへのスポンサードや、私自身が社名を引っさげてプレゼンテーションをしたりといった、コミュニティとの接点を持って「社名のブランド化」を進めたりしましたが、これは上司から聞いた話では社内であまり好評を得ていなかったそうです。事情は伏せますが、これも私の戦略ミスが大きく、現在も大いに反省しています。また、YAPC経由でエンジニアを採用すれば人売りに払う余計な手数料が要らないという謳い文句をしていたのですが、結果的に「YAPC経由で来るようなスキルの保持者に見合う年俸が払えない」という理由で何とかナビを使っているのを知ったときのショックは相当大きかったですね…。既に人売りアレルギーを発症していたので、その時はもう膝から崩れる寸前でした。優秀な人をそれに見合った年俸で雇用して好循環を回せるような会社になってほしいと、外部から微力ながらも応援していきたいです。

エンジニアとしての立ち位置

ECサイトなどで会社が盛り上がっていた時代のエンジニアの後輩達によって、私の待遇改善が図られたことは前述の通りです。給与的な部分には跳ね返らなかったのですが、私が希望していた「新しいことを切り開いていく仕事」というのを自由にやらせていただくことができました。これは上司の意向とも一致した部分であり、会社に感謝している部分でもあります。

反面、それらの知識を実戦投入することがほぼできなかったことは、数年の私の経歴にあまりよい影響を与えなかったという後悔はあります。個人やコミュニティで開発したものはありますが、会社だからこそできる中規模開発運用というものが何年もできなかったのは大きな損失でした。

繰り返しになりますが、結果的に「新しいものを取り入れる研究職的ポジション」という与えていただいた立場と、様々な事情により「新しいものが取り入れられない環境」というはざまで大いに苦しんだことは事実です。これだけではありませんが、結果的にこれが積もり積もった退職理由の主要な要因の一つとなりました。

入社時、もともと私はPerlも知らず、MSX BASICとC言語を少し書いただけのある大学院生でした。大学院でサーバ管理者を体験させてもらった経験を生かしてインフラエンジニアになろうとしていたのですが、そんな知識は当時の先輩方の前では大した知識でもなく使ってもらえず、ひょんなことからPerlを書きはじめてウェブプログラマとなったのでした。現在、多くの会社ではAWSなどの存在でインフラエンジニアとの境界線はなくなりつつありますが、今までの体験を活かして、プログラマが動きやすいインフラエンジニアという先祖帰りした立ち位置でも今後仕事をしたいと思っています。

社員の利益、会社の利益

会社に属している以上、第一に考えるべきは会社の利益でしょう。「新しいものを試したい」ことが手段ではなく目的になってしまうアーリーアダプター的エンジニアにはならないように細心の注意をしたつもりです。

それでも、新しいものを全く試せないことは、オープン系ITプログラマである私にとっては大きな損失でもありました。これは給与的にではなくキャリア的にです。中には本当に「新しいもの」を導入することが正しい案件もありましたが、そこですら導入ができなかったことは悔やまれます。worker+ithreadsのmod_perl案件も、後から考えてTwiggy+デーモン管理ツールのほうが良かったかもしれないねというのは、それの設計を当時命じた上司と後に話をしたときの結果でした。とはいえこの場合は結果的にworker+ithreadsが貴重な経験になったことは確かです。人生何があるかわかりません。

平社員がどこまで会社に貢献できるか

役職に特にこだわりは無かったのですが、結果的に約10年ずっと平社員でした。名刺に書いてあった「ソフトウェアアーキテクト」というのは肩書きであって役職ではないのです。

後から入社した人が続々と係長や課長になり、結果的に議論の場で平社員が不利になるということを何度か感じました。上司には「年齢も在職年数も上のほうが圧倒的に威圧感がある」と言われましたが、私はそんなことは全く感じませんでした。20人(公開情報)の会社なのに、なんでこんなにも役職があって、そして約10年在職した私が平社員なんだろう…と何度も考えました。それはひとえに、新しいミドルウェアを導入して新しい製品を作り会社を豊かにしたいという議論がほとんど通らなかったからです。

「正しいことをしたければ偉くなれ」とはよく言ったものですが、フラットな組織を理想として、幅広く多くの意見を言い続けたことは事実です。そんな中で受け入れられない事柄がほとんどで、それは裏をかえせば「うるさいことをいう人間」という印象を与えてしまったのでしょう。私の戦略ミスです。いやらしい話になりますが、昇格チャンスも同時に逃していたことでしょう。

私が入社した2003年はインフラエンジニアとプログラマが不可分な状態で、そしてその部署は会社の中で超がつくほど最強の権力を有していました。2003年にペーペーで入社しその部署に配属された私は、他部署の物言えぬ人の窓口となり、その活動が会社のためになってきたと自負しています。

ただ、その後、様々な出来事が重なってインフラエンジニアとプログラマが分化し、そして徐々にコミュニケーションロスが発生し始めます。これはDevOpsという言葉などで、世間のIT企業でも同じ道を歩み、そして今ではAWSなどの台頭でインフラエンジニアがプログラマ側に徐々に職能をシフトしているという傾向です。直近では私が社内で合同部会などを主催することで溝を埋めることに執心していましたが、結果としては成果半分といった程度でした。

当時のような結果的に閉じた部署にしたくないと、私が先導してプログラマ部署は心を開いて色々な雑用を引き受けたことで、多くの部署と仲良くなれましたが、結果的に部署間ヒエラルキーとしてあまり良い位置に立てなかったように思えます。まぁこれこそが私の戦略ミスですね…。そもそも20人いる社員のうち、プログラマー部署は片手で余裕で数えるくらいしか人がいなかった。権力を持ちたいとかそういうわけではないですが、私が考えている理想像を実現するための権力以前の発言力すらなかったのは事実だったと思います。他の部署はどうだったでしょう…。考えることは建設的ではないので、これは考えないことにします。

2012年に入社して、私がやっていた仕事を一手に引き受けることとなった優秀な後輩は、黙々と仕事をこなすタイプの人で、そういうことを一切考えないのは良い傾向だと思います。与えられた事を、その場で使える技術でどうこなすか、それだけをじっくり考えて仕事が出来る後輩のような人・立場であれば良い仕事環境だったことでしょう。私がこの会社で研究職的ポジションに就いたことは終わりの始まりだったように感じます。ただ、コミュニティ活動で視野を広げて、今に繋がる「mod_perlと言えば@xtetsuji」といった外部でのセルフブランディングが出来るまでになったことは、心底良かったと思っています。会社というか上司にもそれを支援していただいたことは感謝しています。私の人生という視点に立って、もっと良い選択肢はあったと思いますが、その時に出来る選択で結果的に大きく間違ったことはしていなかったはずです。

ここでの話は、プログラマー部署で研究職的立場である私が現時点のオープン系ITプログラミング業界における「普通のこと」をやろうと苦心した特殊な立場の話だということです。全く一般論ではありません。この会社に入社する・在籍している他の職種の平社員や役職者が、この会社で与えられたことを工夫して取り組むことは、会社の構成員として自然と会社のためになるはずです。そこについて、これを読んで他の立場の人が不安がる必要はないと思います。

ずっと考えていた人生設計

もともと、私の人生の転機は6年ごとに起こっていて(小学校入学まで、小学生、中学高校、大学大学院)、入った頃から出入りの激しいIT業界、長くても6年で次の会社かなーと思っていたら10年経っていたという状況でした。

最近では陳腐な都市伝説となってしまったものの「プログラマ35歳定年説」なんてものがありますが、35歳はある意味人生の転機となる年齢です。プログラマは35歳で定年せずとも済むようになったものの、面接時の人事は35歳を一種の境界線として扱うのはどの業種でも同様のようです。よっぽど優れた有名人などであれば別でしょうが…。

このIT業界は人の入れ替わりが激しい業界です。それだけ多くの企業間が引き抜き合戦を行っているわけで、それがゆえに各企業のノウハウが良い意味で流動化しているのかもしれません。人によっては「退職エントリや転職エントリを検索して全く何も出てこない会社こそヤバイ」という人もいます。また3年未満で職を渡り歩く真の「ジョブホッパー」のような人はさすがにこの業界でもあまり良い印象を与えませんが、私のように10年も同じ会社に居続けると「その会社のやり方でしか仕事ができない人」と思われるとも多くの人に言われました。IT業界、よほど愛着があって在職していることで会社と自分に相乗効果がある場合を除いて、6年くらいで一度立ち位置を見直してみることは大切なのかもしれません(これは闇雲に転職を勧めている意見ではありません)。

また私は、いつかは地元、できれば北海道のどこかに帰りたいとも考えています。ただ今はまだその時期ではない、東京でもっと刺激を受けて勉強する時期だとも思っていますが、そうであればもっと別の会社を経験するべきだとも思っていました。そんな中での2013年転職活動となりました。

次に働く場所も東京になる予定ですが、あと10年くらいは東京で修行しながら、その後北海道でも働けるよう自分自身も周辺事情も開拓していこうと考えています。

退職の理由

立ち位置のギャップ、社内での戦略ミス、キャリア上の戦略、人生設計上の流れ…。上記でも様々な理由らしきものがあがりましたが、どれも決定的な退職理由ではありませんでした。何しろ最近は「逃げたい」と思ったことが無かった。ただ徐々に働きづらくなったなという居心地の悪さは感じていました。これは全社的な職種全般の事では当然無く、私の立ち位置から見た感想でした。

総論を言ってしまうと文字では誤解を招きそうなので、これについての総論については別の場所で直にお会いしたときに話させてください。ちょうど #xtnight というイベントもあります。また今後も色々な勉強会に参加させていただく予定です。興味のある方には、その時にでもお話させていただければと思います。

まとめ

長文を書いてきて、まとまらない感じではありますが、私が10年間で得た体系的といえる知識はPerlくらいしかなく、私の年齢ともなると会社から勉強をするだけでなく会社へ具体的かつ迅速な貢献を求められることになります。当然ながら、次もPerlという武器を主軸として活動しつつ、今までできなかった分野への仕事へと広がりを持たせたいと考えています。

外向きの私の活動は、2011年からのコミュニティ活動からあまり変わらないと思います。むしろ、より「普通の会社」がやっている「普通のこと」や「普通の開発」の話が増えていくかもしれません。とはいえ、せっかく得たmod_perlの知識の火も絶やすことなく、継続的に研究していきます。ご期待ください。

若い優秀な人達が台頭する中、年齢の割にはまだまだ未熟ではありますが、これからもオープン系ITプログラマとして、どうぞよろしくお願いします。

iPhoneユーザも納得のNexus 5

おがた (@xtetsuji) です。

2013年の年末にGoogleが発売(LGが製造)したNexus 5を購入しました。16GBモデルをGoogle直販から直接購入しました。年末発注だったので、実家で受け取ることにしました。

購入から受け取りまで

実家の住所を日本語で書いたのですが、発送はシンガポールかどこかからだったらしく、Googleお得意(?)の機械翻訳で住所が超訳されており、ヤマト運輸の配達員の方が迷ったという話があります。市区町村の部分までは辞書があったのかうまく訳せていたんですけどねぇ。

実際にグレア液晶が目にきつかったのでアンチグレアフィルムを調達しに地元の電気屋まで行ったのですが、無かったのでAmazonで発注して、実際に本格的に使い始めたのが帰省から戻った2014年1月からとなりました。

触ってみて最初の感想

受け取って触ってみて思ったのは視野角が広いということ。視野角が広い!これに勝るものはありません。iPhoneも視野角が広いから愛用しているようなものです。国産Androidガラパゴススマホや中華パッドを使っていると、視野角が極悪に悪いものがあって、目が疲れて一週間も耐えられないことがあります。かくいう私もAndroid端末として国産メガネケース中華パッドに投資をしたことがありますが、視野角が狭すぎて一週間程度で投げ捨てた過去があります。視野角の広さ大事。それはOSがAndroidかどうかに関わりません。

重要なことなので何度もいいます。視野角大事。液晶ディスプレイやノートパソコンを買うときにも、ディスプレイを真横に近いところから見て画面の内容が視認できない、もしくは目がひどく疲れるものは絶対に買うべきではありません。それはあなたの視力を知らず知らずのうちに奪う悪魔の品です。

iPhoneとAndroid、そして他のスマートフォンOS

iPhone 3G時代からの生粋のiPhoneユーザなので、よくAndroidは嫌いなのかと聞かれることがあるのですが、そういうわけではありません。でなければ国産メガネケースや中華パッドに投資するわけない。多様なOSを体験したいというのはIT業界に居るものとして当然の感想です。

半年くらいまえになると思いますが、Firefox OS勉強会にも行ってFirefox OS端末をいち早く触らせてもらいました。Firefox OS はネイティブアプリを作るのも全てJavaScriptという徹底ぶりなのですが、それでもOS側のチューニングがしっかりしていて、Firefox OSにとても好感を覚えました

Firefox OSとTizen OSは、日本ではKDDI vs docomoという構図となっていますが、どちらのOSもコンセプトとしてはJavaScriptでネイティブアプリを書くというHTML5指向になっている部分もあり、iOSのObjective-CやAndroidのJavaといった未開の勉強までは必要ないというのが、ウェブ開発者視点での印象です。どちらのOSも楽しみですね。

…と、ここまで語ってきましたが、私はWindows Phoneという物の存在を絶対に許しません。あれがWindows CEと呼ばれた頃から、当時学生で貧乏だった私は未来を夢見ていくつものWindows CEマシンに投資をし、そしてがっかりするということを繰り返してきました。iPhone 3Gが出たときにスティーブ・バルマーは「Windows CEには100万本以上のソフトウェア資産がある」とiPhoneとAppleに嘲笑めいた喧嘩を売ったにも関わらず、その後すぐWindows CEとバイナリ互換を一切切り捨てたWindows Phoneなどというものを出してきました。その時の私の怒りはここでは書ききれません。スティーブ・バルマーは全世界を巡業して焼き土下座をしなければ許されない大罪を何度も犯しています。絶対に許さん!!!

MicrosoftとWindows自体がもうダメかと言われたらそうでもありません。私がMicrosoftにアドバイスするのであれば、Windows Phoneなんてものを作る暇があるのであれば、デスクトップOSとしてデファクトスタンダードとなっているWindows OSのカーネルをマイクロカーネル化して、Windowsのソフトも動かそうと思えば動かせる、そんなタブレットやスマートフォンを作ればよいのにと思うのです。Windows 8は今も現在進行形で多くの人々から非難を浴び続けています。古きよきWindowsをよくブラッシュアップできたWindows 7に立ち返り、それを継承したWindows 9を作り、それをマイクロカーネル化したモバイルOSを作れば、多くのビジネスマンに支持されることとなるのではないかと感じます。タッチインターフェースが必要だからWindows 8が生まれたのだという指摘もありますが、タッチインターフェースでWindows 8が成功しているとは到底思えません。もっとよい解決策があるはずです。それを考えてWindows 9に結実させることこそ、Windows Phoneを作るよりも先にMicrosoftが行うことではないでしょうか。

あと、Nexus 5が非常によい出来であることと対照的に、国産Android端末は高価で高機能な割に、使い勝手が直感的ではないという残念な傾向にあると思います。高機能ゆえに電池消費も早いという傾向があるようで、富士通やNECのAndroid端末を使っている人達は自分の端末の悪口を延々と言い続けるという面白い風景を何度も見てきました。当時からSoftbankのiPhoneユーザの私が「じゃぁiPhoneにしなよ…」というと「ドコモから出てないから…」という構図。今やドコモからもiPhoneが登場した今、あのときのみなさんはどうしていることでしょうか。

ソニエリやシャープはまだ良いほうのようです。IGZOの省電力などがあるのでしょうか。シャープのファンである私は、もし端末価格と維持費が安ければAQUOS Phoneも欲しいところではあるのですが、主にドコモの維持費がネックで踏みきれません。ちなみに私はドコモのガラケー(SH906i)ユーザでもあります。ガラケーは維持費が安くて助かります。

iPhoneと使い分けてみて思ったNexus 5の良さ

まず、Nexus 5のために以下のようなものを買いました。

とりあえずグレア液晶が目にきつかったので、アンチグレアフィルムは即発注。Qi対応ということもあって、興味深かったのと案外安かったのでワイヤレス充電パッドも購入。そして今まで使っていたBluetoothヘッドフォンがBluetooth2.0時代の古いものだったので、これを期にBluetooth 4.0対応の良いものを購入しました。あと、SIMロックフリーだったのと、都度iPhoneのテザリングで接続するのは面倒だなと、月480円で維持できる150kbpsのServerMan SIMを購入しました。速度的にはストリーミング動画を観たりしなければこれでも十分。どれも良い買い物でした。

ちなみにNexus 5の色は黒を買いました。白と黒があるという選択肢を全然知らなくて、そのまま黒を買ってしまった感じ。とはいえ、選べと言われても黒を買っていたと思います。

Nexus 5のホーム画面、こんな感じになっています。

Nexus 5 ホーム1 Nexus 5 ホーム2

 

なるべく普段使っているiPhoneのホーム画面に似せてみたというのと、iPhoneでいいだけゲームを入れて飽きているので、ゲームは一切入れなかったということでしょうか。あと音楽や動画の類もiPhone 5 64GBのほうにだけ入れています。内臓ストレージ容量も16GBなので、あまり欲張ってソフトウェアを入れても、すぐに限界が来るからこれくらいがちょうどよいのかもしれません。少なくともしばらくは、iPhone 5メイン、Nexus 5サブという状態が続くでしょう。

iPhoneはiTunesにロックオンされるから良くないというAndroid派の意見を聞きますが、私は結構iTunesを気に入っているので、これに関しては良いと思っています。逆にAndroidではiTunesやiTunes Storeのような中央集権的なメディアストアがない(実際はGoogle Play ***がありますが…)ところは、サードパーティ製の楽曲配信サービスが入り込む余地があって興味深いと思います。

iPhoneというかiOSではできなくてAndroidではできるということは結構あります。これは結構魅力的です。Nexus 5を1ヶ月弱使っていて気がついたものをいくつか挙げてみます。

  • ソフトウェア常駐時間(iOS6で10分、iOS7で3分)の制限がない
  • 通知欄がiOSより高機能
  • ウィジェットの存在
  • Google NowがOSネイティブ
  • ファイルという概念と、共有の自由さ
  • Wi-Fiのスニファが出来る

iPhoneでもIRCソフトLimeChatやクリップボード監視ソフトなどを使っていましたが、どうしてもソフトウェア常駐時間の制限が使い勝手のネックでした。AndroidではYaaicというIRCソフトウェアを使っていますが、常駐時間の制限も無く、その点ではとても使い勝手が良いソフトウェアです。ただ、iOSの常駐時間制限も電池消費を抑えるために設けられているわけで、Androidで常駐ソフトウェアをむやみに増やす事は、結果的に自分の首を締めることになるという「自己責任」があるのでしょう。「自由」と「自己責任」は表裏一体です。

通知欄が高機能であることと、ウィジェットの存在は、iOSから見たら一目瞭然の高機能さでありましょう。これについても電池消費の話がついてまわりますので「自由」のために「自己責任」をどこまでおうか、それはAndroidユーザ各人が考えるべきことなのでしょう。

Nexus 5は、現時点で一番新しいAndroid OS KitKat (4.4) を搭載していますが、Google NowがOSネイティブで入っているというのはなかなか便利だなと思いました。SIMを刺してどこかに行くと、Google Nowのカードが今いる最寄り駅から自宅に帰る最短ルートをサジェストしてくれる。iOSにもGoogleアプリがあって、Nowを擬似的に使うことができますが、それはアプリをいちいち起動しないといけないわけで、この機能は非常に便利だなと感じました。まぁ電池消費の話は繰り返されるわけですが…。

iOSにはファイルという概念は実質的に無い(隠蔽されている)のですが、Androidにはファイルという概念が存在して任意のファイルを「ダウンロード」することがOSとして可能です。また、共有という概念もiOSに比べて自由です。

例えば両OSのChromeで「共有」を選んだ画面を見てみると、メニューの項目が全く違います。

iOSで情報をアプリ間で受け渡しするとかは、URLスキームに頼ったりOpen-Inという手法もありますが、Androidほどの自由さはないでしょう。逆にiOSが制限があるゆえ、コンピュータウィルスへの危険が少なかったり、制限下で目的を達成しようとMyScriptsなどのアプリで頑張ったりといった、また別の良い部分や楽しさがあることも事実です

これは個々の事例になるのですが、iOS6あたりで、AppleがWi-Fiをスニファするアプリを禁止してしまった経緯があります。この方針変更で、iPhoneでWi-Fiの強度であるとかチャンネルの干渉などを調べるアプリが軒並みAppStoreから無くなってしまいました。Apple側でもWi-FiスニファはAirCrack系アプリなどの悪用の危険性があるという判断からそういう経緯に至ったのでしょうが、結構私的には不便でした。Androidにはそのような制限がないので、私はNexus 5を手にとってまず入れたのは「WiFi Analyzer」というソフトでした。最近では街中でこれを起動して電波の干渉などを見ながら「Wi-Fiスポット増えたなぁ」とか思っています。

初心者にすすめるのはどっち?

では初心者にすすめるならどっちかと言われると、2014年現在であれば間違いなくiPhoneでしょう。Androidと一口に言っても、国産ガラパゴススマホから中華パッド、そしてNexus 5のような良品まで様々です。要件に「ワンセグとおサイフケータイ」と言われた時点で選択肢はガラケーか国産ガラパゴススマホになります。国産ガラパゴススマホ、使ってみると各社全く違う操作感で、往年のガラケーより混乱を招くんじゃないか…とすら思えます。同じAndroid OSとはいえ、メーカーAのユーザとメーカーBのユーザがいても、互いに情報共有しあえない状況では、ちょっと…という感じすらあります。

またiPhoneであれば身近に使っている人が多いということはあるでしょう。身近に質問できる人がいるというのはあらゆる物事で結構重要なことです。iPhoneであれば、OSがバージョンアップしたときの操作性もそれほど変わらず、iOSであればiPhoneとiPadでそれほど違いがないというのもあるでしょう。Androidはそうはいかないのではないかというのが私見です。

先ほどAndroidは「自由」と「自己責任」であると言いました。それと対比すればiPhone/iOSは「制限」と「ユーザ保護」と言えましょう。自己責任が取れて自由を安全に謳歌できる人ならよいのですが、全ての人がそうとはいえないでしょう。特に誰かに「iPhoneとAndroidどっちがよい?」と質問するひとであればなおさら。そうであれば、私の代わりにその人を保護してくれるOSのほうを選択してあげたいという気持ちがあります。iOSは制限は多いですが、一時期ほど気になるものではありません。またプッシュ通知(APNS)など、Androidより不自由な通知ではあるものの電池消費を最小限にする仕組みなど、そのユーザ保護は枚挙にいとまがありません。iTunesの存在も選択する一つの要素でしょう。

また、iPhoneのOSバージョンアップサイクルが長いというのも選択肢の一つでしょう。そういう質問をしてくる人は、たいがいレイトマジョリティで、買ったものを長く使う傾向にあります。アーリーアダプターとは違って、頻繁に機種を買い換えない。そうであれば、平均1回のOSバージョンアップで切り捨てられるAndroid端末よりも、何回もOSバージョンアップができる実績のあるiOS/iPhoneを選んだほうがよいという考えです。

あと、iPhoneは安い。これはケータイ事業者3社にAppleから販売通達が厳しく課せられていて、そのために販売奨励金がジャブジャブ投入されているからというAndroid派からの指摘は正解なのですが、消費者側から見たら安いに越したことはないでしょう。

決してこれらは、Androidが悪いから勧めないというわけではありません。そういう質問をしてくる人が大抵はアーリーアダプターとは対局の位置にいる人で、そういう人にはAndroidよりもiPhoneのほうが向く傾向にあるだろう、というだけにすぎません。その人がガラケーのヘビーユーザで1年未満でガラケーを買い換える傾向にある人であれば、また指標が変わってくるでしょう。

まとめ

端末価格も安く、維持費もゼロか低く抑えられ、なおかつKitKatをいち早く体験できるNexus 5は、たとえ国産ガラパゴススマホが対応しているようなワンセグやおサイフケータイが無くても、十分魅力的なAndroid端末です。iPhoneを持っている層も、お金に余裕があるのであれば、買って損はない端末、新たな良い体験ができる端末だと思えます。ぜひ御一考してみてください。